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1997年12月22日 月 お兄ちゃんが「散歩に行く」と言って出かけたきり、1時間程経っても帰って来ず、お 母さんが心配になり、探し回ったがなかなか見つからす...。 新春マラソン(4日)の出場に向けて「練習」をしていたそうで、いつも散歩する道を 4周してきたそうである。「両方の腰が痛い!」と言っていたが、それよりも1人で普通 の道路を歩き回るのはどうしたもんかネー。
Td先生とハンドベルを使っての交流 今日の9時ごろから杉の子園に行きました。Ho先生の組紐の指導を受けたいな、と思 いながら杉の子園に行ったのですが、杉の子園からハンドベルの音色が聞こえてくるでは ありませんか。杉の子園の中に入ると、僕の見た事のない綺麗な女性が、Ifさんと座っ ていたのです。するとお母さんが「あの先生が、Td先生よ。」と、教えてくれました。 Td先生が「O君も、ハンドベルやってくれない。」と頼まれたので、僕は簡単に引き 受けてしまいました。学校で去年と今年やっていますので、難しいとは思いませんでし た。でも合奏する曲がなんとなんと音楽の授業でてこずった【きよしこの夜】、全く参っ てしまいました。 僕は、ただ振る事しかできませんよ。と、心の中で叫んでみましたけど、心の悲鳴を聞 ける人なんかいませんよね、と思いながら曲に合わせながらハンドベルを振りました。そ れが、何回でも何回でも合わせるもので、僕の心にハンドベルの音波がワンワンワンと響 き渡るのでした。 何回合奏したかは忘れてしまいましたが、Td先生が最後に「O君、上手だったね。」 と、ほめられました。初顔の先生にほめられるなんて、初めての体験でした。
1997年12月25日 木 年賀状作りも最後の追い込み。今日ようやく3人(お父さん、お母さん、弟)の裏書が 終わった。それでもまだ表書きが残っているし...。 お兄ちゃんは、先生に「障害者甲子園」の事を書いて送るそうである。お兄ちゃんにと っては、やはり大きな出来事だったようである。 お父さんの出勤と弟の通学は残すところ後1日、もう今年も終ってしまうんだナー。
1997年12月27日 土 車で止められ、人たちに止められた 今日こそは2000mは行くぞ、と心に決めて車椅子をこぎ始めました。一周目が始まっ て、ほんの少し車椅子をこぎ始めたら、左足の腿の辺りが痛み始めたのです。参ったぞ、 こんな所から足にガタが来てはいかんぞ、と思いながらT地路の前に来ると、車が右から 走ってきましたから、止まって待っていたら暖まりかけていた体がジワジワと冷めていっ たのです。これは参りましたぞ、と思いながら道の左側を進みました。 どのような姿勢だと楽に進めるか、どのような姿勢だと長距離が楽に進めるか、などを 考えながら進んでいると、また車が僕の前を横切ったのです。また止まるはめになり、体 が冷め始めたのです。 三周日にさしかかろうとした時は、道の真ん中で姉妹が縄跳びの練習をしていて、また 止まりました。僕は「ごめんなさいね。」と言って道を空けてもらい先へ通してもらいま した。二重飛びをする空気と縄のすれる音が懐かしく聞けました。 僕も小学校の時に良く飛んだな、と思いながら車椅子をこいでいると、またまた車で止 められてしまって、炎のように熱くなっていた体が冷めようかとしていました。 今度は、キャッチボールをしている兄と妹に会いました。この時、キャッチボールの邪 魔をしてはいけないと思ったので、小回りをしたら車椅子の前輪が溝にはまってしまった のです。この時兄の子が「大丈夫ですか。」と聞いてくれたのです。僕はその時とても嬉 しかったです。始めて会った青年に助けの言葉をかけてもらうなんて初めてだったので、 余計嬉しかったです。
1997年12月29日 月 年末とは思えないポカポカ陽気。お父さんとお母さんは庭の掃除が中心。休みに入って からはやはり掃除が中心で身体のアチコチが痛い。 お兄ちゃんは冬休みに入ってからは、毎日散歩に出て、同じところを5〜8周する。少 々心配であるが、自分で決めてやっている事なので、暫くは様子を見るよりショウナイ か?。
久しぶりのテラス掃き もうすぐ1997年が幕を下ろそうとしているので、夏休み以来掃いていないテラスを掃き ました。夏休み以来と言う事で、久しぶりに箒を持って、体をくの字型に折り曲げて掃い ていたので、腰や背中が痛くて痛くて参ってしまいました。このテラス掃きも毎日やれば 変わってくるのかな、と思ったりしましたが、良く考えてみたら午後からのマラソンの練 習に支障が、、、と思いながらテラスを掃き終わりました。 午前中の疲れが、マラソンの練習にでなければ良いのだがと思いながら家に入りまし た。
1997年12月31日 水 今年も無事に終わる事が出来た事に感謝。 来年は2人とも3年生であり、それぞれに1つの区切りの年である。次のステップに向 けての準備の年であり、自分の将来を考える年になって欲しい。
1998年1月1日 木 年が改まって、初詣に谷汲山と加納天満宮に行った。願い事はやはり家族が健康でこの 一年無事に過ごせるように、である。 谷汲山は例年に比人出るが少なかったように思う。時間が早かったせいなのか、不況の せいなのか...、その後、加納天満宮へ。その頃には雨がかなり降ってきたが、それでも 皆でお参りをした。
大凶のような大吉を引いた 今日は新しい年の始まりでしたので、朝起きましたら、お母さんに、新年のご挨拶をし まして、朝食のお餅を食べたら、お父さんが「久しぶりに、谷汲山へ行くか。」と言って いましたので、谷汲山は、昔、正月になるとよくお参りに行った神社です。 でも、僕の行く手を妨げるように階段が点々としていたのです。さいわい、僕は少しは 歩けるのですが、たしか二回目の階段の時にリタイアしました。「まだ、上の方にも階段 があるよ。」と言う弟の報告で、もう上に行くのをやめました。 やめた所の近くに、金の神様を祭った所があったので、お賽銭を手に 持ちまして、お参りをしました。卒業しましたら杉の子園で、お給料が たくさんもらえますようにと、お参りをして、おみくじを買ったので す。 お母さんに見てもらったら、大吉と書いてあったみたいでした。平成 7年度の元旦は、マーサで変身したKさんにバッタリと会ってしまう し、今年のおみくじは大吉だし、今年も良い事が続くかなと思ったりし て、お母さんに大吉の下を読んでもらって、僕の心はさっきまでの喜び から悲しさに変わりました。 その紙には【病気をすると、長引きます。】と書いてあったり、【リ ーダーシップを取ろうとしてはいけない】などなど、大吉とは思えない 事が何個も書いてありました。 どこが大吉なんだよと思ったので、木の枝に縛り付けてもらいました。お母さんに。 でも、もし今日のおみくじが当たっていたとしたら3学期以降、地獄の苦しみが待って いると思います。覚悟して、3学期過ごし通したいと思います。
1998年1月2日 金 箸を使って食事をする 僕は、大晦日の晩から箸を使って食べるようにしました。なんて言うのは半分ぐらいは ウソに近いのですが、大晦日の晩は年越しソバを食べたのですが、ホークやスプーンで は、食べにくい事は前から分っていたので、箸で食べてみました。その箸は、ピンセット を箸にしたような箸でして、その箸が僕に使いやすいように、樹脂を付けてもらったので す。その箸を使ったら、何とかソバを食べる事ができました。大晦日の晩から今日まで、 ホークやスプーンを使わずに食事をしてきました。これからも、休みの日などに箸を使っ ていけたらなと思っています。
1998年1月3日 土 呼吸がしにくて二周カット 明日は3000メートルに挑む日。だから今日こそは6週ぐらいして、体を慣らしておかな ければいけないなと思いました。 走り出して2週行ったかな、と思うぐらいに息が急に乱れてきたのです。一寸待った、 なんで二周行くかどうかの所で息が乱れてくるの、たしかに僕は交通事故の衝撃で片肺は つぶれてしまったみたいだけど、前まではこんな事はなかったのになぜだ、と思いながら も前へ前へ車椅子をこぎ続けました。できるだけ楽な姿勢でと、心がけてみたのですがそ れもダメ。 なんでだ、と思いながら車椅子をこぎました。2週目の終わりに、やっと息が乱れてきた訳けが分りました。それは、淡が喉につまってしまって、息道がせまくなってきてしまったのです。3週目は、大きく息を2度吸い吐くと言う、僕にとっては信じられないほど、苦しいマラソンの練習でした。こんな喉の調子で、明日の3000メートル行けますか。3000メートルの1/3以下ぐらい、行けるかどうか分りません。 悔しいけど車椅子の中で僕が1番どべ。たぶん、僕だけ切り捨てだと思います。
1998年1月4日 日 午後から、お兄ちゃんは「新春マラソン」の障害者の部に出る為に、雨の中を出かけて 行った。3kmを完走して敢闘賞を貰って来た。今まで毎日毎日練習(訓練の散歩)をして きた成果である。そんなお兄ちゃんに拍手。
新春マラソン大会に出場、一人ぼっちで回る空しさと寂しさ 今日は、初めて新春マラソン大会に出場しました。冬休み中に練習を重ねてきたマラソ ンの結果が今日分るぞ、と思いながら開会式にのぞみました。 未来博が開かれた所の奥に入ると、陸上競技場のような所がありまして、僕の友達のA 君やKさんやY君もいました。その子たちは、競技用の車椅子に乗っていて僕だけ普通の 車椅子でした。 僕は、心の中で決めました。A君に付いて行けば何とかなるぞと思っていたのですが、 なにがなにが僕とA君との差が見る見る広がって言ったのです。 すると、一般の女子が走りだし、続いて車椅子の女子もスタートして、僕は広いトラッ クに一人ぼっち。悔しいな悲しいな、僕だけ一人取り残されたような気がして、僕の心の 中は、冷たい雪が降ってぶ厚い氷がはったようになっていたような気がします。 心には、悔しさや悲しさ、そして情けなさが、降り積もって、僕はそんな感情を捨てま して、始めて見る競技場のような所を、キョロキョロと見回しながら一周しました。 二周目は、前へ前へ進みました。僕の心は、ズタズタに引き裂かれていましたが、心の 痛みをやわらげてくれたのが、女子の一般で走っていた女性が「頑張って。」と言ってく れた事です。 やっとこさ、二周して僕のタイムは23分48秒でした。 そして閉会式が始まりました。友達のタイムが発表され、僕だけ タイムなし。しかたがないと言えばそれまでなのですが、やっぱし 僕もタイムがほしかった感じですけど、しかたがありませんな、と 思っていたら、車椅子の参加者全員に、タテがいただけました。 何が入っているのかな、と思って箱をさわっていたら、Kさんが 「O君、お疲れさま。」と、言ってくれました。それも僕だけに。 その、たった一言が僕の傷付いた心を治してくれました。異性の女 子生徒の一言が治してくれたのです。
1998年1月9日 金 お兄ちゃんは帰ってくると、何時もパソコンと組紐に精を出す。この冬休みにかけて作 った組紐は、お母さんが髪留めやキーホルダーに仕上げ、かなりの数になった。それを、 先生、友達、それに障害者甲子園でお世話になったボランティアの高校生に送ったようで ある。
1998年1月15日 木 雨降りの成人式 今日は、朝から雨降りでした。僕は、まだまだだと思っています。それに僕が20才にな っても成人式には出席しないと思います。 だって、僕が住んでいる糸貫町は、まだ障害者に住みやすい町にはなっていません。変 わりつつはあるのですが、まだまだだと思います。 でも、やっぱし成人式には出席したいです。地元小学校の同級生、地元中学の同級生な どに会いたいです。僕は小学校6年生に交通事故にあってから、1度も会っていない友達も 数え切れないぐらいいます。だから成人式には出席したい。 でも糸貫町は変わろうとはしていない。小学校で恋した三つ編みの女子生徒にも会いた いし、中学校で恋した女子生徒にも会いたい。後2年、後2年でどれだけ変わるのかは、僕 には全然分りませんが、成人式は出たい気分でいっぱいなのですが、障害者を受け入れて くれる町になっているように心から願うまでです。
1998年1月18日 日 弟が「パソコンが欲しい」と言うので、古いパソコンを弟の部屋にセッテング。OSも 古く「何に使うんだろう」と思いつつ「ゲームだけじゃないだろうな?」と言ったら、 「僕も日記を書く」との事。そうゆう事にしておくか。それにしても弟の部屋はスゴク贅 沢な部屋になったナー。 昨夜から続いていた雨は今日1日降り続いた。年明けから今年は雨が多い。もう少し寒 いと雪になるのだが、そうならないだけ良いか。
1998年1月20日 火 昨日から北風が吹きだし、夜には雪に変わった。 「明日は学校に行けるかなー」と心配していたが、雪は思ったより少なく、通学、通勤 には問題なさそう。 寒い、と思った今日であったが、それでもこれで平年並みだそうである。異常な気象が 続いているんだナー。
1998年1月21日 水 クギ差しに一苦労 今日の美術の授業は、木の板にキリで穴を開けその穴にクギを差し込む工程をしまし た。キリで穴を開けるのは、Sy先生の介助を受けて板に穴を開けました。Sy先生が、 穴を開ける位置にキリを置いてくれたので、僕はキリの棒をシッカリと握りまして、下へ 力を入れて押さえ付けました。するとSy先生が「O君の押さえる力をカバーしている と、明日筋肉痛になりそう。」なんて言っていました。毎日やる筋力トレーニングで付い た力を出し過ぎましたか、と思いました。 しかし、次の工程で、僕は悪戦苦闘しなければならなかったのです。最初の工程で、開 けた穴に小さなクギを差し込むのです。その作業がなかなか難しかったのです。板を右手 で押さえて左手でクギを差し込む、たったそれだけの作業ができなかったのです。何度も 何度もチャレンジしてみましたが、ほとんどが空振りでした。小さな穴にクギの先がかろ うじで刺さっていても、2度3度押さえただけでクギは倒れてしまうのでした。まるで、キ スをして別れてしまう男女のように。 僕はそんな事を考えながら、負けじとクギと板と格闘していましたが、クギは一本も立 ってはくれませんでした。Kiさんが手伝ってくれましたが、やっぱしクギは立ってはく れませんでした。一応、立ったのですが僕が触れると、また倒れてしまうのでした。 しつけが悪いクギだなと思ったりしましたが、Sy先生の手にかかったら、ちゃんと板 に刺さるので、なんだこのクギは人を選びやがるのか、と思い憎しみを込めて叩いてやり ました。近頃のクギや板などは人を選びやがるのか、と思いましたが、本当は僕の力不足 経験不足だとは思っています。
1998年1月24日 土 吹雪の中で秘密の運動 今日の朝、南の空を見てみると吸い込まれそうなほどの綺麗な空色でしたので、今日は マラソンの練習ができるかな、と思ったぐらいでした。 暖房器具の前でしばらくあたっていたら、外は粉雪の妖精がユラリユラリと舞い踊りな がら下りてくるではありませんか。でも、秘密の運動はやりました。 秋の終わりに心に決めた秘密の運動をやりました。どんなに寒くても、手の感覚を失お うとしていても、絶対やると決めていたのです。だから僕は粉雪の吹雪の中、秘密の運動 を実行したのです。 でも寒かったです。粉雪の精たちは冷たい風に乗って僕の体に下りてくるのです。しか も、秘密の運動には冷えきった鉄の手すりを握ってやらなければできないので、余計体に 寒さが伝わってくるのです。でも毎日やるのに意味があると言う事は、小学校1年生の頃 に言われて、秋の終わりから続けてきましたが、今日は、粉雪の妖精が僕の右腕に舞い降 りながら乗っかってきました。でも秘密の運動も後半になってくると体がジワジワと暖ま ってきました。 その後、ポップコーンの集会に出かけて、家に着いたら粉雪の猛吹雪でしたが、秘密の 運動は実行しました。かじかむ手を暖める事もできず、秘密の運動をやりました。粉雪の 妖精は冷たい風に乗って僕の頭や頬に乗っかったり、張り付いたりしてきました。でも僕 は寒さや冷たさに負けず頑張りました。 体力と筋力を付けるためと、痩せるため、脂肪を燃やすために秘密の運動をこれからも 続けて行きたいと思いました。秘密の運動は朝20回帰宅後80回の1日に100回やっていま す。
1998年1月25日 日 ガキのように雪とたわむれた 昨日の夕方から降り続いた粉雪は、今日の朝にはやんでいました。僕は毎朝やる運動を 終えて母屋に行ったのですがお母さんが「後、15分ぐらい待っていて。」と言ったので、 雪でも触ってくるか、と思いまして、家の駐車兼庭へ行きまして、小学校低学年の頃のよ うに、雪を素手で触ったり、雪のボウシをかぶった小さな小さな植物の雪のボウシを払っ たりしました。それが、駐車場のあたりには、雪と氷がミックスされたようになっていま して、車椅子では動きにくくなっていました。 でも僕の足のキックカで、後ろには簡単に行くのですが、下が雪の山と氷の平地とがあ りましてなんとも変な感じでした。それに雪に触ったら、昨日の秘密の運動の時のように 手の感覚が失ってしまうようでした。 雪と遊んでしまうようでは、まだまだ僕の心の中には幼い心が住んでいるのだな、とし みじみと感じた今日の朝食前でした。
1998年1月27日 火 ここ数日の間に、お婆ちゃん、弟、お母さん、お父さんと順に罹ってきた風邪に、とう とうお兄ちゃんも感染したようだ。学校から「熱があるので迎えにきて欲しい」との連絡 があり、お母さんが慌てて迎えにいったそうである。帰ってきてそのまま寝たきり。ただ 熱はそんなに無いそうだ。
1998年1月30日 金 職業の授業で新しい事を始めた 今日の職業の授業は、僕だけ友達とは違う授業をKi先生が持ってくてくれました。 それは、ビニールポットと言う物でして、よく植物の苗木などが入っている物なのです が、そのビニールポットが強く抱き合っているようにピッタリとくっついているのです。 黒いみの虫のように。 その抱き合っているビニールポットを両手を使って別れさせました。右手で片方のビニ ールポットを押さえつけて、左手で引っ張りました。でも、なかなか別れさせるのは一苦 労しました。だって、僕の相手はゴムのうすいビニールポット。なので、僕が考えた作戦 は、2個のビニールポットを別れさせる所に爪を立てて、紙をやぶくようにして別れさせ て行きました。 最初にKi先生の方から「このビニールポットをちぎるのをやって。」と頼まれた時 は、嫌だな、こんな仕事やりたくないと思いましたが、やってみるとなかなかおもしろい なと思い始めました。 詩の作成ばかりやっていたので、気分転換になったのは間違いないと、心から思いまし た。でも、この仕事を毎回やれと言うのは、僕の心が怯えてしまうかもしれないと思った 僕でした。
1998年2月1日 日 サポーターを付けても膝は痛かった 今日は、「母屋で訓練をしたくない。」と僕はわがままを言ったら、お母さんは押し入 れから膝宛てのサポーターを出してきまして「これ付けてなら痛くないでしょう。」と言 って、僕の膝にサポーターを付けました。 でも、このサポーターを付けても、板の間に下りると膝が痛いと言う事は、去年の夏に 実際に体験しているので、痛いと言う事は知っているので、余り乗る気にはなりませんで した。 でも、わがままを言ってしまったので「嫌だ。」とは言えず、しぶしぶサポーターを付 けて板の間の上に下りまして、四つ這い歩行で前へ前へ進みました。キッチンの横を通 り、廊下にぬけ、トイレの前を通ってから、手すりに捕まりまして、膝歩きをしました。 でも足が硬直していまして、学校で行われる訓練会のようには歩けませんでした。 1人でやるのと介助者が付いているのでは、僕の体と心の緊張の度合いが違うな、と思 いました。
1998年2月3日 火 寒い日が続くと身体の調子を崩しやすい。身体の弱い者程そのようである?。 お兄ちゃんは37℃近い熱があると言って、9時過ぎには就寝。お母さんも鼻をグズグズ させながら、風呂にはいらず早めに就寝してしまった。お母さんは身体の調子を崩してい た上に昨日、今日と色々な検査を受ける為の病院通いもあり疲れが溜まったようである。 それに比べると弟は強い!!。
1998年2月8日 日 冷たい風に身を打たれ秘密の運動 今日も、母屋で訓練をした後に、秘密の運動をやりました。今日の朝は、雪が降ってい たと言う事でしたので、風は酷寒の地にふくような身を切るような風でした。でも僕は実 行しました。体力を付け筋力を付けるため、持久力を付けると同時に痩せるために秘密の 運動を続けます。 しかし、今日の秘密の運動は寒さとの勝負でもありました。冷たい風が僕の服の中にも 入ってきましたから厳しい運動になりました。氷を背中と胸に入れられたように寒かった です。でも自分の体には優しさは必要ないのです。少しぐらい寒くても耐え抜くぐらいの 心と気持がないと体は怠けると思います。寒かろうと暑かろうと、耐え抜いてこそ強い体 と心が育っと僕は心に思います。
1998年2月9日 月 会社で宴会があり10時頃に帰宅すると、家は門灯のみで中真っ暗闇。机の上に病状を書 いた紙が置いてあった。 お兄ちゃん : 熱はないが頭痛がする。 弟 : 昼間は元気だったが、薬が切れると38〜39℃の熱。 お母さん : 咳が出るし身体がだるい。 家の中でだだ1人元気だった弟も一昨日からインフルエンザに罹ってしまった。 現在我が家は最悪?の状態。
1998年2月16日 月 風邪の為に異常な状態にあった我が家もようやく普通の生活に戻ってきた。なかなか熱 が下がらなかった為に、病院で血液検査を受けたお兄ちゃんであったが、特に問題は無し と言う事で、とたんに元気になったようだ?。今日はもうパソコンで日記を再開した。 明日は、学校では競歩大会なので「休校しなさい」と担当の先生からの指示。まあユッ クリしたら!。
インフルエンザの上に気管支炎が重なる 先週の火曜日頃から、インフルエンザの症状が出始めてきて、これは参ったぞと思いま した。でも、弟が学校からインフルエンザウイルスを持ち帰ってこなければこんなに休む ことはなかったと思います。 まあ今年のインフルエンザは強いと言われていましたから、弟だけを責めるわけには行 きませんですが。でもインフルエンザウイルスがどれだけ恐ろしいか身を持って実感しま した。 インフルエンザと診断されて2日後体の自由が奪われて、トイレに行くのにも恐怖が体 にまとわりつき恐る恐る行った覚えがあります。それに、その夜は僕が感じた事のない頭 痛が僕を襲い、体温は41度5部まで上がりまして、僕は死ぬのかとまで思ったぐらいです。でも、高熱は日を増すごとに下がってゆきました。僕はドクターの話を聞いていて心 が闇の扉の中に入って行くのを感じました。「インフルエンザが消えるまで、入院してち ゃんとしておいた方が良いかもしれないわね。」と、言われて僕もそうした方が早く楽に なれると思ったのが大間違いでした。 今、ここで入院したら病院の中で1年近くいなければならないのです。なぜかと言う と、悪性の強い菌に捕まってしまって、KiさんやSkさんに2度とあえないばかりか、 進級する事すらできないのです。 でも今日、病院のほうへ行きましてドクターの診察を受けた結果「気管支炎の方も良く なってきているから大丈夫でしょう。」と、言われて一安心。 でも、今回のインフルエンザと気管支炎で休んで、学校の方の授業はどのくらい進んだ のでしょう。水曜日から、学校に行けそうですがかなり遅れていると思います。
1998年2月20日 金 弟を塾に迎えに行き、交差点で右折の為に停車しているところへ追突された。咄嗟に身 体を前に倒したのが幸いして、鞭打ちなどは無かったけれど、車はかなり損傷した。後部 がかなり凹んでしまったうえにドアが上手く開かなくなってしまった。追突した車は前部 がグシャグシャになり「もう使えんナー」と言う状態であった。 相手が100%悪いとは言え、交通事故はとにかく怖い!。双方人身事故にならなかった のが不幸中の幸い、と思おう。
1998年2月22日 日 春近し 今日、母屋での訓練も秘密の運動も終わって家に入ろうと思ったら、お父さんが僕を呼 び止めたのです。「オイ、外に出てみたらどうや。」と言われて僕は外にてでみました。 すると「花にミツバチが来てるぞ、良く聞いてみい。」と、お父さんが言うのです。 お父さんは僕が視力より聴力の方が良いと言う事を知っていたから僕に「良く聞いてご らん。」と言ってくれたのだと思います。 僕は耳を澄ませ心の扉を開きミツバチの羽の音を探しました。すると、幼い頃に聞いた ミツバチの羽の音がたしかに聞こえました。羽の音が聞こえる方に目をやると黄色と黒の しま模様が見えました。「もう春だな。」とお父さん。弟は「ミツバチだから見ていられ るけど、スズメバチは逃げなかんね。」全くだと僕は思った。
1998年2月23日 月 学校でパソコンの時間に、鉢植えのカップのラベル剥がしをやる。パソコンの時間はい つも詩をかいてばかりなので気分転換にやったとの事である。他の生徒はパソコンを使っ て色々な創作活動をやっているそうである。 それを聞いたお母さんが「お父さん、何をやったらいいか教えてやって!」ときた。と 言われてもことらも困ってしまう。お兄ちゃんが何が出来るのかについては、それなりに 考えているつもりなのだが...、なかなか見つからないと言うのが正直な所。「根本は本 人が何をやりたかだ!」とは言ったものの...。
1998年2月24日 火 病院で淡の検査をやる事になった。「臭いがするし...、キットだめだわ!」とお母さ んがかなり落胆した様子。菌があるかどうかは3月に入ってから分かる、との事である が、菌があった場合には、学校を休んで治療に専念しなければならない。早くて3ケ月は かかる。またまた辛い毎日になるナー。
1998年2月25日 水 詩の心を聞く 今日の総合の授業の4時間目に、Kiさんの詩が入選したと言うNHKハート展のビデ オを見ました。その中で、Hn君とよく似た障害を持った人が出てきましたが、その人の 詩は僕の心になんらかの光りを射してくれました。 心打たれたのは、その人の詩の終わりから2行れか1行目だと思います。左半身麻痺で、 歩き方の文が、僕の心になにか分りませんが、障害に負けない強いメッセージのような物 を感じました。 でも、僕にはこの人のような詩は絶対書けないと思いました。T文に書かれた強さが僕 には書けないのです。それと、僕の詩には素直さが全くでないのです。僕の心が氷に閉ざ されているかのように。素直な気持を取り入れてこれからも詩を作って行きたいと思いま した。
1998年2月28日 土 家の裏の土地からトンカチトンカチ 木曜日あたりから、僕の家の裏の土地に家の土台らしき物ができていました。 僕は新しい家ができて、引っ越ししてくる人たちの中に女子中学生や女子高校生が来る と嬉しいかな、と思っていました。 しかし、その家を作るのがうるさくてうるさくて、僕の心は乱れほうだいです。トンカ チトンカチされますと、僕の心の中に広がるミラ詩の石柱がガタガタと音をたてて崩れ落 ちてゆくのを感じています。 詩集ミラは、生徒たちの声や先生方の声が入っても、心に描かれた物やテレビから得た 知識などを詩にしているから、外部からの音は余り被害はないのですが、家のミラ詩はそ のようには行かないのです。 心を静かにさせて落ちつかせて、詩を心に描きパソコンに入力するのです。でも、今日 から大工さんたちが、裏の土地に入りトンカチトンカチと木をたたく音が聞こえてきまし て、詩の作成には最悪の条件です。
1998年3月1日 日 Kiさんの詩に刺激を受けて、土日に詩を書けたら 先週の水曜日に、Kiさんの書いた詩が紹介されたNHKハート展のビデオを見せても らいまして、僕も土日ぐらいは詩でもパソコンに入力するか、と思いました。それに、パ ソコンに入力した文字を加工する事を、お母さんに教えてもらいまして、詩の内容はメチ ャクチャでも、詩の題だけでも加工して見栄えだけでも、と思いまして詩の題を太字にし たり、題全体を斜めにしたりしています。 でも、この字の加工が中々楽しいのです。あまり字は見えないのですが、字が変化して いるぐらいは分かります。パソコンの機能を出来るだけ多く使って詩や日記を飾ってみた いです。
1998年3月5日 木 2月7日から16日間に渡って行われた長野冬季オリンピックと同じ会場を使って、今日 からパラリンピックが始まった。欧州以外では始めての開催だそうである。その開会式を TVで見た。オリンピックにに対して、その規模は比べるまでの無いが、見る人に与える 感動の大きさはキット変わらないだろう。
1998年3月9日 月 パラリンピックのTV放送が少ないと思う。障害を持った人でもこれだけ出来る、これ だけ明るく生活出来る、と言うところをもっと放送しても良いのに、と思う。 それでもニュースにはかなり取り上げられていて、日本選手のメダルラッシュを伝えて いる。やっぱり、実際に滑っているところ、走っているところを見たいナー。 「限界に挑む」太田和歌子選手。考える事はオリンピックの選手と同じである。
1998年3月11日 水 私の進路について 今日の1時間目は、明日関養護学校から巣立って行く卒業生方の話を聞きました。 最初に話をしてくれたのはT君でした。T君の話を聞いていたら学校の授業の工業でや っているような事を、仕事としてやっている所に行ったみたいですが、答はノーと言う事 でした。工業で学んだ知識を生かせる所だと僕は思いました。 しかし、左半身麻痺と言うだけで会社の人たちに「右手でできる仕事もあるけどそれ以 外は掃除だよ。」と言われたみたいです。 僕もその気持少しぐらいですが分ります。だって僕が希望が丘にいる時も喉に菌が出た 時は1つの教室に閉じ込められて、1歩も外に出る事は許されず友達とみんな別行動。T君 が味わった悔しさ寂しさ悲しさは、僕に痛いほど伝わりました。 僕が卒業したら行く作業所の杉の子園では、T君が味わったような、心を切り裂くよう な事はしないと思いますが、心を引き締めて作業に取り組まないと、首を切られるかもし れませんので、心を落ちつかせて色々と取り組んで行きたいと思いました。
1998年3月12日 木 お世話になった先輩方に、心から盛大な拍手を送る 今日はお世話になった先輩方が、関養護学校と言う巣から巣立って行く日でした。 そんな大事な場で僕の隣に座ったYさんの事が気になってしまってしかたがありません でした。僕とYさんの距離が近すぎたのです。 先輩を送る式でこんな事をやっていてはいかん、と思っていたら卒業生が入場してきま した。僕たちは、盛大なる拍手で卒業生たちを祝福しました。卒業証書授与式の時は心の 奥から涙が溢れ出てきました。やっぱし去年の卒業式は、僕たちと接してきた年が1年だ ったから、こんなに心がびしょぬれになるほど泣きませんでしたが、今日関養護学校から 夢の翼を手に、巣立って行く先輩たちは、2年間一緒にすごしてきた先輩方たちなので別 れはとてもつらいです。 僕と一緒に障害者甲子園に行ってくれて、僕に新しい世界を見せてくれたA君。 僕の心に眩しい光りをさし込んでくれて、僕が始めて綺麗だと思い、ひそかに見つめ続 けたKさん。 障害者甲子園でリーダーシップを取ってくれたH君。 週番活動で僕たちの面倒を見てくれたT君。 僕たちに、優しい笑顔を毎日見せてくれたSさん。 「先生が嫌いだ。」と言っていたWさん。 僕の心に色々な刺激や感情と片思いの恋と何事にも挑戦する勇気をくれた。先輩方が僕 にくれた色々なものを、進級できたら3年生で、もし出来なかったら2年生で実行したい と思います。
1998年3月13日 金 13日の金曜日、あれから6年3ケ月の長い長い月日だったと思う。それ以上にお兄ちゃん の頑張りの凄さを知った月日でもあった。 今後のことは分からないけれど、政治のあり様も含めて、心配の無い生活が出来る世の 中になるのだろうか。不況の真っ只中でフッと不安を感じるこの頃である。
1998年3月20日 金 お兄ちゃんの障害等級の再調査の指示が町の役場から着た。その為、お母さんとお兄ち ゃんは希望が丘へ診察を受けに行った。結果は2級、3級の合併で1級と言う事であっ た。町からの支援は従来通りと言う事になるが、やはり残念である。今の状態から良くな る事はないのかナー。
1998年3月21日 土 痛みを耐え抜き車椅子へ 僕は、毎日毎日起床してから、歩行訓練のため1人で歩いたり1人でトイレへ歩いて行っ たりしています。その後にベットへこしかけて車椅子へ行っています。 歩いてきてベットへこしかけるところが今日はダメだったのです。一応ベットにはこし かける事ができたのですが、座る位置が前の方すぎまして、板の間の上にしりもちをつい てしまったのです。朝から大変な事になってしまったのです。畳の上板の間の上などは僕 の体にとっては天敵どうぜんなのです。 僕は左腕1本でベットの手すりまで移動しました。でも、その手すりに捕まっても立て ないのです。いかにして痛みを最小限にして立つか、と考えた時に、足を前に出していて は絶対に立てない、と思いました。こんな時どうすると考えた時、寝て足を立て直すが1 番だと思った。しかし板の間の上に寝ると、肩や背中や肘が痛む。この痛みを耐え抜かな ければベットにも車椅子にも行けない、僕は痛みを力に変えて、わずかながらでも動い て、ベットに手をかけ手すりの方向へジリジリと動いてゆきました。手すりに捕まったら こっちのもの、膝を立ててベットの上に乗って車椅子に乗り移るだけです。 こんな痛い体験をしたのは県立病院に入院して以来です。
1998年3月24日 火 2学年の終業式。この1年間も(お母さんも)よく頑張ったと思う。しかし、MRSA の検査はプラスになってしまい、春休み後の学校生活はかなり制限されたものになるとの 事。ただ、先生も看護婦さんも気楽に捉えているようで、その辺りが、学校の生活にどの 等に関わってくるのか良く分からん?。 とにかく、早くこの細菌から開放してやりたいし、それに修学旅行には是非参加させて やりたい。
1998年3月27日 金 お兄ちゃんと弟の成績表を見た。2人共出来る範囲内で頑張っている、と言うことか な?。今の教育は長所を伸ばす事に重点を置いているのだろう、良い点が丁寧に記述して あった。 2人共春休みに入ったのだから、それなりに目標があると良いのだが、お兄ちゃんはお 母さんに振り回されているし(そんな言い方はないか?)、弟は相変わらずマイペー ス?。 |
「関養護学校U・後編」は以上で終わりです。
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「関養護学校V編」は
学生生活最後の1年間です。
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この1年間も
に分けました。
宜しければ、こちらも引き続き読んで下さい。
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