「刹那…」
モビルスーツの爆風が漂う中、ダブルオーガンダムの姿が漆黒の宇宙に浮かび上がる。その両肩には青白い光を放つツインドライブ。
イオリア・シュヘンベルグが最後に遺した、未来を変えるための機体。ティエリア・アーデは、ようやくベールを脱いだその雄姿を満足げな気持ちで見つめていた。
本当に、はらはらさせられた。ダブルオーのツインドライブは、直前のテストでさえ同調しなかったのだ。あわや敵の攻撃を受けて、起動しないまま爆発してしまうところだったのだから、これはもう奇跡に近い。
「―――それにしても。この土壇場でトランザムを発動させて強制起動させるなんて、相変わらず無茶ばかりする」
こういうところは以前とまったく変わらないと、ティエリアはあきれたように肩を竦めた。
同じ提案をイアン・ヴァスティにして即座に却下されたのはティエリアも同じだか、止められて冷静に他の方法を模索するか、止められても自分の考えを押し通すか。彼と自分との違いはそこなのだろう。
そして、その無茶の結果、ダブルオーは命を吹き込まれた。
これは刹那にしかできないことだろう。彼のガンダムに対する一途な熱い思いが、不可能を可能にしたのかもしれない。
ふいに、ティエリアの脳裏に『彼』の言葉が甦る。
『―――自分の思ったことを、四の五の言わずにがむしゃらにやればいいのさ。誰かさんのようにな』
―――――本当に、そのとおりだ、ロックオン……。
ティエリアは懐かしげなまなざしを虚空に泳がせた。
還ってきた、この世界に。
貴方が望んだ未来を叶えるために。
今は自分の成すべきことを知っているから、もう揺らいだりはしない。
まだ心は痛むれけれど、ただひたすらに、前へ前へと進んでいこう。ガンダムと、仲間達とともに……。
そして、いつか願いが叶ったら、そのときは―――――。
「―――待っていてください、ロックオン……」
ティエリアの唇に儚げな微笑が滲んだ。
「刹那・F・セイエイ!」
セラヴィーのコックピットから降りたティエリアは、同じくダブルオーから降りた刹那の元へ駆けつけた。
「まったく。成功したからよかったものの、きみは無茶ばかりする」
敢えてきつい口調で苦言を述べるティエリアに、刹那は無表情で返した。
「もしきみが俺と同じ状況で同じ立場に置かれたら、きっと同じ事をするだろう」
思いもよらぬ返答にティエリアは目を瞠った。
「…………」
つまりは、似たもの同士だと言いたいのか。
虚をつかれた格好になったティエリアを見つめるダークレッドのまなざしが微かに綻んだ。それに気付いたティエリアは、大袈裟に溜め息を吐く。
「―――きみはこの四年間の間に、随分いい性格になったようだ」
「そうか? 自分では気付かないが、きみが言うならそうなんだろう」
どこまで本気で言っているのかわからない刹那に半ば頭痛を覚えつつも、ティエリアは自分で振った話を変えるために口を開いた。
「とにかく、無事オーガンダムが起動した。ロールアウト間近の二機を加えて、これで四機のガンダムすべてが揃ったことになる。後はガンダムマイスターだが、きみが連れて来たマイスター候補はどんな人間なんだ?」
「…会えばわかる」
刹那らしからぬ思わせぶりな口調に、ティエリアは僅かに眉を寄せた。
「それはどういう――」
意味だと、問い質そうとしたティエリアは、突然背後から聞こえてきた憶えのある声に、言葉を失った。
「大したもんだな、ガンダムってのは。アロウズの最新鋭機をあっさり蹴散らしちまった」
――――――――――この、声……は……………。
ティエリアの脳裏に、真っ先に『彼』の名前が浮かんだ。
―――――まさか……っ!
「…ティエリア。紹介しよう」
刹那の声に、ティエリアは身体を強張らせた。
後ろを振り向くのが恐い。
『彼』だったら。
『彼』じゃなかったら。
前者の可能性はゼロに等しいのに、そんなことがあるはずはないとわかっているのに、心が勝手に期待する。
『彼』であってほしい、と―――――。
痛いほどに脈打つ心臓の鼓動を感じながら、ティエリアはおそるおそる振り返った。
躊躇いがちに上げた視線の先に映った姿は―――。
「…っ!」
その瞬間、ティエリアの周りから音が消えた。
驚愕に見開かれたワインレッドの瞳に映るのは、泣きたいくらいに懐かしくて苦しいほどに愛おしい『彼』の姿だった。
ダークブラウンの髪もターコイズブルーの瞳も、ほんの少しだけシャープになったその顔も、そして先程聞いた声も、すべてが『彼』のものだった。
―――――ロックオン……。
胸の奥から込み上げてくる熱い塊が、ティエリアの眦を震わせる。
生きて―――――!
「彼の名は―――」
刹那の声を遮って、ふいに彼が口を開いた。
「俺の名はロックオン・ストラトス。あんたと同じソレスタルビーイングのガンダムマイスターだ」
不遜なほどに自信に満ちたまなざしとともに告げられたその言葉を聞いた瞬間、ティエリアは冷や水を浴びせられたような気持ちになった。
―――――『ロックオン・ストラトス』、だと…?
あれほど高ぶっていた感情が、潮が引くようにすっと静まってゆく。代わりに湧き上がってきたのは、喩えようもない不快感だった。
「その驚き方からすると、本当に似てるらしいな」
苦笑を滲ませる男から視線を逸らしたティエリアは、説明を求めるように刹那を見つめた。そのまなざしの意図に気付いた刹那は、あっさりと種明かしをする。
「彼はライル・ディランディ。ニール・ディランディの弟だ」
―――弟。
ティエリアは目の前の男――ライルを注意深く見つめた。
確かに、瓜二つといっていいほどよく似ている。その顔も声も、生前のロックオンの生き写しだ。
だが―――。
「あんたがさっき、あのガンダムを操縦していたのか? そんな細い身体で、このゴツい機体を? この目で見なきゃ信じられねえな」
感心したように呟いたライルは、左手をすっとティエリアの目の前に差し出した。
「これからは仲間になるんだから、よろしくな。えっと…」
視線で名を尋ねてくるライルに、刹那は短く答えた。
「ティエリア・アーデ」
「ティエリアか…。いい名前だな。そんな訳で以後よろしく、ティエリアちゃん。こんな美人と一緒に戦えるなんて光栄だぜ」
陽気な笑みを浮かべながら、ライルが再び左手を差し出してくるが、ティエリアはその手を握り返すことなく、冷ややかなまなざしで彼を見据えた。
「……おい?」
反応を返さないティエリアに焦れたようにライルが声をかけると、ティエリアは黙って踵を返した。
「ティエリア?」
訝しげな刹那の声に、ティエリアは振り返りもせずに答えた。
「―――セラヴィーの破損状況のチェックをしてくる。先に行っていてくれ」
そう言って床を蹴ってセラヴィーのもとへ向かったティエリアの耳に、ライルの不満げな声が届く。
「なんだあ? あれ…」
それは俺の台詞だと、ティエリアは心の中で罵った。
『彼』に似ているのは顔と声だけだ。中身はまるで違う。
あんな軽薄な男を、たとえ一瞬でも『彼』と間違えた自分がひどく腹立たしい。
何故刹那はあんな男を連れてきたのか。あれがガンダムマイスターだなんて、しかも自ら『ロックオン・ストラトス』を名乗るなんて、ティエリアには許せることではなかった。
「……違う。あの男は、『彼』じゃない」
たとえ同じ遺伝子を持つ人間であっても、どれほど『彼』に似ていようとも『彼』ではない。
『ロックオン・ストラトス』は、『彼』に与えられたコードネームだ。『彼』以外にその名に相応しい人間など、いるはずがなかった。
だが、仮にその名を継ぐ者が現れるとするならば、それは『ロックオン・ストラトス』を名乗るに恥じない人間であるべきだ。相応しくない人間が『彼』の名を継ぐなんて、それこそ『彼』への冒涜だ。
刹那が何を考えて連れてきたのかわからないが、ティエリアはあの男を『ロックオン・ストラトス』とは認めない。
絶対に認めない―――!
燃えるようなワインレッドの瞳の奥で、ティエリアは固く自身に誓った。
『ロックオン』と、その名を口にするたびに、ティエリアの胸に痛みが走る。
その痛みは時が経つにつれ次第に小さくなっていったが、決して消えることはない。贖うことのできない罪と溢れんばかりの想いとともに、この命が尽きるその瞬間まで、その痛みごと大切に胸に抱いていくつもりだった。
それなのに、そんな大切な『彼』の名を、相応しくない人間に勝手に名乗られた。ティエリアには到底我慢ならないことで、その怒りの矛先は、当然その男を連れてきた刹那に向けられる。
「刹那・F・セイエイ!」
ぴりぴりとした怒りのオーラを纏ったティエリアが、憤りも露に刹那を呼び止めた。
「何だ?」
「どういうことか説明してもらおう」
「…ロックオン・ストラトスのことか?」
「それ以外の何がある! きみは何故、あんな男を連れて来た? あの男がガンダムマイスターに相応しいなどと、まさか本気で思っているんじゃないだろうな?」
鋭く睨みつけるワインレッドの双眸に臆することなく刹那は答える。
「愚問だな。彼は、ライル・ディランディは、この世界を変えたいと思い、そして戦う覚悟を持っていた。ガンダムマイスターにそれ以上の理由が必要か?」
「それだけじゃない。経歴を調べたが、ろくにモビルスーツの操縦経験もない人間だ。そんな人間にガンダムを操縦させるなんて無謀すぎる! 奴らはもう動き出している。一から操縦を教えるような時間はないと言っているんだ!」
「…彼ならば大丈夫だ。狙撃手の力量は、『彼』に勝るとも劣らない。ケルディムのマイスターとして何の遜色もない。それに何より、彼は戦うべき強い意志と理由を持っている」
冷静な刹那の声に感情を静めたティエリアは、彼の思惑を探るように言葉を返した。
「その理由とは…『彼』の弟だからか?」
「ああ」
「くだらない。血の繋がりが何になる? たとえ同じ遺伝子を持つ双子であっても、所詮他人は他人だ。『彼』の遺志を継ぐといったところで、それが本心であるかなどわかりはしない。事実、あの男がここに来たのだって、本当の理由が他にあることくらいわかっているだろうに」
ライル・ディランディは反政府組織カタロンの構成員だ。独立治安維持部隊アロウズと敵対する立場は同じであるが、ソレスタルビーイングとは理念も目的も違う。ライルが刹那と接触したのも、アロウズに対抗するために、ソレスタルビーイングの力を利用しようとしてのことだろう。それくらい容易に想像がつく。
「ああ。わかっている」
承知のうえだと返答する刹那に、ティエリアは目を瞠った。
「ならば、何故そんな危険な真似をするんだ! 最悪、ケルディムをカタロンに奪われるかもしれないんだぞ!?」
「―――魂だ」
唐突な刹那の言葉に、ティエリアは訝しげに眉を寄せた。
「……魂?」
「ロックオンの魂と、彼の魂は同じだ。同じ魂を持つものが、そんなことをするはずがない」
「………」
ティエリアには刹那の言わんとしていることがわからなかった。
魂? そんな非現実的なものをどうやって見定めるというのだ?
ティエリアは冷徹な光を宿したワインレッドの双眸を刹那に向けた。
「―――刹那・F・セイエイ、きみの言うことは理解しかねる。だが、これだけは言っておく。きみがなんと言おうと、俺はあの男を『ロックオン・ストラトス』と認めない」
「………」
冷ややかにそう言い捨てると、ティエリアは無言の刹那に背を向けた。
戦いはもう目の前に迫っている。アレルヤの救出も急がなくてはならない今、こんなことに神経を割いている暇はないのに…!
苛立ちも露に部屋を後にしたティエリアは、そこで今一番会いたくない人間に出会ってしまった。
「…っ!」
「こりゃまた、随分と俺も嫌われたもんだな」
腕組みをしながら壁に背をもたれかけていたライルは、悪びれもせずにそう言い放った。
「―――立ち聞きとは随分といい趣味をしていますね」
冷ややかなまなざしで睨み据えても、ライルはまったく堪えた様子はない。
「俺は聞くつもりなんかなかったのに、誰かさんの声が大きいから聞こえちまったんだよ」
「ならば話が早い。俺は貴方をガンダムマイスターと、『ロックオン・ストラトス』と認めない。下手にぼろを出す前に、早々に帰った方が身のためだと思いますが?」
「……やれやれ。そんな綺麗な貌をして、ほんとキツイな、あんた」
先制攻撃とばかりに舌鋒鋭く切り込んだティエリアに、ライルは肩を竦めて返した。その余裕ありげな態度がカンに障り、ティエリアはまなざしをさらにきつくする。
「俺としては、折角お仲間になったことだし、仲良くやっていきたいと思ってるんだけどな」
「迷惑です」
にべもなく吐き捨てるティエリアに、ライルはこれ見よがしに深い溜め息を吐いた。
「俺もほんとに嫌われちまったもんだ」
ゆっくりと壁から身体を起こしたライルは、ティエリアの目の前に立った。柔和な表情を浮かべているものの、そのターコイズブルーの瞳は底が知れぬほどに暗く冷ややかで、ティエリアは思わず気圧されそうになる自分を律しなければならなかった。
身体を強張らせて睨みつけるティエリアに、ライルはふっと唇を皮肉げに歪めた。
「―――そんなに兄貴の方がいいのか?」
「……!」
ぞっとするほど低い声で紡がれたその言葉に、ティエリアは目を瞠った。
「もうこの世にいない人間だぜ?」
「貴方に何が…っ!」
眦を吊り上げて食ってかかるティエリアの腕を突然掴んだライルは、そのまま力任せに引き寄せると壁に華奢な身体を放り投げた。
「…っ!」
咄嗟のことでされるがままだったティエリアは、強かに壁に背中を打ち付けて一瞬息が詰まる。そして体勢を整える間もなく、今度はライルに両手首を捕らえられ、そのまま壁に身体を押し付けられてしまった。
「はな、せ…っ!」
「嫌だね。あんたが俺を認めると言ってくれたら、離してやってもいいぜ?」
「誰、が…貴様なんかっ!」
嫌悪も露に睨みつけるティエリアの抵抗を、ライルは愉しげに塞いでゆく。
「美人なのに口が悪いなあ。それに強情だ。でも、悪くはないな」
うっすらと酷薄な笑みを滲ませたライルに、ティエリアは身を強張らせた。嫌な汗が背中を流れる。
「放せと言って……っ!」
唐突に視界が暗くなる。必要以上にライルに顔を近付けられたせいだと認識する間もなく、乱暴に唇を奪われた。
「!」
驚愕に目を瞠り固まるティエリアをよそに、ライルはくちづけを深めてゆく。口内を我が物顔で動き回る舌に我に返ったティエリアは、咄嗟に歯を立てた。
「…っ!」
慌てて唇を放したライルの僅かな隙を突いて、ティエリアは彼の拘束から逃れた。口の中に残る僅かな血の味に眉を顰める。
「油断したな。大したじゃじゃ馬だ」
唇の端から流れる血を無造作に親指で拭ったライルが、悪びれもせずに言い放つ。逃れられた安堵から全身で息を吐きながら、ティエリアは声を荒げた。
「恥知らず!」
「おいおい、少し反応が過剰すぎんじゃねえの? あんた、兄貴と散々やってたんだろう? このくらい別に…」
「ロックオンを貴様のような下種と一緒にするな…っ!」
許しがたい暴言に激昂したティエリアは、目にも止まらぬ速さでライルの頬を平手で打った。打たれたライルが茫然と目を見開くと、感情を高ぶらせたティエリアのワインレッドの瞳から涙が零れ落ちるのが見えた。
「…っ」
感情が抑えきれずに顔を歪ませたティエリアは、居た堪れない思いで踵を返すとそのまま駆け出した。
「あ、おい!」
慌てたのはライルの方だ。自分を認めない生意気なティエリアに、少し灸を据えてやるだけのつもりだったのだが、暴走してしまった。まさか彼があんな反応を示すとは思わなかったのだ。
「……ひょっとしなくても、やばい、か…?」
ティエリアの走り去ってしまった空間を見つめながら、ライルは信じられない己が失態に舌打ちしたい気分だった。
あんな男! あんな男…っ!
涙が止まらないティエリアは、心の中でライルを罵り続けた。
誰がなんと言おうが叩き出してやる。自分に嫌がらせをしたばかりか、『彼』のことも貶めた。万死に値する行為をしたあの男は、絶対に許せない。
―――――ロックオン…っ!
ティエリアは、今は亡き優しきスナイパーの名を呼んだ。
わたしにとって『ロックオン・ストラトス』は貴方だけだ。他の誰も認めない。
まして、あんな男など―――!
涙で濡れた頬をで虚空を仰ぎながら、ティエリアはずっと『彼』の名を呼び続けた―――――。