「自立にむけて」 

  


 

1998年7月19日 日

     微熱がありまして、全ての運動が中断中

 今週の水曜日から微熱や高熱を繰り返してきた僕ですが、まさか夏休みまでこの状態が

続くとは思いませんでした。高熱は、今のところ僕の体を襲ってはいませんが、微熱があ

りまして、全ての運動が中断しているのです。

 毎日やっていた屈伸と懸垂の運動も今は中止しています。毎晩やっていたダンベル運動

も中止しています。夏休みにやろうとしていた、車椅子での両手漕ぎも、熱が上がる恐れ

があるのでやっていません。

 何もできない夏休みは、中学生生活でも高校生活でも今年が初めてです。高校生活最後

の夏休みがこんなんでは、夏休み明けも何がおこるか不安です。早く夏風邪を直さないと

マラソン大会でSさんに負けてしまうからです。

 

1998年7月21日 火

 お兄ちゃんは風邪が完治した状態ではなさそうだが、明日は「サマースクール」がある

と言う事で、それに備えて9時頃には就寝。自分を良く知っており、何かがあればそれに

向けて最善を尽くすお兄ちゃんの姿勢が良くわかる。

 弟も風邪気味との事。聞いてみると中体連(20日が最後の試合)の当日から喉がオカシ

カッタそうである。こちらはチョット?。

 

1998年7月22日 水

     Uさんと一緒にボーリング

 今日は、10時頃から岐阜養護学校でサマースクールが開かれたので参加してきまし

た。僕は、去年の最後のサマースクールで女子学生さんに受け持ってもらって、今まで体

験した事のない気持ちにさせられたので、今年も女子学生さんに受け持ってもらいたいな

と思っていたら、本当に女子学生さんでラッキーと思いました。

 その女子学生さんは、Uさんと言いまして、なかなか優しそ

うな女子学生さんでした。

 昼食の後、体育館でペットボトルのボーリングをやりまし

た。ボーリングだけは余りやりたくなかったのです。それは、

ボールがピンの方へ行かないからです。でも、ボーリングをや

る子が余りにも少なかったので、成績なんて気にする事もな

く、のびのびとやる事ができました。僕がボールを転がして、

ピンの立っている数をUさんが教えてくれてボールを持ってき

てくれるのです。

 そんな事をやっていたら、ボーリングをやっているのは、僕とUさんの2人だけになっ

てしまいました。そんな時、Kd先生が「O君、成績付けたるわ。」と言われてからは、

ボールはピンを嫌うかのように全然違う所に行くのです。何でだろうな、と思ううちに転

がして行ったらストライクがたった1回ありました。僕が、ボーリングをやっている時

は、Uさんはボールを僕にわたしてくれて、倒れたピンを立ててくれて何か僕だけ遊んで

いるな、と複雑な思いがしました。

 

1998年7月24日 金

     久しぶりの母屋での訓練

 最近、微熱があったりなかったりで、母屋での運動は中断していました。

 でも、水曜日頃から微熱もなく、サマースクールへ参加したり、木曜日は杉の子園へ行

ったりしていたし、だいぶ調子が出てきたなと思いました。そんなもので、久しぶりに母

屋での訓練をしました。四つ這い歩行をやって、平行棒での歩行訓練をやって、膝歩きを

1往復やって、片膝立ちをお母さんの解除でやりました。

 それが久しぶりにやったので、左足を前に出しては、お母さんにたよってしまってダメ

でした。でも右足を前に出しては、軸足の左足がシッカリしていたので、右足の時よりは

ましだったと思います。

 

1998年7月25日 土

     足に筋肉を付けるため余分に歩く

 微熱も収まりましたので、歩行杖で廊下を歩いています。トイレに行く時が杖を1番使

います。と言うか、トイレに行く時ぐらいしか杖を使わないのです。トイレに行く時は、

トイレの前を通り越して、洗面所に入って向きを変えてトイレに行くのです。足を少し疲

れさせてトイレに行きました。

 後は、杖を使って足が少し痛くなるぐらいまで歩きます。足に筋肉を付けるために、足

が少しぐらい痛かろうと疲れてこようと歩きます。そのくらい厳しくしないと足には筋肉

は付かないからです。それに車椅子で見ている視線より、はるかに杖で歩いている時の方

が、視線の位置が高いのでちょっと変わっていい気持ちです。

 

1998年7月26日 日

     押し花名詞の最後の工程をやる

 昨日の晩はテレビを見ながら、途中途中に押し花名詞の最後の工程をやりました。これ

も、1つのアルバイトでやりました。これは、お母さんの仕事を少し手伝っただけです

が、お母さんは「お兄ちゃんが手伝ってくれるだけでだいぶ助かるわ。」と言ってくれま

したし、「この仕事もいつかは杉の子園でやると思うから。」とお母さんは言っていまし

た。

 僕がやった仕事は、お母さんが名詞の紙に押し花をおいて、うすい透明なプラスチック

のような物にはさみまして、熱が加わっている所に送って、プラスチックのような物を溶

かして名詞にします。その仕事は2回やらないと完成しませんので、押し花名詞を熱が加

わっている所に入れるのが僕の仕事でした。熱が加わっている所に、押し花名詞を入れる

のがなかなか難しかったのです。僕の手前に箱をおいてもらっても、押し花名詞をシッカ

リと熱の加わる機械に入れる事が、最初のうちは上手く行かなかったけど、慣れるうちに

早くできるようになりました。

 

1998年7月30日 木

 今年は弟が高校受験という事で、毎年行っている家族旅行は近くでやることになった。

今日から明日にかけて、養老の近くにある上石津キャンプ場で一泊することになった。

 醒ケ井の養鱒場に寄って鱒料理を食べ、キャンプ場に向かう。

 家族が共同して生活する(一緒にいる)と言う事が少なくなっていただ

けに、ほぼ2日間一緒に過ごす事が出来たのは、それなりに意義があっ

た。

 

1998年7月31日 金

    自然に囲まれて&自然の神秘を感じて

 昨日と今日と家族旅行で、醒井養鱒場と関ケ原の鍾乳洞へ行きました。

 醒井養鱒場は、森林の中に池がいくつもあって、その池は自然の流れの

ようになっていて、その池の中には数えきれないほどの鱒が泳いでいたら

しいです。僕の目にはよく見えず、黒い物がいるなとしか見えませんでし

た。

 でも、たくさんの木に囲まれて自然に囲まれているな、と思っていたら僕の口から「え

え感じ。」と、言う言葉が何度も出てきました。養鱒場の自然に打ち解けた所が僕は大好

きだからです。

 昨日の夜は、バンガローに泊まりましてカードゲームのウノで遊びました。

 

 今日は、関ケ原の鍾乳洞へ行きました。僕も弟も鍾乳洞に入るのは2度目みたいでした

が、1回目は全く記憶になく、どんな所だろうとワクワクしながら入ってみて、1番最初

に感じた事は「寒い。」の1言でした。

 たしかに、鍾乳洞は岩石と水が作り出す神秘的なものだから、寒く感

 じるのは当たり前かもしれませんが、半袖では少し寒いかなと思いま

 した。

 でも、テレビの宣伝で見ていたよりも規模が小さかったので少し残念

 でした。でも、鍾乳洞の中で、化石化した海ユリの漢字が「海百合」

 と書くと、言う事が分って嬉しかったです。

 自然の優しさと自然の大きさを感じる事ができた家族旅行でした。

 

 

1998年8月1日 土

      障害者甲子園からお誘いを受けた

 昨日、家に帰ってゆっくりしていたら、お母さんが「お兄ちゃん、障害者甲子園からお

誘いの封筒が来ていたわよ。」と言ってくれたのです。

 僕は真っ先に、愛媛県の女子生徒に会えるぞと喜びました。それに、文通相手の女子高

校生にも会えるし、去年は初参加で、ボランティアの女子高校生たちに余りあまえる事が

できなかったので、今年はあまえれると嬉しいです。

 それに、今年は障害者甲子園に僕の名詞を持っていくので、去年よりも県外の友達がで

きると思います。

 それには、岐阜駅から西宮駅までの時刻表が覚えれるかどうかです。これを覚えない

と、女子高校生のボランティアには会えないしあまえれないのです。今日から指折り数え

て待ちたいと思います。

 

1998年8月7日 金

     四つ這う姿勢から胡座へ

 今日の午前中に希望ヶ丘でIb先生の訓練を受けました。

 最初の方は、家でやっているような訓練でした。でも、その時は尾てい骨が痛くてたま

りませんでした。

 でも、次の訓練がなかなか大変でした。四つ這うの姿勢から胡座へ行くのが難しかった

のです。Ib先生が言うには「O君は、股関節がかたいからこの運動をやった方が良い

ぞ。」との事でした。たしかに、僕は1日車椅子に座っていて、股関節なんか全くと言っ

て良いほど動かす事もなく硬直状態なのです。だから、学校から帰ってきたらベットに寝

て、股関節を動かした方が良いかもしれないと思いました。

 

1998年8月10日 月

     ネックレスの組紐が完成

 今日の9時半頃から杉の子園へ行きました。

 お母さんが「このネックレス今日にはできそうやよ。」と言うのです。たしかに、組紐

の糸は残り少ないのは分ってはいたのですが、今日の半日でできるかな、と不安な気持ち

が少しありました。でも、今日のうちに組み終われば、後は詩の作品を根気よくパソコン

に打ち込むだけだと思いまして、頑張って組紐を組み続けました。

 趣味で始めた組紐ですが、視力が弱いせいで、背中を猫のように丸めてしかできないも

ので、長時間やっていると背中と両肩が痛くなります。でも、これさえかたずけば、後は

楽ができる、僕はただそれだけを思いながら組み続けました。

 痛みを耐え抜いて組んだネックレスの組紐は何とか組み終わる事ができました。Td先

生がちらっと言ったのを聞いてしまったのですが、「O君のネックレス、売ってみよか。」と言っていたような気がしましたので、また、おこずかい程度ぐらいのお金がもし

かしたら入ってくるかもしれませんので、ほんの少しですが楽しみです。

 

1998年8月13日 木

 お父さんの盆休みも今日が2日目。

 午前中は、お母さんとかなり溜まっていた写真の整理(アルバム作り)をやる。3時間程やっていたような気がするが、整理出来たのは1/3程度かな?。ズーと座ったままで作業をやっていると、腰が痛くなってカナワン。近年腰痛を感じる事が多くなった。

 午後は弟と人工池の清掃。暫くやっていなかったので、汚れがかなりひどかった。しかし、こうして父子で協同することも少なくなってきているだけに、貴重な時間だった。

 

1998年8月14日 金

     ローマ字で、小文字入力もなんとかマスターかな

 2日前か3日前ぐらいから、パソコンでのローマ字入力で小文字が入った字が分るよう

になってきました。と言うのも、総合の宿題のAからBまで書いた紙を見てだいたい覚え

たので、小文字のある字を覚えてみようと思いました。

「しゃし」「しゅ」、を打つ時はSの後ろにYを付ければ出ると言う事を知ったので、S

の字を変えれば他の字も出るのではないかと思ったのです。

 ZYAと打ちますと「じゃ」と出ますし、ZYUと打ちますと「じゅ」と出ます。こん

な調子で打っていきますとおもしろい事が分ってきたのです。

 RYAと打ちますと「りゃ」と出るのです。GYAと打ちますと「ぎゃ」となるので

す。DYAと打ちますと「ぢゃ」となります。PYAと打ちますと「ぴゃ」となるみたい

です。まだまだ、色々な事が分ってきそうなローマ字入力です。

 

1998年8月16日 日

 昨日の夕方ぐらいから家を揺らすほどの激しい音が、「ズドーンズドーン。」と聞こえ

てきたのです。お母さんに聞いてみたら「根尾川の花火だよ。」と、教えてくれました。

 僕達家族は車に乗り込み花火見学に行って、花火を見て感じた事を、地球の火山噴火に

たとえて、詩を書きました。

 書いた事はいいのですが、クリップアートからその詩にあった絵を探すのに一苦労しま

した。クリップアートの中には、花火の絵がない事は知っていたので、どうするか考えて

いたら、花の横に火を張り付ければいいかと思いましたが、地球もほしいなと思って探し

ていたら、僕の予想をはるかに超えて時間がかかって、仕上がったのは昼過ぎでした。

 クリップアートの字が全く見えないので、思った絵を探すのは困難を極めるのです。

 

1998年8月17日 月

 お兄ちゃんとお母さんは、養護学校の先輩との会食に出かけた。弟も今日から塾の夏季

講習が再開されたのだが、塾まで送って行く人がいなくて、自転車で行くことになった。

 会社にいても心配で、ついつい家に電話をしてしまった。どうしても過去の事に引っ張

られてしまうナー。

 

1998年8月20日 木

 お母さんと子供2人が名古屋で行われた「四季」の公演を見に行った。車ではなく、穂

積の駅から名古屋の栄まで、公共の交通機関を使って行ったそうである。地下鉄は桜通り

線が開通して、エレベーターを使えるようになり、栄まではあまり人手を借りずに行け

る、とのことである。少しずつではあるが(特に都市部では)バリアフリーの施策が行わ

れるようになってきたと思う。

 そう言えば、公演の内容は何も聞かなかったナー。

 

 今日、障害者となって初めて公共交通期間の電車に乗って名古屋市に行きました。

 劇団四季のミュージカル・美女と野獣を見るためです。美女と野獣は、去年の音楽の授

業で見ているので、ある程度のストーリーは知っていたので、ミュージカルになるとどう

なるのかなと楽しみにしていました。

 歌のところと、言葉に音符を付けて言っているのと聞き分けながら、聞いていました。

舞台でミュージカルをしている人たちは、席が舞台から放れすぎていたので、ほとんど分

りませんでした。でも、クライマックスの美女が野獣を愛す所は、ミュージカルをしてい

る人たちは見えなかったのですが、強い光が劇場一面に眩しく光り輝いて、野獣が王子に

変身する所なんか、心がドキドキして愛の力はすごいなと思った反面、僕も燃え盛るよう

な愛をしたいなと思いました。

 

1998年8月23日 日

 今日の10時頃に、弟が塾の合宿にでかけました。

 弟は、昨日の昼頃僕に言ったのです。「僕は、8月23日から8月28日まで塾の合宿だけ

ど、僕が家に帰ってくる時はお兄ちやんは、家にはいないんだよね。」そうなのです。弟

が家に帰ってくる日は、僕は障害者甲子園に、朝からでかけているのです。

 僕は、8月25日から8月28日まで兵庫県や大阪府を行ったり来たりします。弟が2泊3日

で、僕が3泊4日でまるまる1週間会えないのです。寂しいような、嬉しいような変な感じ

がします。

 でも、弟は塾の合宿でたぶん高校受験に向けて猛勉強だと思いますが、でも、僕の方は

県外からの友達や、ボランティアの高校生たちとの交流がメインみたいなものですので、

弟とは違う楽しさをあじわってこれると思います。

 

1998年8月24日 月

 今日の午前中は、杉の子園に行きまして、夏休みの作品の青い敷物になる組紐を組み終

えてから、障害者甲子園第1日日の昼食は、電車の中で食べるし、去年は先輩が一緒に行

ってくれましたので食事の事は心配しなかったのですが、今年は1人で行くので、菓子パ

ンらしきパンを買って家に向かっている途中に事故が起こったのです。

 ある高校の前で、僕の乗った車は信号待ちをしていたのです。そんな時、僕の車の後ろ

にガッチャンという音ととともに、車が少し前に動いたような気がしました。お母さんは

道のど真ん中に車を止めて、外に出てぶつかった車の人と話をし始めました。

 その人は女子大生くらいの若い女性でした。なんでぶっかったのか、僕は耳を澄ませて

聞いていたら「よそ見をしていた。」と、言う声が聞こえてきました。

 若い人がよそ見運転もするものなんだなと思いました。こんな所で交通事故で入院とも

なったら、せっかく掴んだ障害者甲子園もだいなしだもんね。

 いよいよ、明日は待ちに待った障害者甲子園、色々な刺激を体いっぱいあじわってくる

ぞと思います。

 

1998年8月25日 火

 今朝8時頃に穂積駅をでた列車で、甲子園に1人で向かった。昨年は2人で参加した

「障害者甲子園」に今年は1人での参加である。

 午後から市内出張であったが、なんとも落ち着かない1日だった。早めに帰宅して「チ

ャント行ったの?」と言うのがお母さんとの最初の会話。

 一方、弟は今日までの2泊3日の塾の合宿。「マア、良かったヨ」と言って帰って来

た。こちらも又、別の意味で心配である。

 

1998年8月28日 金

 お兄ちゃんが帰ってきた。本当に楽しかったようで、駅からの車の中では、ズーと思い

出を話し続けてきたそうである。

 ただ、頭がズーと痛かったそうで、又疲れもあったのだろう早々に就寝。とにかくホッ

とした。最近の会社でのゴタゴタ続きも重なって気が重かったが、その内の1つの心配が

無くなったわけである。

 

※ 障害者甲子園関連の文章・写真等は

「関養護学校V・番外編」

に載せました。

 

1998年8月29日 土

 今日、2学期初めて関養護学校に行きました。スクールバスの添乗員さんに「障害者甲

子園どうだった。」と、聞かれたので、僕は「楽しかったしとてもよかったです。」と言

って、H君の乗る裁判所まで行きました。H君のあとに乗ってきたのがMさんでした。

 Mさんは、添乗員さんと障害者甲子園の事を色々と話し始めました。僕はMさんの話を

身を乗り出して聞き入りました。「聴力障害の子は、手話を使っていたから交流が難しか

ったわ。」と言っていました。たしかに、手話は僕も全然見当の付かない物でした。

 「私ね、西宮に行った日の晩ご飯食べていないわ。」と僕に話しかけてきました。

「嘘、何にも食べれなかったの。」と、僕は聞き返しました。その日は、稲光がピカピカ

と光っていました。

 「それからね、Fと友達になったよ。」Fとは、F・K君の事で去年の障害者甲子園で

僕がお世話になった青年です。

 次に、Mさんが僕に聞いてきた事は「街頭1分間スピーチの、緊張した。」と聞いてき

ました。「僕は、去年もやったけど緊張するね、Mさんはどうだった。」と、聞いてみた

ら「めちやくちや緊張した。」と、言っていました。人前で話すのはやっぱし緊張します

ものです。

 僕はMさんに聞いてみました。「来年も障害者甲子園に参加する。」と聞いてみたら、

「来年も参加したいな。」と、今まで僕に見せた事のない笑顔で答えてくれました。

 障害者リーダー全国大会障害者甲子園と言う大会で、前まで僕に話しかけてもくれなか

ったMさんが僕に話しかけてくれました。万遍の笑みで話してくれて、1学期のMさんと

は違う前田さんがそこにはいました。

 

1998年8月31日 月

 お兄ちゃんは今日から学校が始まった。「あまり疲れなかったヨ」と言って帰って来

た。 関養護学校から「障害者甲子園」に参加したのは5名。ただ1人参加した女生徒さ

んはかなり疲れたようだった、との事。

 弟も明日から学校が始まる。いよいよ受験勉強の季節なのだが、どれだけ変わるか

な?。

 

1998年9月1日 火

     両手漕ぎ&過去の漕ぎ方

 今日の体育の授業は、運動会に向けてのリレーの特訓のため、校舎の周りを回りまし

た。僕は、今年初めてリレーのでます。そのためにも、校舎の周りを両手漕ぎで回るつも

りでいないと、自団のみんなに迷惑がかかると思ったからです。

 それに、僕の右手も1年生の頃や2年生の頃と違って、僕の思い通りに開いてくれて、車

椅子の車輪をなんとか掴めるようになってきたのです。それに、運動会では両手漕ぎでリ

レーに出るつもりなので、頑張って両手漕ぎでみんなについて行こうと頑張りました。

 でも、慣れない両手漕ぎですから、見る見るうちにみんなとの差が開いて行くのを感じ

ました。なにくそと思ったら、Ns先生が僕の車椅子を押してくれて、みんなの後ろ5メ

ートルぐらいまで押してくれました。

 僕は、こんなんではいかんと思いまして、手が疲れたら足を使って、足が疲れたら手に

代えて車椅子を漕ぎました。二つの漕ぎ方を加えながら頑張ったのですが、結局どべでし

た。最後には背中が痛くて、No先生の診察まで受けるほど痛みが強くなっていたので

す。

 

1998年9月3日 木

 今日の10時から、友合プールで水泳教室が開かれました。最初は浅い方のプールに入っ

ていたら、僕が水着姿を見たいな、と思っていた2年2組のKさんとSさんが入ってきてく

れて、気付かれないようにジロジロと見つめていました。そんな女の子たちも大きい方の

プールに移ってしまったのです。

 今回も、ここで女の子達の背中を背を見ながら、また1人ぼっちで誰もいないプールの

中で自然が見せてくれる光の帯たちとたわむれるのかと寂しく思いました。

 でも、Yn先生が「O君、こっちの大きいプールにこやあ。」と言われたので、Sj先

生に連れられて大きいプールに行きました。Sj先生は、僕の手を持ってくれて歩かせて

くれました。

 水の抵抗に逆らって歩けば少しは足に力も付くだろうと思いまして、1歩1歩水中を歩い

て行きました。そんな時、浮輪を持った子がプールサイドに上がったのです。それを見た

Sj先生が、「浮輪かしてもらえませんか。」と言われて、僕の体に浮輪がとおされまし

た。その浮輪を使って、プールの中心の方へ行き、1度も参加した事のないゲームに参加

しました。

 その後で、Sj先生に足を持ってもらって、宇宙遊泳みたいな感じがして楽しかったけ

ど、バランスをくずすと体が硬直してしまったような気がします。

 その後、プールサイドに上がって昼食だったのですが、僕の隣に来たのは、水も滴るい

い女になっていたKさんでした。Kさんはメガネを取ると別人みたいにキレイになってい

ました。惚れ込んでしまいそうで異性の気持ちが強まりそうな気がしました。

 

1998年9月12日 土

 今日は2学期初めての訓練でした。

今日は、訓練会に参加する子が少なかったので、クーラーのかかった会議室でやりまし

た。

 Tt先生が、「1学期にやった寝返りはできるかな。」と言っていました。寝返りの方

は、左がなかなか上手くできませんでしたが、右は上手くとは行きませんでしたが左に比

べれば上手くできたと思います。

 次にやったのは、正座をして背筋が伸びているかどうか。僕は、学校で授業を受けてい

る時も、家でテレビを見ている時も、車椅子の車輪のリングの所を持つようにしていま

す。入院している時に訓練の先生に言われたのです。「O君は、猫背だから年をとって行

ってその姿勢だと内臓に負担がかかって長生きできなよ。」と言われたのです。

 小学部のKz先生に、良い正座のしかたを教えてもらいました。撲は、日ごろから気を

付けているのに対して、お母さんはそんなの気にしてないみたいだったので、Kz先生に

やってもらっていると、Kz先生が「O君よりかたいね。」と言われていました。

 撲は知っていたのです。毎日続ければ絶対なんかが+になると言う事を。チリも積もれ

ば山となる、この諺を信じて、早死にしないように、これからもできるだけ良い姿勢です

ごしてゆきたいです。

 

1998年9月13日 日

 午後から弟を連れ、隣の父子を誘って藪川に魚捕りに行く。この時期、農業用水路に水

を流す為、藪川は水が少なくなって、結構魚が捕り易い。水溜りには色々な小魚がいたも

のの、なかなか捕まらん!。それでも、最終的には、鮎3匹を含めそれなりの収穫?。フ

ッと、昔家族だけで川遊びに来た事を思い出した...。

 

1998年9月19日 土

 今日の1時間目は僕の大嫌いな事、友達の前で障害者甲子園の話をする事でした。

 僕の予測ではY君の後か、M君の後くらいかなと思っていました。トップバッターはM

さん、その後にS君、3年生で初参加のM君で、次ぐらいが僕かなと思っていたら4番目に

Y君が行ったのです。嘘だろ、僕が1番最後かよと思いました。

 Y君の話を聞いていると、くそ真面目のような事を言っていました。「障害者甲子園の

正式名は、障害者リーダー全国大会と言います。」とか、とにかく真面目一本すじの話で

した。これは、去年の障害者甲子園実行委員の子たちも感じていたようです。

 Y君の話が終わっていよいよ僕の番です。最初の方は、木曜日に職業の授業でパソコン

で打った事を、真ん中のあたりもパソコンで打った事を言いました。最後の方は、Fy先

生に言われた事を言いました。

 でも、去年はこんなふうに友達の前で話すような事はなかったので参ってしまいました

が、Ns先生に「良い話だったよ。」と、言われて、とても嬉しかったです。話をしてほ

められたのは初めてです。

 

1998年9月20日 日

 昨日と今日と、弟が学校の宿題をパソコンでやっていたのですが、弟はパソコンをやる

時は必ずと言って良いほどテレビを見ながらやるのです。まあ、器用な事をやっているな

と思っていたのですが、今日の朝も弟はパソコンで宿題をやりながらテレビを見ていたの

です。

 僕は、早く51英単語を覚えて暗記しなければ、と言う気持ちが僕の心にはあったので

す。それに、テレビは政治関係の番組をやっていたのです。こんなもんは、弟が見るはず

がないと僕は思ったのでテレビを消すと、「何でテレビ消すの。」と、おこった口調で言

ってきたのです。それに対して、僕は「パソコンをやっている時は、テレビ付けるなよ

な。」と、言い返してやりました。でも、今日の朝食の時に「10時まで使って良いか

ら。」と、僕は言っていたのです。

 僕は、51英単語を早いうちに暗記しておかないと、運動会の練習も大詰めだし修学旅行

のしおり作りも始まるから、できるだけ早く51英単語を暗記し始めないと手遅れになる恐

れがあるからです。

 そんな強い思いがあったから、弟の事も考えず自分勝手な行いをしてしまいました。兄

としてはやってはいけない事をやってしまったな、と思いました。

 

1998年9月22日 火

 昨日の台風8号に続いて、今日7号が上陸。最も風が強い時間帯に帰宅許可のだが、全

ての交通機関が止まってしまって帰ることが出来なかった。近郊に出張していたのだが、

最寄の駅で復旧まで我慢の待機。結局、帰宅出来たのは夜中の0時頃。家はなんともなか

ったようである。

 

1998年9月23日 水

 昨日は、台風7合の接近によって学校は午前授業でした。

 家に帰って夕方頃から夜にかけて、風がヒユーヒユーとなき始めるし、庭の木々たちは

ざわめき初め、なんと新築して3年ぐらいの僕が住んでいる離れでも、突風に煽られてガ

ガと言う音までしてきたのです。

 ニュースを見てビックリ、「台風7号は伊勢湾台風の風の次に強い風です。」と言って

いました。そのニュースを見ている時も、突風に煽られて駐車場のアルミの屋根がバンパ

ンと風に踊らされていました。

 それで、今日の朝朝食を取ろうと思って外に出てピックリ。駐車場のアルミの屋根が前

の方だけないのです。伊勢湾台風なみの風の威力がここまで破壊力があるのだから、伊勢

湾台風の時は、村や町は大打撃を受けたのだな、とアルミの屋根の残骸を見て思いまし

た。

 

1998年9月26日 土

 お兄ちゃんの最後の運動会の予定日だったが、雨で30日に延期。おかげで時間的な余裕

が出来て、久しぶりに読書中心の1日になった(あまり読めんかったが)。

 午後から、弟は塾へ、お母さんはお兄ちゃんの修学旅行の説明会へ出かけて行った。

 

1998年9月30日 水

 昨日までドンヨリとした天気が続いていて、「出来るかな〜」と心配していた運動会も

無事挙行。学生生活最後の運動会に、お母さんも「良かったヨー」と感激していた。「選

手リレー」にも選ばれていたと言う事であるから、お兄ちゃんらしく生真面目に一生懸命

車椅子を漕いだんだろうな。

 

1998年9月30日 水

 僕は運動会と言えば、毎回CD類型の子たちと、まるで幼稚園児の遊びのような種目に出

ていました。でも、Mo先生が「3年生なんだからリレーに出たら。」と言われて、運動

会の練習をしている時に、Mn先生が「O君、リレーの時はバックで行ったらどうや。」

と言われて、僕はぶっつけ本番でバックでのリレーをやりました。でも、雨の日が続いて

いたので、運動場のトラックも車椅子では走りにくいのではないかと僕は思ったのです。

なので、前向きと後ろ向きと2回ほど走ってみました。

 僕の予想どおりで、車椅子のタイヤがトラックに埋もれて行くのです。これは、車椅子

の子は走りにくいぞと思いました。僕の思った事が的中してF君やSさんを苦しめていま

した。

 僕は普段のスピードが出せないF君に「F君、頑張れ頑張れ。」と言って励ましてやり

ました。F君が僕にバトンをわたしてくれた時には、2人のランナーがすでに第3走者に向

かって走っていました。

 でも僕はバックで行ったのです。足の蹴り返しの力でどんどん先に行ったランナーを抜

いて抜いて、第3走者のsさんにバトンを渡しました。3位から1位までのぼりつめたので

す。

 リレーで白団の友達に迷惑をかけるのではないかと思っていたのですが、迷惑はなんと

なくかけなかったみたいで安心しました。それに、Fy先生の声の誘導がなければ1位に

躍り出る事はできなかったと思います。

 赤団の応援合戦ですが、M君の計算しつくされた応援合戦は目をみはるものを感じまし

た。後半の応援合戦で赤団の子たちは自団の陣地に入ってきたと思うのですが、そんな事

をやっていては7分を切ってしまうのではないかと思う所も、7分以内に納めるのはさすが

だなと思いました。

 

※ 運動会の写真を

「関養護学校V・番外編」

に載せました。

 

1998年10月4日 日

 お兄ちゃんとお母さんは「スポレク岐阜」の一環として行われた木曽三川公園の障害者

マラソン大会へ出かけていった。

 お父さんは午後から弟を連れてバッティングセンターヘ行った。

弟はホームランを2本打った。バットもお父さんよりも重い物を使

うようになった。小学校3年生の時に連れてきてやった時には、

バットに振り回されてベソをかいていたのにナー。あれから7年程

も経ったのである。

 

 

1998年10月6日 火

 今日の養訓の授業で、学校祭にやる水戸黄門の配役が、みんなの前でYn先生が言われ

ました。「水戸黄門さんは、O君。」と言われました。初めての主役が回ってきたので

す。でも、僕が気にいっている女子生徒は、H君やI君と一緒だったと思うので、うらや

ましいなの一言ですが、劇の練習のときは、顔を合わせるのでそれで我慢するかと思いま

した。

 後は、誰の後に何を言うかです。これは、去年の劇ストーリーニュースでは体験してい

なくて、一昨年の新西遊記で苦しんだ思いがあるのです。誰の後に誰が何を言うか、これ

を覚えるのがなかなか大変でした。

 今年やる劇も誰の後に誰が言うか、とセリフを完全に覚えないと成功の2文字は出ない

のです。丸暗記がどこまでできるかが問題です。

 

1998年10月13日 火

 午後から出張。帰る頃には雨になった。今週いっぱいはグズついた天気が続くそうであ

る。台風10号が発生、超大型になりそう、とのことであるが、もうカンベンして欲しい

なー。

 お兄ちゃんは、文化祭の「水戸黄門」の劇のセリフを覚えるのに一生懸命である。とに

かく必死になってやる。それが素晴らしい。

 

1998年10月15日 木

 お兄ちゃんは、今日が1科目、明日が2科目のテスト。毎日毎日一生懸命暗記に励んで

いる。同時に文化祭の劇のセリフの暗記もあるから「カナワン」ようである。

 弟は今月末に実力テストがある。2人とも勉強の季節である。

 

1998年10月17日 土

 2時頃に家の揺れで目を覚ます。2階で寝ていて、こんなに揺れるとは思っていなかっ

た。風はそんなに強くないはずなのに...。どちらにしても雨戸に叩きつける雨音はすご

くて眠れそうにない。お婆ちゃんも弟も寝ておれないようで、次々に起きてきた。新居で

寝ているお母さんとお兄ちゃんはどうしたんだろう。新居の方は、屋根を叩く雨音がすご

いはずだが...。

 3時半頃まで暴風雨が続いたが、多少治まったところで就寝。朝起きてからは、庭の掃

除が大変だな。

 

1998年10月22日 木

 「木曽三川ふれあいマラソン」実行委員会から、お兄ちゃんに特別賞を送ってきた。

「最後までいたら、壇上で表彰をうけれたのになー」と残念がっていた。

 記念にメダルと賞状を持った写真を撮ろう、と言うことになったようだ。

 

1998年10月24日 土

 いよいよ次のパソコンの購入準備。問題だったパソコンの置き場所だが、結局パソコン

ラックを買って古いパソコンをそのラックに置く事にした。お兄ちゃんが新しいパソコン

を待っている。

 

1998年10月26日 月

 お兄ちゃんはいつも寝る前に、廊下で杖を使った歩行訓練をしている。今日もいつも通

り始めたのであるが、ドテッという音がして「お母さん!!」と呼ぶ声。ビックリして行

ってみるとお兄ちゃんが倒れていた。歩行中にバランスを崩して後ろに倒れ、お尻を強く

打ったようである。「もうダメ!、歩けん...」と言ったきり何も言わなくなってしまっ

た。よほど痛かったのだろう。

 

1998年10月27日 火

 今日の職業の授業は、学校祭で行なう職業バザーの散らし広告を工業コースと、基礎コ

ースと家庭コースのチラシ作りの仕事を、Kさんは工業コースへ、M君は基礎コースへ行

き注文を取ってきました。

 僕はまだ、了解の聞いていない家庭コースのいる衣服室へ、Uh先生と行きました。

「お仕事中、申し訳ありませんが、家庭コースのチラシを作らせてもらえないでしょう

か。」と言ったのですが、上手く聞き入れてはくれませんでした。でも、杉の子園でほめ

られた言葉使いと、礼儀ただしきお礼などで、何とかOKをもらう事ができました。

 僕の家でも注文を取って、名刺の仕事をもらってやっているのですが、今日のように返

事を待たされると、とても不安で心がマグマのように熱くなって、心が解けてしまいそう

なくらいでした。「これが、商売をするものの厳しさなんだぞ。」と、Uh先生が教えて

くれました。

 杉の子園では、僕はこんな事は、たぶんやらないとは思いますが、とてもためになる体

験ができたのではないかと嬉しく思っている僕です。

 

1998年10月28日 水

 お兄ちゃんは今日から2泊3日で九州へ修学旅行。お母さんは、学校のPTAの人達と

骨休め(?)に1泊2日で伊豆へ行った。

 弟は2人が居ない事を良いことに、インターネットの使い放題のようである。いったい

何を見ているんだ?。明日は進学校を決める最後の実力テストだと言うのに...。困った

モンダ!!。

 

1998年10月30日 金

 お兄ちゃんが無事に帰って来た。道中、少々のトラブルはあったようであるが「楽しか

った」そうである。弟には太宰府天満宮の「学問のお守り」をお土産に買って来た。

 食事のあとは、パソコンに向かって旅行の思い出を入力していた。話をする時間もな

く、入力が終わると早々に就寝。ヤッパリ疲れたんだろう。

 

※ 修学旅行の記録(反省)・写真を

「関養護学校V・番外編」

に載せました。

 

 

1998年10月31日 土

 今日のお昼過ぎから、町の文化祭を見に役場のとなりにある体育館へ行きました。

 まずは僕の弟の作品を探しに、チラチラと作品を見ながら、歩きました。

 そしたら、杉の子園でお世話になったImさんに会いました。Imさんは、杉の子園で

は見た事のないような、服を着ていてとてもキレイでした。キレイなImさんをチラチラ

と見ながら歩いていると、どこかで聞いた事のある声が、僕の耳に入ってきました。その

人は、僕を見ると、肩から背中にかけて抱き締めてきたのです。僕は、耳の記憶をさかの

ぼって行きました。そして、分ったのです。僕が幼稚園にいた頃の園長さんでした。僕が

「お久しぶりです。」と言うと、園長先生は「この子はね、頭がよくってね・・。」と言

ってくれました。

 また他にも杉の子園の人や、地元中学でクラスが一緒だったと思われる子のお母さんら

しき人にも会いました。

 後、Td先生に会いまして、「これだけスペースを埋めるにはかなり苦しい面があるか

ら、陶芸でも来年はやろうかしら。」と言っていたので、僕は目の色を変えて先生を見ま

した。

 来年、僕が杉の子園に入ったら、僕の趣味である組紐と陶芸がやれるみたいだから今か

ら楽しみです。

 

1998年11月3日 火

 家族皆で、庭の渋柿の取り入れをやる。お父さんと弟が柿を枝から採り、お兄ちゃんが

それを籠に入れ、お母さんが皮を剥く。200個ぐらいになった。親類からそれ以上の渋柿

をもらっているから、皮を剥くのが大変になりそう。

 色々やろうと思っていたこの連休であるが、細々とした雑用、仕事で終わってしまった

ナー。

 

1998年11月9日 月

     ピンマイクを使って

 今日の5時限目と6時限目は、体育館で初めての舞台練習をしました。

 僕は初めてピンマイクを付けて練習をしました。僕はセリフはだいたい覚えたのです

が、順番がまだ覚え切れていないので、みんなに迷惑をかけているなと、思っているので

すがなかなか覚えれないのです。

 一昨年の劇も、セリフを覚えるのとセリフの順番を覚えるのも、苦労した覚えがありま

すが、その時は、セリフの数が4つだったので、なんとか突破できたのですが、今年はセ

リフの数が10個もあります。主役だからしたたがないのですが、でも、残す日にちも少

ないから、僕はあせりまくっているのです。

 せっかく新しい彼女と一緒にできる最後の劇だから、主役の僕がしっかりしないと、と思うのですが、いまいちなのです。

 Yさんと、これから付き合って行くには、一緒の舞台で劇を成功に納めて、学校祭を大

成功に納めて、良い思い出にしたいです。

 

1998年11月13日 金

     女社長に、許可をもらって

 今日の商業の授業で、家庭コースのチラシを作るにあたって、Uh先生から、厳しい言

葉を頂きました。「O君、そのチラシは、家庭コースの人たちが見るのだから、自分が良

いだろうと思っていても、相手は駄目だと、言うかもしれないからな。」と言われまし

た。

 たしかに、家庭コースの子達が「このチラシ、私好きになれないわ。」と言われたら、

また、最初からやり直しだからです。

 僕は印刷する前に、女の子たちは、このチラシをOKしてくれるのか、じっくり考えて

印刷しまして、家庭コースの元へ持ってゆきました。

 「お仕事中すいません。」と言いながら部屋に入り、みなさんの意見などを聞いたりし

て、Yn先生が「女社長どうですか。」Yさんは「まあ、良いんじゃないの。」と言って

くれました。

 僕は部屋を出て一言「助かった。」とため息のように、口から出てしまいました。却下

されたら、どうしようと思う気持ちが強かったからです。

 

1998年11月17日 火

 今夜半から明朝にかけて、獅子座流星群が観られるとの事。弟は早起きして明朝に観察

すると言う。お父さんも付き合って早起きするか?。

 そんな話をしていたら、おにいちゃんが「僕は観れんよね?」...。

 

1998年11月22日 日

 お兄ちゃんとお母さんは学校の文化祭へ行った。

 弟は午後、英語検定3級の二次(面接)に行った。帰ってきて「ウーン、どんなもんか

分かったヨ」ということであった。(コリャ、だめだったな。)

 毎日寒い日が続いているが、今のところ皆元気。体調には気を付けんとイカン、弟の受

験がある。

 

※ 学校祭の日記・写真を

「関養護学校V・番外編」

に載せました。

 

 

1998年11月23日 月

     名刺注文が以外と多かった

 昨日の職業バザーで、今年初めて名刺注文をやりました。

 僕はYさんと並んで食事を取っていたら、Uh先生が食堂まできまして「O君、レジが

あくぞ。」と言ってきましたので、僕は急いでバザー会場に行きました。

 でも会場に行っても、僕が入って商売するような所は、どこにもなかったのであせりま

した。

それに、僕のパートナーであるF君の姿もなかったので余計にあせりました。焦りと不安

が、僕の心を締め始めた頃、F君とKi先生が来てくれました。独りぼっちの時は、僕は

何もやらないまま、仕事もしないまま、終わってしまうのだろうかと思いました。

 F君も来て、Ki先生も来て、名刺注文の受け付けが始まりました。と言っても、受け

付けが始まる前から、待っている先生方もちらほらとみえましたので、僕はとても嬉しか

ったです。

代金を僕が受け取り、お釣りはF君が出す、と言う2人1組で頑張りました。

 去年の卒業生のWさんの姿もありました。「16銀行に勤めているけど、名刺はまだ持

たせてもらってないんだ。」と言う事でしたので、「名刺を作ってください。」と言う事

でした。

 他にも、中学部のYさんや、食堂に行く時によく見かける女子生徒も名刺を作りに来て

いました。僕の想像以上の人たちが、名刺注文に来てくれてとても嬉しかったです。しか

し、名前を知っている人は、ほとんどいないので、かなりのピンチです。残業覚悟で学校

にまいります。

 

1998年11月26日 木

     詐欺罪になりそうな予感

 今日の商業の授業は、職業バザーで注文を取った名刺を作りました。

 でも、学校のパソコンも家のパソコンと同じく、入力した文字は大きくならないので、

やりにくいったらありゃしない。僕1人の力では、何もできないのです。キーボード読み

の力があれば、少しはできると思うのですが、そう言う機能が全くないので、僕は、とて

も危ない環境にいるのです。

 

1998年11月29日 日

 親戚の結婚式に出席。参列者80余名の披露宴だった。

 披露宴の進行の中で、何度もお兄ちゃんの結婚の事を考えた。無理だろうと思いつつ

も、常に頭の片隅にそんな思いがある。「お兄ちゃんが結婚したら、どんな披露宴になる

のかな」等と思いつつ、幸せそうな2人の披露宴をみていた。場面場面に、お兄ちゃんの

姿がダブってきてしまって...。

 

1998年12月5日 土

 新しいパソコンが来た。お兄ちゃんとお母さんが待ちに待ったパソコンである。パソコ

ンのラインアップも豊富になってきたが、今回のパソコンはかなり上位の物である。特に

注意をしたのはディスプレイで、従来のCRTは「目に良くないのでは」と心配していた

し、大きいサイズにすると場所を取るし...、結局液晶の15インチサイズにした。これが

高かったナー。その他にもプリンターは最新だし、スキャナーも買ったし。又、パソコン

が2台になったので、共用の為にルーターも買った。予算はかなりオーバーしたな!。オ

ーバー分は「お父さんが負担ヨ」で決着。

 今日、明日のおとうさんは、パソコンのセットアップで終わりそう。

 

     学校祭の作文が仕上がり、先生方に「O君らしいね」

 今日の商業の授業は、授業参観でいろんな生徒のお母さんがパソコン室にみえました。

M君やKさんたちは、ワープロ検定の練習をやっていました。下級生が検定の練習をやっ

ているのに、最高学年の僕は学校祭の作文を書く。この作文は、中学部3年生が来た頃か

ら、書き始めたものです。

 最初は「学校祭の劇を1クラスでやりましょう。」と言う事から書き始めまして、先生

方に注意された事、学校祭が近づくにつれて、ほめられるようになった事など、劇の練習

の苦労話を書いて、劇の本番の僕の気持ちを書きました。

 最後に高校最後の劇の感想を書いて、終わってUh先生に印刷してもらいましいまし

た。2人の先生に詠んでいただきまして「O君らしい作文だね。」と言われました。作文

で先生にO君らしいね。」と言われたのは、今まで12年間学校で作文を書いてきました

が、こんなふうに言われたのは初めてでした。

 

1998年12月6日 日

     ウインドーズ98が、家に来たが・・・

 昨日、家に帰って毎日やっている、運動をやっていましたら、運送屋らしき車が家の前

あたりで止まりまして「OKさんのお宅でしょうか。」と言われて、ダンボール箱が何個

か、家の中に運び込まれました。

 何だろうなと思いました。もしかしたら、ウィンドウズ98が来たのかもと思いまし

て、お父さんに聞きまいたら「ウィンドウズ98が来たぞ。」

 開けてびっくり。学校のパソコンのキーボードと同じだったので、ありがたいと思いま

したが、まだキーボードカバーがありませんので、ウィンドウズ98は使えません。

 

1998年12月10日 木

     名刺配達

 今日の職業の授業の時に、ラミネート加工した名刺をKi先生が封筒に入れていて、給

食の前に「注文してくれた人に名刺を渡すわよ。」とKi先生が言っていたのです。

 食堂に入ってきた、OさんとSさんにお礼を言いながら名刺を渡しました。最初に、I

g先生に渡したのですが、お礼の言葉を忘れてしまって、Ki先生に注意されました。I

g先生は、ちょっとした分け訳がありまして、お礼を言うのを忘れてしまいました。高校

3年生の僕が、こんなんでは、いかんなと思いました。

Yさんは食事をしていたのにもかかわらず、両手で名刺の入った封筒を持ってくれまし

た。よっぽど、嬉しかったのだろうなと思いました。

 

1998年12月12日 土

     ウィンドウズ98を始めて使った

 僕は毎日5本の指をバラバラにして使えるようにと、98のキーボードをひまを見つけ

てはキーボードを叩いていました。なぜ、そんな事をしていたかといいますと、音楽の授

業で鍵盤を5本の指で叩く事をやっていたのです。でも、僕はそれが全くできなかったの

です。

 だからキーボードカバーがまだ入っていない98のキーボードを使って、5本の指がバ

ラバラに動くように、親指を1として、順番に指をキーボードの上に置いてゆきました。

でも、困った事が1つ。薬指と小指が一緒に動いてしまうのです。効き手と言っても交通

事故の後遺症がまだ残っているのだなと悔しく思いました。でも今はなんとかバラバラに

動いてくれるようになってくれました。

 僕がそんな事をやっていると、弟が「お兄ちゃん、98つけたろか。」つけてもらって

触ってみたら、親指のあたりがいつも変換キーの所に来るのです。それと、終わり方が今

使っているパソコンと違って、キーボードを使って終わっていました。今、使っているパ

ソコンは、マウスを使ってでしか終われないので、さすがウィンドウズ98だなと思いま

した。

 

1998年12月13日 日

 昨日、ルーターとスキャナーが届いてようやく全体を繋ぐ事が出来た。結構時間がかか

ったが、接続よりもその使い方を勉強して、それを2人(お兄ちゃん、お母さん)に教え

る事がもっと大変だよナー。

 年賀状は新しいパソコンで作ろうと何もやってなかったし、まずはこんな所から手をつ

けるか!。

 

1998年12月17日 木

     未知なる世界の3000メートル

 僕は今までで最も長い距離のマラソンは、長良川ふれあいマラソン大会の2000メー

トルで、1月4日にメモリアルで開かれる新春マラソンは3000メートル。僕が1度も

体験した事もない距離です。

 長良川の2000で48分ぐらいでしたが、僕は1番楽な走り方を2回ほど使ってだか

ら、48分と言うタイムが出ましたが、新春マラソンでは後ろ向きで走る事ができないだ

ろうから、どこまで行けるかが問題です。リタイヤだけは、さけたいです。

 

1998年12月20日 日

     お手上げ状態の総合の宿題

 昨日学校からもらってきた総合の宿題を,今日の朝お母さんに大きな字で書いてもらい

ました。その字を見まして冬休みは英語地獄だと思いました。僕とH君が英語のテスト

で、ひと噛りした英単語がギッシリ書いてあったので、冬休み中英語漬けじゃねえかと思

いました。

 2学期の中間テストでやりました51英単語も、半分ぐらい忘れてしまっていますし、

もう最悪状態です。ふだん、余り使わないので忘れてしまいます。

 冬休みの英語のテストは、やるのでしょうか。もし、やるのでしたら登校拒否をおこし

たいと思います。

 Yさんも、僕を捨てたのでもう、どうでもよくなってきました。

 

1998年12月21日 月

 学校で作った陶器の作品を持って帰って来た。ウナギや蛇、果物を置く皿等けっこう沢

山な作品である。しかも、それなりの形になっている。先生に色々手伝ってもらったので

あろうが、「これだけの物が出来るんだ」と感心する。上手く支援してやれば、自分が作

った物で「自分を残す」事が出来そうだと思う。パソコンの日記や詩ばかりではなく。

 

1998年12月22日 火

     ぶつくさぶつくさ、言っているのは見逃して

 今日は、僕たち3年生にとっては1番最後の終業式でした。

 その終業式を終えて教室に入って、山根先生の話で「2学期に、頑張ったのは。」とY

n先生が言われたので、僕は学校祭でセリフを覚える事と、どのように言ったらセリフが

生きてくるか、などを考えながらセリフを言ったか話しました。

 みんな順番に2学期の思い出を話した後、僕のお母さんが「家でも、ぶつくさぶつくさ

言っていましたよ」。山根先生も「O君は、ぶつくさぶつくさ言ってましたね。」と、言

われましたが、僕のぶつくさぶつくさは、ある事を必死で覚えているのです。

 それが、中間、期末のテストに関係する事だったり、劇のセリフ覚えだったり、前の日

のテレビで得た知識だったりと、それは色々ですが、僕はN君のような事ができないので

す。僕は、瞬間的に覚える事ができないのです。だから僕は、家でも、学校の休み時間

や、SCHOOLバスのなかでも、ぶつくさぶつくさ言っています。

 ほんのわずかな結びつきででもあれば、1人でぶつくさぶつくさ言ってます。こうしな

いと、僕の得た知識がどんどん消えて行くのです。

 

 

 

  

 

「関養護学校V・中編」は以上で終わりです。

宜しければ続けて、

「関養護学校V・後編」

を読んで下さい。

▼ 

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