「自立にむけて」 

  


 

1996年10月4日 

 今日、校外学習で、「マーサ21」に行きました。

 最初はS先生とマーサを周りました。それが、自分のほしい物をさきに買って、とても

むかつきました。それでM先生に写真立てを探してもらい買いました。その時間帯に、H

君は広いオリで迷子。先生方と生徒で迷う子羊を探した。元々、H君はじっとしている事

が苦になるようで、マーサ21で、じっとしている事ができないH君が迷子の子羊になっ

たんだと、思います。

 

1996年10月11日 金

 帰ってきてから一生懸命書いていた日記をそれとなく読んでみた。入学以来ズーと思い

つづけてきた女生徒さんから「別れ」の手紙をもらったようだ。かなり内容の激しいもの

であったが、最後に「良い勉強になりました。」と書いてあった事に救われた気持ちであ

る。これからももっともっと辛い思いをする事があると思うが、それに耐え得る精神力を

持って欲しい。

 

1996年10月23日 水

 障害を持った子供達の交流会が大垣であり、関養護学校からは高等部の生徒が参加。お

兄ちゃんは先週の日曜日に、自己紹介のカードを数枚作り準備をして行ったのだが、なか

なか話の輪の中には入れなかったようである。途中からのハンディというのがこうした輪

の中では自己を抑制する要因の1つなのだろう。

 

 今日は、大垣の総合体育館へ行きました。そこで岐阜県の養護学校が集まってスポーツ

を楽しみました。

 最初は、仲間集め。僕は、最初から自己紹介カードをわたしてしまい、最後の方はカー

ドをもらうだけでした。K先輩やA先輩も、カードをきらせて困っていました。

 後半のボーリングはつまらなかったです。でもボーリング会場では、希望が丘でお世話

になったY先生に合いました。ほかにも、開会式前にKs先生やKe先生、Kz先生なん

かにも合いました。希望が丘の先生に久しぶりに合うて嬉しかったです。

 

1996年10月29日 火

 母屋に行こうとして、いつものスロープからではなく、玄関から出ようとして車椅子ご

と転倒。頭や肘等をかなり強く打った。スロープからの出入口には鍵がかかっていた為、

玄関から出ようとしたのであるが、こちらには段差があり上手く降りられなかったのであ

る。自分でやってみようとするのは良いが、時にはこんな事もある。

 

 今日の日記が終わって、晩ご飯を知らせるブザーが鳴って、僕は車椅子出入口に急いで

行きました。でも車椅子出入口のドアが開きません。僕はお母さんに教えてもらった通り

に、カギを開けようとしました。僕はその時思った。何でカギがかかっているのと。だっ

て、僕が家に帰宅した時はカギは開いていたのに。僕の頭は謎と疑問で大混乱になりまし

た。僕は最後の手段で玄関からおりる事にしました。玄関は夏休みに何度かおりているの

で、絶対にたおれて落ちないと思った僕でした。それが一瞬のうちに車椅子が横倒しじょ

う体になり、車椅子に乗っていた僕はカベにおもいっきり頭を打ちつけ、交通事故の痛さ

と恐怖を思い出した、晩のでき事でした。

 

1996年10月31日 

 1時間目の数学のテストは、「行きは、よいよい、帰りが、恐い」で、最初の問題はす

らすらと答えが出てきたのですが、最後の方の問題は頭をまげて答えを出していました。

 でも、今日のテストはだいだいできたから高得点を期待しています。

 

1996年11月1日 

 今日も、総合の授業は、劇のセリフ覚えをやりました。

 そして、今日から初めてセリフと動作を組み合わせて練習をしました。それが全然でき

ないのです。

 Kさんが、「セリフ、全部覚えたよ。」と、言っていましたが。僕はスゴイナァーと思

いました。僕だって希望が丘の劇でナレーターをやった事があるので三個ぐらい頭にたた

き込むぐらい簡単です。でも家で何度も口に出して言わないと頭に入らず、短時間で記憶

するのは不可能に近いので家で完璧にしたいと思います。

 

1996年11月2日 土

 最近「足が冷たい、ストーブが欲しいナー。」と言うようになった。もうそんな季節な

のかと思うと同時に、体力がなく体内からの発熱が少ないのだろう、とも思う。

 

1996年11月6日 

 前回の数学の授業で数学のテスト用紙が僕の手元に帰ってきました。数学のテストを見

たら、100点と書いてありました。初めて取った100点。僕は「ヤッタネ。」と、心

の中で喜びました。

 それで、今日の数学で割り算。3桁÷2桁。4桁÷3桁が、終了しました。

 僕は、小学校の時に珠算を学んでいたのですが、初めて養護学校で100点を取る事が

できて、ややこしく難しい割り算が終了して、僕の心は天に登る青竜みたいな清々しい感

じがしました。

 

1996年11月9日 

 今日の訓練会の後、お母さんがたと女の先生がたが作ってぐださったオムスビと豚じる

を、全員一緒で食べました。オムスビは、糯米を使ったようなねっちょりしたご飯で僕は

嫌いです。

 豚じるは、おいしかったです。大根、里芋、ネギ、ニンジン、コンニャク、など色々な

野菜が入っていて、家の豚じるとはこくの差の違いを感じました。

 色々な野菜を入れて煮込むと良い味がでる事を、自分の舌で感じる事ができて、調理の

良い勉強になりました。

 

1996年11月13日 火

 昨日季節はずれの台風が日本の南側を通り、北からの寒気を呼び込んだ為に一気に真冬

並みの寒さになった。今日は各地から初雪のニュースが聞かれ、高山では3cmの積雪にな

ったそうである。

 新居はストーブを入れると大きな部屋(洋室)でも直ぐに暖かくなるが、それでもお兄

ちゃんはストーブの前で足を温めている。

 

 今日美術の授業で、大魔王や金角、銀角、銅角と魔族、竜族が封印される門の色塗りを

やりました。僕も門の色塗りに参加したのですが、膝や足首正月前に打撲した右足かどが

ものすごく痛み、針の山に坐っている感じでした。その時僕は痛みと苦痛に絶えて門に色

を塗っていました。

 

1996年11月17日 土

 学校の文化祭。演劇に参加し「緊張したー。」そうだが、無事に終了。

 家では、お父さんの祖母(13回忌)、祖父(50回忌)、父(43回忌)の法要。10数人が

お参りに来てくれて、「家の一大事」を主宰したオバアチャンも「ホッとした」。

 初めて舞台の上で演技ができた事はとても嬉しい事で

す。でも僕のセリフが友達に聞こえていたかどうか。お

母さんがた、先生がたに聞こえていたかどうかわかりま

せん。

 でも新西遊記は大成功で幕が降りたので、満足な劇が

できたと思います。

 

1996年11月21日 木

 大垣のソフトピアで福祉関係の器機・ソフトの展示説明会があり、お兄ちゃんとお母さ

んが見に行った。外国製の画面拡大ソフトが「使えそう」と言う事で、早速輸入元に問い

合わせてみると言う。「何にでも手を出せば良いと言う訳でもないだろうに、、。」と思

いつつも、今は手探り状態の時期かな、と思って黙認。

 

 今日、養訓の授業の時に学校祭で取った写真を友達みんなで見ました。舞台の上で演技

している写真はピンズレの写真が多かったです。

 でも僕の視力では、ピンズレしていてもしていなくてもわかりませんでした。僕はその

時視力のなさを恨みました。だって、みんなが「この写真、ピンズレしてる。」「Kさん

がニコニコ顔で写ってる」。だけど僕は写真の中の表情すらまったくわかりませんでし

た。僕は自分の視力を恨みました。

 

1996年11月24日 日

 午後から、現在送迎に使っている車の代替車を探しにショールームに行く。お兄ちゃん

の送迎を中心に考える為になかなか気にいった車が無い。それでも店員さんと色々相談し

た結果、三菱のRVRに決定。室内が広く車椅子が扱い易そうなのと、スライドするドア

が使い勝手が良さそうである。

 

1996年11月26日 火

 拡大読書器を学校に持っていく。学校の先生から「家であまり使ってみえないのなら、

貸してもらえませんか。」と言われ(事実使っていませんナー)、少しでも勉強の役に立

つのなら、、、。

 

 今日の商業の授業は僕にとって最悪の授業でした。

 商業の生徒は来年入学する生徒に、年賀状の作り方を教えていました。でも僕は一番前

のパソコンで詩を入力するだけでした。僕は悔しいナァー、悔しいナァー、と思いながら

詩を入力していました。

 商業の授業の最初に、セーラー服を着た女子生徒が、僕の方を冷たく凍るような目で見

ていたので、謎に抱かれた気分になりました。僕の心は闇の迷宮へ。僕は心配で心配でた

まりません。来年度の1年生にパソコンの事を聞かれたら、僕は何も答える事ができない

と思います。

 情けないと思いますがそれが僕の力。後輩か見れば、僕は情けない先輩にしか見られな

いと思います。

 

1996年11月29日 

 今日の国語は本の字や漢字を読みました。

 友達は文集の波を受けながら、作文用紙と戦っていました。

 僕は戦場を横目に本を読んでいました。僕の目はどうゆうわけか、一定の場所にくると

お母さんより目が良く見えるのです。僕は視力の異変を遊び道具にしてきました。

 それで今日は異変の視力で本を読みました。その本には「和」「私」「愛」「画家」な

ど色々な漢字が書いてありました。僕は異変した視力で、車のナンバープレートを読んだ

り、SさんやKさんのガラスの中の瞳を見たりしています。僕は、この視力を自由に操る

事ができれば嬉しいのですが。

 

1996年12月2日 月

 昨日午後から降り出した雪はみるみる内に数cm程になったが夕方頃には止み、今朝の車

道はなんとかノーマルタイヤで走れそうな状態。そんな中、お兄ちゃんとお母さんは児童

相談所に寄って、それから養護学校に行った。今日は送迎バスが運休になっており、午後

お母さんは又関養護へ迎えに行く。「神経を使って、クタクタダワー!」。ちなみに、送

迎バスで通う生徒さんは全員休校だったそうである。

 

 今日の僕は学校に昼近くにつきました。すると教室にはKさんとM先生の二人しかいま

せんでした。おしゃべりなKiさんや、うるさいHの姿が教室のどこを見てもいませんで

した。それからシッカリ者のSさんもいませんでした。

 M先生の話によると「今日は大雪警報が出て、関バスは出なかったよ。」と言う事でし

た。 それで商業の授業はたった二人だけで始まりました。途中からN君も入りました

が、それでも三人でした。今日の関養護学校高等部は、霙混じりの雪が悲しく降ったよう

な気がします。

 

1996年12月6日 

 前回の国語のテストは、65点。僕にとって最悪の点数でした。だから、今回は80点

ぐらい取れれば良い所です。質問の所で、六番目が白紙で、迷いながら考えても考えて

も、答えが出てこないのには参りました。それに、最後の問いには失敗した事を書いて、

35点だったら悪魔の拷問、追試。40点以上取れると思いますが、心配です。

 

1996年12月7日 土

 新しい車が到着した。今までと違ってオートマチック車である。月曜からお母さんが送

迎に使う事になるが、今日・明日2日間の練習だけで大丈夫カナー?。

 

1996年12月8日 

 昨日、僕が学校から家に帰宅すると、三菱の車が家の駐車場

にドンと坐っているではないですか。僕は思いました。今乗っ

ている車と全然迫力が違うな。よくわからないけど、タイヤの

大きさや車の前後に付いている棒。

 だけど、この棒が殺人兵器となって他人の命をうばうかもし

れない。お母さんには、安全運転を心かけてもらわないといけないと、思いました。

 

1996年12月9日 月

 帰宅してRVR車が駐車されているのを見てホッとする。今日は新しい車で初めての送

迎であり、会社に居ても気になって、、、。

 新車の乗り心地は「マアマア」との事。お兄ちゃんが乗る時には、座席が高い為背伸び

をするようにして乗る必要があるが、それも「リハビルの内」?。

 

1996年12月16日 

 今日の2時間目から4時間目まで、楽しい楽しいお楽しみ会をおこないました。

 1番のカラオケは黒板の歌詞を見ながら歌っていたので、ハッキリ言ってへたでした。

でも、友達みんな盛り上がっていました。

 次にナゾナゾとクイズ。最初にやったのがN君とKさん。KさんやN君が出した出題は

難しすぎて、手も足も出せず僕の番へ。家で考えてきた問題は、友達には難しい問題か

な、簡単な問題かな、と思って出題したら、友達は頭をかかえ問題の迷路に入っていっ

て、答えはなかなか出てきませんでした。これで友達の頭をパニックにできたかなと喜び

ました。

 金曜日に作ったケーキは甘酸っぱく、口の中でとけるような味でおいしかったです。

 

1996年12月17日 火

 お兄ちゃんは帰宅してからズーと9時頃までパソコンで作業。途中風呂と食事の時間は

あったものの、よく続けられるものである。目や体に良くないのでは、と心配してしま

う。日記、宿題(クイズを作る事)、それに身体の不調から転校する友達の事を書いた文

書をワープロで作っていた。(文字は大きいが)数ページの入力作業である。

 

1996年12月21日 土

 関養護2学期の終業式。新車での送迎が無くなると思うと内心ホッとする。

 お父さんは今日から3連休。遅々として進まなかった年賀状の作成を一気に終わりた

い。現在のパソコンで年賀状を作るのは今回が初めてであり、家族の分も作らねばならな

い為、結構な枚数になる。頼みは弟のみ?。

 

1996年12月22日 

 今日の朝、お父さんが僕の年賀状を印刷してくれました。

 年賀状は30分もしないうちに全部印刷できたのですが、M先生あての年賀状がない事

にきずいたので、お父さんに急いで年賀状を印刷してもらいました。

 M先生の宿題が年賀状なので、今日印刷してもらえなかったら、冬休みの宿題忘れで学

校で叱られる所でした。

 

1996年12月23日 

 昨日は1日かけて作品の詩を9個書きました。

 夏休みの詩は失敗作の詩ばかりでしたが、商業の授業で磨きあげた詩の技術で、昨日は

9個も書く事ができました。

 

1996年12月24日 

 昨日の夕方、家族でクリスマス会をミラ家でやりました。

 豪華な料理が机の上を飾り楽しかったです。料理を綺麗に飾ったのは手作りピザ。手作

りピザは、喫茶店のよりボリュームがありおいしかったです。でも、ケーキはクラスのケ

ーキの方がおいしかったような気がします。

 

1996年12月26日 

 今日、難しい難しい数学の宿題が終わりました。

 僕が小学校の時に習った問題が全然できなった。交通事故で脳波が乱れたかもしれない

けど、関養護学校で失われた記憶も大分回復して、分数の計算もでき今日終わりました。

難しすぎて参ってしまいました。

 

1996年12月29日 日

 お父さんは今日から8日間の冬休み。今日は一日中庭や家の周囲の掃除で終わる。明日

は掃除とガラス戸磨き、餅つきの予定。年末はとにかく身体を動かす事が多い。

 2〜3日前から家族全員が風邪気味だが、それでもやるべき事はやりたいし、、、。

 

1996年12月30日 

 今日の午前中は大掃除で終わりました。

 最初に台所の掃除をやりました。僕はガスコンロの掃除は危険を感じたのでやりません

でした。でもガスコンロのとなりは念入りにふきました。何度も何度もふいたので、輝き

をましてきました。

 そして、勉強机もふきました。勉強机の上には甘い恋をしたOさんとの写真立てもあ

り、写真を見た時僕の胸が冷たく痛みました。後はテレビの上や手すりを雑巾でふきまし

た。後は、新年を迎えるだけです。

 

1996年12月31日 火

 今年も終わった。この年末は穏やかな天候が続き大掃除も楽だった。

 来年もこの天候のように穏やか年である事を願う。家族全員が健康で過ごす事の出来る

一年でありますように、、、。

 

 今日の朝食後、車を磨きました。最初に、通学に愛用している三菱の車を弟と一緒に磨

きました。三菱の車はタイヤが大きいので、上の方をふくのが大変でした。でも、一杯の

感謝の気持ちで磨きました。

 次にお父さんの車を磨きました。お父さんの車は少ししかできませんでした。三菱の車

の時に力を出し尽くして疲れてしまい、後は弟に頼み、日記を書きました。

 

1997年1月1日 

 昨日の深夜、除夜の鐘を外で聞きました。去年の除夜の鐘は、母屋の

中でしか聞けませんでした。でも、今年はミラ家が新築されて、自由に

外に出られるようになったので、外で除夜の鐘を聞きました。驚いた事

に、除夜の鐘は四方八方左右から聞こえてきてきました。まるで、除夜

の鐘の演奏を聞いているみたいで、貴重な鐘の演奏を聞く事ができまし

た。

 

 

1997年1月3日 

 今日の朝、外がずいぶん暗かったので、お母さんに「今日、雨降ってる。」と聞きまし

た。そしたらお母さんが「降っているんじゃないの。」と教えてくれました。朝の散歩が

できないな、と思いながら毎朝の運動を実行しました。

 毎朝の運動が終わって、観葉植物に水をあたえ終わったころに朝食のおよび。外へ出た

ら、霙が天から落ちていました。この時、僕の頭に浮かんだのは、霙の詩でも作ったらお

もしろいかな、と思いました。

 

1997年1月5日 日

 お父さんの冬休みも今日で終わり。日中は、お兄ちゃんがこの休みの間に作った「詩」

の整理を手伝う。普通の文字(10ポイント?)にして7〜8枚、たいしたものである。

 弟は、昨日は部活(サーカー)の練習、今日は公式戦でもう普通の生活に入っている。

 

1997年1月6日 

 昨日の夜、お母さんが冬休みの作品のミラ詩を侮辱した。楽しくて楽しくて、僕は一日

に詩を9個入力した時もありました。そして、恋愛もんを多く入力しました。だって女の

子大好きですから。

 恋愛、失恋、悔しい愛、悲しい愛など、女心を読んだ詩を色々と入力したのですが、お

母さんの口からは、「6個位しか、出せれそうな詩はないね。」と言われ、むかときまし

た。ソリャー恥ずかしい詩も2、3個入力したかもしれないれど、6個はないでしょう6

個は、と思い、お母さんに言い返してやりました。「僕は、女心を詩にしたかっただ

け」。女心を詩にしたらイカンのかと心の中で怒鳴ってやりました。

 

1997年1月7日 火

 お兄ちゃんの3学期が始まる。

 丘の上にある学校での生活は寒いだろうな、と思っていたが、今日は「同じ教室にいた

からそんなに寒い事はなかったけど、廊下を渡る時は風が冷たかった。」そうである。こ

れから更に寒さが厳しくなる。ガンバレ!。

 

1997年1月8日 水

 お母さんがパソコンでワープロを始める。今まで忙しい事もあり、あまり使おうとして

いなかったが、目的が出来て使う気になったようである。

 お父さんはようやく会社生活に慣れて来た(昨日までは風邪気味だったこともあり、会

社では頭が痛かったり、身体がだるかったりという調子だった)。それに比べ、お兄ちゃ

んも弟もスンナリ普通の生活に戻っている。順応性も高いのかな?。

 

1997年1月11日 

 今日、関養護の訓練会へ、行きました。

 僕が養訓マットに降りる時、K先生が見ていたらしく、僕が養訓マットに正座したら、

K先生が飛んできて「O君、右手がおかしい。」と言ってきて、右手首を解してくれて、

僕が四つんばいになって、右手の甲で重心を取れば、右手をもっと使える事を教えてくれ

ました。

 次にA先生が来てくれて「O君の手は固まっていないから、使えば使うほどよくなる

ぞ。」と言われて、やわらかいボールを右手で強く握ったり、弱く握ったりしました。

 今日の養訓を生かして、右手には厳しく、冷たく、暖かく、接して行きたいと思いまし

た。

 

1997年1月11日 

 明日、商業の授業で、アメリカ製のソフトを使います。

 ソフトの名前は「ズームテキスト」と言って、マウスでクリックした所が、何倍かに大

きくする事ができるソフトです。このソフトが使えれば、商業てきな事もF先生から何か

教えてもらえると思うので、月曜日が楽しみです。

 

1997年1月12日 

 楽しみにしていた「ズームテキスト」がパソコンに入力されても、大きい文字は出ず、

H先生が「日本用とアメリカ用は違うからな。」と教えてくれました。

 たしかに、パソコンを作っている会社は色々あるから、テキストが入力できないのも、

良く考えてみりばわかる気がします。

1997年1月22日 水

 昨日から今冬一番の寒波が襲来、昨日の夕方から降り始めた雪の為に、今朝の道路は凍

りついて見事にツルツル。とても車で動ける状態ではない。昨日の天気予報を信じて仕事

を持ち帰ってきていたので、それを仕上げて出勤。

 お兄ちゃんは学校に行きたかったようであるが、お母さんに説得されて諦めたとの事。

 

1997年1月25日 

 僕は、家の中なら何とか歩けるので、今日の朝初めて歩いてトイレに行き

ました。歩いて行き手すりに捕まって、尿を外部へ出しました。尿を出して

から、パンツとズボンをあげて手洗い場へ方向をかえて行きました。手洗い

場は、両膝を曲げないと洗えず、両膝を曲げた時、両膝が何かに怯えるよう

にふるえ出してしまいました。毎日朝練しているのに、膝かふるえるなんて

悔しかったです。

 

1997年1月28日 

 今日もいつもと同じように、二段階の歩行で車椅子を漕ぎました。最初は

なだらかな道が通っているので、冬休み歩行で行けるのですが、職員の駐車場の所や寄宿

舎の辺りは石ころや砂が多いので、左足歩行になりますけど。

 僕が二周目を歩行している時は生徒は全くといって言いほど消えた。僕が最終ランナ

ー。僕は一生懸命車椅子を漕ぎました。左足の股関節の痛みを振り切り、ゴールの高等部

職員室前にゆきました。M先生が、「O君、早なった。」と言ってくれました。「前は

35分だったけど、今日は34分だったよ。」と言ってくれたので、二段階の歩行が生き

てきたぞ、と思いました。

 

1997年1月30日 木

 昨夜から降り出した雪は大した事はなかったが、「岐阜県に大雪警報」が出てお兄ちゃ

んは休校。しかし、お母さんに連れられて希望が丘へ診察に行った。少しずつだけれでも

良くなっているから「左手で箸を持って食事の練習をしたら、、。」と言われたとの事。

箸と言えども、今は色々工夫して持ち易くしたものがあるそうだ。

 

1997年2月2日 

 僕が学校の休み時間に何べんも言っているのは、頭に叩き込んで記憶し、暗記するため

でした。でも今日の朝、お父さんが「ミラメモ帳でも作るか。」と言ってくれました。

 ミラメモ帳にテレビから、ラジオからえた情報を記録していけば、僕の眠る機能を作動

させるかもしれないので、今日からミラメモ帳を開始したいと思います。

 

1997年2月9日 日

 お兄ちゃんとお母さんは希望が丘の「餅つき大会」に行った。

 弟とお父さんは一年ぶりぐらいにバッテングセンターとボーリングに行った。弟のここ

一年間の肉体的な成長は大きく、両方ともお父さんに追いつきそうな所まで来ている。お

兄ちゃんが元気だったら、もうとっくに追い抜かれているだろうな、とフッと思う。

 

1997年2月10日 

 昨日の夜、お父さんがパソコンを使っていました。

 8時から放送していた「世界謎紀行 神々の悪戯」で放送していたアフリカ、サハラ砂

漠の黄金郷。僕は毎週「世界謎紀行」を見て、すぐミラメモ帳に入力して、頭に叩き込ん

でいるのですが、昨日の夜はお父さんが仕事関係で使っていて、ミラメモ帳には入力でき

ませんでした。 結局、今日の午前中にミラメモ帳に入力します。 

 

1997年2月13日 

 今日、初めてπを使った計算をやりました。円周率や円の体積を求める時、僕は学校で

学んだ通り、3,14を台にして計算しました。

 でもF先生は「式を書く時は、πを使って書いた方が楽だよ。」と教えてくれました。

「この方式は中学でやるんだよ。」とも教えてくれました。この時、心の中で喜びが溢れ

てきました。僕も小学校の算数から中学校の数学に転校できたんだな、と思いました。

 

1997年2月14日 金

 学校から犬山の方へ「買い物の練習」に出かけたそうである。ドタバタもかなりあった

ようだが、こうして普通の生活に慣れていくのだろう。学校側もその準備等大変だ、と思

う。

 

1997年2月16日 日

 お兄ちゃんが38℃の発熱。昨日まで弟が風邪気味で風呂にも入らない生活を続けていた

が、今度はお兄ちゃんである。

 午前中は横になっていたが午後はパソコンを始める。「明日は学校に行けるかナー。」

と何度も言っていたが、夜の検温も38℃。明日は病院に行く事になるだろ。

 

1997年2月19日 

 今日は、微熱が少しあったし、鼻水垂れ垂れで、学校に行ったらよけいカゼを悪化させ

るおそれがあるので、今日も学校は欠席です。三日間も友達に合えないとやっぱし寂しい

です。1年B組の明るくて楽しい教室に早く登校したいです。

 

1997年2月20日 木

 5日ぶりに登校。熱がなかなか下がらず、鼻水も続いており休まざるを得なかった。パ

ソコン以外には時々テレビを見る事、ラジオを聞く事以外にやる事もなく、ツマラナイ毎

日だったのだろう、学校から帰ってきても表情が明るかった。学校の仲間と過ごすのが楽

しいと言う事だ。

 

1997年2月22日 

 今日の朝、朝食を食べに外へ出たら、雪の芸術が僕の瞳に飛び込んできました。

 僕は雪の芸術を見た時嫌な予感が心を襲いました。だって、僕はカゼで、三日間も学校

を欠席しているから、今日降った雪が月曜日まで残っていたら学校へは行けません。

 1年B組の友達と過ごせるのも後わずか。天気の悪戯で、学校に行けないなんて嫌だか

らです。

 

1997年2月25日 火

 近々クラスの子が長良養護学校に転校するそうである。身体の調子が思わしくなく療養

を中心とした生活の方が良いと判断しての事らしい。

 その子に「別れ」の手紙を書いていた。「君も新しい学校で輝け、僕も関養護で輝く」

といった文節があった。

 

1997年3月2日 

 僕の記憶では、庭のすみに桃色の花を付ける枝垂れ梅があるはずでした。去年の今ごろ

は、関養護学校の入学試験が近づいて、心が怯えていた時でした。怯えていた僕の心を励

ましてくれたのが、枝垂れ梅でした。

 でも、僕を励ましてくれた桃色の梅の花は遠くからは見えませんで

した。去年は、桃色の梅の花が見えたのに今年は見えません。僕はお

母さんと一緒に庭に入りました。たしかに、枝垂れ梅の花は咲いてい

ました。でも、枝垂れ梅の枝垂れは見当たりませんでした。

お母さんが言うには「庭師さんが切ってまったんだわ。」僕は、お母

さんの話を聞いていると、何か心が悲しくて、冷たい涙が心を濡らし

たような気がしました。

 

1997年3月3日 月

 弟が友達からハムスターを4匹貰って来た。早速用意しておいた籠にいれ世話を始め

た。これに、金魚や鮒の水槽が2つと庭の池を合わせると飼っているものの世話だけでも

かなり大変だと思う。生き物を大切に育てる事は良い事だが、それだけに没頭してくれる

と困るのだが、、、。

 

1997年3月7日 

 昨日、お母さんが希望が丘の駐車場で、「後、2、3日すれば視覚障害者専用の腕時計

が来るよ。」と言っていたのですが、僕がミラ家についてから10分ぐらいたって、宅急

便で届きました。

 お母さんに腕時計を付けてもらった時、僕は喜びを感じました。だって、僕が何分かけ

て日記を打ち込んでいるか分るからです。

 今日来た視覚障害者の腕時計の名は「傷だらけのミラ」と名付けました。

 

1997年3月14日 金

 暖かな一日だった。日中はコートもいらず、暖房の効いた部屋では暑いくらいだった。

 帰宅して新居に入ってみると素足でも充分過ごせる程の暖かさである。暖気を取り入れ

る屋根のガラスを2倍にしたのが効いているようだ。これ程だと逆に夏の暑さが心配にな

る。

 

1997年3月18日 火

 インターネットで取り込んだソフトをインストールした所、パソコンがフリーズしたり

おかしな動きをするようになってしまった。色々やって、何とかお兄ちゃんの使うソフト

を動くようにしたものの、お兄ちゃんの唯一の楽しみであり使える道具であるだけに冷や

汗がでた。

 パソコンはまだまだ分らない所が多いし、「勝手に動く」所がある。慎重に使わんとイ

カンナー!。

 

 国語の授業が始まる時、M先生は不機嫌そうな顔をしていました。そして「平均点数、

50点だよ。」と言ったのです。僕は嫌な予感がしました。だって、一学期の期末テスト

で65点を取っているからです。

 僕は心が張り裂けそうな思いで、テスト用紙をを受け取りました。僕は恐る恐るテスト

用紙に書かれた点数を見ました。そこには82点と書かれていました。僕は、助かったと

思いました。

 

1997年3月21日 

 今日、1年B組にサヨウナラを。

 友達の汗と涙が染み込んだ教室にサヨウナラ。友達を暖かく、時には厳しく見守ってい

てくれた教室にサヨウナラ。悩みにはまり込だ僕たちを暖かく、暖かく、見守ってくれた

教室にサヨウナラ。長いような、短いような一年でしたが、暖かく迎えてくれた1年B組

本当にありがとうございました。

 

 日記にこの1年間を振り返った記録がありましたので

「関養護学校T・番外編」

に転載しました。こちらも読んで下さい。

 

1997年3月23日 

 今日の10時ごろ、散歩をしていたら黒猫大和の宅急便のトラックが僕の家の石垣の前

に止まりました。僕は、一瞬疑問の嵐に包まれました。そしたら、運転手が「Oさんのお

宅ですか。」と訪ねたので、僕もお母さんも「ハイ、そうです。」と、答えました。

 トラックから出てきた物は長細くてダンボール箱に包まれていた物でした。僕は何だろ

うと思って、お母さんに聞いてみました。そしたら、お母さんは「天体望遠鏡が来た

わ」。お父さんと弟がお金を出し合って買った天体望遠鏡でした。

 でも、僕は万華鏡や双眼鏡、望遠鏡などは見れないのです。視力の悪さもあるのです

が、 僕は視野が物凄く狭いのです。だから、筒に鏡が付いている物は全然使えません。

 

1997年3月24日 月

 今日から春休み。「学校がないとやることが無くて困ってしまう、どうしたら良いんで

すかネー。」と言っていたが、今日はパソコンのアチコチをクリックして「遊んだ」そう

である。パソコンを立ち上げてみると、アイコンが画面一杯に出来ている。「何をヤッタ

ンダー?。」と聞くものの、「覚えている訳ないわナー」。他におかしい所は無いか調べ

てみたが良くワカラン。とにかく何時も使っているソフトが動けば良いか!。

 今日の母屋での訓練で、心に冷や汗をかきました。

 ヨツバイ歩行の後、平行棒に捕まっての歩行の後、心を脅かすでき事

が起ってしまいました。

 片膝立ちの左足を立てて、右足に体重をかけた時、後ろに体重にかけ

すぎて、介助に当たっていたお母さんまで後ろに倒れそうになって、僕

の心が冷や汗をかきました。

 やっぱしお母さんの体重より僕の体重の方が重たいから、しょうがな

いかと思いました。

 

 

1997年3月27日 木

 希望が丘の時に色々面倒をみてもらった先生が新居の見学に来られた。その後、弟も連

れて食事、そして何と!ボーリングに行ったそうである。今頃のボーリング場にはチャン

ト障害者も楽しめるような設備が整えられているそうで、「面白かった」。

 一緒に行った弟は、こまめにお兄ちゃんの世話をしていたそうである。

 

 今日の昼食を、希望が丘でお世話になったK先生とお母さんと僕と弟。昼食した後マー

サ21へ行ってボーリングを楽しみました。

 ボーリングは特体連でやったのですが、その時はとても悔しい思いをしたので、今度こ

そ頑張るぞ、と思いながらやりました。

 最初は投球台に乗せるボーリングのボールが 軽すぎたせいか、なかなかピンが倒れま

せん。なので、一番重いボールを使いました。でも、ボーリングの最後に並ぶピンの辺り

に来ると、ボールが見えないのです。僕には、ピンの倒れる音しか判断できなかったので

すが、他のリングにも人が一杯来ていて、自分が転がしたボールの判定は、K先生かお母

さんがしてくれました。

 ボーリングをほかの人がやっている時、僕は謎めいた少年Aに変身していました。こん

な楽しいボーリングをいったい誰が発見したんだと考えていたら、テレビ番組で、「クイ

ズ世界は商売商売。」で見たのですが、オランダの人々が「ボーリング場は、神聖な、場

所だ。」と言って、全裸でプレーをしていた事を思い出して、ボーリングを世界初やった

国はオランダではないか、と思いました。

 でも、ボーリングの起源がわかりません。ただひとつ分るのが組紐だけです。そんな事

いったら、珠算、書道、弓道も、分りません。

 

1997年3月29日 

 今日も母屋で訓練。

 最後の方の訓練で、マットの上で横になって起き上がるのがあるのですが、今日はなぜ

か全然起き上がれませんでした。普通だったら二回か、三回位で起き上がれたのだす。で

も今日は何回やっても起き上がれません。僕は、夏休みに編み出した起き上がり方も何度

もやったのですが効き目なしでした。

 僕は「何で、起きれんのじゃ。」と嘆きながら、左手を振り回しました。すると、僕の

重たい体がすっと起きました。この時、車椅子の前輪に激突した、僕の頭でした。

 

1997年3月31日 月

 寒い寒いと言っていたのにもう春である。今年の春は例年よりも1週間も早い桜の開花

と共にやってきた。今日、東海地方の海岸沿いでは満開だそうである。

 兄弟共に春休みは後一週間。お兄ちゃんは「やることが無い」。弟は自分の部屋の掃除

をやると言いながらいっこうにやる気配が無い!。

 

 

 

  

 

 

「関養護学校T・後編」は以上で終わりです。

「関養護学校U編」は

結構長くなってしまったので

前編(1学期)

中篇(夏休み、2学期)

後編(冬休み、3学期)

に分けました。

宜しければ、こちらも引き続き読んで下さい。

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