「彼は来る。生きているならば、必ず」
イアン・ヴァスティに宣言したその言葉に、ティエリア・アーデはほんの僅かな迷いもなかった。
彼が、歪んだ平和に彩られたこの世界を、ロックオン・ストラトスが望んだ世界とあまりにもかけ離れた現実を、見逃せるはずはないのだから。
この世界を変えるために―――。
「彼は、来る―――」
どこか遠くを見つめるティエリアのワインレッドの瞳は、強い確信に満ちていた。
「刹那さんのロッカーはここです」
ティエリアによって救出された刹那・F・セイエイは、ミレイナ・ヴァスティにロッカールームへ案内された。
ロッカーの中にはブルーを基調とした制服とパイロットスーツ、ヘルメットが置かれていて、ミレイナは制服を取り出すと刹那へ手渡した。
「これに着替えてくださいね。絶対似合いますよぉ」
にこにこと無邪気に笑いかけてくるミレイナに、他人にここまで人懐こくされるのは初めてな刹那は、戸惑いながら制服を受け取る。
「でも、刹那さんが来てくれて、ほんとよかったですぅ。アーデさん、一人ですっごく大変だったんですよぉ」
「……ティエリアが?」
「はい。お父さんの話だと、アーデさん、怪我が治ったらすぐに組織の再建に係わったみたいですよぉ。あたしが入ってからも、ほんといつ寝てるのかなーって思うくらいあれこれ動いてるし、あちこち飛び回ってるし。フェルトさんもラッセさんも、無理すぎだっていっつも心配してますぅ」
ミレイナの言葉に、刹那は顔をくもらせた。
四年前の国連軍との最終決戦で、敵のフラッグと相打ちになった。あのまま死んだと思ったが、気が付いたら、再起不能寸前のエクシアの中で宇宙を漂流していた。
生き残ったと知ったとき、刹那は自分が生きていることの意味を考えた。
この世界の歪みを断ち切るために戦って、その結果生じた世界の変革の行方を見守るために自分は生かされたのだと、そう思った。
だからこの四年間、ずっと世界を見つめてきた。
けれど、世界は変わらなかった。
統一されたはずの世界から紛争がなくなることはなく、ロックオンがその命をかけて願った新しい世界は新たな歪みに満ちていて、刹那を苛立たせた。
こんな世界、自分もロックオンも、そしてティエリアもアレルヤも望んでなどいなかったはずだ。
焦燥と絶望と憤怒に苛まれ、刹那は再び世界を変えるためにエクシアを駆った。ソレスタルビーイングが崩壊してしまっても、たとえ一人でも、この歪んだ世界を変えるために戦うつもりだった。
けれど、ティエリアもまた、自身の場所で戦っていたのだ―――。
「マイスターだって新しく探すはずだったのに、アーデさんがきっと刹那さん達は生きてるからって、刹那さん以上にガンダムマイスターに相応しい人はいないって言い張って、ずっと刹那さんが還ってくるのを待ってたんです。だから、これからは、アーデさんのことを助けてあげてくださいね」
無邪気な表情から一転して真摯に訴える少女に、刹那は頷いた。
「……わかった」
壊滅状態のソレスタルビーイングを再建して、新たなガンダムを開発するまでに組織を復活させるのは、並大抵の苦労ではなかっただろう。それをティエリアはやってのけたのだ。
一体どんな思いでこの四年間を過ごしてきたのか。不可抗力だったとはいえ、何もできなかった自分が歯がゆくて仕方がない。
そんな自分に、かつてガンダムマイスターに相応しくないと言い切ったティエリアが、ガンダムマイスターに相応しいと言ってくれた。自分の還りを待っていてくれた。そのことが刹那には嬉しく、また誇らしかった。
ティエリアの思いに報いるためにも、何より虚飾に満ちたこの世界を変えるためにも、再びソレスタルビーイングとして、ガンダムマイスターとして戦おう。
刹那は瞳に強い決意を滲ませた。
「―――やはり、ここにいたのか」
背後からかけられた声に刹那は振り返ることなく、じっと目の前の機体――ダブルオーガンダムを見上げている。そんな彼の様子に小さく肩を竦めたティエリアは、そのまま無言で刹那の隣に立った。
二人の間に沈黙が落ちる。
静寂を破ったのは、意外にも刹那の方だった。
「―――――――ミレイナ・ヴァスティから聞いた。あれから一人でソレスタル・ビーイングの再建に奔走したらしいな」
思いもかけない刹那の言葉に、ティエリアは軽く目を瞠った。
「……正確には一人ではない。彼らもいたからな」
彼らとはイアン・ヴァスティやフェルト・グレイス、ラッセ・アイオンを指すのだろう。
刹那はティエリアの口から仲間のことを聞くとは思わなかった。あれほどヴェーダのみを頼りにし、他人を一切寄せ付けなかったティエリアからすれば驚くべき変化で、この四年の間に彼の中で様々なことがあっただろうことは想像に難くない。
「ガンダムマイスターを探さなかった話も聞いた」
「……余計なことを」
ティエリアは眉を顰め、大袈裟に溜息を吐いてみせた。
「きみのようなガンダム馬鹿はいない。ただそれだけだ」
憎まれ口も、照れ隠しのようなものだと思うとなんだか微笑ましい。そんなふうに感じてしまうのも、四年という歳月が流れたせいだろうか。
「俺にとっては最高の褒め言葉だ」
自然に口から出た言葉に、どこかで似たような遣り取りをした憶えがあると刹那は思った。
―――――ああ。あのとき、ロックオンと……。
その時の情景を思い出した刹那がふとティエリアを見ると、どこか懐かしむようなまなざしを自分に向けていた。
二人の色合いの違う赤い瞳が重なる。
次の瞬間、刹那はティエリアの細い身体を抱きしめていた。
「…!」
驚いたティエリアは身体を固くするが、その腕を振り払おうとはしなかった。
「―――ティエリア・アーデ。俺に還る場所を、戦う力を与えてくれたことに心から感謝する。ありがとう」
「……きみは、感謝するとき抱きつくくせでもあるのか?」
唐突な刹那の行動に、ティエリアは軽く嘆息する。
「…いや。それはない」
「ならば何故?」
「嫌なのか?」
そう問うと、刹那の腕の中でティエリアは思案げな表情をみせながら応えた。
「―――不快、ではない…」
「そうか。ならいい…」
そのまま抱きしめていると、おずおずとティエリアが背中に両手を回してくるのを感じた。
「―――――生きて……、いるな………」
「ああ」
「―――温かい、な………」
「…ああ」
小さな呟きは、次第に涙に掠れてゆく。
刹那は震える細い肩を強く抱きしめた。
ずっと、一人だった。
喪ったものの大きさに愕然とし、深い悔恨に苛まれながら、ずっと一人で生きてきた。生きていかなければならないと、そう思っていた。
けれど、同じ思いを痛みを抱えながら、誰に頼ることなく懸命に戦っている人がいた。
自分は一人ではない。ともに戦ってくれる人がここに在る―――。
そのことが、何よりも刹那は嬉しかった。
「―――きみに頼みがある」
ブリーフィングルームに呼び出された刹那は、待ち構えたティエリアに切り出された。
「何だ?」
「ケルディムガンダムのマイスター、ロックオン・ストラトスを迎えに地上へ降りて欲しい」
「……ロックオン・ストラトス?」
訝しげなまなざしを向ける刹那に、ティエリアは静かに頷いた。
「ああ。今動かせるガンダムがセラヴィーしかない以上、俺がプトレマイオスを離れるわけにはいかない。だからきみに頼む」
そう言ってティエリアは、一枚の写真を差し出した。それを見た刹那の瞳が驚愕に見開かれる。
「これは…!」
「ロックオン・ストラトス―――彼の名を継ぐに相応しい者だ」
真っ直ぐに刹那を見つめるそのワインレッドの瞳には、いささかの揺らぎもなかった。
この決断を下すとき、葛藤がなかったはずはない。だが、ティエリアはすべてを受け入れて乗り越えたのだろう。
ならば、自分もそうしなければならないと刹那は思った。
「……わかった。必ずロックオン・ストラトスを連れて来る」
「頼んだぞ。詳細はこれを見てくれ」
ティエリアから渡されたメモリースティックを受け取りながら、刹那は気にかかってきたことを口にした。
「そういえば、スメラギ・李・ノリエガの姿が見えないが…?」
「彼女は今、ソレスタルビーイングを抜けている。だか、活動を再会した以上、彼女の力は必要だ。刹那、スメラギ・李・ノリエガも迎えに行ってくれ」
「承知した。ところで、アレルヤの行方はわかっているのか?」
「アレルヤ・ハプティズムは連邦政府に捕らえられている可能性が高い。今、エージェントが世界各地の収容施設を調べているところだ」
ティエリアの言葉に刹那は僅かに目を瞠った。
「アレルヤも生きていると…?」
「勿論だ。きみもそう思っているだろう?」
「ああ」
「ロックオン・ストラトスとスメラギ・李・ノリエガ、アレルヤ・ハプティズムが加わって、初めて新生ソレスタルビーイングの活動再開となる。覚悟はいいか?」
ティエリアの決意に満ちたまなざしに、刹那は力強く頷いた。
「望むところだ」
偽りの平和に満ちたこの世界に、変革をもたらすために―――。
もう一度、戦う。
ガンダムを、駆って―――。