「自立にむけて」 

  


 

1998年12月23日 水

 祝日であるがお父さんは出勤。お兄ちゃんは今日から冬休みである。年賀状の作成がな

かなか進まず、皆が少々焦り気味だ。

 弟も今日は休みだったが、同じように年賀状のイラスト作りが上手く行かず(パソコン

が「強制終了」)、「ヤッメター!」だったそうである。夜は、5時間の塾の疲れかテレ

ビ三昧。

 

     年賀状を98で作って、早く98を使いたいなと思った

 昨日の夜と今日の朝にかけて、お母さんと一緒に年賀状を作りました。スキャナーで、

長良川ふれあいマラソン大会で僕が走っている写真をコンピューターに取り込んで、年賀

状を作りました。

 僕はお母さんの隣で、ただ95に打ち込んだ文を言っている

だけでしたが、10枚一寸できました。と言っても、僕の文章

はかたい文章でして、これを嫌がる生徒を最初に書いてしまっ

たので、最初から躓いてしまいましたが、お母さんの助けをか

りて切り抜きました。

 後、関養護学校以外でお世話になった先生や生徒、前年度の

卒業生なんかにも書いたりしました。でも、クラスメイトや障害者甲子園でお世話になっ

た生徒にも書いていませんので、早めに書かないとなと、思いました。

 

1998年12月25日 金

     障害者に対する差別を受けた

 今日、マラソンの練習をしていました。1月4日にメモリアルで開かれる新春マラソン

の練習で、家の周りの道を走っていました。どうやって走れば、早く走れるか考えながら

走っていました。

 そんな時、ある家から自転車に乗ったおじさんと2人の娘さんが出てきたのです。僕は

「こんにちわ。」と普通にあいさつをしたのですが、その人は不機嫌そうに「こんにち

わ。」と言い返してきたのです。何だこの人は、健常者から見れば、僕のような車椅子に

乗った障害者は、1人の人間として見てもらえないのだなと、悲しく思いました。障害者

甲子園の実行委員長のF君が聞いていたら、なぐりに行ったと思います。

 やっぱし、障害者は町の中では見えない存在なんだなと、身に染みて感じました。悲し

い現実を体験しました。

 

1998年12月30日 水

     疲れました、全部の部屋のモップかけ

 今日の午前中にやった事は、僕の家のへやのモップかけをやりました。廊下、玄関、洗

面所、トイレ、僕の部屋、という順番で、モップかけをしました。

 左肩に、モップの棒を置きモップの真ん中辺りでモップを操作しました。モップかけを

している時は、どうしても背中に猫が乗っかってくるのです。しかも、全部の部屋のモッ

プかけなんか始めてやりましたから、すぐに疲れが体に出るありさま。

 1番苦労した所は僕の部屋でした。僕の部屋は他の部屋より大きいし、いろんな物が置

いてありまして、それをのけてやったので、背中や腰が痛くなってきました。

 これ以上に4月からの仕事は、辛く苦しいものかと思うと、学校は楽だなと思いまし

た。

 

1998年12月31日 木

 今日も朝から腰痛。一晩寝れば何とかなるだろうと思っていたのが間違いだった。昨日

よりも痛くなったので、お母さんの腰巻き風のサポーターを借りる。どうにか今日1日も

った。昨日ついた餅を切ったり、わずかながらの掃除をやったりで過ぎた大晦日だった。

 夜は家族全員で「紅白歌合戦」を見ながら、代わる代わるパソコンをやった。除夜の鐘

もあまり聞かないままに、年が明けた。明日(1日)は、弟の合格祈願を兼ねて、北野神

社と谷汲山へ初詣だな。

 

1999年1月1日 金

 遅い朝食(我が家は元日は必ず「雑煮」である)を食べて、全員で谷汲山へ初詣。

 祈願は、    ・弟の高校合格

         ・お兄ちゃんの健康と少しでも機能が回復する事

         ・家族全員の安全と健康

 

     歩き回った初詣、お参りは金儲け

 今日の10時頃から谷汲山へ初詣に行きました。

 僕たちは込み合う参道を避けまして、反対側の裏道らしきじゃり道を通りました。それ

でも、お宮がある所の近くに来ると、車椅子から立ち上がって階段を1段づつ上りまし

た。もちろん、お父さんとお母さんの助けをかりてですが、階段を1段1段、1歩1歩上

り歩きました。お宮の前では必ず手をあわせて(杉の子園で、お金儲けができますよう

に。)と、お参りしました。

 お金をためこんでおかないと、僕の未来は闇の中の闇ではないとは

思いますが、できるだけ多くのお金を貯めておかないと駄目だと思い

ます。去年の先輩が「お金を貯めとくとな、老後の時に、役にたつ

ぞ。」と、言っていました。僕は老後のためではなく、結婚や結婚後

の生活に使うためにお金を貯め続けます。

 なんか話が横の方にずれましたが、階段を上って上った所に谷汲山

の本殿を久しぶりに見ました。交通事故にあってから始めてみたので

す。去年までは、途中まで来て、あきらめていたのです。北野天満宮

に帰りによりまして、お金儲けのお参りをしました。

 

1999年1月2日 土

 お父さんは、年末から始まった計算機の入れ替えの立会いに出勤。会社では、本を読ん

だり、テレビの箱根駅伝の実況中継を見たりしていて過ぎた1日だった。

 お母さんと子供2人は、実家へお年玉を貰いに行った?。

 

1999年1月4日 月

 今日も、お父さんは計算機の入れ替えの為に出勤。

 お母さんとお兄ちゃんは、岐阜で行われた「ふれあいマラソン」に出かけて行った。車

椅子の部に出場し2人で800mを完走して、敢闘賞を貰って来た。

 

     最悪の結果に終わった1999年度の新春マラソン

 今日は風が身を切るような天気でした。でも第58回新春マラソン大会は開かれまし

た。

 スタートの合図と共に、競技用の車椅子に乗っている子た

ちは、ものすごいスピードで僕の前から姿を消して行ったの

でっす。ドンドン放されて行ったのです。

 まあ、昨年と同じだから、気楽に走りましょう、と思いな

がらも、家で練習した通りに手と足を上手い具合に動かしま

してスピードに乗ろうとやったのですが、一考にスピードに

乗れないのです。なんでだろうなと考えながら、のそりのそ

りと車椅子をこぎ続けました。2周目に入ったくらいに、K

さんがメモリアルの競技場に帰ってきまして「O君、頑張って。」と応援してくれまし

た。

 でも希望が丘の生徒さんに楽々とぬかされ、前に出られたのです。彼は僕と全く同じタ

イプの車椅子でした。とても、悔しかったです。でも、その子はSさんやF君と同じ、両

手こぎでした。僕も両手漕ぎを使えば早くなるのかなと、心に悔し涙を流しながら思いま

した。

 学校で「3000メートル、新春マラソンで走るわ。」と、かっこいい事を言っていま

したが、今日僕が走った距離は800メートルでした。嘘をついてしまいました。

 

1999年1月6日 水

     最高学年の最終学期がいよいよ始まる

 学校生活最後の学期、高等部3学期が明日から始まる。

 高校3年生は、昨年だと在校生より1週間早く学校から消える。だから今年も、おそら

く在校生より1週間早く関養護学校から、高等部3年生は学校から姿を消すと思います。

 でも、3学期は1月に新春の集いがありまして、2月に共歩大会があって、おそらく3

月にテーブルマナーがあって、卒業式を迎えると思います。

 でも、高等部1年2年と、関養護学校高等部では、小学校や中学校では体験した事のな

い、喜び悲しみ、恨み憎しみ、初恋、恋愛、失恋、友情などなど、いろんな事を教えてく

れ、学ばせてくれました、関養護学校でした。残り3学期、頑張って登校して最後の思い

出作りをしたいと思います。

 

1999年1月7日 木

 暖かかった今冬もようやく冬らしくなってきた。午後からは強風が吹き、寒い1日にな

った。明日からはもっと寒くなるそうである。

 今日からお兄ちゃんの3学期が始まった。明日からは弟も3学期が始まる。夫々が区切

りに向けての3ケ月の始まりである。

 

1999年1月8日 金

     雪が車の自由を奪う

 今日の朝、母屋に朝食を取るために外に出たら一面銀世界でした。

 コリャア、今日は学校に行けるかと思いながら、手すりに積もった雪を落としながら母

屋に行きました。今まで欠席したのは1学期の2日だけで、2学期は欠席はなかったので

3学期も欠席しないぞ、と思っていました。

 しかし、昨日の夜から今日の朝まで雪が降っていました。学校から電話がかかってこれ

ば、公欠扱いで欠席にはならないのです。

 でも学校から電話はかかってこなかったので、車に乗り希望が丘に向かいました。で

も、タルミ鉄道のあたりでタイヤが雪を噛みまして危ない場面がありました。今までにな

い動きを車がしたのです。そんなもんで、恐る恐るUターンしまして、ゆっくりと家に帰

ってきました。

 

1999年1月11日 月

     新春マラソン大会で、走れなかった走り方ができました

 今日の養訓の授業から、2月に開かれる共歩大会の練習が始まりました。

 僕は長良川ふれあいマラソン大会で、自分なりに考えた走り方で走り、新春マラソン大

会ではその走りができず涙を飲みましたが、長良川ふれあいマラソン大会で考えた走り方

が、今日の養訓の授業では思い出したみたいに走る事ができました。スケートを滑るよう

に、走るのです。

 左手のこぐ力と、両足の動かし方を上手い具合に動かすと、スケートを滑っているよう

に、走れるのですが、今日は雪が所々ありまして、とっても走りにくかったです。雪の上

に車輪が乗っかると足は役に立たなかったのです。なので左手だけで車椅子をこぎまし

た。Kさんの歩行車も雪につかまり、怖がりながら走っていました。でも今日の養訓の授

業で、上手く走るコツのようなものが、なんとなく掴めてきました。

 

1999年1月13日 水

     新春の集いで初めて賞を頂いた

 今日の2時限目から、体育館で新春の集いが開かれました。

 毎年、新春の集いでは、弱視と言う僕の障害を憎みながら参加してきました。カルタの

札に顔を近ずけながら、やっていました。でも、国語の授業では、ひらがなのカルタ以外

のカルタは、N君やKさんより多くのカルタの札を取っていました。

 (これは、新春の集いの時に、何か賞もらえるっかも。)と思いながら今日の日を迎え

ました。どんなもんかと思いながら始まったひらがなのカルタ取り。僕は自分の前にある

カルタの札を覚えるだけ覚えました。

 Mo先生が上の句を詠んでいる時、僕は最初の文字を瞬間的に探して「ハイ。」と言う

声を出してカルタの札をとって行きました。

 すると、なんと、ひらがなカルタの部では信じられない事に18枚でトップでした。後

の部のカタカナカルタと、漢字カルタは、N君が20枚を取りました。

 情けない事に、足が痺れて来てしまったのです。だから、余りカルタの方に集中できな

くて、カナカルタが18枚、漢字カルタが15枚の結果に終わりました。でも、賞が頂け

たのでとても嬉しかったです。

 

1999年1月15日 金

 今日は弟を除いた3人でテレビ三昧。午前中はアメリカ製「ゴジラ」、午後は「タイタ

ニック」。ズーと一緒に見ていたお兄ちゃんは、夜になった「腰が痛い!。」と言い出し

てしまった。「まるで正月をやっているようだネー」と言いながら過ぎた1日だった。

 弟は午後から2人の友達が来て、夕方まで一緒に過ごした。何をやっていたのかな、大

丈夫?。

 

1999年1月16日 土

     名刺の住所打ちを1人で

 今日の午後から名刺の住所打ちをやりました。

 いつもはお母さんと一緒にやっているのですが、今日はお母さんに住所を紙に書いても

らって、1人で名刺の住所打ちをやりました。

 だいぶ、名刺の住所をどのあたりに打って、郵便番号をどのあたりに打って、電話番号

やファックス番号などを打つ場所も分ってきました。この調子で頑張れば、杉の子園でな

んとか働けるかなと、思いました。

 でも、数学の卒業認定テストが、合格の印がおしてもらえるか、とても心配です。弱視

の僕には、お手上げ状態の(表を見て、グラフに表せ。)と言う問題だから、合格点数を

取れるかどうか、際どい所なのです。

 

1999年1月20日 水

     障害者の鏡のような人、レイナさん

 今日の総合の授業は2年2組の研究授業で、僕たちは、障害児として生まれてきて、両

手が無く、片足に障害を持って生まれてきた、レイナさんの生涯を見ました。

 (両手が無い人は、足で頭の毛をとくのよ。)と看護婦さんに言われた事がありました

ので、両手が無くして生まれてくる人がいる事は知っていました。でも、今日のようにビ

デオで見るのは、初めてだったので、両手が無いといかに大変かが見れる事ができたので

良かったです。

 しかしレイナさんは、そんな事関係しないぐらい明るく元気でした。もし僕がレイナさ

んみたいに両手が無かったら、僕は親の負担に耐える事ができず、自殺を実行していたと

思います。それと、競泳でゴールドメダルを何個も取るとは「すごい。」の一言では、言

い表せないぐらい、りっぱだと思いました。

 競泳で泳いでいた泳ぎ方はクロールでした。アトランタオリンピックの競泳で、僕が見

たのは、レイナさんと同じく両手が無い人でしたが、その人はバタフライで泳いでいまし

た。レイナさんから見れば、僕なんか両手は付いているからまだまだ頑張れる、と思った

りしました。

 

1999年1月23日 土

 お兄ちゃんとお母さんは、残り少なくなった学校での訓練会へ出かけて行った。

 弟は明日は受験(私立高校での腕試し?)、明後日から学期末テストが始まると言うの

に、友達が2人きていた。怒っても仕方ないわナー。

 

     指先を動かす運動をした方が良い

 今日の10時頃、学校の訓練会に行きました。

 前回と同じくEd先生が僕の担当でした。最初に下半身の足から腰にかけて訓練を受け

ました。「膝が真っすぐ伸びない子もいますからね。」と言っていました。その後に僕の

手について話してくれました。「O君は囲碁や将棋はやった事がある。」と聞かれまし

た。お母さんは「囲碁や将棋はやった事がないもので。」と言ったのです。そしたら「指

先の運動やった方が良いよ」。「指先を使う事によって、脳に刺激を与えた方が良い

よ。」と言われました。

 でも脳に刺激を与える時間が、脳に刺激を与えるものがあまりないのです。脳に刺激を

与えると良い、と言う事は前から知っていましたが、なかなかできないのです。めんどく

さい事はやりたくない、疲れるような事はやりたくない、と言う怠け癖が知らないうち

に、身に付いてしまったようです。

 

1999年1月24日 日

 新しいパソコン用のキーボードカバーがようやく来た。これでお兄ちゃんも新しいパソ

コンが使えるようになったのだが、今日はお兄ちゃんが使えるように環境設定。色々機能

を持っているとは言え、障害者に優しい設定はなかなか出来ん!。

 夜は少々早めの、弟の15才の誕生祝。何となく照れくさそうにしていたナー。これか

ら何回出来るんだろう?。

 

     やっと使えるようになったウィンドーズ98

 今週の金曜日頃に、やっとウィンドーズ98のキーボードカバーが来ました。

それで早く使いたかったのですが、キーボードカバーがしっかりとはまらず、僕にとって

は使いにくいかなと思いました。でも、学校のパソコンとキーの位置がほぼ同じだったの

で、そんなに苦労しませんでした。

 ですが小文字の(つ)が出せなかったのです。まえまで使っていたパソコンは、ぁ、

ぃ、ぅ、ぇ、ぉと以外のキーをダブルクリックをすれば小文字の(つ)が出たのですが、

98は出ないのです。そんなもんで、かなり苦しんで日記を書いています。

 なので日記を書いたり、詩を書いたり、手紙を書いたりするのが、時間がかかるかな、

と思いました。慣れれば、そんなに時間はかからないと思いますが。

 

1999年1月26日 火

 今週の日曜日からお兄ちゃんが、新しいパソコンを使い始めた。しかし、今までのパソ

コンと使い勝手が違うらしく、今日も「日記のプリントが上手く出来んナー」。今までの

パソコンにかかった程ではないにしても、やはり、慣れるのに時間がかかりそうだ。少し

でも使い勝手が良くなるよう工夫もしなければイカンナー。

 

1999年1月28日 木

     カレンダーの色付けが1人でできるようになった

 今日の商業授業はとっても楽しかったです。だって、1年生から商業で頑張ってきたの

に、今までで1番楽しく、ためになった勉強ができたと思います。だって、今までは文字

の色付けなんかは先生にやってもらっていました。

 でもUh先生は、僕が今までに体験した事のない、カレンダーの土曜日や日曜日の色付

けをやらしてくれました。色の指定は僕には難しくて、全然できませんでした。でも、先

生に色の指定をしてもらってから、僕が操作をして日にちの数字の色を青や赤に変えて行

きました。

「コントロールを押して、確定を押して、指定する場所を決めて、確定すると。」と言っ

た順番で操作すると、土日の数字が青や赤に変わるのです。擬態して色を変える動物たち

のようでした。

 

1999年1月31日 日 

     人差し指を使っているようで使っていない

 今日の朝食はピザトーストでした。僕がお母さんに頼んで作ってもらったピザトースト

でした。僕は早く食堂に来てピザトーストをムシャリムシャリと食べていました。ピザト

ーストにはコーンが乗せてあったのですが、そのコーンをポロポロとこぼしてしまってい

たのです。

 それで落ちたコーンを拾い、口に入れようとしたのですが、コーンが人差し指と親指で

摘む事ができなかったのです。機用だと思っていた左手にこんな弱点がある、これは僕も

うすうす気づいていましたが、人差し指と親指で錠剤が摘めなくなってきたのです。ハッ

キリ言ってショックでした。

 

1999年2月1日 月

 パソコンを使っていたお兄ちゃんが「スピ−ドが早すぎて印刷が出来ん」。意味が良く

わからなかったが、どうやら「対象範囲の選択」をするのにスクロールが早過ぎる、とい

うことらしい。高速のCPUを買ったのだが、それがこんな事になるとは...。チョット

調査が必要だ。

 

1999年2月3日 水

 小雪の降る寒い朝。昨日から今冬一番の寒気団が日本に来ているそうだ。お兄ちゃんは

「今日はどうしても学校に行きたい」と言っていたが、学校から電話があり「今日は公休

だって」。

 お父さんは、道路が氷結しているにも拘わらず自動車で出勤。恐々家を出たが、大通り

に出ると滑る事はほとんどなかった。

 今日1日寒かったが、明日もこの寒さが続くとのこと。明日は自動車での出勤は無理か

な?。

 

1999年2月4日 木

 今冬一番の寒い朝(名古屋でも-5℃だったそうだ)。雪は少なかったが、道路は真っ白

で自動車出勤は無理。早めに出て電車で出勤する。

 そんな状態にも拘わらず、お兄ちゃんは「学校にどうしても行く」と言ってきかなかっ

たとのこと。お母さんが9時頃に関まで送って行った。その時間帯でも、道路は所々で氷

結していたそうである。危険なことは止めて欲しい、と思うのだが...。

 

     図書委員長が不在だったので、副委員長の僕が仕切ってしまった

 今日の5時限目は国語ではなく委員会が入っていました。委員長のY君は体調不良で委

員会には出てこないから、僕はどうしようかと悩んでしまいました。

 でも担当も先生が助けてくれまして「前回の委員会で、反省とか予餞会で言う事も決ま

ったので、なみもやる事もないので本を読みますか、ビデオを見ますか。」と皆さんに聞

きましたら「ビデオがいいな。」と言う事でしたので、ビデオを見ました。

 みんなの前で言うのは余り好きではありませんが、A軍団のN君やnさんが、僕の言う

事を聞いてくれるから気持ち良かったです。A軍団最強の頭脳を持つ生徒の上に立ってい

るようでした。そう、めったにできない体験をしました。

 

1999年2月10日 水

 昨日から弟がインフルエンザに罹っていて今日も休校(と言っても、学級閉鎖になって

いるのだが)。しかし意外と元気である。

 お兄ちゃんは「弟の風邪がうつるといやだから、一緒に食事はしない」と言い、更に家

の中でもマスクをしている。それだけ学校に行きたいのだろう。

 

1999年2月11日 木

     インフルエンザの魔の手から逃れるために取った策

 弟がインフルエンザの魔の手にかかってから今日で2日目。その間、弟と1度も会って

いません。だって、インフルエンザにかかると、高熱が出て節々が痛くなって生きている

感じがしないのです。去年やりまして、僕が今までに経験した事のない高熱、41.5度

と言う熱を出しまして1周間ほど休みました。だから、弟とは1周間ぐらい会えないので

す。

 1週間後は共歩大会当日なのです。弟を避け続けないと共歩大会やテーブルマナーに出

れないので、弟と会わないようにしたいと思います。

 インフルエンザにかかったら登校停止処分が出て、Yさんに会えないのです。後22日

しか登校できないのだから、インフルエンザなんぞにかかってたまるか、と思いました。

 今まで、1年2年と欠席日数が、4日か5日だったのです。でも3年生は、今まで2日

しか休んでいないのです。だからインフルエンザに感染しないように、2月いっぱい気を

つけたいと思います。

 

1999年2月14日 日 

     マスクのゴムを口の中に

 今週の火曜日から、僕は弟と別々で、家族と別々で食事を取ってきました。

 今日の朝食はピザトーストでした。僕は1人で食事をしている時は、左側のマスクのゴ

ムをはずして食べていました。食事が終わった後、マスクができないからです。

 ピザトーストを食べていたらマスクのゴムが口の辺りにきたのです。でも(そんなもの

関係ないだろう)と思い食べつづけました。その考えが間違っていました。食べれるもの

と食べれないものとを一緒に食べるなんて、どうにかしていたのです。

 

1999年2月15日 月

 お兄ちゃんがパソコンに向かって、原稿台の文字を一生懸命読もうとしていた。卒業文

集に載せる作文をお母さんに大きな文字で書いてもらい、それを見ながら入力していたの

である。こんな様子を見ていると、何とか別の入力方法はないものか、と考えてしまう。

 今日は夕食後2時間ほど、連続でこの作業をやっていたそうである。

 

1999年2月16日 火

 お兄ちゃんの学校の文集作りの手伝いをする。素材集めの1つで「クリップアートで文

集に使えるものを選んで来い」との宿題である。結局、今日のお兄ちゃんの宿題は全部お

父さんがやったヨ!。お兄ちゃんとお母さんはテレビを見てた(クソ!)。

 

     12分台で1周できた

 僕は関養護学校の共歩大会に始めて参加しました。

 でも、練習のときに避けて通る所の上が、僕のスタートラインでした。だから出だしが

遅れたのです。車輪がくうを切ったのです。何でこうなるの、と思いながら車椅子の向き

を変え、力のある足で抜け出し走り出しました。そしたら、ゼッケン番号1を付けたYさ

んに会いましたが、かるく抜かす事ができました。

 長良川のマラソンもこんなに遅かったかな、と思いながら、前を行くKさんを追いかけ

ました。でもKさんに1度も会う事ができませんでした。でも、長良川ふれあいマラソン

大会でやった走り方、左手と両足を上手く使い、氷の上を滑る、スケートのように走りま

した。

 でも、周りに人がいない時はバック走行で走りました。蹴る力を弱めないように、蹴っ

た後は、足を上げたりしてスピードを弱めないようにしました。1週目の終わりのあたり

で、寄宿舎の先生らしき人から「O君、早いね。」と言われましたが、「いいえ、僕は遅

いです。」と言い返しました。でも、その言葉で、慌てふためく僕の気持ちも少しわやわ

らぎました。

 Kさんの姿がもう見れないなと悟ったので、僕は少しでも良いタイムを出そうと走りま

した。2週目に入ってすぐの時、つまずいてしまい、体制を立て直すのに2分か3分無駄

にしてしまいました。もう駄目と思った僕は、向きを変えバック走行にかえゴールを目指

しましたが、寄宿舎のあたりは怖いので、前向きで走りました。

 ゴール前に来るとSj先生が「後、何メートル、何メートル。」と教えてくれました。

やっとの思いでゴールテープを切った時、Mg先生が「24分何秒。」と教えてくれまし

た。(へえ、24分台と言う事は、新春マラソン大会よりは、早いタイムだな)と思いま

した。この走り方を忘れないようにして、今度のマラソン大会に使いたいな、と思いまし

た。

 

1999年2月18日 木

     スープがスプーンで飲めた、当たり前だけど僕にとっては

 今日の昼食はテーブルマナーで、「ステーキ杉山」に行きました。

 (どんな料理が出て来るのかな)と楽しみにしていました。そしたら、最初のうちは、

僕の食べにくそうな料理が出てきまして、(フランス料理とは、僕の口に合わない物が多

いな)と思いました。それでも、今までに味わった事のない味だったので(変わった味だ

な、とか材料は、何だろな)などと考えながら食べました。

 色々と考えながら食べていたら、スープが机の上に置かれました。(スープをスプーン

を使って飲んでみよう)と思いました。僕は今までスープをスプーンを使って飲んだ事が

ないのです。お母さんにすくってもらって飲むか、ストローを使って飲むかのどちらかだ

ったのです。

 音を立てないように気を付けてのみました。でもスープが少なくなってくると、どうし

ても音を立てて飲んでしまいました。マナー的には、いけない事だと分かっていました。

でも、友達のあるグループは、ホークとナイフで「ガチャガチャ」やりながら食べていた

ので、許されないとは思いますが、今は許していただくしかないと思いました。

 今度、このような機会がありましたら、気を付けたいと思います。

 ステーキの方は、ステーキハウス、ブロンコビリーのように鉄板の上に乗ってくるのか

と思ったら、普通の皿に乗ってきました。でも、ステーキにかけるソースはブロンコビリ

ーのソースとよくにていました。プーンと臭ってきた臭いで、何となく分かりました。

 

1999年2月25日 木

     ネクタイは、半身麻痺は難しい

 今日の5時限目から6時限目までは、身だしなみ講習会が開かれました。

 1番心配だったのはネクタイの締め方でした。だって、ネクタイは首に密着していない

と(身だしなみがなっとらん)と思われるはずだから、ネクタイは余り締めたくは無かっ

たのです。気管切開をしているから、そう言う気持ちが強かったからです。

 でも、Ts先生に前もって言っていたので、僕が心配するほどの事はなかったです。で

も、Ts先生の実技を見ても、どう見ても両手を使わないとネクタイは締めれないな、と

言う事は分かりました。

 さて、僕とH君はどうやってネクタイを締めるか、Ts先生のようにやっても、首には

巻きつかないのです。何でかなと思っていたら、Ft先生の指導で、最初にX字にしてか

ら首に巻く事はある程度分かったのですが、その後は首の近くを触るので僕はできません

でした。

 ネクタイを締め終わった後にネクタイの結び目を整えるのにも、両手を使わないとでき

ない所がありまして、そこでも僕はなにもできませんでした。半身麻痺と気管切開が、僕

からネクタイを遠ざけているのは分かります。

 最後にネクタイの締め方には、卓球やテニスのようにシングルとダブルスの2通りの結

び方があるそうです。僕たちは、シングルを習いました。やり方だけはだいたい覚えまし

たが、これが後になってできるかどうか心配です。

 

1999年2月26日 金

     予餞会、第2幕で大失敗

 今日は3年生の卒業式の前夜祭のような会、予餞会が開かれました。

 第2幕の給食室を会場にして開かれた時の事です。

 3年生の出し物のマイグラデーションはだいたい歌えたと思います。在校生や先生の顔

を見ず(卒業おめでとう)と言う紙を見ながら歌いました。まあまあ、3年生の出し物は

上手く歌えたかなと思いましたが、クラスごとに在校生に言う言葉が全然駄目でした。

 在校生に言う言葉は、2、3日前から考えていて「先生方ほか、生徒の皆さんから、色

々な刺激を受け、成長してきたと思います」。「僕は、3月12日に関養護学校から巣立

ちます。」などと言おうかと思っていましたが、緊張度がテッペンまで上がってしまい、

何を言っているのか分からないまま終わってしまいました。

 こんな所で、在校生がみんな見ている前で、こんな恥を掻くなんて、恥ずかしくって、

顔からメラメラと火が出るような思いでした。でも、Yさんは「O君、かっこ良かった

よ。」と言ってくれたので、少しは心が落ち着きました。Yさんの一言が、僕の心を救っ

てくれたような気がします。

 

1999年2月28日 日

     Uh先生の指導があったから

 最近の僕の日記は、1月までの日記とは違ってきたはずです。

 題名の字が大きかったり、題名の字に色が付いていたりしませんか。それは、みんなU

h先生から商業の授業の時に教わった事なのです。その事が、家でできるようになったの

です。

 最初はお父さんの力を借りてでしたが、学校でやっている事とほとんど変わりませんで

した。

操作は、字を黒くして書式の文字スタイルをクリックすると、色が何種類と出てくるの

で、その色をクリックすると、字がその色に変わります。字を大きくするのは、パソコン

を半角英数にしてから、文字の大きさを変えるのを出して、数字を打つと大きくなりま

す。昨年、一昨年と、このような事は一切教えてもらえなかったので、とても嬉しいで

す。Uh先生に感謝しています。

 

1999年3月2日 火

     手術の準備がいよいよ始まった

 国語の授業を早めに終わって県立病院に診察に行きました。

 初めは毎回やってもらう診察を受けました。それで、お母さんが主治医の先生に「喉は

いつ頃ふさぐのでしょうか。」と聞いたのです。そしたら、主治医の先生は「O君は学校

を卒業する頃はには、大人の体になっているから大丈夫だと思うけど。」

 (手術しても、喉に菌がいると手術ができない)と言う事で、検菌を主治医の先生にし

てもらいました。入院中はこの検菌に何度も泣かされて、個室に隔離された覚えがイヤと

言うほどあります。

 診察が終わった後、首のレントゲンを取りにレントゲン室へ。気管が、今どのようなぐ

あいか見るために。入院するのは、まだ未定ですが、ゴールデンウイーク明けを予定され

ているようです。

 

1999年3月3日 水

 最高気温が15℃を越えた。久しぶりに暖かい1日だった。

 お兄ちゃんは、学校が入試の為休校、散髪に行った。

 弟は今日も夜の塾。1日から始まった受験前の集中講義である。今日で3日目、9日ま

で連夜の塾通いである。両親は安心できるが、本人は大変だろう。後少し、頑張って欲し

い。

 

     卒業準備もチャクチャクに

 今日の午前中に床屋さんに行きました。ボサボサ頭だったので(これでは、卒業式の日

に、Yさんとツーショット取ってもらえそうにないな)と思い床屋に、それから、学校生

活最後の卒業式だから、良い思い出ができるように、床屋さんに行きました。

 その後に革靴を買いに行きました。だって、ブレザーにネクタイの下が、スクールシュ

ーズでは合わないので、革靴を買ってもらいました。これで、卒業式の服装はだいたい揃

ったので、後は卒業式までやすまないように気を付けるだけです。

 

1999年3月5日 金

     初めて領収書を作った

 今日の商業の授業は、領収書とやらをUh先生の助けを受けて作りました。

だいたい、僕は領収書と言う言葉は聞いた事はあるのですが、領収書と言う物が、いつ、

どんな時につかわれて、どんな役目をするのか全くもって知りませんでした。

 領収書は、簡単に言えば販売者と買い手との確かめをする紙と僕は取りました。「商売

人にとって、領収書は無くてはならぬ物もんなんだぞ。」とUh先生が教えてくれまし

た。

 売買の金銭関係を司るのが、領収書だったら、僕はえらい仕事をやっているのだなと思

いました。

 

1999年3月7日 日

 お兄ちゃんとお母さんは午後から、(宇宙飛行士の)向井千秋さんの旦那の講演を聞き

に行った。雨の中でもあるし、鼻をグズグズさせていたお兄ちゃんは、何となく気が乗ら

ない様子だったが、それでもお母さんにセッツかれて出かけて行った。

 

     0回より1回、1回より2回 向井まきおさんの公演

 今日の3時ごろから県立図書館のホールで,向井ちあきさんのだんなさんのまきおさん

が、長々と公演をしてくれました。

 僕が,1番印象に残った事を書きます。それは「2回,ちあきさんは、宇宙に行ってい

ますが,あなたたちも頑張るように。」と言われたような気がしました。

 僕はその話を聞いていたら,障害者甲子園の事を思い出しました。「1回目は,まぐれ

かもしれないからな。」と言っていたからです。僕は,障害者甲子園に2回行っているか

ら自信もついたのです。

 まだまだ,色々な話しもしてくれました。NASAの関係する話などなど、僕の知らな

い事を楽しく話してくれて、一つの課外授業のようでした。

 

1999年3月10日 水

 弟の卒業式。卒業生を代表して寄贈品の目録贈呈をやったそうである。「女生徒の中に

は泣いている人もいたけど...」。本人は結構醒めている感じである。

 弟は明日受験日。しかし、周囲が気を使っているほど本人は気にしていないな!。

 

1999年3月12日 金

 関養護学校の卒業式。

 お母さんも「ようやく終わったワー」と言う感じだそうだ。お母さんにとっては長い忙

しい3年間、お兄ちゃんにとっては充実した3年間だったんかな?。

 卒業アルバム、卒業証書等々色々な記念品を貰って帰って来た。大切にするだろう。

 

     マイグラデーション、数多き思い出からさようなら

 今日は嬉しさと悲しさがクロスする卒業式です。

 関養護学校での思い出を積み上げると,世界の屋根と言われている

 山、チョモランマより高くなると思います。

 ふれあい祭で3年A組の女の先輩と親しい関係になって、文通をし

 て、お互いの気持ちを確かめ合ったりしました。

 授業の方では、各教科の中で初めて数学のテストで100点を取っ

 た事かな。

 2年生は,美術クラブで作った壷を見て、好きな女の子に「O君の壷キレイ。」と言わ

れた事です。壷の模様は、古代マヤ文明の絵に似せた絵を描いたからかな。 女子生徒に

恋をして,女子生徒に捨てられて、恋の脆さを知った学年でした。

 夏は,親の介助なしで近畿の方まで行きました。

 最高学年になって,総合学科のテストで2回も100点を取りました。最後の彼女にな

るだろうと思う彼女と劇の練習をして、恋の美しさを知りました。

 僕たち3年生が主役の卒業式。かしこまった式でかしこまった服装でいると、心が静ま

り返って余り好きではありません。でも,色々な障害を持って、色々な人間模様を持って

いる、友達や彼女たちと巣立ったり、巣立ちを見送ってもらったりしました。

 最後の彼女と、ツーショットも取ったり、友達と写真を取ったりして、別れを悲しみ合

いました。

※ 卒業式の写真を

「関養護学校V・番外編」

に載せました。

 

1999年3月13日 土

     校庭を回り,あの頃の思い出をふりかえる

 昨日卒業した関養護学校に、また足を踏み入れた。それは,訓練会に参加したからで

す。僕にとっては最後の訓練会だからです。最初は「働き始めたら,絶対体は堅くなるか

ら。」と言う事で、色々と指導を受けました。

 その後で「散歩をしよう。」と言う事で、校庭を皆で回りました。

(そう言えば,このマンホールの上で出遅れたな,共歩大会の時)などと思って進むと,

遊具の所に出ました。(ここでは,絵わせや宝捜し、旗取りなんかもやったな)と懐かし

く思いながら,グランドの前を通りました。そこは,赤団と白団の大勝負が繰り広げられ

た戦場だったのだなと、昨日のように思い出します。寄宿舎の前当たりに来ると,スカー

トが良く似合うKが共歩大会の練習で走っている所が、目に焼き付いています。

(思い出を沢山ありがとう。)と心の中でお礼を言って...。

 

1999年3月15日 月

 お兄ちゃんは名刺作りを一生懸命やっているが、使っているソフト(「筆自慢」)の入

力文字を大きくするのに制限があり、入力した文字を確認できない。”勘”でやっている

ようだ。これから授産所(「杉の子園」)でもやる事になりそうだが、何か上手い方法は

ないものかナー。

 

1999年3月16日 火

     喜びと不安がクロスした気持ち

 今日の午後から県立病院に行きました。検菌の結果を心配しながら。でも僕があれほど

心配したのに,結果は「−だったから,後2ヶ月の心棒だよ。」と主治医の先生に言われ

ました。(これで,日記の書く時間がかなり増えるし,僕の自由に使える時間も増え

る。)だけど(入院中に何がおこるか分からない、入院中に何も起こらなければ良いので

す。)

 でも,4回手術していますが,4回ともある菌につかまり,何ヶ月と個室に隔離されてき

たのです。だから,今回も個室に隔離されると思います。でも,個室のほうが安全かもし

れません。だって,外部との接触が、大部屋に比べて少ないから。どっちに転んでも,僕

やお母さんは,楽になるはずだから、風邪を引かないように気を付けて手術に備えたいと

思います。

 

1999年3月19日 金

     楽しい事があるから好きだな、杉の子園は

 今日は午前中だけ杉の子園ですごそうかなと思いまして、杉の子園に行きました。それ

で,僕のできる仕事が見当たらなかったので組紐をやりました。

今組んでいるのは,組み方の名前も分からないのですが,最近になってやっと組み方を覚

えたかな、と思っていて組んでいたら,何かがおかしいのに気づいて、お母さんを呼んだ

りして午前中は終わりました。

 昼食は,おいしいおいしいお好み焼きでした。しかし,食器道具を持ってこなかったの

で,Td先生にホークの上に箸でお好み焼きを乗っけてもらいました。家で食べるお好み

焼きとは、何か味が違うのです。何が違うのかが分からないけど,とってもおいしかった

です。

 お腹いっぱいになったところで、Skさんにパソコンの指導をしもらったのですが、周

りがうるさくて何もできなかったです。その間,おばさんたちの話しを、にそにそにやに

やして聞いていました。

 3時すぎになったので、もう帰ろうかなと思いTd先生に電話をかけてもらった後,F

tさんの一言「若い子のあれ、見てどうやった」。僕はこの言葉を聞いて、大笑いしてし

まいました。Td先生がYdさんに一言「見たい」。僕は,どちらでもいいのですが。

 杉の子園は、色々な刺激を受けることができて、大好きです。

 

1999年3月20日 土

 弟は目的の高校に合格して、今は「毎日が日曜日」である。そして高校生前の青春を充

分に楽しんでいる様子。学校の宿題があるそうだが、そんな事お構いなし?。

 夕食はお兄ちゃんの卒業祝いと弟の合格祝いで外食。我が家にとって、今が最も落ち着

いた(ノンビリ出来る)時期かな。

 

1999年3月21日 日

     万歩計を腰に付けて

 昨日の午後,ほんの数時間で何歩歩いたかやってみました。と言うか,お母さんに無理

やり万歩計を付けられてしまって歩きました。歩くのは,別に苦にはならないので、ガチ

ャンテクテクと、歩きました。廊下を3往復して,歩数を稼ぐためにトイレにも行きまし

た。歩くと「カチャカチャ。」と言う音が聞こえて、心臓の音を聞いているようにも聞こ

えたりしました。

 

1999年3月22日 月

     肌を指す風の中で運動

 昨日今日と風が冷たくて,運動しに行くのも勇気が要りました。

 だって,僕のいる部屋は暖房がみっちりとかかっていて、僕が1番すごしやすい環境に

なっているのです。そんな環境の揃った部屋から,冷たい風がようしゃなくふきつける外

で運動をやりました。最初のうちは,がちがちだった体も,何種類の運動をやって体をほ

ぐしました。

 朝,お母さんやお父さんが「雪が降ってるぞ。」と言っていたのですが,僕には雪は見

えませんでしたが,運動をやり終えてから後ろを見る粉砂糖のような小さな雪が降ってい

ました。どれだけ寒くても毎日やらなければ,力はつかないのです。この力が,マラソン

の時に役立つのです。

 

1999年3月25日 木

     BS9チャンネルが移るテレビが運動中にやってきた

 昨日,運動の最後の運動の腕立て伏せらしき運動をやっていましたら、駐車場に軽自動

車が2台入ってきました。(何が来たんだ。)と思いました。その人たちの話しを聞いて

いたら「テレビを配達しにきました。」と言う事でした。(こんなに早く,液晶のテレビ

でBS9チャンネルが見れるなんて。)と嬉しく思いました。

 その日の晩は8時からNHKの番組「ためしてがってん」を見たかったのですが,テレ

ビを見始めたのが7時40分ぐらいでした。もっと早かったかもしれませんが,時計を見

たら7時45分でした。

 (ア、BS9チャンネルでも見てみよ。)と思って見てみたら,結ばれぬ男と女のミュ

ージカルをやっていました。「映像がキレイだぞ。」とお父さんが言っていましたが,弱

視の僕にはいまいち分かりませんでした。

 

1999年3月29日 月

     新しい組紐にもだいぶ慣れたけど,まだ・・・・ 

 今日はお弁当を持って杉の子園に働きに行きました。

 「午前中は僕の嫌いな袋づめだよ。」と,Td先生に言われました。

 なので,組紐をやる事にしました。家でも,ちょくちょくとやっているので,だいぶ慣

れましたが、家と杉の子園と組紐の台の高さと椅子の高さと違うので、最初のうちはやり

にくかったです。でも,ある程度組紐の組み方も、マスターしつつあるのですが、始めか

ら終わりまで集中してやらないと,どこかで間違います。それに、良く似た色が隣同士で

あるので間違えやすいです。でも,あの組紐も「後,半分ぐらいだよ。」と,お母さんは

言っていました。(後,半分もあるのかよ)でも、頑張ってこの組紐を仕上げたいです。

 

1999年3月30日 火

 お兄ちゃんの気管支の縫合手術が5月7日に決まった。前から「もう縫合しては」と先

生に言われていたので、心配は無いと思うのだが...。「ゴールデンウィーク中に美味し

い物を沢山食べて、手術を向かえよう」と言う、お母さんの心使いである。

 入院は1ケ月程だそうだが、これが本当に最後の手術・入院になりそう、頑張って欲し

い。

 

     手術日決定 苦しさの後に喜びがあるか

 今日の午後から岐阜県立病院に行きました。看護婦さんに呼ばれ診察室へ、柳田先生の

話を聞くと「MRSAは無かったけど、他の菌がいました。」「このぶんだと,手術はで

きそうね。」と言われました。(これで時間が有意義に使える)と思ったりしました。

 しかし、それは退院後の事で、入院中はおそらく苦しい事、嫌な事が数多くあると思い

ます。

それを乗り越えてこそ、喜びがあると思います。

 手術日は、ゴールデンウィーク明けの5月7日、入院が5月6日です。風邪を引かない

ように、今日から気を付けます。

 

1999年3月31日 水

 残業で久しぶりに帰宅が遅くなった。10時頃だったが、皆がテレビに夢中になってい

た。こんなノンビリした休日も今日まで。明日からは、お兄ちゃんは(授産所の)杉の子

園へ出勤、弟は塾が始まる。新しい生活、新しい生活環境での活動が始まる。

 

 

 

  

 

「関養護学校V・後編」は以上で終わりです。

又、7年3ケ月間に渡った記録「自立にむけて」も

「関養護学校編」を持ちまして

一応の区切りとします。

▼ 

長い日記をここまで読んで頂きまして

本当にありがとう

ございました。

 感想や助言等がありましたらお寄せください。

   

 

 トップへ  「自立にむけて」  「自立にむけての記録」