>> たおれるもの、たおれざるもの




 四肢を奪われた馬岱の眼前でいま、大切なものが壊されようとしていた。


 「もう、やめておくれよ……頼むから、後生だから……」


 幾度も繰り返された懇願を、誰かが笑う。


 「そんな事言われて、はいそうですかァってな……素直に聞き入れる方がおかしいぜ」


 彼の腕を押さえつける手が、一層強く握られる。
 眼前には、無数の男たちに組み伏せられいつ終わるとも知れぬ暴力に晒されている大切な存在(もの)の……。

 従兄弟として、そして一族の長として。
 彼が敬愛し守り続けようと誓った、馬超の姿があった。


 「……っ、ぁ」


 大柄な男の拳を受け、地面に伏す馬超を目で追う馬岱の胸に溢れるのは後悔の念ばかり。
 明け方の警備に油断をし、うたた寝をした不甲斐なさを呪うばかりである。


 「もう、もうやめてくれよ。俺、俺が何でもするから、何でもするからさぁ! だから若は……若をこれ以上傷つけないでくれよ……」


 男たちの拘束がゆるまない最中、馬岱はもう何度目とも知れぬ懇願を口にする。
 だが、男たちにとってその懇願は重なれば重なる程より滑稽に思えたのだろう。


 「何度言ってもわかんない奴だな……」


 一度強く頬を叩いた後、誰かが言う。


 「いくら頼んでも無駄だって、お前の頭じゃわかんないのか。本当……馬鹿だよアンタはさ」


 そしてまた、笑う。
 その笑い声は、馬岱の眼前で馬超を嬲る事を心底楽しんでいるようだった。

 ……あんなにも守りたかった存在が、目の前で壊されていく。
 何も出来ないまま、ただ自分は見ているだけ……。

 自分の無力さがただ悲しく、出来る事ならこのまま消え入りたいとさえ思う。
 そんな中。


 「目をそらすな、馬岱!」


 大事な人の、声が響いた。
 顔を上げれば土に伏し、未だ暴力に晒される馬超の姿がそこにある。

 こんな傷だらけの貴方を。
 無造作に汚されていくばかりの貴方を見続けろというのだろうか。

 もしそうなら、何て残酷な人なのだろう……。
 苦渋の表情を向けたまま、だが命令通りその姿を見据える。

 目の前には、地に伏していながら、熱を忘れぬ視線で馬岱を見据える彼の姿があった。


 「若……」


 どうして貴方は、こんなに辱められていてもそんな目が出来るだろうか。
 こんな境遇にあっても何故、希望を捨てず信念を燃やした瞳を輝かせているのだろうか。

 それら全ての疑問をうち消すかのように、高らかな声が響いた。


 「俺なら大丈夫だ、馬岱! だから、この光景を忘れるなっ……俺は、絶対に奴らにうち勝ち、この正義の槍で貫いてみせる! だから……」


 心配するな。
 その声をうち消すかのように誰かの棒が彼を打ち据えて、馬超は再び無数の影へ沈んで行った。




 気付いた時、ボロボロの身体を引きずりながら馬岱は川辺へと逃れていた。
 いつ終わるとも知れぬ男たちの遊戯を中断させたのは、突如現れた蹄の音だ。

 近隣の都市で賊退治の報でも受けたのかだろうか。
 色めきだって浮き足立つ男たちの拘束がゆるんだ、その一瞬の隙をついて、命からがら逃れてきたのだ。

 このまま嬲り殺される事さえ覚悟していた中で、二人ともこうして生きていられたのはまさに僥倖といえるだろうが……。


 「……若、寝ちゃってる。若?」


 安全と思しき場所まで逃れ、念のため灯火は少なくし休む。

 馬超は、もう眠っているようだった。
 返事もせずただ寝息ばかりが聞かれる。


 「若……」


 触れればその肌にはいくつもの傷が残っているのが分かる。
 それでも馬超は何も言わずに、助かった事だけを喜んで、笑いながら静かに眠っていた。


 「若、俺は……」


 守ろうと思っていた相手が、また守ってくれた。
 力が足りない自分の無力さに呆れ、憤り、だがそれでも傍らにいたい思いが絡み合い、どうしていいのか分からなくなる中。


 「馬岱……」


 大切な存在が、微かに彼の名を呼んで、また馬岱は救われる。


 「若、俺は……貴方に守ってもらってばかり。大事なもの貰ってばかりだけどね……」


 いつか必ず恩返しをするから、その時まで傍に居させてほしい。
 思いを込めて、馬岱は彼を抱きしめた。

 今はただ彼を、抱きしめる事しか出来なかった。






 <若は強い子だよぉ!(戻るよ)>