「自立にむけて」 

  


{伊勢・志摩}家族旅行(8月8日〜8月10日)

8月8日 金曜日

 

  樹木の下に水族館?

 今日の9時半ごろから家族旅行で、三重県の賢島へ自動車で行きました。

 最初に行った所は二見シーパラダイスです。館内に入ると、薄暗い所が

続きました。そこで出迎えてくれたのは数年前に人気者だったウーパール

ーパーでした。

 奥に進むに連れてこの水族館は、樹木の下にある事が分ってきました。

だって、館内のあちらこちらに蔓を抱いた枝がいろんな所で見られたから

です。どうやってこんな所に、世界各国の魚を樹木の下の水槽に入れたか

疑問であり不思議な感じがしました。

 その水族館のさらに奥には、小さな樹木たちが並び

会っている所に出たのですが、そこにヤシの実にストローが差してあ

る飲み物があったので、僕はMn先生がリトルワールドで「ヤシの実

の汁はおいしいぞ。」と言っていたのを思い出して、迷わずヤシの実

を買いました。ヤシの実の汁の味は、甘苦くてOさんとの恋苦し味を

思い出してしまいました。

 

8月9日 土曜日

 

  シーラカンスとピラルク

 2日目は、志摩マリンランドへ行きました。そこはマンボーが有

名らしいのですが、僕はマンボーなんかより目を引く淡水魚に目を

奪われていました。その淡水魚の名はピラルク。ピラルクは、淡水

魚の中で世界1の体を持つ魚です。なぜこの日記の題をシーラカン

スとピラルクにしたかと言うと、シーラカンとビラルクは、体の大

きさなんかはいい勝負なのです。

 理科室の前に掲示してあるシーラカンスの魚拓の大きさと、ピラ

ルクの体の大きさとは本当にいい勝負だったと思った。背伸びをす

れば、どっちが大きいか分らないぐらいです。

見ていると、不思議で謎めいた気持ちにさせてくれた、世界1の淡水魚でした。

 

8月10日 日曜日

 

  最終日は勉強か

 今日は山奥にある海の博物館へ行きました。博物館だから、勉強関係の物が展示してあ

ると思うからあまりおもしろくはないなと、思いながらも入りました。

 案の定、館内にあるものはすべて海産物を取るものばかり

でした。僕の家が海の近くにあれば興味を注いでみたのです

か、岐阜県は海とは接していないし、海産物を取る道具なん

か見ても勉強にはならなかったと思いました。

 

  うらやましいかぎり

 家族旅行中、うらやましいなと思った男女が何組もいまし

た。だって、ズーと手をつないでいたのです。僕も、サマー

スクールで女子大生と手をつないでいてもらったのですが、旅行中に見た男女はいつ見て

も手をつないでいて、うらやましいの一言です。僕も、あんなふうに、彼女と手をつない

でいたいです。でも、僕は車椅子。だから彼女には車椅子を押してもらうしかない。うら

やましい男女を何度も見た、家族旅行でした。

 


 

障害者甲子園

 (8月26日〜8月29日)

 

 「障害者甲子園に参加して何かが変わった」

 

 僕が一番尊敬している先輩、A君と二人で公共交通機関を使って、兵庫県西宮市まで行

きました。

 僕にとっては、初めて親の介護なしで行く旅行で、僕の心は半分以

上が怯えてガタガタと震えていたくらいです。やっぱし、喉のふたが

電車の中で取れて声が出なくなったらどうしようと言う事が一番僕に

は恐い事でした。

 でも、親元をはなれて友達二人での旅行は良いものでした。だっ

て、旅行中は学校のように、時間にしばられて行動する事もない。

 僕達は、電車を乗り継ぎ乗り継ぎ西宮に向かったのです。

 僕達が、一番最初に乗り換える時、僕は見ず知らずの女性に話しか

けたのです。「あのう、すいませんが僕たちを後ろ向きで電車から降ろしてもらえません

か。」と頼んでみたのです。

 お母さんが「あなたやA君みたいな車椅子の子を誰もほかっとかへんで、他人に頼むの

やよ。」と、言われていたので、女性に頼んだのですが、その女性は僕たちを見ながら下

車していきました。でも、その駅の駅員さんたちが僕たちを下車させてくれました。

 その駅で僕は、A君に、「O君ビックリするやろうが。」と言われてしまいました。

 そして、大阪まで行く途中で、A君が見ず知らずの子連れの女性に話しかけたのです。

 僕はその時、A君の大きさに心を奪われるような力を感じました。

 そして、西宮駅で最終下車したら障害者甲子園でボランティアをしてくれる高校生が待

っていました。

 その日の晩ご飯を夜空の下で食べました。

 ゲームの勝ち抜きで、晩ご飯の材料を取り合うゲームでして、僕がいる四班は正解率が

低く過ぎまして、主食となる材料が取れず主食がない寂しい晩ご飯でした。

 でも、ナイターで食べる晩ご飯は最高でした。星々にながめられながらの食事も良いも

んだな、と思いながら宿へ帰りました。

 疲れているのに、廊下をはいかいしまして、友達を作りに色々な部屋を回りました。で

も、友達は作れず友達に寝床へ寝かせてもらいました。

 

 

 次の日は、地下鉄に乗り込んで大阪へ行きました。僕たちが、最初に向かったのは大阪

のシンボル通天閣です。

 でも、僕たちが行く先の通天閣がどちらの方角にあるのか分らず、大阪の町並みが迷路

のように見えました。まさか、僕たちは広い大阪で迷子かよ、と思ったぐらいでした。

 でも、シッカリ者の実行委員の女子生徒さんが聞いてくれて、通天閣へは何とか行く事

ができました。でも、僕は初めて足を踏み入れた大阪の町並みを、キョロキョロと見回し

ました。僕の知っている町並みとどこがどのように違うか見比べながら通天閣へ登りまし

た。

 通天閣の最上階に上がると、大阪のゴチャゴチャした町並みに、

白い卵のような物をボランティアの男子生徒さんが見付けてくれまし

た。「O君、あの白いのが大阪ドームだよ。」と、指を指して教えて

くれました。東京ドームもゴチャゴチャした所にあったと思い、ドー

ムの屋根ってみんな白いのかなと疑問を抱きながら、通天閣を後にし

て、初め足を踏み入れる大阪の地下街へ行きました。

 それより、大阪に地下街があるなんて知りませんでした。名古屋に

地下街があるのは知っていたのですが、しかも、名古屋の地下街よりずいぶん古そうな地下

街でした。何か、歴史を感じる地下街でした。地上とは姿を変えてしまうのが大坂の町な

んだと思いましたね。

 

 

 三日目は、テーマについての会議でした。

 僕は、もともと会議なんて余り好きではないので困ってしまいました。でも、始まって

しまったら会議に参加するしかありません。

 僕は、その会議の中で一つの課題が不思議に思えたので書いてみます。

 それは、門限にしばられられている女子生徒たちの姿でした。

「何時には、帰ってらっしゃい。」と、言う事でした。僕は、夜には出かけようとはしま

せんが、ほかの友達はだいたい、「夜に出歩く。」と、言う子がほとんどでした。

 しかも、狙われやすい女子生徒が半分以上でした。意外な事を知りましたね。夜は、闇

が支配する時間、そんな危険な時間に女子生徒たちが出歩いているなんて知りませんでし

た。それとも、夜に出歩かない僕の方が変わっているのかなと思ったりしました。

 

 

 最終日は、僕が一番嫌いな街頭一分間スピーチでした。

 A君から、どんなものかは聞いていたのです。「O君、一分間スピーチは緊張する

ぞ。」と、言われていたので、僕は嫌な予感がしたのです。だって、僕は人前で話すのが

大嫌いなのです。

 僕の順番が近ずくにつれて、僕の心は何かにおびえるよう

にガタガタと震えてきたではないですか。僕の順番がドンド

ン近ずいてきて、僕の心は震えだけでは止まらず炎のような

熱い冷や汗まで出てきたのです。

 これはいかんと思っているうちに、僕は、友達全員の前に

いました。もう、ダメだと思いながらも僕の口は、何か言っ

ていました。

でも、緊張度の針は今にも振り切れそうでした。

  初めてです、僕がこんなに緊張したのは。

 でも、今年初めて参加した、障害者甲子園は僕の身と心を

暖かく、そして優しく包んでくれた。

この旅行で僕は、数え切れない友情と助け合う心を学んできました。

 


運動会(9月20日)

 

       

 

 

           

 

 

              


 

 

「関養護学校U・番外編」は以上です。

 

「関養護学校V編」は 同「U編」よりも更に長くなりました。

前編(1学期)

中編(夏休み、2学期)

後編(冬休み、3学期)

に分けました。

宜しければ、こちらも引き続き読んで下さい。

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