尿瓶(しびん)
入院してすぐ、不思議に思ったことがあった。
入院患者はみんな、オシッコを便器にしていないのである。
とりあえず便器の所に行くには行くのだが、それは格好だけで、
身体の前には必ず尿瓶を持って来ている。
そして、その中に放尿したかと思うと、溜まったオシッコを機械に入れる。
それはオシッコの成分か何かを分析する機械なんだと思うが、
尿を入れる前に自分の番号のボタンを押すと、
若い女性のリアルな声で機械の使用方法の解説が始まる。
誰かが夜中にトイレに行くと、
まるで欲求不満で変な趣味のオンナが
何かを懇願しているかのように
尿を入れてください
尿を入れてください
尿を入れてください
尿を入れてください
尿を入れてください
と要求に応えて尿を入れるまで
何度も連呼する生々しい声が病棟の薄暗い廊下に響いて、
気持ち悪いやら、
笑えるやら…。
手術後のある時、夜中に尿意をもよおしてトイレに行くのが面倒臭くなり、
久々にベッドの横で尿瓶にオシッコをすることにした。
しかし、手術後、つい数時間前まで長時間バルーンを入れていたために、
冗談抜きでオシッコの仕方がわからなくなってしまった。
どこにどう力を込めて良いものやら、わからない。
本当にわからない。
思案したまま10分も経過してしまった。
ベッドの横で尿瓶を構えて立ったまま、
小象を放り出して10分もジッと立っているのである。
マヌケだ。
誰にも見られたくない光景。
看護婦さんがカーテンを開けやしまいかとドキドキする。
ようやく力の抜き方と入れ方がわかり、チョロッとだけ出すことができた。
しかしまだまだ残っている。
もう1回チャレンジする。
たかが小便にチャレンジとは大袈裟だが、不覚にもその時は小声で、
「もう1回チャレーンジ!」と独り言を言ってしまった。
お恥ずかしい限りだ。
手術をして数日間、毎日24時間続けて何本もの点滴をしていた関係で、
やたらとトイレが近くなった。
すると、だんだん自分の膀胱の仕組みがわかるようになってきた。
200tで尿意を感じる。
しかし、本当にトイレに行きたくなるのは300tになってから。
結構我慢したら500tも楽勝だった。
毎回毎回オシッコの量を尿瓶で量っていると(尿瓶には目盛りがついている)、
コレは何tやな、ということが出す前からわかるようになってくるのだ。
しかも、それがどんどん当たるのでうれしくなってしまう。
何にでも喜びを感じることのできる自分の性格はつくづく幸せだと思う。
ある晩の夢のこと。
トイレを探しても探しても見つからない。
やっと見つけても故障中の貼り紙。
ようやくたどり着いたと思ったら、いざ放尿という時に誰かに邪魔をされてしまう。
あちこちトイレを探しても見つからず、スワ一大事!という時、
ぱっと目が覚めた。
強烈な尿意である。
手術の傷口をかばいながら必死でベッドから起き上がり、ヨタヨタとトイレに向かう。
もう、それこそタンクまけまけ状態である。
途中で何かの障害があったらアウトだ。
男30歳にして廊下でオモラシの可能性が出てきた。
何としてもそれだけは避けたい。
やっとの思いで便器の前に来た。
「これはかなりの大物じゃ!」と思いながら尿瓶を構えた。
さすが大物。簡単には出ないものである。
あんなに我慢してやっとたどり着いて、間髪置かず一気に噴射するものと思っていたのに、
準備が整うとピクリともしない。
拍子抜けである。
何十秒か経ち、ようやくチョロチョロと出始めた。
始めのうちはチョロチョロだったが、
やがては滝の如く溢れ出し、
終いにはいつ終わるのか心配なほどに勢い良く放尿した。
最後の1滴になった頃、尿瓶はかなり重くなっていた。
「これは魚拓もんじゃ!」などと馬鹿なことを考えながら目盛りを確認した。
700t!
秀逸作品である。
この作品を誰かに自慢したいが相手がいない。
「自慢してどないする」
俺の膀胱はこんなに溜まるもんなのか…と感心しながら
しばらく尿瓶を見詰めた後、所定の位置にオシッコを流し込んだ。
これでオシッコの量は完璧に把握できる。
もし、
『目を閉じたままオシッコをジュースの缶にピッタリ入れよう選手権』
なんかあろうものなら、
私は優勝を勝ち取ってくる自信がある。
なぜなら私は決まったように毎回350tをマークしているのである。
ないかなぁ?そんな選手権…。
「あるかい!」