>> 鉛のような雨の中で




 雨は宵闇を映し込み、無間が如く打ち付ける。
 今し方まで動の中にあり、熱を帯びた馬岱の身体もすっかりと温もりが消えたのと同様。

 彼が眼前にある人の身体も、永遠の静寂へと沈みただの冷たい肉塊へと成り果てようとしていた。


 「……最後まで、外さなかったよねぇ。仮面(それ)、さ」


 今はもう呼吸さえも止めた男の身体を前に、馬岱は呟く。
 脳裏に蘇るのは昨日までの事。
 彼と肩を並べ語り合った、他愛のない日々の事であった。

 愛すべき程に下らないやりとりは実に空虚で、馬岱の心に何も残していない。
 自身はそう思っていたのだが、彼が躯となった今、何故かその記憶は色鮮やかに思い出されていた。


 「さて、どんな顔してんだろうね……アンタはさ」


 冷たい雨に濡れる身体、その冷感を誤魔化すように馬岱は仮面へ手を伸ばす。

 平穏だった頃。
 今や躯となり果てた彼は、最後までそれを外そうとしなかった。

 だが、鼓動をとめた今ならもう仮面をつける必要もあるまい。
 馬岱の指先が、彼の仮面に触れたその瞬間。


 『我……見セヌ……オ前、マダ……見セヌ、ダカラ……』


 すでに、鼓動なき男の唇が動きそう告げた。
 そんな、気がした。


 同時に、蘇るのはまだ共にあった頃の記憶。
 つい最近の記憶のはずだが、もう何十年も以前の事のように思い出される。


 「ねぇ、魏延ってば、いっつも仮面つけてるよね?」


 きっかけは、確か自分だった気がする。
 仮面があれば視野は狭まり、戦で剣を交える際に必ず死角が出来るだろう。

 そんな危険を負ってまで、顔を隠そうとする理由が馬岱には思い浮かばなかったからだ。


 「一体どうして仮面なんかしてるのさ? 仮面なんかつけてたら息苦しいし、自分のホントの顔、隠すのなんてよくないと思うよ?」


 仮面をつける素振りをして、おどけた様子で言ったのは彼がいつも笑いもせず、ただ黙って槍を振るう。
 勇将として名高い男は、普段よりヒマさえあればこうして自己鍛錬に勤しんでいた。


 「我……顔、凶相……アル。我、顔……人、恐レル……故ニ、隠ス……」


 彼の顔に凶相が出ている、という事は以前より諸葛亮も言っていた。
 自らの存在がいずれ、敬愛する主君に及ぶのを内心恐れているのだろう。

 だからこそ、危険を負ってでも仮面をつけているのやもしれない。


 「だけど、俺たちの前でなら外していいんじゃないのかなぁ?」


 近くの大樹に身を預け、ひたすらと槍を振るう男を眺めながら馬岱は思う。


 「俺だったら、別にアンタの顔が凶相だろうがひきつけを起こすくらいに恐ろしかろうが、全然気にしないいだからさぁ。ほら、仮面とってみせてよ、ね?」


 せめて気心知れた仲間の前でくらい、外さなければ息苦しさで呼吸がつまるのではないか。
 そんな思いで口から零れた言葉にも、男はただ無言でいた。


 「……いつか、アンタのホントの顔、俺に見せてほしいよ」


 そんな馬岱の言葉に、男ははじめて鍛錬の手を止めた。


 「ソウダ、ナ……何時カ、我、外ス……オ前、出来タ時……必ズ……」
 「本当かぁい? ……って、出来るって何の事かなぁ? おれ、非力だからアンタよりすごい戦闘(こと)は、出来ないよ?」

 「……オ前、心カラ、笑ウ……ソノ時、我、外ス……仮面ヲ……」


 男は馬岱は、いつも仮面をつけているというのだ。

 笑顔という仮面を、孤独な本心を隠す為に。
 本当の感情をすべて自分の中に、封じ込める為に。

 自分にはそんなつもり、毛頭ないのだが……。


 「ホント、約束だよ?」
 「アァ……我、約束スル……ダカラ。オ前、笑エ……イツカ、必ズ……」


 結局、約束は果たされぬまま、躯は雨に打ち付けられて、すっかり冷えていた。


 「俺は……」


 仮面が指先に触れる。
 あの時、彼がした願いがまるで鉛のように覆い被さり、指が少しも動かない。


 「俺は……まだ、ホントに笑えてないからね。だから、だからねぇ、魏延……アンタの仮面は、外さないでおくよ……」


 冷たい身体に背を向けて、馬岱は暗がりを歩む。
 躯からは急速に体温が奪われていき、彼の眼前には永劫とも思える闇が広がるばかりであった。






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