春の宵




イザークが本人不在のアスランの自室で読書に勤しんでいると、外出していた部屋の主が漸く帰宅した。
「遅かったな。優等生が堂々と門限破りかと思ったぞ」
 ちらりとも分厚い本から視線を外さずにイザークが声を掛ける。そんな彼の反応には慣れっこのアスランは、気にする様子もなくベッドに上がりこんでいるイザークの隣に座った。
「まさか。でも、ちょっとやばかったけどね。なんとか滑り込みセーフってとこかな?」
「で、目当てのものは見つかったのか?」
「それが生憎在庫切れ。取り寄せてもらうことにした」
「は。とんだ無駄足だったな」
 丁度区切りがついたのか、ぱたんと本を閉じたイザークが顔を上げる。
「でも、お陰でいいものが見れたから」
「いいもの?」
「うん。で、ちょっと付き合ってくれるかな?」
 話が急に変わるのはアスランの悪癖の一つで、慣れたようで未だ慣れきれないイザークはきょとんとしたように目を瞬かせた。
「別に構わないが。…こんな時間に対戦でもするのか?」
 相変わらず色気のないイザークにアスランは苦笑する。
「そうじゃなくて。一緒に来て欲しい所があるんだ」
「来て欲しい所?」
 このアカデミーの施設内にわざわざ誘われるような所があっただろうかと、イザークは首を傾げる。
「俺も帰ってくるときに見つけたんだけどね。すごく綺麗だったから、イザークも絶対気に入ると思って」
 覗き込んでくる翡翠色の瞳にもったいぶるように言われては、イザークに否と言えるはずもない。
「…それほど言うのなら、行ってやらんこともない」
 素直に頷くのもなんだか悔しくて、心持ち視線を逸らしながらイザークが捻くれた承諾の意を伝えると、アスランは嬉しそうに笑った。
「よかった。でも、もう少し遅い時間の方がいいから、後で部屋へ迎えに行くよ」
「今じゃないのか?」
「うーん。今でも構わないんだけど…人目があるかもしれないし。やっぱり二人っきりの方がいいから」
 意味深な口調にイザークの柳眉が顰められる。
「…貴様。不埒なことを考えているんじゃないだろうな?」
「まさか! 誓ってそんなことはないよ」
「どうだか」
 今まで散々不埒な真似をされてきただけにそう簡単には信じきれないイザークは、蒼氷の瞳を疑わしそうに細めてアスランを見据える。
「じゃあ、どこへ何をしに行くのか言ってみろ」
 ここで素直に言わなければイザークの態度をますます硬化させるだけだと経験上知っているアスランは、仕方ないとばかりに肩を竦めると、「内緒にして驚かせたかったんだ」と前置きして答えた。
「…花見だよ」





「―――まさか優等生のアスラン・ザラが、真夜中に寮を抜け出すとはな」
 あきれたような口調のイザークに、前を進むアスランが苦笑いしながら答える。
「それを言ったら、その俺についてきているイザーク・ジュールだって同じだろ?」
「ふん。これでくだらないものだったら、承知しないからな」
 言外に殴ってやると言わんばかりの嫌味を込めて薄闇に浮かび上がる背中を睨みつけると、ふいに立ち止まったアスランが振り返った。
「それは大丈夫。さっきも言ったけど、絶対にイザークも気に入るから」
「……………」
 やけに自信たっぷりの彼の態度に舌打ちしつつ、また歩き始めたその後を黙ってついていくと、視界を遮っていた連なる建物群が途切れ、急に目の前が開けた。
 思わず立ち止まったイザークの目線の先をひらりと白い何かが舞い落ち、振り仰げば、無粋な建造連の狭間にひっそりと優雅に佇む仄かな白い花翳が見えた。
「―――桜…?」
 ぽつりとイザークが呟くと、傍らに立ったアスランが頷いた。
「うん、そう。アカデミーの敷地内なのに訓練棟からも寮からも遠くて、しかも建物の陰に隠れていたから全然気付かなかった。今日こっそり裏門から忍び込まなければ、見つけられなかったかもしれない」
 普段は閉鎖されている裏門からどうやって入ったのかはさておき、偶然に見つけたこの場所を真っ先にイザークに見せたかったと、アスランは続けた。
「プラントでも珍しいこの花を、幼い頃ジュール邸で見かけたことがあったから、イザークなら喜んでくれるんじゃないかなって思って」
 どこか照れくさそうに告げるアスランの言葉を聞いているのかいないのか。イザークは無言で桜の木々を見上げた。
 淡い人工の月の光を受けて朧気に浮かび上がるその姿は、夜の闇に薄紅の彩を刷いて幻想的な雰囲気を醸し出している。時折さわりと枝を凪ぐ風に散らされた花びらが音もなく宙を舞って二人を包み込み、まるで魂ごと引き込まれたかのように二人は暫く間声もなく闇の中に仄かな彩を落とす桜に見入った。
「―――こうして見ると、昼とはまた随分趣が違って見えるな」
 イザークが満開の花を身に纏った桜の木々を見上げて感嘆の息を漏らすと、アスランもその傍らで呆然としたように呟いた。
「陽の光の下もいいけど、夜も風情が増していいよね」
 ふとアスランが傍らへと視線を移すと、はらりはらりと散る桜の花びらがイザークの銀色の髪に肩にそっと舞い降りて、薄紅の花を纏っているようだった。普段は硬質なイメージが先に立つのに、今夜の彼はこのまま花霞に捕らわれて夜の闇に溶け込んでしまいそうな危うさがあって、それがまたイザークの端麗な容姿を際立たせていた。
 はっとしたその瞬間に見惚れてしまうのは何時ものことだけれど、清冽で儚げな夢現ともつかない美しさに、常になく心がざわめく。
「―――綺麗……」
 ひっそりと桜の樹の下に佇むイザークを食い入るように見つめたアスランは、うっとりと呟いた。
「ああ、綺麗だな」
 ぼんやりと桜を眺めながら同意するイザークに、くすりとアスランが忍び笑う。
「…何だ?」
 怪訝そうに視線を向けた恋人にアスランは「違うよ」と答えた。
「俺が綺麗だって言ったの、イザークのことだよ」
 翡翠色の瞳が蒼氷のそれを覗き込む。
 軽く瞠目して言葉の意味を理解したイザークは、到底許容しかねるその言葉に眉間に皺を寄せると、早口で言い捨てた。
「阿呆。男に綺麗なんて言う馬鹿がどこにいるっ」
「そんなこと言ったって、綺麗なものは綺麗なの! 桜の樹の下に佇むイザークの姿はまるで桜の精のように綺麗で儚げで、このままどこかへ行ってしまいそうで怖いくらいだ」
 生真面目な顔でそう言われ、イザークの眉間の皺が深くなる。
「…まったく、頭が腐っているとしか思えん」
 はあと大げさに溜息を吐いて右手で頭を抱える素振りをみせるつれない恋人に、アスランは「ひどいな」とむくれてみせた。
「正直に恋人褒めてどこが悪い?」
 愚痴を零しながら不満げな視線を向けるアスランを構っていられないとばかりに、イザークは芝生の上に腰を降ろすとそのまま仰向けに寝転んだ。アスランもそんな彼に従い、その隣に腰を降ろす。
 さわさわとそよ吹く風が二人の間を通り過ぎ、枝から零れた薄紅の花びらが虚空を舞う。闇の中にほの白く浮かぶ満開の枝を見上げながら、こんなふうにのんびりと過ごすのも久しぶりだとイザークはぼんやりと考えた。隣にアスランがいることも穏やかな気持ちにさせてくれる一因であることは、決して口に出しては言わないが。言ったら最後、付け上がるのは目に見えているからこその懸命な判断。というより、とことん素直じゃない自分がそんなことを口にできるはずもない。
 ふいに視線の先に影が落ち、それがアスランの顔であることに気がついたイザークが視線を向ける。
「…何だ?」
「―――イザークが桜ばかりに夢中になってるからつまらない」
 薄闇の上に逆光になっているため表情は見えないが、その口調からアスランが拗ねていることは容易に察せられた。
「…何を馬鹿なことを」
 大仰に溜息を吐くと、アスランがこてんとイザークの胸に顔を伏せた。
「だって、イザークは俺のなのに。俺と一緒にいるのに、他のものに気を取られているなんて、悔しい」
 ぽつりぽつりと紡がれる言葉は、本当に子供じみた独占欲。心底呆れかえる反面、どこか嬉しいと感じてしまうのは、やはりこの男を好きなせいだろう。まったくもって不本意なことではあるが。
「―――貴様がヤキモチ焼きなことは知っていたが、まさか桜にまで焼くとは思わなかった」
 呆れたように言うイザークに、アスランはがばっと顔を上げた。
「何にだって焼くよ! 俺以外でイザークが気に止めるもの、全部に!」
 開き直って喚くアスランにやれやれとイザークはまた溜息を吐いた。
 本当に手間が掛かる奴だ。これで自分を抑えてアカデミーのトップだというのだから、とても信じ難い。
「大声で言うことか、阿呆」
 ゆっくりと身体を起き上がらせながら、イザークは言った。
「そんなに俺が他のものに気を取られるのが嫌なら、気を逸らせないようにすればいいことだろう?」
 ふわりと華やかに微笑みながら、恋人の翡翠色の瞳を覗き込む。
「…イザーク?」
 きょとんと目を瞬かせたアスランに、イザークはしっとりと艶やかに笑んでみせる。自分を見つめる蒼氷の眼差しの奥に揺れる艶に気付いたアスランは、はっとしたように目を瞠ると次の瞬間、負けましたとばかりに苦笑を浮かべた。
「本当にイザークには敵わないな」
 細い肩を胸に引き寄せながらアスランが呟くと、甘えるように恋人の肩に顔を埋めたイザークが憎まれ口を叩く。
「ふん。貴様が腰抜けなだけだ」
「ひどいな。じゃあ、腰抜けじゃないことを証明してみてもいい?」
「…できるものならな」
 挑発的な口調さえも愛しくて、イザークの身体を深く抱き締めたアスランの頬に満ち足りた笑みが浮かぶ。
 そっと身体を離せば、相手の瞳の中に吸い込まれるかのように互いの顔が近づき、唇が触れる瞬間、そっと瞳が閉じられた。触れ合うだけのくちづけはすぐに解かれ、けれど外気に冷える間もなく重なっては離れ、また重ねられる。
 やがて、桜の花びらが敷き詰められた芝生の上に二つの影がゆっくりと倒れこみ、恋人達の秘めやかな時間が訪れる。互いに存在を確かめあうように抱きあった二人は、密やかに深い闇の中に沈み込んでいった。


 熱い抱擁と濡れた吐息を知るのは、降りしきる薄紅の花びらのみ―――。





          END





シンイザが昼間のお花見だったので、アスイザで夜桜見物と洒落込ませていただきましたv
ので。
イザーク誘ってます(笑)
でもって、アスランがいつになくヘタレで(笑)
通常ですとアスランは女の子のイザ相手の方がヘタレ度は増すんですが(瀬川の場合)、
今回負けずにヘタレてます(笑)
ヘタレというより、ただのガキ?;
どうやら、瀬川はヘタレなアスランが大好きらしいです(笑)
キーボードを叩く指もノリますv
もっともっとヘタレさせてやる〜vvv(嬉)
…いや、アスラン好きですよ?一応;
イザークの次にってだけで(笑)

今回、夜桜だしもう少しアダルトな雰囲気にさせようかなと思ったんですが、webなので我慢我慢(笑)
自主規制抜きの大人バージョンは、SCCにコピー本ででもお披露目しようかなと、ちらりと考えております、はい。
ま、予定は未定ってことで(苦笑)