「ティエリア、起きて。朝だよ」
 心地よいまどろみを貪っていた意識が、いささか手荒い刺激にふいに覚醒する。ぺちぺちと頬を叩かれたティエリアは、その乱暴な手から逃れようと、もそもそと寝返りを打った。
「……………あと5分」
 すっぽりと頭までシーツをかぶって防御の体勢を整えたティエリアが、寝起きの所為で少し掠れた声で懇願する。
 低血圧な彼の寝起きが悪いのはいつものことだが、よくも毎朝毎朝同じ台詞を吐けるものだと、アレルヤは半ば感心する。どうせ5分10分寝たところでたいした違いはないのに、なんでこうまでして寝ようとするのか、自分にはとても理解できない。
 とはいえ、このままほおっておけば、5分どころか1時間経っても起きやしないのは、今までの経験で十分承知している。アレルヤは、これも毎朝の恒例となりつつある一言を、ティエリアの耳元で甘く囁いた。
「愛してるよ、ハニー」
 もちろん、耳元に軽く息を吹きかけるのも忘れない。
 途端、弾かれたようにティエリアが飛び起きた。
「…っ!! アレルヤ・ハプティズム! そういう気色悪いことを口にするなっ!」
 片耳を押さえながら、頬を紅潮させて噛み付くティエリアはとても可愛らしい。まるで毛を逆立てた仔猫のようだ。
「気色悪いなんて心外だな。僕は心の赴くまま、正直に言葉にしているだけだよ」
 まったく悪びれないアレルヤに、ティエリアは恨みがましい目を向ける。
「折角気持ちよく寝てたのに……」
 起きぬけのティエリアは非常に機嫌が悪い。けれど、そんな彼をからかって遊ぶのが、アレルヤはなにより好きだった。
「そんなに寝たいんなら、いつでも付き合ってあげるよ?」
 ティエリアのほっそりとした形のいい顎を人指し指で軽く持ち上げ、アレルヤはその端正な美貌を覗き込む。いつ見ても綺麗な貌だなと思う間もなく、ワインレッドの瞳が大きく見開かれ、次の瞬間、鋭い平手が宙を舞った。
「おっと」
 ティエリアの容赦ない一撃を難なくかわしたアレルヤは、大げさに肩を竦めてみせた。
「ひどいな。暴力反対」
「殴られるようなことをしたのは誰だっ!」
 渾身の一撃をあっさりとかわされて、怒りに燃えるワインレッドの双眸は、溜息が出るほど美しい。本当の美人というものは、怒った顔もまた美人なんだよねと、アレルヤはティエリアが聞いたら激怒しそうな感想を心の中で呟いた。
「まあまあ、落ち着いて。ちゃんと起きれたでしょ? ごはんできてるから、冷めないうちに早くきてね」
「……?」
 アレルヤがにっこりと笑う。ここに至ってティエリアは、ようやく自分がからかわれたことを悟った。
「アレルヤ・ハプティズムっ!」
 名を呼ばれると同時に、ものすごい勢いで枕を投げつけられる。それをアレルヤはひょいとかわした。
「寝汚いティエリアが悪いんでしょ? 僕は親切に起こしてやっただけだよ。仕事に遅れると困るのはティエリアなんだし」
「やっていいことと、悪いことがあるだろうっ!!」
「僕は何もしていないよ? 勝手に誤解したのは、ティエリアの方だ」
 アレルヤは軽やかにステップを踏みながら、するりとドアの後ろへ滑り込む。と、ドアの向こうでガチャンと派手な物音がした。
「……あ。また、目覚まし時計投げつけた」
 これで一体何個の目覚し時計が、ティエリアに壊されただろう。
 やれやれと肩を竦めながら、シルバーグレイの瞳はまるで悪戯っ子のように輝いている。
 今朝もティエリアをからかうことに成功したアレルヤは、至極満足そうにキッチンへ向かった。
 取り敢えず怒りが収まるまでそっとしておくことにして、その後のご機嫌取りはどうしようかな?
 食べ物で釣るのもいいだろうし、プレゼント攻勢って手もある。いざとなったら、また強引に押し倒すのもいいだろう。
 何れにせよ退屈はしないなとほくそえむアレルヤは、とにかく意地が悪い。こんな彼に気に入られたティエリアは、まさに気の毒としかいいようがない。
「さあて、どうしようかな?」
 そんなアレルヤの思惑なぞ露知らず、部屋に一人残されたティエリアは、今回もいい様に振り回された悔しさで、腸が煮えくりかえる思いだった。
「この仕返しは必ずしてやる! 覚悟しろ、アレルヤ・ハプティズムっ!!」
 果たしてティエリアのリターンマッチは成功するのか否か、それは神のみぞ知る。