御伽噺をきみと



 CBトラブルサービス―――。
 『嫁姑問題以外のあらゆるトラブルを平和的に解決する』ことを活動理念に、世界規模で活躍する民間のトラブルシューターである。そのキャッチコピーのとおり所属するエージェントは、依頼のあったトラブルの解決を図るために世界各地を飛び回っていた。
 そのエージェントである彼――ロックオン・ストラトスのもとに、スメラギ・李・ノリエガからミッションプランが提示されたのだが――。





「はあ? 子守り!?」
 スメラギ・李・ノリエガの口から伝えられた今回のミッションプランに、ロックオン・ストラトスは思いっきり眉を顰めて彼女を見つめた。
 優しげな風貌を持ち、かつ人当たりの良い彼は、よく人間関係の改善やら修復やら交渉やらの依頼を受けることがあったが、今回の依頼は少しばかり勝手が違う。
「正確には子守りじゃなくて話し相手兼ハウスキーパーといったところかしら。依頼人が留守の間、お孫さんの面倒をみてほしいそうよ」
「それだったら、アレルヤの方が適任だろ? あいつの家事能力はプロ顔負けだ」
「言ったでしょ? 話し相手兼ハウスキーパーだって。つまり、依頼人にとって重要なのは話し相手の方なの。ハウスキーパーは、いわば便宜上の名目ね」
 自身への納得できない依頼に、ロックオンが僅かに憮然とした態度で反論する。
「なんだってそんな面倒くさいことをするんだ?」
「人それぞれ事情というものがあるのよ。エイフマン教授は今回を期に、家に閉じこもりがちなお孫さんの目を、なんとか外に向けたいそうなの。もっと他人と係わりあいを持ってほしいと願ってらっしゃるわ。それには、貴方が一番適任だと私は思うの。どう? 引き受けてくれないかしら?」
 ブラウンのまなざしが真っ直ぐにロックオンを見つめる。さもお願いされているように聞こえるが、実質は命令にほかならない。
 ロックオンは溜め息を吐くと、悪あがきを承知で聞いてみた。
「成功報酬で臨時ボーナスを出してくれるんなら、やってもいいぜ」
「いいわよ。貴方、このところ働きすぎだものね。休暇もセットにしてあげるわ」
 影で守銭奴と囁かれている彼女にしては破格の回答に、ロックオンは目を瞠った。そして同時に、自分がこの依頼を引き受けざるを得なくなったことを悟る。
「……わかったよ。努力してみる」
「ありがとう、ロックオン」
 しぶしぶ承諾したロックオンに、スメラギ・李・ノリエガはにっこりと笑った。





 そんな訳で、ロックオン・ストラトスは依頼人のマンションへとやってきた。
 六十階建の高層マンションは、見上げると首が痛くなってくる。その最上階に依頼人の暮らす部屋があるのだ。ロックオンは上昇するエレベーターの中で、これから一ヶ月一緒に暮らす少年のことを考えた。
 名前はティエリア・アーデ、十六歳。ユニオン軍の最高技術顧問であるエイフマン教授の孫息子だ。
 教授はこのマンションで彼と二人で暮らしているが、一ヶ月ほどコロニーへ出張に行かなければならなくなった。そこで、常々コンピュータの相手ばかりして人と接しようとしない孫のために、今回の機会を利用したらしい。そのためにハウスキーパーにも一ヶ月休暇を与えるのだから、用意周到というかなんというか。それだけ孫の将来が心配ということなのだろう。
 つーか、ヒッキーの相手かよ…。まさかアキバ系のオタクじゃないだろうな?
 ロックオンの脳裏に一般人が思い描くオタクの姿が過ぎり、なんとも嫌な予感に捕らわれた。
 なにしろスメラギ・李・ノリエガに少年の写真を見せてくれと言ったところ、「彼、写真が嫌いなんですって」とあっさり断られたのだ。となると、顔も知らぬ対象者に嫌な予感がますます込み上げてくる。
 趣味や嗜好が理解できないなどはまだいい。せめて必要最低限の会話が成立しないと仕事にもならない。
 やっぱり引き受けるんじゃなかったかな…。
 臨時ボーナスに目が眩んで引き受けてしまった自分を後悔するロックオンを尻目に、チン…と微かな音を立ててエレベーターが最上階へ止まった。静かに開いた扉から意を決して外へ出たロックオンは、真っすぐに依頼人の部屋へと向かいドアの前に立つ。
「―――今日からお世話になるロックオン・ストラトスですが」
 セキュリティ用の小さなモニターに向かって話しかけたロックオンが暫く待っていると、ドアの向こうで人の気配がした。ゆっくり開けられたドアの向こうに立っていたのは―――。
 初めに目に飛び込んできた色彩は、艶やかな紫と深紅だった。
 肩のラインで整えられたさらさらのヴァイオレットの髪に、極上のビスクドールを思わせる滑らかな白磁の頬。真っすぐにロックオンを見上げる切れ長の瞳は、吸い込まれそうな深みのあるワインレッド。背丈はロックオンの目線の少し下くらいで、美少女と表現するほうがしっくりくる可憐な美貌は、少年だと知っているはずのロックオンにしばし声を失わせた。
「―――――はじめまして。エイフマン教授からお話があったかと思いますが、これから一ヶ月ハウスキーパーを勤めるロックオン・ストラトスです」
 漸く我に返ったロックオンは、取り敢えず自己紹介をする。
「………祖父から話は窺っています」
 桜色の唇から紡ぎ出された声は、変声期前なのかその可憐な容姿によく似合うボーイソプラノで、声も可愛いなあとロックオンが思っていると、ふいにくるりと背を向けられた。
「あの…?」
「いつまでもそんなところに立っていないで、お入りください」
 戸惑うロックオンに顔だけ向けたティエリアは、淡々とそう口にするとそのまま彼を待つことなく、部屋の中に戻ってしまった。
「……………」
 自棄に素っ気ない気がするのは、気のせいだろうか……?
 内心首を傾げつつも、ともかくこれ以上ここにいても仕方がないので、ロックオンは荷物を抱えると中へ入った。
 リビングに通されたロックオンは、ティエリアから携帯端末を手渡される。
「ミス・バーレイが家事全般の細かい注意書きをこの端末に記録してくれたので、詳しいことはこれを見てください。あと、一番右奥の部屋は僕の書斎になっているので、勝手に入らないでください」
 ミス・バーレイというのが、休暇中のハウスキーパーの名前らしい。最後の言葉がちょっと気にかかったが、この場は殊勝に返事をする。
「わかりました」
「あとは適当にやってくださって結構です。ただ、くれぐれも僕の邪魔だけはしないでください」
 言いたいことだけ言い終えたティエリアは、ロックオンを一瞥もせずに自室へと戻った。その華奢な背中を茫然と見送ったロックオンの唇から、思わず大きな溜め息が零れ落ちる。
 確かにある意味予想とは違った。主にティエリアの容姿だが、その点は大違いだ。
 だが、根本的なところでロックオンの予感は当たっていたのである。
 エイフマン教授が心配するはずだ。ティエリアは他人とかかわることを拒絶しているような感じがする。このままでは、会話を交わすという最低限のレベルをクリアするのもなかなかハードルが高そうだ。
 CBのエージェントとして今まで数多くのミッションを解決してきたロックオンだが、久々に手強い相手に会ったかもしれない。だが、だからといって諦めるのも適当にお茶を濁すのも性に合わなかった。本来決して好戦的ではない彼だが、かといって負けることが好きな訳ではないのだ。
「やってやろうじゃねえか…!」
 この一ヶ月の間に、絶対にティエリアに心を開かせてやる。ロックオンは密かにそう誓った。



 こうして、ロックオンの波乱に満ちたハウスキーパー生活は幕を開けたのだった。