オカンの逆襲

高校生の頃、私は電車通学であった。

 

毎朝、K電N尾線I戸駅から乗り込む。

 

 

通学時間の車内はいつも田舎とは思えないほどの大混雑で、

 

オンボロ車両がギシギシいいながらのんびり走っていた。

 

 

 

その混み具合と言ったら、

 

乗客の圧力でドアが外に反ってしまうほどで、

 

一旦姿勢を崩すとそのまま終点まで過ごさなければならない。

 

 

 

 

 

厚化粧のおばはんに痴漢と間違われてもイヤなので、

 

私はいつも吊革を持つなど両手を上に挙げるようにしていた。

 

 

 

ちょっとカバンが当たっただけで、

 

「アンタ、今あたしのお尻触ったわね?」

 

みたいな視線が大嫌いだった。

 

 

死んでも触るか!手が腐るわい!

 

と言いたくなるようなヤツに限って勘違いも甚だしい。

 

 

 

そんなヤツにはドロップキーック!

 

 

 

 

 

 

 

ある日、I戸駅から電車が動き出して

 

僅か数メートル進んだところで急停車した。

 

 

田舎の電車では割とよくあることで、

 

多分、乗り遅れた人が電車を呼び止めたに違いない。

 

 

 

私は友人と、

 

「もー、こらえて欲しいのぉー。

 

K町で乗り継ぎできんかったらそいつのせいじゃ」

 

などと話していた。

 

 

 

私の通う高校へはK町駅で乗り換えなくてはならず、

 

乗り換え時間はたったの30秒も無かったからである。

 

 

 

 

 

電車がすぐに発車する気配はなかった。

 

 

やがて車内がざわつき始めた。

 

 

 

 

 

私もイライラし始めたその時、

 

なんとうちのオカン

 

遠くから電車内を一両ずつ覗き込みながら

 

こっちに向かって来ていた。

 

 

 

 

 

オカンの手には、

 

私が今朝カバンに入れ忘れた弁当箱。

 

 

 

 

 

最悪のシナリオが頭に浮かんだ。

 

 

 

私はなるべくオカンから見えない所に隠れようとしたが、

 

車内が混み合っていたために奥へ行くことは困難を極めた。

 

 

 

 

 

数十秒後、外から、

 

「サトル!アンタ弁当忘れたらいかんでないんな!」

 

と声がしたかと思うと、

 

オカンは私に弁当箱をひょいと手渡し、

 

車掌に発車OKの合図をした。

 

 

 

 

遅れること約2分。

 

気まずい雰囲気のまま、電車はゆっくりと動き始めた。

 

 

 

ここで、

 

「お前が犯人かい!しゃーないやっちゃのー!」

 

くらいの気の利いたツッコミを友人に期待したが

 

甘かった。

 

 

 

私は冷や汗を掻き、

 

隣にいた友人はあまりにも気の毒な私の状況に言葉を失っていた。

 

 

 

周囲の乗客の冷たい視線が私の身体を突き刺す。

 

私の心はすでにズタズタであった。

 

 

 

 

さらに悲惨を極めたのは、

 

混雑のため手をおろすことができず、

 

「電車を遅らせたのはボクでぇ〜す!ラリホー!」

 

と言わんばかりに、

 

右手に弁当箱を持ったバンザイ状態

 

これからの25分間を耐える羽目になったことである。

 

 

 

 

私はオカンを恨んだ。

 

 

 

なんでわざわざ追いかけて来て、

 

しかも動き出した電車を止めてまで

 

俺に弁当を渡す必要があったんじゃ!と。

 

 

 

電車がK町に到着後、

 

予想通り私を含めた100人近い乗客が電車の乗り継ぎに失敗し、

 

学校に着いても一日中オカンに

 

腹が立って腹が立って仕方が無かった。

 

 

 

 

 

 

 

そして迎えた夕方。

 

 

 

家に帰るなりオカンが、

 

「お前、今朝弁当が間に合うて良かったやろ。

 

慌ててカブ(ホンダスーパーカブ)で追わえたがぃ」

 

自慢げに言った。

 

 

 

その後、当然の如く私が口火を切ったことにより、

 

「お前や私のホンマの息子と違うんじゃ。

 

裏の橋の下で泣いてうるさかったけん、

 

犬と一緒に拾うてやったんじゃ!」

 

 

「やかましわいクソババァ!

 

拾うてくれ言うて頼んだ覚えやないわ!

 

犬だけ拾うたら良かったんじゃ」

 

などと空前絶後の大ゲンカとなった。

 

 

 

 

オカンは、

 

「もう二度とお前には弁当を作らん!」

 

とカンカンだった。

 

 

 

「おう、こっちも電車止めてまで弁当なんぞ持って来ていらんわい!

 

そんな弁当誰が食うか!」

 

と応酬した。

 

 

 

 

 

 

 

しかし…。

 

 

 

 

 

なんと翌朝にはいつもと変わりなく

 

テーブルの上に弁当箱が置いてある。

 

 

 

 

フン!

 

カラの弁当箱を俺に持って行かせる気やな、あのクソババァ。

 

 

舐めたマネしやがって、

 

などと思いながらそれを持ち上げてみると、

 

いつもよりちょっと重たく感じるが、

 

普通の弁当の重さだ。

 

 

 

中身はキチンと入っているらしかった。

 

 

 

 

 

なんやかんや言うても息子がカワイイてしゃーないんである。

 

 

きっとケンカしたことを後悔したんだろう。

 

夜、寝ながら私への暴言を反省して、

 

明日はちゃんと弁当を作ってやって許してもらおうと

 

涙したに違いなかった。

 

 

 

所詮、母親とはそういうもの。

 

 

まぁ、そこまでするんやったら、俺も男じゃ。

 

いつまでもグジグジ言いよったら男がすたるわい。

 

今回のところはオカンもよー反省しとるようやし、

 

そろそろこらえてやるか。

 

 

 

 

 

 

弁当の時間が来た。

 

昨日のことなどすっかり忘れていた私は友人らと教室の机を囲み、

 

腹を鳴らしながら弁当箱のフタを取った。

 

 

 

 

その直後、予想もしなかった悲劇が私を襲った。

 

 

 

 

 

弁当箱にはジャラジャラと炊いていない米粒

 

ギッシリ詰まっており、

 

 

一緒にアホ!と殴り書きされた

 

メモが1枚入っていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

オカン、恐るべし。