イレブンナイン
「何の用ですか? ロックオン・ストラトス」 ソレスタルビーイング実行部隊の潜伏先。その屋敷の一室をロックオンが訪ねたとき、ドアを開けた部屋の主ティエリア・アーデは極めて冷淡にそう告げた。 「……ティエリア。いくらなんでも冷たすぎやしねえか?」 ドアに片腕をついて閉じられないようにしつつ、ロックオンは輝石のごとき色彩を持つ美貌の主に苦笑を浮かべてみせた。しかし、一般女性には母性本能を擽られると評判のその笑みは、華奢な体躯に似合わずゴツいモビルスーツを操るガンダムマイスターには、まったく通用しなかった。 「大切なミッションを明日に控えた貴重なこの時間を、他人に邪魔されたくありません。早々にお引き取りください」 そう言って自分を追い出そうとするティエリアに、ロックオンは「話があると」懸命に食い下がる。幾許かの攻防の末、不承不承入室を許可したティエリアの後ろに続いてロックオンは部屋に入った。 「…で。話ってなんですか?」 本当にさっさと済ませてしまいたいのだろう。ソファに座ることもなく切り出してきたティエリアに、ロックオンはやれやれと肩を竦めて口を開いた。 「今回のミッションプランをどう思う?」 「どう思うもなにも、ヴェーダの意見と一致しているのですから、別段何も言うことはありません」 「これまでにないヘビィなミッションになりそうだな」 戦術予報士スメラギ・李・ノリエガの予測によると、最悪の場合、生還率0.1%足らずのミッション―――。つまりは死にに行けといっているも同じことだ。よくもまあ、こんな無茶なミッションを立てたものだと感心する。 「臆したのですか? ロックオン・ストラトス」 責めるようなワインレッドのまなざしが鋭くロックオンを見据えた。 「ガンダムマイスターの使命を忘れたと?」 凛として悲愴なまでの覚悟を抱くティエリアの姿は胸が痛くなるほどに美しく、まるで殉教者のようだとロックオンは思った。 ガンダムという名の神に殉じる――――。 「……ティエリア」 「なんですか?」 「死ぬなよ」 そんなことを言われたのが意外だったのだろう。眼鏡の奥のワインレッドの瞳が驚きに瞠られた。 「……何を馬鹿な。我々、ガンダムマイスターは…」 「生死よりも目的の遂行及び機密保持が最優先だって言うんだろ? それは俺だって承知してる。だが、たとえ99.999999999%の確率で死ぬ運命だとしても、最後の一瞬まで絶対諦めるな」 「失礼すぎますね、ロックオン。俺が最初から死ぬと決め付けているんですか?」 「ティエリアの腕を疑っているわけじゃない。…俺は、おまえを失いたくないんだよ」 ターコイズブルーのまなざしが、切ないまでの真摯さで訴えてくる。その瞳に漂う不安な彩に気付いたティエリアは、ゆっくりと息を吐いた。 「……わかりました。じゃあ、生き残ると約束しましょう」 「絶対に?」 「ええ。絶対に」 「よし。約束だぞ」 そう言って抱きついてくるロックオンを受け止めながら、あきれたようにティエリアは眉を顰めた。 「子供ですか、貴方は…」 それでも、嬉しそうなロックオンを見ていると、心がふんわりとあたたかくなってくるから不思議だ。ミッションの前日にこんな緊張感のなさでいいのかと反省する反面、この心地よさをなくしたくないとも思う。 「―――朝までここにいてもいいか?」 華奢な身体を腕の中に抱きしめながら、ロックオンが伺いを立ててくる。何故そこで疑問形なのかと嘆息したくなったティエリアは、わざと意地の悪い返答をする。 「安眠を邪魔しないと約束するなら構いませんが…できるんですか? 貴方に」 挑発めいた笑みを浮かべて見上げてくるティエリアに、一瞬ロックオンは言葉につまった。 「……努力する」 その答えに笑みを深くしたティエリアは、ロックオンの首に腕を回すと自ら唇を重ねてきた。 「……ティエリア?」 「熟睡、させてくれるのでしょう?」 ワインレッドの瞳が甘く誘惑してくる。もちろん、ロックオンに異論はない。 「夢もみないほど熟睡させてやる」 自信満々の不敵な笑みを浮かべたロックオンは、細い腰を引き寄せると噛み付くようにその唇を奪った。 「―――砲撃が、止んだ…?」 タクラマカン砂漠の戦場。豪雨の如く降り注いでいた砲火が一瞬途切れ、ティエリアは訝しげに眉を顰めた。 ―――罠か? 一瞬判断に迷うが、いくらヴァーチェの鉄壁の防御力とはいえ、無尽蔵にあびせられる砲火に耐えられるものではない。このまま緩やかに破滅へのカウントダウンをするくらいなら、現状を打破すべく血路を開いた方がマシに思えた。 「離脱する」 刹那にそう告げると、ティエリアはエクシアとともに退避をはじめた。 ―――ロックオンも今頃苦戦しているだろうか。 戦況はヴェーダの予測の中でも最悪の状態だった。あの男のことだから大丈夫だと思っていても、心の片隅にある不安は隠せない。 『……死ぬなよ』 ロックオンの言葉が脳裏を過ぎる。 あの言葉は、生への執着がひどく薄い自分への牽制なのだろう。 実際、ティエリアはガンダムマイスターに選ばれたときから自身の命など塵のように軽いと思っていたし、またそうあるべく教育されてきた。 それを、ロックオンは変えた。たった一言「死ぬな」と告げることで、ティエリアの価値観を根底から覆してしまったのだ。 その責任を取らずに自分の前から消えることは許さない。何がなんでも生き抜いて、自分の元に帰ってこい。仮にもロックオン・ストラトスを名乗る者なら、それくらいしろとティエリアは思う。 アラームが敵機の出現を知らせてくる。ふいに目の前に現れたイナクトに、ティエリアは口元に皮肉げな笑みを滲ませた。 「―――やはり、罠だったか」 15時間以上の戦闘で体力は既に限界を超えている。このまま戦えば、モビルスーツの性能の差をもってしても、ティエリアの方が不利だろう。 それでも、ガンダムマイスターの誇りにかけて、ここで死ぬわけにはいかない。何が何でも切り抜けて、ロックオンとの約束を果たすのだ。 ティエリアは、既に動かすことすら容易ではなくなった腕で操縦桿を操り、イナクトに砲撃を仕掛ける。だが嘲笑うかのようにかわされて、待ち伏せしていた他のイナクトに取り囲まれた次の瞬間、全身を衝撃が襲った。 「うわぁ…っ!?」 衝撃に耐え切れず混濁してゆく意識の中で、ティエリアは無意識のうちに彼の名を呼んだ。 ―――――ロックオン……! 「……ティエリア?」 ふいに彼の声が聞こえたような気がして、ロックオンは周囲に視線を泳がした。だが、すぐに幻聴だと気付き苦笑を浮かべる。 「俺も相当キてるのかねえ…」 自嘲する声にも疲労の色が濃く滲んでいて、己が肉体の限界が近いことをロックオンに伝えていた。 ティエリアは今頃どうしているだろう。無事であってほしいと願いつつ、万が一の嫌な予感も拭いきれない。 「死ぬんじゃねーぞ」 ギリギリの戦いをしているであろうティエリアに向かって、そして己自身を鼓舞するようにロックオンが低く呟く。 「……来たな」 モニターが接近してくるユニオンの機体群を映し出す。その中から、愚かにも単身目の前に乗り込んできたフラッグを冷徹に仕留めたロックオンは、間髪を置かずに向かってくる馴染みの黒い機体にトリガーを引いた。 「指先の感覚がねえ…」 無様な己に舌打ちしつつロックオンはトリガーを引き続けるが、ブラックフラッグは、賞賛したいほど鮮やかな操縦術で砲火をかわしてゆく。 「ちっ…」 突進してくるブラックフラッグに激突された瞬間、脳裏を過ぎったのはワインレッドの瞳―――。 「ざまねえな……」 ティエリアにこんな情けない姿を見られたら、あの綺麗な顔を思いっきり顰めて、「なにをやっているんですか、ロックオン・ストラトス」と散々罵られるに違いない。 怒った顔も綺麗だと思うが、どうせなら笑顔で迎えられた方がいい。このミッションが終わったら、絶対に笑ってもらおうとぼんやりと思う。 薄れてゆく意識の中で、ロックオンは彼の名を呼んだ。 ―――――ティエリア……。 |