「―――――ソレスタル・ビーイング、か………」
ライル・ディランディは、手の中のメモリースティックを弄びながら、先程会った黒髪の青年――刹那・F・セイエイのことを考えていた。
いきなり自分を呼び出したかと思えば、何の説明もなくいきなりソレスタルビーイングだのガンダムマイスターだのロックオン・ストラトスだのと言い出し、正直頭がおかしいのではないかと思った。
だが、ニールの…兄のことを持ち出されて、そうではないことを悟った。
まさか、兄が五年前に突然現れ世界中を震撼させたソレスタルビーイングの一員で、ガンダムに乗っていたとは思いもよらなかった。
そして―――――。
「―――――死んでいたのか、兄さん………」
低く掠れた呟きが暗い車内に零れ落ちる。
KPSAの無差別テロで両親と妹を亡くした自分達兄弟は、親戚のもとへ引き取られた。だが、兄は中等学校を卒業したと同時に家を飛び出してしまい、その後ずっと音信不通のままだった。
生きているのか死んでいるのかもわからなかったが、両親と妹の命日に墓前に供えられるようになった白いバラの花束が、ニールの生存をライルに告げていた。
しかし、それも四年前からぱたりと止んでしまって訝しく思っていたのだが、まさか死んでいたとは―――。
運転席のシートに背をもたれかけたライルは、何かを堪えるかのように瞳を閉じた。
自分と別れてからの十年間を、兄がどんな思いでどんなふうに生きてきたのかライルには想像もつかないが、あれほどテロを憎んでいた兄が、稀代のテロリスト集団と呼ばれたソレスタルビーイングの一員だったなんて、俄かには信じられなかった。
だが、渡されたメモリースティックの情報を見るかぎり、あの青年の言葉に嘘はない。ニールがガンダムに乗っていたのは紛れもない事実だ。
―――何故、ニールが…?
その疑問が、ライルの脳裏に渦巻いて消えない。一体、兄の身に何が起きたというのか、何を思って戦ったのか。その答えを聞きたくても、教えてくれる人間はもうこの世のどこにもいないのだ。
「―――――あの人は、いつもそうだ。何も言わずにひとりで決めてしまう。あのときだって……」
ライルは兄が出て行った日のことを脳裏に思い浮かべた。
一人出て行こうとするニールを、ライルは必死になって止めた。だが、ライルがどんなに引き止めてもニールの意志は固く、彼の決意を変えることはできなかった。
おまえはおまえの道を行くんだと、そう言い残して、行き先も告げずに兄は出て行ったのだ。
小雨が振りしきる中、ライルは茫然と遠ざかるニールの後ろ姿を見送るしかなかった―――。
結局、あれがライルの見た兄の最後の姿になってしまった。
こんなことになるのなら、もっと強く引きとめていればと、激しい後悔に襲われ胸の奥が焼けるように痛む。
「くそ…っ!」
ライルは苛立ちも露にハンドルを拳で叩いた。
兄を亡くした喪失感と哀しみに苛まれながらも、何も告げずに逝ってしまったニールへの憤りと恨みがライルの胸の中で複雑に絡み合う。
せめて一言、連絡さえくれていたら、こんな思いを抱かずにすんだのに。
あのとき一緒に行こうと、手を差し伸べてくれていたら、違う未来が開けていたかもしれないのに。
何故、兄さんは―――!
両親も思わず見間違えてしまうほどにそっくりで、けれど性格は正反対だった。
兄のようになりたくて、でもなれなくて。心のどこかで引け目を感じていて、そして憧れていた。
いつも先に行ってしまうニールを、ライルは追いかけるばかりで。いつかは追いつき追い越そうと思っていたのに、永遠に追いつくことが叶わなくなってしまった―――。
「――――――――――兄さん………」
本当は、ライルにもわかっていた。
ニールが何も言わずに出て行ったのも、消息を絶ったのも、すべてライルのためだ。どんな些細な事柄からもライルに類が及ばないように、ニールは細心の注意を払っていたのだ。
でも、そんなこと、ライルは少しも望んでいなかった。ライルは、ニールとともに在ることをこそ、望んでいたのに―――。
「―――――あんたは…、ずるいよ……」
―――――悲しくなるくらい優しくて、ずるい………。
きつく眉を寄せ、込み上げてくるものを懸命に堪えるライルの唇から悔しげに搾り出された声には、微かに涙の彩が滲んでいた。
兄を喪った哀しみにいつまでも浸っていられるほど、ライルには時間がなかった。刹那・F・セイエイの話が事実だとするならば、間もなくカタロンのアジトに保安局のガサ入れが入るからだ。
事の真偽を確かめている暇はない。ライルは急ぎカタロン本部に連絡を入れた。
結果として彼の情報は正しく、保安局はもぬけの空のアジトに踏み込むことになった。
仲間の無事にライルはひとまず安堵したが、彼には次にやるべきことがあった。カタロン幹部クラウス・グラードに、ソレスタルビーイングから接触があったことを報告し、指示を受けなければならない。
「―――ソレスタルビーイングが?」
ライルの口から説明された事実に、クラウスは驚きを隠せないようだった。まさかあのソレスタルビーイングが、カタロンの構成員にコンタクトを取ってくるとは完全に想定外のことだろう。
「ああ。俺の兄がソレスタルビーイングの一員で、ガンダムに乗っていたそうだ。四年前に死んでしまったが。それで、今回俺が代わりとしてスカウトされたらしい」
淡々と話すライルに、クラウスは思案げに眉を寄せた。
「まさかソレスタルビーイングからスカウトされるとはな」
「何かの罠ということは考えられない?」
シーリン・バフティヤールが疑問を投げかけると、クラウスは首を横に振った。
「いや、それはないだろう。保安局がそんな回りくどいことをする理由はない」
「なら、本当だとして、この話受けるの?」
「そうだな…。きみはどうしたい?」
クラウスから問われたライルは、小さく肩を竦めて答えた。
「突拍子もない話だが、俺としてはこの誘いに乗りたいと思う。奴らを味方に付けられるかもしれねえしな」
「でも、彼らの目的も明らかではないわ。以前のように武力介入が目的だとすると、我々も攻撃対象になりかねない」
シーリンの危惧ももっともだった。五年前ソレスタルビーイングが現れたとき、武力による紛争の根絶を掲げていたのだから。
「その心配はないと思うぜ。少なくとも、今のところ奴らの攻撃目的は連邦政府のようだし」
肩を竦めながら楽観視してみせるライルに、シーリンは当然の疑問を投げかける。
「何故それがわかるの?」
「俺を迎えに来たって奴が言ってたんだよ。この世界を変える気があるなら、戦う覚悟があるなら、ガンダムマイスターとやらになれってな」
「…なるほど。つまり、我々と彼らの目的は同じということになる。ならば、この好機を逃す手はない。あれほどの性能のモビルスーツを開発できるほどの組織だ。味方にできれば武力で劣る我々の大きな力になる」
クラウスの言葉にライルは頷いた。
「そのとおり。連邦政府に反撃できる折角のチャンスだ。上手くやってみせるぜ」
「だが、単独任務になる。万が一の事態が起こったときは、自分の力で切り抜けるしかないぞ」
気遣わしげな視線を向けてくるクラウスに、ライルは余裕めいた笑みを滲ませてみせた。
「そんなヘマはしねえよ。必ずやり遂げてみせるさ」
兄の遺志を継いでなどという殊勝な気持ちは、ライルにはさらさらなかった。
自分自身の目的のためにガンダムマイスターになる。ソレスタルビーイングの理念など、彼には関係ないのだ。
兄さんができなかったことを、弟の俺がやってやる。
他の誰でもない、この俺が―――。
傲慢なまでの自信に満ちたターコイズブルーの瞳が、獲物を前にしたハンターのように細められた。