「邪魔するぞ」
「―――――イザーク…?」
意外すぎる訪問客に呆然としたアスランが玄関のドアを開けたまま硬直していると、蒼氷の瞳が不機嫌そうに細められた。
「……この寒い中、いつまで客を外に立たせておく気だ? 貴様」
その声にはっと我に返ったアスランは、慌てて身体を避けるとイザークを中に入れる。
「…ふん」
気の利かない奴めといわんばかりの眼差しでちらりとアスランを見やったイザークは、すぐに視線を逸らし純白のロングコートを脱いだ。
「えっと、ハンガー」
次にくるだろう言葉を予測して取りに行こうとしたが、意外にも「構うな」と言われ足が止まる。
「それより、アスラン。こいつを冷やしてくれ」
振り返ると綺麗にラッピングされたボトルが目の前に突き出された。
「シャンパンだ」
目を丸くしているアスランの手にシャンパンのボトルを押し付けると、イザークは案内も請わずにすたすたと中へ入っていく。その後姿をぽかんと見送っていたアスランは、ふと我に返るとキッチンへ向かった。
渡されたボトルを冷蔵庫で冷やしながら、突然訪れたイザークの真意を考える。
言わずと知れたクリスマスイブの夜、当然イザークも恋人のディアッカとデートだとばかり思っていた。それが何故こんな時間に自分の部屋に来るのか、その理由がまったくわからない。
喧嘩して俺に八つ当たりに来た…って考えるのが一番妥当かな?
だが、そこまでイザークが酔狂な人間かというとそうでない可能性の方が高いので、そうなるとアスランはすっかりお手上げ状態になる。もともと、他人の複雑な心理状態を考えるのは得意ではないのだ。
客人に何のもてなしもしなかったと言われるのも癪だったので、とりあえず紅茶を淹れてリビングに行くと、不躾な訪問者はソファに座ってすっかり寛いでいる様子だった。
「口に合うかどうかわからないけど…」
そう言って差し出すと、黙って受け取ったイザークは一口啜って眉を顰めた。
「―――不味いな」
予想はしていたことだが、流石にここまで遠慮がないと面白くはない。
「……悪かったね。俺は君みたいに紅茶の淹れ方に詳しくなくて」
思わずムッとして言い返すと、薄く笑ったイザークにばっさり切られる。
「別に、最初から期待なんかしていないから気にするな」
「………」
虚を衝かれた格好で部屋に招き入れてしまったのだが、折角のイブなのだし、どうせならなるべく友好的な雰囲気の中でお帰り願いたい。そんなアスランの思惑は、ものの見事に最初っから躓いてしまった。今更ながらにイザークとの相性の悪さを呪いたくなる。
なんとも間の悪い沈黙に耐えられず掛けるべき言葉を探していると、ふと思い出したようにイザークが持ってきた手提げ袋をアスランに渡した。
「…何?」
「酒のつまみだ。貴様に期待するのも筋違いかと思ってな、適当に見繕ってきた。皿に盛るくらいはできるだろう?」
「………わかったよ」
揶揄するような蒼氷の瞳に最早怒る気力もなくしたアスランは、溜息を一つ吐くとキッチンへ向かった。
イブの夜に男二人でグラスを傾けているなんて、どう考えても妙な光景だ。
アスランはグラスをちびちびと舐めながら、隣に座るイザークをそっと盗み見た。
自ら持参したものだからか、イザークは遠慮なくグラスを重ねていた。といっても、飲み方はあくまで優雅で上品で、銘酒の芳醇な香りと味を堪能しているように見える。
酒は強いイザークだが、まったく顔に出ないということはない。切れ長の目元がほんのりと赤く染まって、なんともいえない色香が漂っていた。
そういえば、二人っきりで呑む機会なんて今までなかったように思う。いつだってイザークの傍にはディアッカがいて、誰も近付けないようがっちりとガードしていたから。
それもこれもイザークのこんな危うい姿を見せまいとしてのことなら、なんとなく合点もゆく。ほろ酔い状態の彼は、ついくらっとしてしまうほどに艶かしいのだ。
自分でも気付かないうちに随分と長く見つめていたらしい。訝しげなイザークの声にアスランは文字通り飛び上がった。
「…何だ?」
「うわ…っ!」
目尻に朱をさした艶やかな蒼氷の瞳に至近距離で見据えられ、心臓が早鐘を打つ。かあっと頬が染まり、うろたえたアスランは何か話さなくてはと懸命に頭を回転させた挙句、なんとも救いようのないことを喚いた。
「―――えっと…その……あの……。そう、ディアッカ! ディアッカはどうしたんだ?」
途端にイザークの眉が顰められ、アスランは自分の失言を悟るが時すでに遅し。イザークは不機嫌そうな一瞥をアスランに向けると、グラスに残ったシャンパンを一気に呷った。
なんて無神経なことを言ってしまったんだろう…。
イザークの顔がまともに見れなくて、俯いたアスランが迂闊な自分を思いっきり罵っていると、面白くなさそうに彼が言った。
「あいつは今頃、可愛い彼女とデートの真っ最中だろうさ」
その言葉に、半ば予想していたこととはいえ、アスランも動揺を隠せなかった。
信じられないことだが、つまりは振られてしまったらしい。
「――――あ、そう……。それはまた……なんていうか、その…………」
プライドが高いイザークのこと。表面上は平静を装っているが、やはりショックは大きいだろう。
なんと言って慰めていいのかわからず、掛けるべき言葉を必死になって探していると、アスランの耳に深い溜息の音が聞こえてきた。
「―――――やっぱり誤解していたか」
「……え?」
誤解って何を?
意外な言葉にアスランが顔を上げると、イザークが微苦笑を浮かべて彼を見ていた。
「あいつ、今の彼女と現在進行形で遠距離恋愛中。付き合ってもう一年くらい経つんじゃないか?」
「え? だって、イザーク。ディアッカと付き合ってるんじゃなかったのか?」
「付き合ってなぞいない。あいつはただの幼馴染みだ」
「……………」
てっきり二人は恋人同士だと思い込んでいたアスランは、突然聞かされた衝撃の事実に呆然としていた。
普段の彼らの親密さを見れば、誰だって付き合っていると考えるだろう。それが自分の勘違いだったなんて、俄かには信じ難かった。
だが、イザークが嘘を言っているようには思えなかったし、何より嘘を吐く理由がない。
「―――――じゃあ、なんでイザークは、今夜ここに…俺の部屋に来たんだ?」
イブの夜の意味を知らない彼ではないだろう。自棄酒をしに来たのでないなら、その理由は―――?
喘ぐようにアスランが言葉を紡ぐと、イザークは魅惑的な笑みを浮かべた。
「……何故だと思う?」
まさかという思いが脳裏を掠め、いっそ可笑しいくらいに胸の鼓動が高鳴った。
あまりにも都合がよすぎる期待に、馬鹿なことをと嘲る自分と、もしかしたらと一縷の望みを賭ける自分がいる。
「―――わからないなら、自分で確かめてみろよ」
ひどく甘い囁きは、吐息が触れるほど近くから聞こえてきた。
蒼氷の瞳があやしく煌めき、その瞳の魔力に吸い込まれそうになる。
「……アスラン」
そっと名を呼ばれ、唇に温かいものが触れたその瞬間、アスランの中の何かが弾けた。
「イザークっ!」
つれなく離れようとする細い身体を咄嗟に伸ばした腕で引き止め、細腰を引き寄せて噛み付くようにくちづけた。
「ん……」
微かに漏れた咽喉声に煽られるようにくちづけを深くし、痩身を抱く腕の力を強くする。そうして心ゆくまで濃厚なキスを堪能したアスランは、ゆっくりと唇を離した。
「―――――わかったか…?」
僅かにあがった息を整えつつ、アルコールのせいではない艶に染まった眼差しで見上げてくるイザークに、アスランは少し照れたような満足げな笑みを浮かべた。
「うん」
「まったく。鈍いにも程があるな、貴様は」
呆れたような声音のイザークにアスランは素直に「ごめん」と返す。
「でも、挽回のチャンスを与えてくれると嬉しいんだけど?」
口調とは裏腹に断られるとは微塵も思っていないふてぶてしい翡翠色の瞳に、イザークは挑発するような笑みを浮かべてみせた。
「それは貴様の努力次第だな。せいぜい気合いを入れて口説けよ?」
「…肝に命じておくよ」
どこまでも高飛車なイザークに苦笑を浮かべたアスランは、まずは挑発的な言葉を紡ぐ艶やかな唇から陥落させるべく、静かに呼気を重ねた―――。
END