「―――ティエリア?」
 ライルが彼の部屋を訪れたとき、ティエリアはベッドの上で眠っていた。制服を着たままのところをみると、ちょっと横になるつもりでそのまま寝入ってしまったのだろう。
 ライルは彼を起こさないように静かに傍らまで近付くと、そっと顔を覗き込んだ。
 強い意志の光を宿すワインレッドの瞳がまぶたの奥に隠れているせいで、近寄りがたい孤高の雰囲気がきれいに消え去っているその寝顔は、普段の冷然とした態度など想像もつかないほどあどけなかった。
 ティエリアは、いつも厳しい顔を崩さない。それは、自分自身に対してもチームクルーに対しても同じだった。崩壊しかけた組織の立て直しに忙殺されている彼は、甘い顔などしている暇はないのだろう。
 白皙の美貌に滲み出ている深い疲労の色を見て取ったライルは、痛ましげに眉を顰めた。
 今のティエリアは、心身ともに疲れきっている。組織の再建のため、彼はそれこそ寝食を忘れて奔走していた。そのうえ、時間を見つけてはライルの訓練にも付き合っているのだ。いつ倒れてもおかしくない、ぎりぎりの状態であることは間違いない。殆ど気力だけでもっているようなものだろう。これほど接近しても、まったく起きる気配がないことからみてもそれは明らかだ。
 少しでもティエリアの力になりたい。そう思っているのに、実際は負担をかけるばかりで。彼のすぐ傍にいながら、何もできない無力な自分がライルは歯がゆかった。
 ―――こんなとき、あの人ならば彼を休ませてやれるんだろうか…?
 今は亡き兄の姿を脳裏に思い浮かべて、ライルは顔を顰めた。
 ティエリアがここまで組織の再建に奔走するのは、『ロックオン・ストラトス』の最期の願いを叶えるためだ。
 志半ばで逝ってしまった彼の遺志を継いで、この世界を変えるために―――。
 切ないまでに一途なその思いが、今のティエリアの原動力になっているのだ。
 しかし、懸命なティエリアの姿を見れば見るほど、不可解な焦燥がライルの胸に込み上げてくる。
 そのきれいなまなざしに映る『ロックオン・ストラトス』は、本当に自分なのかたまらなく不安になるのだ。
 そのとき、微かにティエリアの唇が動いた。
「――――――――――ロックオン………」
 それは、殆ど聞き取れないくらいの微かな呟きだったが、ライルにははっきりと聞こえた。
 ―――――ロックオン。
 ティエリアは一体どちらのロックオンを呼んだのか。
 自分か、それとも―――。
 ふと、胸を過ぎった不快感に、ライルはひっそりと眉を顰めた。
 どうにも後者の可能性の方が高いだろう。自分は彼に出会って二年と経っていない。けれど、あの人はその倍の時間を彼と過ごしてきたのだ。必然的に敵うはずがなかった。
 胃のあたりをちりちりと焼かれるかのような不快感の正体は―――嫉妬だ。
 自分は、未だにティエリアの心をとらえ続けているあの人に、嫉妬しているのだ。
 『ロックオン』と名を呼ぶ度、ティエリアはほんの僅かだが懐かしそうに切なげに瞳を揺らす。普段あまり表情を変えない彼だか、その分、瞳は雄弁に物語る。誰も気付かないほど本当にささやかな変化だが、ライルにはわかってしまう。
 いつになったら俺はあの人に敵うのか。敵う日が来るのか―――。
 苦い思いが胸に込み上げてきて、ライルは唇を噛みしめた。
 そんな彼の耳に、ティエリアの寝言が届く。
  「―――――――何度言ったらわかる。反応速度が0.3秒遅い。そんなことでは、実戦で敵に撃ち落とされるぞ」
「…………………」
 どうやら自分はモビルスーツシミュレーションでティエリアにしごかれているらしい。
 夢の中でも鬼教官に鍛えられる自分に半ば同情を覚えながらも、ライルは沈んでいた気分が急速に浮上するのを感じた。
「―――――俺も結構、安い…」
 そう自嘲しながらも、ライルの唇に嬉しそうな照れくさそうな笑みが浮かんだ。
 明日からはまた、走り続けなければならないから。せめて今、このひとときだけはゆっくり羽を休めてほしい。
「おやすみ、ティエリア」
 ライルは愛おしそうに眠るティエリアを見つめると、額にそっと慈しむようなキスをおくった。