待ち合わせの公園にアスランが少し遅れて着いたとき、イザークはいつも落ち合う大樹の根元に背中を預けるようにして座り込んでいた。常ならば気配を察して読みかけの本から目を離さずに「遅いっ!」の一言で迎えられるはずが、今日に限って至近距離まで近付いても何の反応もなかった。
「―――イザーク?」
名前を呼んでも応えがないことにいぶかしんでそっと顔を覗き込んでみると、俯いたイザークの瞳は閉じられていて、どうやら待ちくたびれて眠ってしまったらしい。
アスランは彼を起こさないように気を付けながら隣に座り、恋人の寝顔を再び覗き込んだ。
顎のラインで綺麗に切り揃えられたさらさらの銀糸の向こうに見える、白皙の滑らかな頬。強い光を宿すアクアマリンの瞳は今はひっそりと閉じられていて、縁取る濃銀色の長い睫が僅かに影を落としている。微かに開いた薄紅色の唇から零れる安らかな寝息は、彼の眠りの深さを物語っていた。
公共の場所で無防備な姿を晒す危険を冒している恋人に微かな憤りを感じつつ、寝顔をまじまじと見つめていたアスランは、やっぱり綺麗だな…と、内心感歎の息を漏らした。
コーディネーターに美形は付き物だが、イザークのそれは群を抜いている。普段は感情の起伏の激しい彼の迫力に押されてしまってしみじみ感じる間もないのだが、木漏れ日の中静かに眠る今の彼の姿はまるで一幅の絵画のようで、引き寄せられるがままに目が離せない。
どこかあどけなさの残る無邪気な、それでいて清雅で高貴ささえ漂う美しいその寝顔―――。
遥か昔の御伽噺の眠れる森の美女もかくやといった風情で、自然と鼓動が高鳴り、アスランの視点がある一点に注がれる。
柔らかそうな――実際その感触は知っている――薄紅色の唇に触れてみたくて、吸い寄せられるようにそっと唇を触れ合わせた。
触れるだけのほんの僅かな接触は、アスランの唇にイザークの仄かな温もりを伝えるものの、何の反応も返されないことに少々物足りなさを感じてしまう。いつもなら、「不埒者っ!!」の一言に、もれなく平手打ちが飛んで来るところだ。そんな物騒なことを望んでいるわけではないが、慣れというものは本当に恐ろしい。
気持ちよさそうに眠っている彼を起こすのは忍びないとは思うし、また鑑賞に値するイザークの寝顔は見ていて飽きることはないが、やはり一人取り残されているのは面白くない。それに、二人っきりで過ごせる貴重な休日は、もっと有意義なことをして過ごしたいのが正直なところだ。起こすか、それとも起きるまで待つか短い逡巡の後、ふと浮かんだ閃きにアスランは悪戯っぽく微笑んだ。
膝の上に広げられている邪魔な本を地面にほおり投げると、徐に地面に横になり、そっと頭をイザークの膝に乗せた。いわゆる膝枕である。
起きていたら絶対にしてくれないこの格好を見て、イザークは一体どんな反応を見せるのか楽しみだと思いつつ、アスランはそっと目を閉じた。
眠りから覚めたイザークは、自分の膝の上に乗っているものを見て、唖然とした。
―――何なんだ、こいつは。
膝の上ではアスランが静かに寝息を立てていた。一体いつの間に来てこんな不埒な真似をしたのかわからないが、こんなことをされていながらまったく気付かずに寝こけていた自分が恥ずかしくも腹立たしい。
「……おい」
不機嫌そのものの声で呼んでも、ずうずうしい濃紺色の髪の少年はピクリともしない。辛抱強く何度か繰り返したイザークは、諦めたようにため息を吐くと、文字どおりアスランの頭を膝の上から叩き落とした。
「うわっ…!」
地面に転がされたアスランは、それでも無様に顔面を打ちつけるような真似はせずに、むっくりと身体を起こした。
「寝てる人間にいきなり酷いなあ」
苦笑を滲ませやんわりと抗議する翡翠色の瞳に、イザークはふんっと鼻を鳴らす。
「何が酷いだ。狸寝入りのくせに」
優美なラインを描く眉を顰めながら冷ややかに切って落とすと、アスランは悪びれもせずに言った。
「あれ? バレてた?」
「当たり前だろうが、馬鹿!」
不機嫌極まりないその表情ほどイザークの機嫌は悪くないことを察しているアスランは、満面の笑みを浮かべながら、さらりと爆弾を落とした。
「だって、イザークがあんまり気持ちよさそうに眠ってるから、起こすのも可哀想だなって思って。で、寝顔も綺麗だなあって観賞してたら、そのうち眠くなって…」
「ばっ…!!」
アクアマリンの瞳がきつく睨み付けるが、羞恥に頬を染めていては迫力に欠ける。それ以上の可愛い憎まれ口が形の良い唇から出る前に、アスランは膝でずいと詰め寄った。
「本当だよ」
至近距離に顔を近付けられて、イザークはうろたえたように視線を逸らす。頬を赤らめながら困ったように瞳を伏せる仕草は凶悪なほどに可愛らしく、男心を擽られたアスランは満足げに微笑むと、両腕を木の幹に突いて彼の動きを封じた。
間近に迫ったアスランの真剣なまなざしに逃げられないと本能的に悟ったイザークは、反射的にぎゅっと目を閉じ、身体を硬くさせる。そんな恋人の怯えにも似た様子に気付いたアスランは、余裕のない自分の行動に苦い笑みを浮かべると、微かに震えるイザークの目元に宥めるようなキスを落とした。
「……さ、行こうか。早くしないと日が暮れてしまう」
そして、何事もなかったかのようにあっさり身体を離したアスランは、緊張が解けて呆然と自分を見上げるイザークに手を差し伸べた。
「―――きっ、きっ、貴様ーぁぁぁぁぁっっっ!!!!!」
漸く我に返ったイザークは、アスランに成す術もなく呑まれてしまったことと肩透かしを食らったことに対する二重の怒りが爆発し、恋人に噛み付いた。
「大体、貴様が遅刻したせいじゃないかっっ!!!」
昂ぶる感情のままに白皙の頬は薔薇色に染まり、羞恥と怒りで燃えるように煌めくアクアマリンの瞳が真っ直ぐにアスランを射抜く。その輝きの美しさに酔ったアスランは、怒りの矛先が向けられていることなど一向に頓着せず、やっぱり俺のイザークは怒った顔も綺麗だなと、彼が聞いたら憤死しかねないことを平然と考えていた。
一方で、いつまでも怒らせておくのは得策ではないと瞬時に判断した策士は、取り敢えず下出に出て反応を窺うことにする。
「だからごめんって。お詫びにイザークの好きなもの何でも奢るよ?」
「……ふんっ!」
機嫌を取るように顔を覗き込んでくるアスランの差し出した右手を叩き落としたイザークは、勢いよく立ち上がると、驚いたように目を丸くした濃紺色の髪の少年を睨みつけ、そのまま足音も荒く歩き去る。
その後ろ姿を見送っていたアスランは、少しからかいすぎたかなと肩をすくめた。とはいえ、イザークが本気で怒っていないことなどお見通しである彼は、拗ねてしまった恋人の機嫌をどうやって取ろうかと楽しげに思案を巡らせながら、つれない麗人の後を追いかけるのだった。
おしまい