「なんということだ。万死に値する―――――!」
 ティエリアは、高熱にうなされた頭の中で、自らの失態を悔やんでいた。

 それは、単純なミッションだった。
 東南アジアの某国に潜むテロリストの本拠地を割り出し、組織を殲滅させる。
 ティエリア・アーデが刹那・F・セイエイと共に司令を受けたミッションだ。
 パートナーは気に入らないが、与えられたミッションは完璧にこなすのが信条のティエリアは、彼とともに組織への潜入行動を行い、ミッションを無事成功させた。
 そのまま地上の隠れ家で待機する刹那と別れ、ティエリアは軌道エレベーターでプトレマイオスに帰投するはずだった。
 ところが、異変が起きた。ティエリアが、突然高熱を出して倒れたのである。
 急遽エージェントに連絡して、医師の手配を受け診察してもらったが、原因は不明。熱自体は二日ほどで下がったが、全身を苛む倦怠感と微熱が続き、夜半になるとまた高熱を発する、の繰り返し。もう一週間以上、ティエリアはベッドから起き上がれない日々が続いた。
 ガンダムマイスターとして自己管理を徹底していたはずのティエリアにとって、これは失態以外のなにものではなく、不甲斐ない自分が歯噛みしたくなるほど忌々しい。
 さらにティエリアを居たたまらなくさせているのが、刹那・F・セイエイに看護されているこの現状だ。症状こそ現れてはいないが、同じ病気に感染している可能性があるということで、一緒に隔離されているのだ。
 彼に看病されるなど正直憤死ものだったが、身体がいうことをきかないため、されるがままになっていた。
 だが、夜、熱が上がって苦しいとき、誰かが冷たいタオルを額に乗せてくれ、手をしっかり握り締めてくれる。それだけでふっと気持ちが楽になる。それが誰であるのかは自明の理だが、自分が安堵しているなどティエリアは絶対に認めたくはなかった。
 そんな時、所用で朝から出かけていた刹那が夕方になってようやく帰ってきた。
 このところティエリアの看病のためにずっとついていてくれたため、彼の姿が見えないとなんだか変な感じで、一日落ち着かない気分で過ごしたティエリアは、刹那の顔を見た途端、ほっとしてしまった。すぐに、気のせいだと慌てて否定したが。
「ティエリア・アーデ。きみの病気の原因がわかったぞ」
 顔を出すなり口にした刹那の言葉に、ティエリアは目を瞠った。
「なに!?」
「所謂風土病だ。先日ミッションを行った地域で、以前からは流行っていた病だ。現地の人間は耐性がついているため殆ど罹らないか症状は軽いが、きみは免疫がなかったため重篤になったようだ」
「―――風土病……」
 ティエリアは茫然と呟いた。そして、次の瞬間、はっとしたように言った。
「ならば、何故一緒にいたきみが罹らない?」
「それは俺にもわからないが、子供の頃、似たよううな病気に罹ったことがある。おそらく、それで何らかの免疫が俺についていたからではないか?」
「………」
 言外に軟弱と言われたようで悔しいティエリアは俯いた。
「現地の医者から薬をもらってきた。これで治るはずだ」
 そう言って刹那は紙袋を差し出した。ティエリアはじっとその袋を見つめ、そして刹那に視線を移した。
「……俺のために?」
「ああ」
「わざわざ現地まで出かけたのか?」
「ああ」
「……………」
 ティエリアは刹那の柘榴色の瞳をじっと見つめた。こんなとき、なんと言うべきなのか頭の中で懸命に考えるが、なかなか言葉が出てこない。
 そんなふうに考え込むティエリアに気付かない刹那は、グラスに水を注ぐと、紙袋の中から小さな包みを取り出した。
「飲むといい。きっと楽になる」
 ティエリアは、差し出されるままに小さな包みを受け取り、指先でそっと開いた。中から現れた褐色の粉末に軽く眉を顰める。
「―――これはなんだ?」
「粉薬というものだろう」
「粉薬? これが薬なのか?」
 およそ薬の類など服用したことのないティエリアにとって、初めて見るそれはなんだか奇妙なものに映った。
「どうやって飲むんだ?」
「そのまま口に入れて、水で流し込むんだろう」
 もう一方の手で水の入ったグラスを受け取ったティエリアは、恐る恐る粉薬を口に近づけた。途端に、鼻をついた匂いに眉を顰める。
「変な匂いがする……」
「科学合成の薬ではないから、匂いがするのは当たり前だ」
 未だかつて口にした事のないそれを、ティエリアはおそるおそる口に近づけては離し、また近づけては離すを繰り返す。そうやって何度も何度も躊躇い、やがて意を決したように口を開けた。
「……っ!」
 途端にむせて激しく咳きこんだティエリアは、薬の殆どを吐き出してしまった。
「………苦い」
 思いっきり顔を顰めたティエリアは、苛立たしげに吐き捨てた。
「こんな前時代的なもの、飲めるはずがない!」
「だが、飲まなければ治らないぞ?」
「こんなもの飲まなくても、この薬の成分調査をして、合成薬を作ればいい」
「時間がかかると思うが。それに、誰がやるんだ?」
「…っ!」
 あくまでも正論を吐く刹那を、ティエリアは睨みつけた。
「それでも、こんなものを飲むよりはマシだ!」
 怒鳴ったせいでまた咳き込んでしまったティエリアの背中を刹那はさすってやった。振り払われるかと思ったが、おとなしくされるがままになっている。余程苦しいのだろう。
 衣服越しでも熱がまた上がったのが感じられ、苦しげに息を吐くティエリアを黙って見下ろした刹那は、仕方ないと溜息を吐いた。袋の中から粉薬の包みをこっそりと取り出す。
 ようやく呼吸の整ったのを見て、刹那は名を呼んだ。
「ティエリア」
「…何だ?」
 不機嫌も露な視線を上げるティエリアの目の前で、刹那は粉薬を口に入れた。次いでグラスの水も少量口に含む。
「……?」
 怪訝そうに眉を顰めるティエリアの顎を捕らえた刹那は、僅かに開いた唇に己が唇を重ね、口に含んだ水を彼の口内へ流し込む。
「…っ!」
 咄嗟に顔を引こうとするのを頭の後ろにもう一方の手を差し入れて防ぎ、手を突っ張って抗うティエリアが水を飲み込むまで唇を離さない。
 やがて諦めたようにこくん、と小さく咽喉を鳴らしてティエリアが嚥下するのがわかったが、何故か刹那は唇を離すことができなかった。そのまま舌を口内に忍び込ませると、ティエリアはびくっと肩を震わせた。熱のせいか口内はひどく熱く、その熱に刹那は逆に煽られた。
「ん…っ」
 逃げようとする舌を追いかけて絡めると、苦いはずの口の中がなんだか甘いように感じられ、その甘さに酔うように、刹那はティエリアの唇を夢中で貪った。
 存分に柔らかな唇を味わった刹那が名残り惜しげに唇を離すと、くたりと力の抜けたティエリアの身体が腕の中に落ちてくる。無言で荒い息を吐く華奢な身体をベッドの上にそっと横たえると、目元を赤く染めたワインレッドのまなざしが、突然の暴挙を詰るように見上げてきた。
 肩で息をする濡れた紅い唇がたまらなく扇情的で、身内からわきあがる激しい衝動に突き動かされるまま、刹那はティエリアに覆い被さると、再び唇を塞いだ。
「…!」
 逃れようともがくティエリアの抵抗を難なくかわして、くちづけをより深めていく。やがて四肢から抵抗の意思が抜け落ちると、刹那は細い腰を引きよせた。
 身体が燃えるように熱かった。けれど、これは病気の類ではない。
 この熱を冷ますことができるのは、ティエリア・アーデだけだ―――。

 理性も自制も簡単に吹き飛ぶ瞬間があることを、刹那は初めて知ったー――――。