手術後
手術が済んで、病室が変わった。
ナースステーションのすぐ隣の回復室という部屋だ。
ピンチの時は看護婦さんがダッシュしてくれるに違いない。
心強いぞ。
手術当日はさすがにしんどい。
傷口を見たらコレが結構でかい。
ミゾオチのちょっと下から
あばら骨に沿って弧を描くように脇腹まで…。
20センチくらいはあるんだろうか?
すっかりブラックジャック状態である。
が、傷口はまったく痛まない。
それもこれも背骨に入れたモルヒネ様の力だ。
役に立つものには必ず様を付けて敬意を表する。
モルヒネ様は細い管で背骨に挿し込み、3日間くらい持つ。
さすが麻薬。
ヨクキクゼ。
翌日。
夜になってやっと立ち上がることができた。
何のためにわざわざ立ち上がったかと言えば、浣腸のため。
手術後、腸が動かないとウンコは出ないらしい。
腹を大きく切っているのに便秘になんぞなった日にゃ、
ウンコをキバったら傷口が炸裂してしまう。
それは困る。
ウンコ炸裂を何としても阻止するため、看護婦のM谷さんに浣腸を申し出た。
M谷さんは見掛けどおり非常に優しく、
私が転勤前、広島で勤務していた時、同じ寮の6階に住んでいたK尾ちゃんによく似ている。
K尾ちゃんは、婦人服売場を担当している、オンナをまったく感じさせない女だ。
私が広島勤務時代に住んでいた独身寮は
ワンルームマンションで男女混合のうえに、
入寮者のうち100人が女性で、
たった10人余りが男性という、
それだけを聞くとハーレムを想像してしまうようなところであった。
寮生以外の男性社員には羨ましがられたが、
実際はみんなの想像と全然違っていた。
男性は寮内に痴漢などの変な男がウロウロしないようにするための用心棒代り。
いわゆる番犬である。
私はナベ好きで有名だったため、冬場はあちこちの部屋に呼ばれた。
いつも男が私1名に対し、女3〜4名くらいだった。
しかし、決してモテていると勘違いしてはならない。
準備や片付けをしない代りにナベの材料費を出させられるのである。
早い話がカネヅル。
と言っても、宴会好きの私にとっては、外食の宴会に比べればはるかに安くあがる上に、
騒ぐだけ騒ぎ、食べるだけ食べて
眠たくなったら階下の自分の部屋にすぐに帰って
そのまま寝てしまうのでお互い様である。
彼女らの話によると、私はオトコをまったく感じさせないらしく、
気を遣わなくていいので呼びやすいんだそうである。
フロあがりにスッピンで
パジャマやTシャツの下には下着なしというとんでもない格好でも、
「ええがーええがー、
どうせあげはらさんなんじゃけぇ。
女友達と同じようなモンじゃけぇねぇ。
別にあげはらさんに見られたけぇいうて、
なぁーんも恥ずかしいことなんぞありゃせんがぁ〜」
などと言われた。
(広島弁はオバサン臭い)
大体、そういうヤツに限って、私にとっても
「お前のなんか見たところでねぇ…」なのだが、
どうせあげはらというのが非常に気に入らなかった。
そのクセ、彼女らは私以外の寮の男性がナベに参加しに来ると、
途端にパジャマ姿は1人もいなくなり、
化粧も落としていない。
それどころかキメキメである。
なぁ…。
それって、オレに失礼なんとちゃう?
私はその寮での4年間を、陽も当たらず、
表の道路を行き交う車の排気ガスのために
窓さえも開けることができない1階で過ごした。
もちろん、洗濯物も4年間、
太陽で乾かしたことはなかった。
洗濯物が全然乾かないので、
短時間の外出の時はいつも部屋のドアの鍵を掛けず、
少しだけ隙間を開けて風通しを良くしていた。
ある休みの日、夕方になって恒例の宴会の声が掛かり、
よその部屋に行って2時間ほど騒いで自分の部屋に戻った。
なぜか玄関のダウンライトがついている。
消したはずなのに…と思いながら自分の部屋を確認した。
異常なし。
あー、ビックリした。
泥棒が入ったんかと思ったやないの。
それから2時間後…、何気なしにコタツの上の財布を開けてみた。
あーっ!
今度の連休で実家に帰る時の交通費と小遣いの3万円がない!
ぬおぉー!
やっぱり泥棒に入られとったんかー!
慌てて近所の派出所のお巡りさんを呼んだ。
巡査「ずいぶん荒らされたんじゃなぁー」
私「?…いえ、別に」
巡「?」
私「何も荒らされてないですが…」
巡「もともとこんな状態!?
指紋は残っとんるかいなぁ」
私「さぁ?ただ、
泥棒に入られたのに気付かんかったもんで、
お巡りさんを呼ぶまでの2時間、ドアノブとかそこらへんじゅう触ってしまいました」
巡「(呆れ笑いしながら)そりゃぁ、これだけ散らかっとったら
泥棒に入られても気付きませんわなぁ」
ムッカー!
このお巡りめ。人の不幸を鼻で笑いやがって。
お巡りたるもの、市民の下僕という認識を持ってもらわにゃ困る!
男の一人暮らしはこんなもんなんじゃ!ボケー。
巡「まぁ、これでは指紋も採れんけぇ、今回は諦めてくださいや。
また泥棒に入られちゃぁいけんけぇ、
片付けぐらいはしときんさいや」
ますますムッカー!
放っといてくれ。
そう何回も何回も泥棒に入られるアホがおるか!
まったくもう!
スカプンッ!
それから3ヶ月が経ち…。
被害額2万円。
いやぁ…何回も泥棒に入られるアホって、
ほんまにおるんですね(笑)。
そんなアホの顔が見てみたいわ。
「鏡で自分の顔を見なはれ」
はい。すんません。
お巡りよ、何でもっと厳しーに私に注意してくれんかったんや。
ちゃんと部屋の掃除しとけ!って。
くっそぉ。
人の言うことは聞いておくもんである。
また犯人の指紋が採れんかったやないの。
さらに1ヶ月が経った頃、
3日目の被害じゃないよ。
なんと刑事さん5人に連れられ、
犯人が手錠をはめられて
私の部屋へ現場検証に現れた。
どうやら実際に犯行を犯した場所まで行って、
お金を盗った所とかを指差して証拠写真を撮るらしい。
テレビで観るのと同じだ。
手錠と腰縄を付けられた犯人が
私の部屋の中でも現場検証をすることになった。
刑事「ここで現金を盗ったんやな」
犯人「はい。コタツの上に財布があってその中から…」
刑「何かその時の状況は覚えてないか?」
犯「えーっと。
もっと散らかってて…」
お前が言うなーっ!
犯人まで俺を馬鹿にしおって(激怒)。
犯「1回盗ってから何ヶ月か経って、
あの部屋ならもう1回盗っても
すぐには気付かんじゃろなぁと思って…」
刑「ほんで2回も入ったんかい」
犯「はい」
どっしぇー!
2回とも
同じ犯人やったんか!
私、それ以来、結構片付けするようになりました。
ちなみに盗まれたお金は国庫金となる。
今回のように犯人が常習犯だった場合、
複数個所から盗むと、いくらまでが誰のお金かわからないという
理不尽な理由で、
犯人に所持金があったとしても
被害者には返還せず
国が巻き上げてしまうのだ。
按分せぇよ、按分!
小学生でも考えるやろが!
国はヤクザか!
当然、犯人に所持金が無ければ弁償もしてもらえず、
犯人の親にも補償してもらえないし、
犯人の名前も住所も教えてもらえない。
日本の法律はどうかしとるぞ。
盗んで使ったモン勝ちやないか!
私は非常に納得がいかなかった。
なぜなら、つい3日前にも
国に駐車料金を1万5千円も払ったとこだったからだ。
ちなみに、自分自身を納得させる唯一の手段として、
犯人と一緒にVサインをして記念写真を撮りたい♪
という申し出も、
犯人の人権に配慮するという観点から、
刑事さんにあっさり拒否された。
人のカネ盗んで、人権もクソもあるかい!
あ〜あ。
あんな機会、滅多にないのになぁ。
年賀状の写真に使いたかったのに…。
というワケで、犯人と一緒の記念写真は撮らせてもらえません。
ご参考まで。
M谷さんに似た女の子の話から、すっかり話が逸れまくった。
手術後初めて立ち上がった時の話である。
立ったらフラフラとするものの、車椅子に移ることはできた。
車椅子初体験である。
そのまま、M谷さんに押してもらって大きなトイレへ。
ケツの突き出し方も手慣れたもんである。
M谷さんの浣腸は、私が浣腸に慣れたこともあり、
抜群の注入具合であった。
2日目。
もう大丈夫。じゃんじゃん歩けるではないか。
調子に乗ってヨタヨタとトイレに行く。
手術後、こんなに早く立って歩くことができるとは夢にも思っていなかった。
3日目。
昨日に引き続き、調子に乗ってウロウロする。
他の患者さんが「若いんは違うのぉ」と言ってくれるので、
さらに調子に乗ってしまう。
4日目。
背中に挿したモルヒネ様がなくなってしまった。
急に痛みがリアルになる。
ホントはこんなに痛かったハズなのに、
バカな私は調子に乗ってウロウロしまくっていたのかと、ちょっと後悔した。
じっとしておけばモルヒネ様が切れても、もう少し痛みが少なかったかも知れない。
夜中、痛みをこらえながら、2日目よりもはるかに重い足取りでトイレに向かう。
病室のドアを開けて出ようとしたその瞬間、閉まりかけたドアのノブが
私の傷口にジャストミートした。
はひっ!
見事なまでのメガヒットである。
あまりにも痛過ぎてその場にうずくまることもできず、
壁に寄りかかって半ベソをかいた。
声も出ない。
ちょうど傷口の高さにあったドアノブへの恨みは一生消えん。
5日目。
夜がつらい。
傷口の痛みもさることながら、背中が筋肉痛状態である。
寝返りがうてないからだ。
笑っても、咳込んでも、シャックリをしても、とにかく痛い。
クシャミなんかとんでもない。
私は手術以来、大好きなクシャミは控えている。
私はわざとクシャミをするのが大好きだ。
蛍光燈をじっと見続けるとクシャミが出るし、
ヒマな時はティッシュをコヨリにして
心ゆくまでクシャミを楽しむ。
クシャミひとつで結構ストレス解消だ。
「安いのぉ」
6日目。
もう大丈夫。大丈夫だと思う。
けど、自信はない。
ドアノブにはくれぐれも要注意。