「自立にむけて」 

  


家族旅行(8月14日〜8月16日)

 

 8月14日から8月16日まで、静岡まで家族旅行に行きました。

 始めに行ったのは登呂遺跡で、その日は変な天気で、雨が降ったり

やんだり、天の清水が落ちたり、天の光が落ちたりして参りました。

 それに、家族みんな雨の矢に体じゅうを射ぬかれ、一日目は天気を

恨んだ1日でした。

 

 

 

 旅行二日目は、東海大学の海洋科学博物館、人体科学博物館、自然

史科学博物館 、三保文化ランドの四カ所に、行きました。

 最初は海洋科学博物館に行ったのですが、残酷な事をしりました。

 海を知らない魚がいると言う事を。僕は悲しい気持で、悲しい魚たちから姿をけして2

階へ。

 そこでは、身も心も冷たい機械の海老、蟹、海豚たち

がいました。だけど、甲殻類や海獣の動きとくらべると

大分無理がありました。僕が元気で、機械にもっと興味

があれば、海豚ぐらいできたかも。うそだけど。

 

 次に、人体科学博物館へ、行きました。

 そこに入った所に女性の貼り付け模型が、ありました。それをじっくり見るまもなく2

階へ。そこで、体の臓器の説明をしていました。僕は、内臓の働きを知りたかったのです

が、そこはスドウリしたらしく、内臓の働きは知らないままです。

 

 今度は、自然史博物館へ。そこにはジュラ紀、白亜紀に栄えた恐竜たちの全身骨格が展

示してありました。

 僕は、小学校の時、恐竜大好き人間でしたが、展示してある恐竜

の名前を当てれたのは、一体だけでした。恐竜の化石が展示してあ

る天上に、ピグミーシロナガスクジラの全身骨格がぶらさがっいま

した。さすがシロナガスの部類。

 

 

 大きな大きな骨に見送られ、次の見学地、三保ランドへ。そこ

は、小さな小さな世界でした。

 中学部の時に見た東京駅が一万分の一以下の小さ

さ。名古屋城は十万分の一。なんと、クフ王のピラ

ミッドが1千万分の一の小ささ。

 僕は目が飛び出そうでした。世界一古代建造物

が、まさかこんな所に、小さな形としているなん

て、驚きと感激で心が火柱を上げて喜んだ。

 

 

 

 旅行三日目、フラワーパークに、行きました。

 三日目になると、僕の体に疲れの芽が。両肩が、腰が、両

膝、腿が、疲れの芽が大繁殖して、フラワーパークなんか行

く元気はありませんでが、みんなが行くと言うので、僕はし

かたなくついてい行きました。

 だけど、疲れの芽に僕の身も心も骨も皮膚も支配され行く

ような、疲れた家族旅行でした。

 


  

運動会(9月28日)

「 感動 123パーセント<きらめきをひとつに> 」

 

           

 

 

    

 

 

     

 

 

学校祭(11月17日)

 

    

 

 

 

新春の集い(1月17日)

 

      


 

1年を振り返って

 一年間の反省と思い出(3月20日の日記)

 

 明日の終業式で、関養護学校高等部一年は終わり。

 関養護学校に入学して、もう一年。

 1年B組に入って、最初に困ったのが、全然友達の名前が覚えれなかった事です。でも

先生が友達の名前をを呼んでいるのを聞いて、何とか覚える事ができました。

 そして、女子生徒に生まれの星座、生まれの月を聞いて回りました。僕は、県立病院の

看護婦さんに星座を聞いたり、希望が丘の先生などに生まれの星座を聞いたりしていたの

で、関養護学校の女子生徒で聞ける女子生徒は聞きました。

 

 そして、6月。

 フレアイ祭で初めて先輩の女子生徒と話ができました。

 Oさんと話し合った時は、心が熱く熱くなって、これが恋の熱さなんだと思いました。

 その6月には進路習慣があって、これが地獄の拷問のように苦しく、肩や腰が切り裂か

れる痛みに耐え抜いて夏休みに入った。

 

 僕は夏休みの作品を詩に決めたのですか、お母さんが「こんなへたな詩、学校に出せる

かい。」と言ったので、僕は涙を飲んでミラ詩を処分しました。僕はこの時、悔しくて悔

しくて、心が枯れました。

 

 二学期に移り、運動会。

 僕は、得点係の仕事をさぼって、運動場に行った覚えがあります。僕は、先生に怒られ

ると思い、すぐ教室に行きました。小学校で学んだ事なんですが、「一生懸命授業にうち

こめなやつは、教室から出てけ」。僕は、急いで急いで教室に戻りました。でも、僕がさ

ぼった事は関係なしに、運動会は無事におわりました。だけど、応援団長ほか応援団の女

子生徒は、涙を流して喜びを分かち合いました。

 

 運動会が終わって、「ヤレヤレ、これで少しは休めるぞ。」と思ったら、特体連の練

習。と言っても、僕は大玉のフーセンを頭の上でバウンドさせるだけで、メチャクチャか

っこ悪い思いをしました。

 特体連、本番でも関養護学校は、せいかいで終わりましたが、希望が丘でお世話になっ

たK先生やY先生に会う事ができました。Y先生は、僕が希望が丘でお世話にかっていた

時よりも綺麗でした。

 

 次に、学校祭。

 友達がパソコンで学校祭のポスターを作っている時、僕だけは詩の作成。

 この時だけは悔しさが、悲しさが、僕の心を襲った。僕は何も役に立てない。僕は、悲

しさと悔しさが、バチバチと衝突する痛みを心で感じていました。

 劇の新西遊記の練習も、厳しく辛くなってきました。全然、セリフを覚えてくれないH

君には参ってしまい、僕はバスの中で「H君、セリフ覚えて、初めての学校祭だから、失

敗したくないの」。

 学校祭当日、僕たちの出番が近づくにつれて、僕の心は怯えてきました。

被服室で、衣装合わせをしていたのですが、Yさんが、頬に赤い絵の具を後ろから前へ、

メイクをしていて、不思議な魅力を漂わせていました。

 そして、新西遊記本番。

 舞台から見た客席は、思ったより高かったです。それに、セリフが一つ飛ぶは、封印さ

れる時はうまく封印されないし、僕にとっては不合格の劇でした。

 

 二学期、最後の行事。関高校との交流会。

 関養護学校に、交流してきたのは関高校の女子生徒ばかり。

 ゲーム班で、僕のパートナーは、二人とも、高校二年生。

 最初のゲームは、N君が盛り上げてくれました。

 次のゲームは、クイズだったのですが、僕が用意してきた天文クイズをスラスラと、と

いて行く。僕は、マサカと、思ったのですが、関高校には、「天文部が、あるんらね。」

とSさんが、言っていました。確かに、部活で天体の勉強をしている生徒には負けるわ、

と思いました。

 

 そして、最終学期、三学期。

 職業の授業で、F先生が、言った事。「物は、拾えるけど、言葉は、拾えないよ。」と

言っていました。僕は、F先生の話を聞いていたら、Oさんの優しさが、心にジーンと伝

わってきました。Oさんは、僕を気遣って、手紙と言う無言で僕をふった。

 3月12日、卒業式。

Oさんは、僕に情けをかけてくれたのか、3年A組のベランダで、ツーショットを取って

くれた。僕は、心から、心から、Oさんに、お礼を言いたいです。ありがとうと。

 


 

「関養護学校T・番外編」は以上です。

「関養護学校U編」は

結構長くなってしまったので

前編(1学期)

中編(夏休み、2学期)

後編(冬休み、3学期)

に分けました。

宜しければ、こちらも引き続き読んで下さい。

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