モビルスーツの出撃準備を命じていたイザークは、自ら出るべきかまだ迷っていた。
 出撃すれば、上の命令に従ってアスラン達と戦わなければならない。軍人である以上、上層部の命令には絶対服従で、普段の彼ならば多少の異論を唱えてはみてもその意に従っていただろう。
 だが今は、本当にそれでいいのかと頭の隅で警鐘が鳴って、速断を是とするイザークを常になく躊躇わせた。
 脳裏を過ぎるのは、過去の苦すぎる記憶―――。
 クルーゼ隊の仲間を――ラスティをミゲルをニコルを次々と喪い、アスランとディアッカも自分の元を去り、最後はたった一人残されてしまったあの頃、信じるものがなければ戦場に立てなかった。
 イザークにとってそれがザフトであり、赤の軍服を身に纏って最前線で戦うことが唯一自分を支える矜持だったのだ。
 盲目的なまでに命令に従い戦い続け、やがてアスランやディアッカと戦場で敵味方として相対した時、一体自分は何のために戦っているのかわからなくなった。
 ザフトのために。
 ただそのためだけに戦って、それが何の意味を成すのか考えもしなかった愚かな自分。
 迷い悩みぬいた挙句、意地も矜持もかなぐり捨てたイザークの中に最後に残ったものは、プラントを護るという純粋で強い思いだった。
 その思いは今も変わることなくイザークの胸の中にあり、だからこそ彼は迷うのだ。
 彼らを討つことが、本当の意味でプラントを護ることに繋がるのか、と――。
 本音を言えば、アスランとは戦いたくなかった。たとえ行動は共にできなくても、その胸に抱くプラントの未来を護りたいという気持ちは同じなのだから。
 アスランの元に駆けつけて直接問い質したい気持ちはあるが、今は一隊を率いる隊長だ。旗艦のボルテールも与えられ、指揮権を発動できるこの身は、部下に対して負う責任も重い。もう自分の考えだけで動ける頃とは訳が違っていた。
「―――――ディアッカ。隊を任せる」
 長い沈黙の後、漸く決断を下したイザークが重い口を開いた。
「りょーかい。でも、ほんとにいいの?」
 意味深な口調で覗き込む紫水晶の瞳を鋭く睨みつけることで牽制する。
「何がだ?」
「…何でもありません。では、行って参ります、隊長」
 おどけた調子で敬礼するディアッカを追い払うようにイザークは顎をしゃくった。
「とっとと行けっ」
「はいはい」
 苦笑を浮かべてブリッジを後にするディアッカの背中を眉を顰めて見送ったイザークは、深い溜息を吐いた。
 どうせディアッカには、自分が何を迷っていたのかバレバレだったろう。それでも何も言わずに指示を待っていてくれたのはありがたいが、聡い副官を持って幸せなのか忌々しいのか、正直わからないイザークだった。



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「ああ? 何だ、あのモビルスーツは」
 モニターに映る見慣れぬモビルスーツを確認しようと身を乗り出したイザークに、コックピットで出撃の指示を待っていたディアッカが、すっかり待ちくたびれた様子で訊いてきた。
「そんなことより、どーすんだよ、隊長。俺達は」
「あ?」
 意識が完全にモニターに向いていたイザークが少々間の抜けた応えを返すと、小さな通信用の画面に映し出されたディアッカが苦笑を浮かべた。
「一応出て行って、瞬殺されてくる?」
 そんなディアッカの軽口に、即座にイザークの柳眉がつり上がる。
「馬鹿者っ! そんな根性なら、最初から出るな!」
 容赦のない厳しい叱責にらしいと思いつつも、ディアッカは少し弱ったように答えた。
「いや…、だってなあ」
 飄々とした態度を崩さないディアッカだったが、その実彼もどう行動すべきか迷っていたのだと悟ったイザークは、その瞬間決断を下した。
「俺が出る!」
 言うが早いか、イザークは身を翻して床を蹴った。半重力のブリッジの中、ふわりと宙を泳いで入口へと向かう。
「あぁ?」
「隊長!」
 驚いたディアッカと艦長の声に空中で優雅に身を返したイザークは、開いた扉の向こうに後ろ向きに着地しながら、彼らしいきっぱりとした声で艦長に指示を出した。
「ボルテールは後ろから支援だけしていろ。いいな! 前に出るなよ。死ぬぞ!」
「は、はいっ!」
 艦長の応えに一瞬薄い笑みを浮かべたイザークは、真っ直ぐにハンガーへ向かった。
 あれだけ迷って悩んだというのに、あっさりと弾き出してしまった答えは、拍子抜けするほどシンプルなもので。
 結局は自分の気持ちに嘘は吐けないということかと、イザークは苦笑を浮かべた。
 この決断がどういう意味を持つのか、十分わかっている。
 だから、この船は置いていく。
 詭弁と取られようが、この船の人間を誰一人として死なせたくはないから。
 固い決意を胸に前を見つめるイザークの蒼氷の瞳には、最早迷いはなかった。