「自立にむけて」 

  


 

1997年4月4日 金

  頑張った両腕

 今日もいつも通り、母屋で訓練をやりました。

 最後からひとつ前の腕立て伏せを頑張りました。前までは、七回か、八回の一桁しかで

きませんでしたが、今日は二桁の十回できました。でも、その十回は肘を曲げたままで、

とても辛かったです。

 

1997年4月8日 火

 長かった春休みも終わり、今日から学校が始まった。久しぶりで緊張したかな?。

 「疲れたか?。」と聞いたら、お母さんが「私は本当に疲れた。頭も痛くって2時間く

らいも寝てしまった。」との事である。頭が痛くってイライラしてでは、車の運転が心

配。

 

  断り続けたが選挙管理委員会へ

 今日は新学期で、心ワクワクして体育館へ行きました。

 そして、2年2組に入って自己紹介をすませた後、Mn先生

が「去年選挙管理委員会をやったのはOか。」と僕に聞くの

です。僕は首をふりながら「去年はH君がやっていたんじや

ないの。」と言うと、Mn先生が「アーソウヤッタアーソウヤッタ。Nもやったな。」と言っていました。「そしたら、

Oやれ。」と僕に言うのです。

 僕は、すごい見幕で選挙管理委員会を断り続けました。だって、僕が小学校の時クラス

のグループ班長をやった事があったのですが、班の子が何か悪さをした時、叱られたのは

班長の僕でしたから、選挙管理委員会は嫌なのです。しかし、Mn先生の押しで引き受け

てしまいました。物忘れが激しい僕が、選挙管理委員会なんか務まるのか心配です。

 

1997年4月9日 水

 お父さんが帰宅してみるとお兄ちゃんが”組紐”をやっていた。お母さんに言われてや

っていたのかどうかは分らないが、始めるととにかく一生懸命やる。”組紐”は何本かの

糸を専用の台の上で順に編んでいくのだが、似通った色の糸もあり、目も見難い当人にと

っては辛い仕事のように思うのだが、、、。1本1本確認しながらユックリ編んでいる姿に

はとにかく感心する。

 

1997年4月13日 日

  ミラ家で訓練

 何時もは、母屋でやる訓練を今日初めてミラ家で訓練をやりました。ヨツバイ歩行は、

トイレの前を通って行きました。母屋と違って、床が板の間なので分厚いマットを敷いて

も膝が痛かったです。それに、普通歩行がほとんどできませんでした。床に足がくっつい

てしまったように、床から足が浮かないのです。僕の体は、新しい場所では固く硬直して

しまうのです。

 この状態は、県立病院の廊下や希望が丘の廊下なので見られた光景でした。慣れない環

境に来ると僕の体は固く硬直しやすい体みたいです。

 

1997年4月20日 日

 午後、昨日に続いて今日もF社の人が幾つかの障害者用のソフトを持って来てくれた。

 昨日はパソコンにインストール出来ても動作しなかったり、動作させる為には補助的な

ソフトが無かったりで、今日又名古屋から来てくれたのである。感謝!!。

 今日は持って来てくれたソフトは動いたものの、お兄ちゃんが直ぐに使えそうなソフト

は無かった?。それでも慣れれば使えるかも、と思うソフトもあり学校の先生にも聞いて

みる事にした。今は、少しでも出来る範囲が広がれば、と言う気持ちである。

 

  画面が大きいノートパソコン

 今日の昼過ぎ、F社の人が家に来てくれました。

 昨日も昼過ぎに来てくれました。僕が関養護学校を卒業しても、パソコンを続けれるよ

うにか分りませんが、休日の二日間F社の人が家に来てくれました。F社の人はノートパ

ソコンを家に持ってきてくれました。

 今日は、僕もノートパソコンの操作を少しやらせてもらいました。操作をやった、と言

ってもマウスで文章を読んだだけですが、機械文字で読むのに苦労しました。普通文字の

五倍でやっと読めるようになりました。

 でも、マウス操作は何回もやってみましたが、慣れてないせいもあって文章が右に行き

過ぎたり、左に行き過ぎたりして、僕には使いこなせない物だと身を持って知りました。

 僕に強い視力があったらノートパソコンももっと自由に使いこなせるのに、と心で大泣

きしました。

 

1997年4月21日 月

 昨日F社の人が持って来てくれたソフトを本人が使ってみた。「難しいなー。」と言い

ながらも嬉しそうだった。自分が出来る事の範囲が広がるのが良いのだろう。

 これから慣れて使えるようになるにはそれなりの時間が必要だろうが、キーボードの使

い方をマスターした事を考えれば大したことはないだろう。とにかく今度のソフト(「ド

キュメントトーカー95」)は本人にとってかなりプラスになりそうだ。

 

1997年4月26日 土

 好天気が続いている。お兄ちゃんとお母さんは、希望が丘の有志が主催するバーベキュ

ー大会に出かけて行った。毎日の通学に疲れながらも出かけていくのがチョット心配。

 

1997年4月28日 月

 たて枠組み・組紐

 今日の午前九時半から作業所で、前に編んでいた組紐より一歩進んだ編み方「たて枠組

み」を、Ho先生とIoさんに教えてもらいました。

 前回のと違って編む紐が一本増えたので難しいです。それに、一本増えただけなのに順

番をひとつ間違えるだけで、全部の紐が一ケ所に大軍のように集まってきて、今までに一

生懸命編んだ組紐が、水の泡になってしまう時があったので、気を付けて編まないといけ

ないので、なかなか編めません。気を落ち着かせて編んで行かないと、一瞬の気の緩みが

たて枠組みを殺すかもしれないからです。

 

1997年4月29日 火

 昨日は久しぶりに雨、今日は又晴天となり、最高気温は26℃を超えたようである。そん

な中、午後から庭の手入れ。テッセンのつるを這わせる木を打ち込んだり、垣根の大枝を

切ったり、結構やることがある。兄弟揃って手伝いをしてくれた。弟も最後まで手伝って

くれた。さすが中学生、と思う力がある。

 明後日からはゴールデンウィーク、今年のゴールデンウィークも色々の家事仕事で終わ

るかなー。

 

1997年5月3日 土

 連休3日目。家族でボーリングに行く。

 弟は本当に上手くなった。お父さんの成績がひどかった事もあるが、2ゲームのトータ

ルでは負けてしまった。兄のボーリングは障害者用の台を使って行うものであるが、スト

ライクが出た時はヤッパリ嬉しそう。

 

  初めてのストライク

 今日の午前九時から家族でマーサボールへ行きました。

 最初から中盤にかけてボールを押す力が強すぎて、ボールは、ボ

ーリングのレーンを迷うように、左右に転がって行くのです。親や

弟を見ていると、力で押し倒しているみたいで、僕もみんなと同じ

ように力で押し倒そうと思って、力任せにボールを押していまし

た。

 そんな時、お父さんが「ボールを押すのではなく、転がしたらど

うや。」と言われたので、ボールを転がしてみました。」すると、

ピンが全部倒れてストライクが出ました。初めてでした。突然来

て、嬉しさに僕は嬉しさをあまり感じませんでした。

 次の番は、全然倒れず奇跡のストライクでした。

 

1997年5月5日 月

 小さな命

 今日の昼食後、弟と一緒に庭へ行きました。今日は陽射しが強く暑かったのです。

 そこへ弟が「お兄ちやん、雨蛙がいるよ。」と言ったのです。(僕は、雨蛙が、どのく

らいの大きさか、忘れていました。)

 僕は弟に「雨蛙、見して。」と、頼みました。そしたら「お兄ちやん、つぶさんといて

よ。」と言って、僕の手の平に雨蛙を乗せてくれました。すると雨蛙は後ろ足のバネでぴ

ょいっと飛んで逃げてしまいました。この時僕は思いました。(雨蛙も小さな体で頑張っ

て生きているのだな。)と感心したような、生きている美しさを感じたような、心がおじ

ぎしてしまったような一時でした。

 

1997年5月9日 金

 久しぶりに早く帰って着たところをお母さんに掴まり、ワープロの支援。学校の関係

で、どうしてもワープロの表を作らなければならなくなり、悪戦苦闘をしていた所だった

ようだ。お父さんがサッサと作ってしまうと、「コリャー、嵌ルワー。」といった調子。

これから自分で色々考えながら使ってみるそうである。

 

    障害者甲子園に行きたいような気がするけど作文が

 今日の下校バスで、A君が「O君、行こうな。」と、言うのです。この事は、僕が一年

生の時から、A君が僕に進めている事でした。「障害者甲子園に、行こうな。」と僕に進

めてくれるのです。

 でも、僕はA君に行けないわけを話しました。「僕は、喉を気管切開しているから、も

し喉のキャップがはずれたばあい、声が出なくなるからまずい。」と、言って逃げてきま

した。

 でも、障害者甲子園に行ったA君やKさんの話を聞くと、二人とも「良かったよ、良か

ったよ。」と言うのです。僕も一人旅をしたいと思うのですが、喉の事が心配で、障害者

甲子園には絶対行けない物だと、思っていました。

 でも、今日の下校バスでA君が言った事をお母さんに話すと「そりやあ、良い機会だか

ら行くと、良いよ。」と言ってくれました。合うった事もなく、名前も知らない女子生徒

と友達なれるなんて、なんか謎の旅行で、楽しそうなんですが、行くには作文用紙三枚も

書かなければならないので、作文だけが最大の難所です。

 

1997年5月11日 日

 今日は18歳の誕生日、もう大人である。これからは、悩みも「大人の悩み」になってい

くのだろう。お父さんやお母さんでは解決出来ない悩みにぶつかる事もあるんだろうな

ー。

 

 誕生日ケーキはキャロットケーキ

 今日は僕の誕生日ですが、去年の今日は自分の誕生を忘れて

いました。それに、17・18ともなると、誕生会なんかやっても

らうと、なんか恥ずかしいような、気がしてならないのです。

それで、今年の誕生日ケーキは、30分ぐらいあればできるキャ

ロットケーキを、お母さんに作ってもらように、頼んでおきま

した。

 誕生会の後の晩ご飯は、アトムボーイのお寿司を食べに行き

ます。

 

1997年5月14日 水

 昨日、九州南部で震度6の地震。今日は全国的に大雨。自然の大きな力を見せ付けられ

た昨日・今日であった。そんな中で、人間の小さな戦い・お兄ちゃんの努力が続いてい

る。

今日はお母さんが(ほとんど)面倒を見てくれなかったのに、自分の日記をプリントする

事が出来た。昨日、お母さんが「チィットモ、プリントの方法を覚えようとしない。」と

怒っていたが。

 少しずつ、少しずつではあるがパソコンを自分のものにしていく。毎日の積み重ねはす

ごいものだと、改めて感心する。

 

1997年5月20日 火

   ミラ日記印刷

 今日、初めてミラ日記印刷を、自分一人の力で印刷する事ができました。

 お父さんやお母さんが、色々な事を教えてくれたから、今日初めてミラ日記印刷ができ

ました。9時半にミラ日記印刷を始めたのですが、メチャクチャ緊張して、心が死刑台に

立たされているみたいで、初めて体験した感情でした。

(こんな事まで、やっていいのだろうか。)心の怯え、胸の高まりを押さえて、パソコン

を操作しました。でも、操作の間違いがあれば、せっかく入力したミラ日記が、消えるお

それがあったので、怯える心を押さえつつミラ日記を印刷してみました。

 でも、字の設定がうまくいかなかったのか、(18に、設定してしまったか。)と思いま

したが、(だめだっら、お父さんに印刷してもらえばいっか。)と思いながら、今日の日

記を印刷しました。

 

1997年5月22日 木

 自分で印刷出来た、と言ってもコマンドが全て頭に入っている訳ではない。少し違った

ことをやろうとすると、直ぐにパソコンが「言う事を聞かない。」状態になってしまう。

今はお兄ちゃんもお母さんも”悪戦苦闘”状態である。

 それでも、お母さんは友達の影響もあってか、「少しづつパソコンの面白さが分かって

きた。」そうである。最近お母さんが最近使っているソフト。「ファインアーチスト」、

ゲームソフトの「四川省」、、、。そして今欲しいソフト「水彩」。

 

  制限時間すれすれ

 今年初めてのテストが、数学のテストでした。

 今日の所は、去年のFt先生の授業でやったので、そんなに、難しくはなかったです。

でも、テストの中盤辺りに来ると、小数点を右に動かすか、左に動かすのか、分らなくな

ってきたのです。この時点で、頭の中は数字と数字が、交通渋滞。こうなったら、昔々の

算数へ逆戻り。過去の記憶をたよりに、数学のテストを受けました。

 でも、数学のテストが終わったのは、30分以上だったので、アウトでしたが、Mg先生

が6分ぐらいまけてくれたのでギリギリセーフでした。

 

1997年5月27日 火

  S君にスゴイと言われた

 今日の職業の授業の時、隣に座っていたS君が、僕の方に近ずていきて「パソコンのキ

ーのいち、全部覚えているなんてスゴイね。」と、言ってきました。

 僕は、S君の質問に答えるように「僕は、希望が丘にいる時に、パソコンのキーの位置

を覚えないと困るのは、O君だからね。と、言われたから死に物狂いで覚えたんだ。」

と、S君に、パソコンのキーの位置を覚える苦労話をしてしまいました。

 次に、S君は「何で、パソコンの画面に出る字が大きいのですか。」と、聞いてきたの

です。「僕は、ものすごく目がわるいから、このくらいの字しか、見えないんだ。(字の

大きさ48か、40ポイント)」。僕は、良い友達ができたな、と嬉しく思いました。何でも

言い合える友達は、やっぱし良いもんだな、と思いました。

 

1997年6月1日 日

 お兄ちゃんとお母さんは学校の「ふれあい祭」に朝早くから出かけて行った。そして「疲れたー」と言って帰って着た。少々熱があるようだ?。明日は休校だそうである。ユックリすることも必要だ!。

 

1997年6月2日 月

  天国を見るか、地獄を見るか

 明後日から、進路週間が始まります。

 糸貫杉の子園には、何度か行っているので、そんなに心配はしていませんが、M先生の

話によると、「進路週間中は、作業所の中では、君たちが一番年下だから、目上の人たち

に、失礼がないようにな。」と、言われました。

(杉の子園でやる事も、少しは、分っているので、友達よりは楽かもしれません。)で

も、(慣れているから、大丈夫だと思っていると絶対失敗するので、気を引き締めて、頑

張りたいと、思います。)腰が痛くなりますけど、頑張りたいと思います。

 

1997年6月5日 木

 昨日から作業所で実習訓練が始まる。その事を日記に書いたところ「真摯に作業に取り

組む姿が素晴らしい」との注釈が書いてあった。

 真面目な子供であることは日頃の態度を見ていてもよく分かる。小学校6年生の時の素

直さがそのまま残っているのだろう。こんな子供が安心して生活出来る世の中になって欲

しい。

 

1997年6月8日 日

  後、二日

 昨日今日と中休みをもらって、明日明後日と作業所へ行けば、学校

へ通学できる。

 作業所での生活はどうだっかと言うと、簡単に言えば「疲れた。」

の一言ですが、午後からの仕事は組紐ですが、組紐の時は、話の輪が

広がりまして、なかなか楽しいです。

 それに明日は、組紐の先生、Ho先生が、杉の子園にきてくれま

す。立て枠組みが終わったら、次の組み方を教えてもらえるので、早く立て枠組みを終わ

らせたいです。

 

1997年6月12日 木

 先週、髭剃りを買ってきてやった。出来るだけ操作のし易い物を買って来たつもりだっ

たが、不自由な左手での操作はやっぱり使いづらいようである。今日も夜にお母さんを呼

ぶブザーが鳴った。髭剃りを止められなかったのである。手を添えながら操作を教えてや

ってようやく「何となく分かった」そうである。

 

  マスクしてカラオケいいかもね

 今日の音楽の授業の初めに、声の音程の検査がありました。

 音程の検査の前に、Kさんの隣に僕がくるようにいすを並べたのです。だって、僕とK

さんが音程をシッカリ発音できるみたいなのです。

 でも、授業の中では失敗を二度か三度音程のづけで、Sy先生に叱られました。でも、

音楽の授業が終わって、僕は、Kd先生とKさんの後ろを通っているとKd先生が「O君

は、音程がちやんと取れているから、マスクしてカラオケ行くと良いよ。」と、言われま

した。

 初めてです。音楽の先生から、やほめの言葉をいただくなんて初めての事です。僕は、

小学校のころから音楽の授業は逃げたくなるほど嫌いでしたから、今年中に音楽の授業が

好きになるように努力します。

 

1997年6月16日 月

 少し前から始めた「組紐」を今は一生懸命やっている。その根気、やる気には感心す

る。

学校から帰ってきての時間は、パソコン、TV、詩を考える事、そして組紐である。今は

TVを見る時間を少なくして組紐をやっている。

 目的を持ってやっているからだろう、自分から「組紐をやる」と言って始めることが多

い。

 

1997年6月17日 火

 会社から帰って風呂、食事を済ませて10時頃に新居に行くと、今日も組紐をやってい

た。きっとパソコンで日記を書いた後ズーとやっていたであろう、終わる頃には目をしき

りに擦っていた。こんなに根を詰めてやっていたのでは目に良い訳ないなー、と思う。パ

ソコンでも目をかなり酷使しているはずだし...。

 

1997年6月23日 月

  ガタガタ震えた進路講話

 今日の総合の授業は、進路講話会につぶされましたが、とてもいい話を聞かせてもらい

ました。

 最初は、Kg先生の話を聞かせてもらいました。Kg先生が言うには、「高等部で何か

好きなものを見付けなさい。」「それと、嫌いなものを好きになりなさい。」と、言われ

ました。

 僕は、授業で嫌いな科目は、今の所ありませんが、もっと真剣に授業をうけないとそれ

は分らないのかもしれないと、反省しながら聞いていました。

 この後、生徒たちの質問を取ってくれました。A君やSさん、Kさんなどが、Kg先生

に質問していました。

 僕も、Kg先生に質問をしてみました。僕の一番の悩みをKg先生に訪ねてみました。

それは、目の悪さです。この時の僕の体は、両腕が何かに怯えているように震えていまし

た。僕は、あまり接した事のない先生に話すと、なぜか拒否反応をおこしてしまうので

す。でも、僕の質問には、Kg先生は、少し頭をかかえたようでした。そして、Kg先生

の口から出た答えは、「難しいね。」の答えでした。「視覚障害の生徒さんは、就職はむ

りだね。」と言われました。「ダメだね。」と言われても僕は、「ありがとうございまし

た。」と、言いながら頭を下げました。

 そして、職業の授業を終え、下駄箱の前にくると、Mu先生が僕に話しかけてきたので

す。「Oだけやったな、お礼を言ったのは。」そうなのです。お礼を言ったのは僕だけで

した。あの大学受験取り組むKさんも言っていませんでした。県立病院で身に付いてしま

った、お礼がこんな所で役立っとは、思ってもみませんでした。

 でも、質問する時は、何かに怯えるように体が震えてしまい参ってしまいました。

 

1997年6月25日 水

  睨み術を使って

 今日の総合の授業の最初の一時間は、保健室で視力検査をやりました。

 出席順に視力を測ったのですが、僕は睨みながら見る時は、ハッキリ見える事が分って

いたので、最初から睨み術を使っていきました。すると、僕の思ったとおりの結果が出て

きました。焦点を合わせるのに時間がかかりましたが何とか分りました。

 でも、普通の状態ならば、ぼやけて何も見えないのです。でも、睨み術を使えば一部分

だけ見えるのです。これも、左右の眼球のいちがわずかながら違うから、睨むと焦点のい

ちがあうのだと思います。睨み術を使わなくてもハッキリ見えるようになりたいです。

 

1997年6月28日 土

  嫌な嫌な、宿題を終え

 今日の朝から、Mn先生から出された宿題をお父さんや弟の力をかりまして、宿泊学習

の日程をパソコンに入力しました。お父さんに大きく字を書いてもらって僕は、そのとお

りにパソコンに入力していくだけなのですが、日程をパソコンに入力するのに、半日以上

かかってしまいました。

 ミラ日記のように、でき事と思いを入力するのなら簡単ですが、宿泊学習の日程なんか

初めてだし、時刻を入力したり時刻と時刻との間波線を入れるのが、けっこうめんどくさ

かったです。破線の出し方は、ミラ日記の中で遊びのつもりで変換していたら破線が出て

きたので、時刻との間に破線を入れる事が出来ました。

 破線より苦労したのは、1日日、2日目の左右に付けた大きな横vでした。これは、記号

と入力すれば出てくる事は、知っていたのですが、左右同じ大きさのVが出てこず、大粒

の涙を流して泣きたい気分でした。

 でも、そんな事を言っていては友達に笑われると、思って頑張りました。

 

1997年7月2日 水

 学校の紹介で、ホームスティ(正式には「障害者甲子園」と言うそうだ)に参加する目

的等の作文を書いている。お母さんの意図する文になっていないようで、「お父さんどう

しよう?」。急に言われても「何を書けば良いんだ...?」、と言う訳で改めて明日相談

にのることになった。

 

1997年7月3日 木

 「障害者甲子園」は、参加の意思を作文で応募する。書類選考を行ってOKならば、”

1人”で兵庫県まで行き、ホームスティを含む3日4泊の交流会に参加する催しだそうで

ある。ボランティアの介護はあるものの、参加者にとってはかなり勇気がいる。参加でき

れば本人にとってそれなりの自信になるのだろうが...。やっぱり心配が先に立つ。

 

  ミラ・コンピュータ

 今日の職業の授業で、驚きが一個ありました。

 パソコン室のノートパソコンが、2個消えていました。そこには、去年使っていたパソ

コンが2台ありました。僕は、何でこんな所に大型パソコンがあるのだ、と思いながらF

y先生がくるのを待ちました。何でこんな所に大型パソコンがあるのか不思議でなりませ

んでした。僕は、やっとノートパソコンに慣れてきたのに、何で入学した時のパソコンに

戻ってしまったのか悔しくも情けなく思えてきました。

 少し待っていると、Fy先生がきて、「O君、Hm先生が、O君の打った詩を大型パソ

コンに移してくれたから、このパソコンは、今日からO君のパソコンだ。」と、言ってく

れました。

 僕の心は、悲しみの涙に濡れましたが、Fy先生とHm先生が僕のために用意してくれ

た、パソコンを使わせてもらいます。進歩のない僕のために、もったいない品物だから、

感動する詩や心打つ詩を考えて入力していきたいと思います。

 

1997年7月8日 火

 会社から帰宅し新居を覗くと、もう就寝していた。今日はプールでの授業があり、疲れ

たのと少々熱があったようだ。慣れない事に対する耐力が無いと言う事だろう。今年は6

月から異状に暑い日が続いているが、こんな事も身体には辛いのだろうナー。

 

1997年7月11日 金

 今日からスポーツプラザへ1泊2日の宿泊学習。初めて家族とはなれての宿泊である。

主人のいない新居はやはり寂しいものであるが、お母さんは「ノンビリ出来た」(?)。

やはり、本人が居ると居ないとでは(精神的な部分を含めて)かなり違うようである。本

人がいても、これくらいの精神的な余裕は欲しい!。

 

   宿泊学習の反省

  テーマに乗っ取って行動できず

 ドリームシアター岐阜から、長良川スポーツプラザに着い

て、僕が一番最初にとった行動とは入浴の準備でした。

 でも、床は日本ならではの畳でしたから、勇気を出して覚悟

を決めて、僕の膝の天敵である畳へ、足を踏み入れたのです。

 家でも畳の上に落ちた事が何度もあるので、針千本の上に落ちたような痛みがある事

は、知りつくしていました。でも、危険な橋を渡りかけました。畳の上に降りると、案の

定膝に、絶えられないような痛みがきました。それと同時に、膝や脛に強烈な痺れがきた

のです。僕は、痛みには慣れているつもりだったのですがその場に動けなくなってしまっ

たのです。歯を食いしばりながら、宿泊学習のテーマを思い出していました。

 でも、畳の痛さには藁をも掴む思いでしたから、Mn先生に入溶道具を出してもらいま

した。この時、テーマの仲間とのふれあいを深めよおー、が脆くも崩れ去る思いがしまし

た。嫌、僕が畳に降りる前から、崩れていたのかもしれない。

 仲間に頼べはよかったのかもしれない。僕の自分勝手な行動が、テーマを崩し仲間を信

頼していない事に気付きました。

 でも、Mn先生が、「O君の喉が心配や。」と言う事で、N君たちの寝る308号室から

302号室へ移りました。なんか、シッポを巻いて逃げたように感じました。迷惑をかけた

のに申し訳ないと思いました。302号室で、ふとんと一緒に横たわりながら、どうしよ

う、テーマを最初から砕き崩してしまって怒ってるかな、明日謝った方がいいかな、と思

いながら眠りの罠の中へ入っていきました。

 でも、今日の朝、友達に謝る事ができなかった。いや、ちがう、謝る勇気が僕にはなか

ったのです。

 

1997年7月12日 土

  スポーツプラザの中での運動

 スポーツプラザに入って、2階に上がったら別世界のように感じました。1階とは違い、

天井がものすごく高いのです。

 僕は、その場で運動を開始しました。広い広い所で、体を動かすときもちいいだろう

な、と思ったり、手を天井に届くぐらい上に上げたり、腕を左右に振ったり、両足を伸ば

して脛の辺りを解したりしましたし、片足づづ抱いたりしました。

 この運動は、僕が家で、毎朝やっている事です。

 宿泊学集中は、連動が絶対できないと思った僕は、その大広間にくると、色々な運動を

やりました。誰が見ていようと、大広間にきたら運動をやりました。

 夕べの集いの前だったと思いましたが、Mg先生が、「O君、えらいね。」と、言われ

たと思います。でも、この運動は、痩せるためにやっている事だし、これ以上太らないた

めにやっているだけです。でも、失敗が1つありました。それは、朝食後に気が付きまし

た。朝、運動が足りなかったのか、朝食後お腹が痛くなってきたのです。トイレに行って

も、治らず、朝、もっと運動をすれば良かった、と後悔する僕でした。

 

1997年7月13日 日

  汗まみれの訓練

 今日の母屋での訓練は、体に炎を抱いているように暑くて、その炎の熱さに疲れが加わ

って、動く気にもなりませんでした。

 四つ倍這い歩行1往復と膝歩き。1往復だけなら良かったのですが、寝て起き上がるの

が、つらく、苦しかったです。起き上がろうとすると、足が絡まってしまいまして、寝た

状態から、起き上がるまでに、何十回と起き上がって、汗まみれとなってしまいました。

 学校の養訓では、かけない汗をかきました。

 

1997年7月18日 金

  大掃除

 今日の最終授業の5時間目と6時間目は、教室の大掃除をやりました。

 でも、去年僕が掃除をした所は、友達に掃除されていて、僕は、毎日掃除をしている所

を力強く雑巾でふきました。

 いつもやっているより力を入れてふきました。心を込めて、約3カ月半僕たちの生活を

見ていてくれてありがとう、と言う気持ちを込めてふきました。そして、汗や涙を静かに

見ていてくれてありがとうと、言う感謝の気持ちでふきました。

 だけど、しやべりながら掃除をしている、H君もいましたけど、H埴君は去年と同じだ

なと、思いながら掃除を続けました。

 大掃除は、なんとか終わって、少し休憩をもらいました。

 土曜日の午後から、疲れた翼を休められると、思うと気が楽です。

 

1997年7月19日 土曜日

  さすがY君

 今日、終了式を終えた後、2年2組の生徒たちとSy先生と、Mg先生はパソコン室に

向かいました。

 パソコン室には、先客がいました。それは、2年1組の友達でした。でも、僕専用のパソ

コンは使われておらず、Sy先生が、かりてきたソフトで遊んでいました。

 何分たったか分りませんが、そのソフトの工程もすべて終えてしまい、N君がソフトを

パソコンから出すのを忘れてしまい、僕もN君も冷や汗をかきながら、先生が助けにきて

くれるのを待ちました。

 借り物をパソコンの中に入れて取り出せないなんて事になったら、2年2組に傷が付く

ぞ、とあせりました。でも隣でパソコンを打っていたY君が助けてくれました。神の助け

のようでした。

 Y君は、パソコンにかんしての事は、天才的な頭脳を持っている事は、知っていました

が、どんな機種のソフトも使いこなせるなんて、さすがY君だと思いました。

 

 

 

  

 

「関養護学校U・前編」は以上で終わりです。

宜しければ続けて、

「関養護学校U・中編」

を読んで下さい。

▼ 

 感想や助言等がありましたらお寄せください。

   

 

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