|
1996年4月1日 月 希望が丘へリハビリに行く。 園長先生「出来るだけ車椅子を使うことは止めて、普通の椅子を使ったり少しでも歩く ようにして下さい」。要は少しでも普通の生活に近づけるよう努力をしなさい、と言う事 である。「先生も期待していますから」と言われ、親も子も「ガンバルゾー」。
1996年4月6日 土 4月8日に関養護学校の入学式です。 僕が入学式に着ていくのは 白い服と学生ズボンなんだけど 学生ズボンにベルトをして いかないといけないから 僕にとっては お腹がえらい式だと思います。
1996年4月8日 月 関養護学校の入学式。1年待っての学生生活の「再開」である。 入学式には制服を着ていったものの、「写真を撮っている時間が家 でも学校でも無かった」。せっかくの記念の写真である、今度の休み にでも撮ってやろう。 今週1週間は午前中のみ。それでも、お兄ちゃん「疲れるー」。
1996年4月11日 木 夜9時頃に設計士と電気屋さんが来て室内灯の点検。こちらが気に 入らない形のものもあったが、「今流行ってますよ」という事で妥 協。室内は一部を除いて明日には完了するが、外部はまだ2〜3週間はかかりそう。それ でも14日に引っ越しという事になった。 寒い日が続く。真冬並みの寒波だそうである。誰も風邪をひきませんように、、、。
1996年4月14日 日 加納からオジイチャンとオバアチャン、大垣から伯母さんと長男が手伝いに来てくれて 引越し。「なんでこんなに荷物があるの!!。」とは、皆の感想。「スイマセン、なかな か整理が出来なくて」。 今日からお母さんと2人で新居での生活が始まる。お父さんとお母さんは「家庭内別 居?」。
1996年4月16日 火 今日はガス給湯器がついた。その他細々とした工事が続いている。 新居での生活も3日目。「一番良いのはスロープがある事。今までより10分ぐらい早 くなったワー」。車椅子にとって、段差が如何に障害になっているかが本当に良く分っ た。
1996年4月22日 月 毎日宿題が出る。宿題は、パソコンに大きな文字で入力した後プリントし、それをお母 さんがノート等に貼り付けて学校に持って行く。これが毎日となると結構大変な作業で、 時間の無いお母さんにとって、さらに時間が無くなることになる。
1996年4月23日 火 今日 3,4時間目に身体測定をやりました。 身長は県病院で測ってもらった時は170センチあったのに、関養護学校で測ってもら つたら167センチしかありませんでした 体重は同じく県病院では59キロでしたが、 関養護学校では58キロで1キロやせました。 関養護学校の2、3年の時には身長が170センチぐらいになりたいです。
1996年4月24日 水 僕が家に帰ると家の出入口からすずめが入ってきました。 僕がパソコンをやっていると、ガラスに何かぶつかる音がしました。何かなと思ってい たら、そこへ中学校に通っている弟が帰ってきたので、すずめをそとにはなしてもらいま した。
1996年4月26日 金 今日 希望ケ丘で僕の命を救ってくれた A先生が関養護学校にきてくださいました。 1度きゅうしょく中ご飯が喉につまつて呼吸ができなくなつたので、きてくれたのかわか りませんが、M先生が1番おどろいたと思います。 緊急のばあい、先生がどのような処置をするか、A先生がM先生に説明しながら教えて いたみたいです。
1996年4月27日 土 今日は希望ケ丘の有志で畜産センターに行きました。 僕は正午からラジオでやる大阪有線を聞いていました。僕の好きな曲はあまりランキング されていませんでした。 食事はバ−ベキュウで、肉をいっぱい食べようと思ったのですが、やきすぎてあんまり 美味しくなかったです。 お母さんがビールを飲んでいて、お母さんが僕に、ビール飲んでみるかね、と言われ僕 はビールを一なめなめてみました。そしたら苦くて、口直しに焼きそばを食べました。何 か大人の味を学んだような気がしました。
1996年4月28日 日 弟の手伝いをして庭に池を作る。と言っても買ってきたプラスチックの「池」を埋めた だけであるが、整地して掘って、、で結局1日かかってしまった。弟は大喜び。お母さん は新居への引越しの後片付けで動き回っているし、、、。お母さん「お兄ちゃんがポカン と1人でかわいそう」。
1996年4月30日 火 今日は、ガス屋(農協)、トイレの配管(やり直し)、電気屋、外装(手摺の取り付 け)と久しぶりに多くの作業者が入り、騒がしい1日になった。一応、コンロと風呂が使 用可能となり生活が多少変わってきそうである。
今日 6時間目に図書委員会の話し合いがありました。 始めに自己紹介をやった。僕は自己紹介の時、友達に視力があまりない事を知らせまし た。だけど、僕は図書委員に入りたかったわけじゃないのに、こうゆうところ希望が丘と よくにてるなと思いました。
1996年5月2日 木 今日の3時間目授業参観でした。 お母さんたちに見てもらったのは総合でした。僕は細かい字は見れないので、総合の社 会科はあまりすきではありません。だけど、行ってみたい県がいろいろとあるので頑張り たいです。
1996年5月3日 金 NTTが入り電話線を新居に引き込む工事。色々あったが仮配線でパソコン通信が繋が った。
1996年5月5日 日 昨日 サッカーボールで遊びました。新しい家の出入口が少し斜めなので、サッカーボ ールをけるとまた帰ってきて、なかなかいい運動ができたと思います。
1996年5月7日 火 今日から会社で分煙が始まる。喫煙者にとってはだんだん肩身が狭くなる時代である。 我が家でも、お兄ちゃんが居る所では禁煙になっていたし、新居は勿論禁煙である。
今日の2時間目に 交通安全教室がありました 僕は小学校の時 自転車競技会に出ると言う事で 僕は校庭でみんなの視線をあつめたこ とがありました。関養護学校の交通安全運動は、校舎の中で危険な所はどこかを見て体験 しました。小学部の生徒さんがきゅうに廊下に出てきた時はできるだけ止まりたいです。
1996年5月8日 水 今日の5,6時間目に美術の事業を受けました。5時間目はクレパスで黄色い円の中に ピラミットを書きました。 6時間目は「指で絵を書きます」とM先生が言ったので、友達はえーと言っていまし た。古代人の人達は指で字を書いていたみたいなので、あまり気にしませんでした。僕の 作品は黄色の彗星や赤い光星 滝のように落ちる青い小惑星などをイメージして指で書き ました。
1996年5月9日 木 今日 3,4時間目に美術クラブの授業がありました。希望が丘で紙粘土のピラミット を作りましたが、四角錐を形どるのはむずかしかつたので、鯨なんか作ってみようかなと 思います。本当に土粘土なんかで生きているような鯨が釜から出てくるだろうか。僕の心 に泳いでいるような 白流す鯨が生まれるかな。
1996年5月10日 金 今日 防災訓練が2,3時間目にありました。2時間目はM先生が阪神大震災の本を見 せてくれました。あの時は僕の心臓が気が狂ったように烈しく動きました。 3時間目は関養護学校の避難経路を通って運動場へいきました。本当に地震や火災があ ったばあい、煙を吸わなければ命はだいじょぶなんだけど、とっさに何かで口を押さえる のはむずかしいかな。地震でゆすったら僕は少しも動けないと思います。
1996年5月11日 土 昨日 関養護学校の訓練会に行きました。 最初の方は体を動かすのでしたが、後半は 何か大きいシーツのような物が出てきまし た。僕は不思議に思いました。するとみんながシーツの上に乗り始めました。僕は何が始 まるかと思ったら、シーツに風を入れるとシーツがふくらみ、関養護学校には変な機械が あるな、と思いました。 僕もおもしろそうなのでふくらむシーツの上に乗ってみました。2回乗ったのですが2 回ともひっくり返つてしまい、2度も女の子の足に僕の頭がついて、少し恥ずかしかった です。
1996年5月12日 日 今日は1日遅れの誕生会。 僕は自分の誕生日を忘れていて弟に言われて、5月11日は 僕の誕生日だったけ。それで誕生日を忘れていたので誕生日プ レゼントは今のところありません。 もう僕は17才、祝ってもらうだけでいいのかもしれない な。
1996年5月13日 月 2時間目に遠足の話し合いを体育館でやりました。 それで見学するのは名古屋のNHKと名古屋のテレビ塔、そして名古屋の地下街へ行き ます。 名古屋の地下街は元気な時によく買い物しに行きました。ですが何年も行ってな いのでだいぶ変わっていると思います。昔住んでいた町がどんな姿で僕を出迎えてくれる か楽しみです。
1996年5月14日 火 5時間目に音楽の授業を受けました。F先生とM先生 それとみんなでおおきな歌を歌 いました。 それでF先生が4も字の言葉をみんなに訪ねました。僕は最初にうかんだのが宇宙でし たが 小さい字が入るのは だめ と言われたのでちゃんとした4字を言いました。 僕たちが言ったのを歌にすると何とも変な歌でした。友達の歌詞がまざつていては、変な 歌にもなるか。 今日のM先生は 僕が小学校1年生の時に一目惚れした女の子にそっくりでした。食事 の時 M先生をじぃっと見ていたんです。情けない話なんですが、僕はかわいい女の子 そしてきれいな女性などが瞳にやきついて放れません。僕の瞳にはM先生も写されていま す。僕はM先生が好きかな。
1996年5月15日 水 今日もお昼休みに図書室に行きました。 図書委員会では毎月課題を出して 課題にあった本を読んでくるのですが 僕は課題を 考えてくるのをすっかりと忘れてしまい 僕が急いで考えたのが「自然を消すな」がせい いっぱいの答えでした。そしたら図書の担当のK先生が、絶滅した動物も調べなかんね、 と言われました。僕が知っているのは とき 日本狼 タスマニア島に住んでいたふくろ 狼 ふくろタイガ−がいましたが 人間が連れてきた動物に餌が食べられ絶滅しました。 人間は自然を消す、それでは地球にもうしわけない。
1996年5月17日 金 今日は楽しみにしていた 名古屋への遠足です。 バスにみんなが乗ってしゅぱつした。すると僕の斜め前に関養護学 校の迷路から救ってくれたO先輩が坐っていました。よく見るともの すごくかわいい。それで 生徒会がきかくした話を後ろで聞きながら Oさんの顔を見ていました。 名古屋にバスが着いて、車椅子で名古屋の町を見て、心の中でただ いまと言いました。名古屋の町を少し見て 地下に行きました。僕が 元気な時とはだいぶ変わっていた。食事のハンバーガーはとても食べ にくかったです。 次に行ったのはテレホンカード売り場に行きました。そこは僕が元 気な時はなかった所でした。僕はそこで夕日をばっくに橋がかかつているテレホンカード を買いました。そこにはなんとヌードのテレホンカードがありました。最近の若い女性は 恥ずかしいとゆう乙女心がないのだろうか。 次にテレビ塔の中に入りました。ドラマの収録室に入れてもらいました。そこは灰色の 部屋で 人間の目をごまかす変な部屋でした。その2階で 毎週日曜日の7.20分から テレビでやる クイズ日本人の質問のテレホンカードを買いました。 とてもいい遠足でしたが疲れました。
1996年5月18日 土 今日の2,3時間目に美術クラブの教室に行きました。 僕は土粘土で鯨を作ろうと思っていたんだけど、ほかに2個ぐらい、とK先生が言った のであと2個絵を書きました。その2個は先生たちのご要望でモアイ像と蛙の絵を書きま した。それがモアイ像の目はいがんでるし、鼻が変な所についてるし、口は鼻とぜんぜん ちがう所についてるし、何か福笑いのモアイ像になりそうです。蛙の方はまあまあ上手く かけたと思います。 その蛙は新しい家の玄関におこうと思います。早く土粘土で何か作りたいです。
1996年5月20日 月 ようやく「通学バス乗車」の許可がでる。いままで学校までお母さんが送迎をしていた のであるが、来週(?)からは希望が丘までの送迎ですむ。ただ、バスの出発時刻に合わ せるには自宅を7時頃に出る必要がある。生活の時間感覚を1時間程前倒しにする必要が あるナー。
1996年5月22日 水 今日 数学のテストを受けました。 最初のうちはできていたんですけど、最後の方になると小学校の時も苦手にしていた文 章題が出てきました。僕は一生懸命考えてホワイトボードに式と答えを書きました。小学 校の時はそろばん二級までやっていたので 小学校の計算はすらすらとやっていたのです が、文章問題はそろばんでやらないし元気な時から文を読むのは嫌いでしたから。
1996年5月23日 木 今日 心音の検査が終わってから教室に帰ると D君が絵を書いていました。僕がD君 の方に行くと、何やら野菜のような物を書いていました。僕は元気な時も絵はへたで 今 も絵はへたです。だけどD君は手や指で、本物そっくりの絵を何も見ないで書くなんてす ごい。これは 障害を持った美術者か。ほかに D君は4,5日前は 作詩 作曲をする なんて。 僕も色々な詩をパソコンに入力くしていて歌詞になるような詩を打とうかなと思ってい るのですがだめです。
1996年5月30日 木 今日 2時間目に体重測定を受けました。 入学して1カ月のときは58キロでしたが、今日 測ったら57キロでほんの少しやせた かな。 僕がは小学校のころから汗かきで 体育をやって体操服を1日ほかっておくとズボンに 塩がふいていたときがありました。関養護学校は移動が多いので、ものすごく汗をかいて 1キロぐらいやせたかな。
1996年6月1日 土 2,3時間目に美術クラブがありました。 最初から土粘土をさわらせてもらい 鯨の形にしていったつもりですが 上手いことい かず 尾が長く目がない鯨ができたので 僕の鯨は深海鯨と名ずけます。やっぱし片手で 物を作るのは難しく 僕が思ったように作れず まいりました。
1996年6月3日 月 兄弟共に代休(お兄ちゃんは昨日の「ふれあい祭」、弟は週末2泊3日の「若狭研修合 宿」)。お母さんもユックリ出来た?。 お兄ちゃんは毎週、週の始めに一週間の日記をまとめてプリントし学校に持って行く。 内容は毎日の出来事や詩が中心であるが、”愛”や”女性”についてのものも結構ある。 多感な青春時代であり当然とは言え、中には「こんな内容のものを学校に出して良いのか な?。」と心配してしまうものもある。
1996年6月5日 水 会社の帰りに大須のパソコンショップ巡りをする。目的は「片手入力ソフト」であった が、店員に尋ねても良く分らなかったようである(元々無い?)。代わりに「サイエン ス」と言う辞書的なCD−ROMを買う。マア、弟用だな。
今日の3,4時間目の調理で ふりかけを作りました。 僕は ふりかけなんか 乾燥しないとできないと思っていて たった2時間でふりかけ なんかできないと思っていたのですが 材料を火にあぶれば 知らないうちに ふりかけ が。僕は そのとき 人間の食にたいする恐ろしさを知った。
1996年6月6日 木 今日 2時間目に進路訓練について 話し合いがありました。僕は 水道の一部になる 所を分ける部になりました。そこの部品をきちんとならべる仕事は 地元の中学校の近く の作業場ですこしやった事があるので友達より少し早くできるかな。
1996年6月11日 火 今日の2時間目に進路週間の話し合いがありました。僕は 軽作業班のバルブ係になり ました。僕が思っていたのとはぜんぜんちがっていて、水道の蛇口の下の部分を組み立て る仕事で 難しそうだなと思ったら 案の定難しく 僕ができそうなのは二つくらいで、 一つは僕の目の障害で遠近力がないせいで 木の板に鉄のぼうをさすだけの簡単な作業 なんですが 一週間で一万ぼんできるかな。僕の心は失敗しないか ふあんの渦が音をた てて回っていたような気がしくす。
1996年6月12日 水 庭のコンクリート打ちが始まる。新築工事もようやく大詰めに近づいた感じである。2 〜3日は車の乗り入れが出来ない為裏口からの出入りになる。
1996年6月13日 木 今日から一週間は、進路週間で、僕は、木の板に穴の中に器具を入れる仕事なんです。 木の板の穴の中に器具を入れるのは、なかなかおもしろかったのですが、最後の方になると、かたや腰が痛くなり、今日は疲れ疲れの一日でした。
1996年6月14日 金 お兄ちゃんが「腰と背中が痛い」と言って、9時頃に就寝。今 週に入ってから訓練に一部に「作業」が取り入れられ、背中を丸 めての仕事を長時間しているかららしい。そう言えば最近パソコ ンでの操作が辛そうであったのはこの為か?。 「作業」は来週も続くらしいが、大丈夫かな、、、。
昨日、スピンドルを木の板の穴に入れて、だいぶ疲れました。 今日は一日でダウン。 友達の話とか、先生の話とか、聞きながらやっていました。 一日中背中を丸めてやるのは、僕の体にあわず苦労します。昨日より疲れ、パソコンで 日記を書くような元気はありませでした。
1996年6月16日 日 今日の最高気温は岐阜で33℃。午後から加納のオジイチャンとオバアチャンが来たこと もありエアコンの試運転。流石に快適である。弟「良いな〜」。
1996年6月19日 水 背骨が痛い、痛いと言いながらも「作業の週間」は終わったようである。日記には「背 骨が悪魔にかじるられるようだ。」と書いていたが、相当辛かったのだろう。 最近学校である女生徒さんに会えることを楽しみにしているようだ。その生徒さんが学 校では色々面倒をみてくれるからだろう。こんな経験が今までは無いだけに、本人にとっ ては貴重な体験になる?。
今日は、進路週間最終日です。 食事前は、仕事をしていたのですが、いつも、大きな声で歌を歌っていてるNが教室に 入ってきて僕の車椅子を松葉杖でたたいたので、僕の怒りがピークたっし、車椅子を動か そうとすると、となりに坐っていたS先生が、僕の車椅子を止めてくれた。 食事後、バルブ班の友達とトランプでババ抜きをやりました。ババ抜きで、疲れも大分 取れました。 僕が帰るとき、M先生が不思議そうに、僕に訪ねるのです。なぜN君につめたくあたる のかを。僕は、M先生いろいろとわけをはなしました。
1996年6月22日 土 希望が丘の先生に温泉プールに連れて行ってもらう。「気管が開いたままなのに大丈夫 かなー。」と思うものの、お母さんは決めたら押し通すところがあるから、、、。 お陰で(?)お父さんと弟は一日中思い思いの自由時間。こんな日は滅多に無いナー。
今日、希望が丘の有志でプールに行きました。僕は、喉にサランラッ プを巻いて参加しました。 最初はのうちは、プールサイドで女の子の水着を見ていました。やっ ぱし、僕の頭はおかしいのかな。 僕は、25メートルを4往復した。100メール、プールの中を先生 と歩きました。歩いた後、両膝が痛くなったような、だるくなったような、変な感じでし た。 食事の後、サウナ室へ行きました。僕はサウナに入るのは2どめで、サウナ室に入って いるときは、Oさんの笑顔を思い出して、サウナの熱さにたえていました。今度は、糸貫 中学校で友達だったみんなと行きたいです。
1996年6月27日 木 今日、一時間目に、数学のテストを受けました。 僕は、難しい問題がでると思って、僕の心は、固く閉ざされた氷河の館に心だけ忘れた 気分でした。それで、数学のテストの方は、文章題の一問、3けた×3けたが心配です。 明日は、苦手とする総合の調理のテストです。頑張らないとまたテスト。調理はやった のが少ないので、いい点が取れるか心配です。
1996年7月1日 月 1時間目に、数学のテスト用紙が僕の手元に帰ってきました。 テストの点数を見ると、80点と書いてありました。初めてです。80点と言う点を取っ たのは。今までで、最高が期末の数学で70点が1番でした。僕は、ヤッターと思いまし た。小学校の時でも、80点ぐらいで合格でしたから僕は満足でした。
1996年7月3日 水 今日、国語のテストが、帰ってきました。 僕は、90点か、80かなと思っていたのですが、65点と言う学校に入学して最低の 点を取ってしまいました。こんなんでは、2年生になってCルイケーしか行けないかもし れない。真じめになって勉強しないとダメ、と言うことを知らされた今日のテストでし た。
1996年7月9日 火 宿題の「感想文」をプリントする。数行の中に意味不明の所が2箇所。本人と話してみ ると、自分が思っていたようには文字が入力出来ていないようである。昨年末に出てきた Windows95は現在のものに比べると、大分操作性が良くなっているようで、そろそろ購入 を考えるか!。
1996年7月12日 金 今日の三四時間目、総合の授業を受けました。 洗濯で服をたたむ作業でしたが、僕は片手しか使えず服をたたむのは至難のわざ。僕が 一人暮らしするようになったら、食事、洗濯、掃除、そして後かたずけ。死ぬような地獄 に落ちたような忙しさだと思います。
1996年7月13日 土 今日、学校の訓練会に行きました。 最初は片手ずつ手を上げる運動をやりました。僕の肩は固く、K先生から夏休みの宿題 が出てしまいました。訓練の宿題は、毎朝起きたら手をあげる。 次に、ふくらむシーツの上に乗って南国の島へ心は行きました。そこで、南の風を体に うけていると、小学部の男の子が僕の頭を飛び越えました。僕は心の中でムカツクナと思 いました。 僕が海遊に行った時も、僕の膝をピョッイット飛んだ青いスカートをはいた女の子がい ました。僕はなんちゅう女だと思いました。でも、頭の上を飛ばれたときは、ドキ、とし ました。
1996年7月14日 日 僕は星が好きなんだけど、僕は目が悪く星なんか見れないと思っていたんです。新しい 家は、スーと外に出れるので星の観察にはもつてこいなんです。だけど、星をむすんで星 座を天空に描くことはできませんでした。
1996年7月17日 水 連日猛暑が続く。そんな中お母さんに連れられてプールに行った。日焼けして「あちこ ちが痛い、痛い」。こんなこと考えたことも無かったナー。 夜は弟と「星を見る。」と言って外に出て行った。実際に「見る」事は出来ないだろう が自分で動き出したのが良い。少しずつではあるが生活の活動範囲は広がっていく。
1996年7月18日 木 一学期ご苦労さまのパァーティーの準備をしました。 僕は、茄子を輪切りにする係でした。僕は、交通事故に合ってから初めて包丁を握りまし た。ほんなもんで、一回M先生の指を切りかけました。僕は、シマッターと思いました。 教師の指を生徒が切ったら、警察行かも。 一学期の終了は、バーベキュウでマクが下りようとした。友達みんなで作り上げたパァ ーティーでした。でも僕のお腹が痛くまいりましたが、楽しい会てした。
1996年7月22日 月 今日の朝、家の周りを車椅子で回りました。僕は車椅子で外に出るのは 初めてでし た。大通りに出ると、おばさんたちがベチャクャしゃべっていました。僕はなにを話てい るのか不思議に思いながら左折しました。少し行くと僕の家の倉の裏に出ました。元気な 時は、倉の中に入って探検した事を思い出しました。 ちょっと進むと、元気な時にはなかった交通の鏡が二本立っていました。いろいろな発 見の朝の散歩でした。
1996年7月23日 火 弁護士さんから手紙がくる。和解の方向で相手側と話し合ってきたがようやく決着する ことになった、との事である。形式的とは言えこれも事故の決着の形である。今後は過去 を引きづらないよう、又本人の生活基盤を整えるよう、努めて行きたいと思う。 お兄ちゃんが毎朝家の周囲の散歩を始めた。弟が付いてくれているようだが、チョット 心配?。
1996年7月27日 土 弟の夏休みの宿題の手伝いをしてやる。パソコンを使っての研究である為、お兄ちゃん と衝突。ヤッパリもう一台いるナー。
1996年7月28日 日 僕が、お風呂から出た後、Oさんへの手紙を考えたかったのです。ですが、部屋では弟 とお母さんがテレビを見ていたのです。僕は、うるさいと考える事が非常に難しい。だけ どお母さんは、自分かってやよ、と言った。その言葉が僕の心にズシ とこたえました。 また、学校のみんなに自分かってな事言ってるかなと思いました。今度からは自分かっ てを慎みたいです。
1996年8月8日 木 昨日、昼の散歩から帰ってから、車庫の前で右足のリハビリをしていると青年がきまし た。僕はだれかなと思ったら、小学校6年生まで友人であり友達以上の少年だったY君だ った。僕はとても嬉しかった。 小学校の時は小さかったのでイジメられっ子だったY君。ある時は、体育館裏でズボン とパンツを脱がされていた時がありました。僕は許せなかった。だけど脱がした子にはさ からえなかった。あの時は、Y君にすまないことをしたな、と思い出した。 Y君とはあまり話せませんでしたが、僕はY君がきてくれてとても勉強になったような 気がします。
1996年8月10日 土 毎日、家の廊下をお母さんと一緒に歩いています。今日も普通どうり歩いていたのです が、初めてコケました。母屋にいる時はよくコケていましたが、新しい家 ミラ家で初め て転びました。転んだ時に腰を打ってしまて、痛く痛くて参りました。
1996年8月14日 水 今日から2泊3日の家族旅行。台風12号が九州に接近しており明日には東海地方にも 影響が出そうとの事。運良く我が家に泊まり込んでいた叔父(お父さんの弟)に家の事を 頼んで出発。 お盆の帰省客ともぶつかり、目的地・静岡に着いたのは3時頃。登呂遺跡を見て今日は 終わってしまった。台風の影響か、時折強い雨が降ったので早々に宿泊地へ。
1996年8月15日 木 今日は一日中博物館、水族館の見学。東海大学の作っ た各博物館は良く作られていたように思う。子供達もそ れなりに満足した様子で、3つの博物館を回るのに結構 時間を取ってしまった。 又、世界各国の都市のミニチュア、東海道53次のミ ニチュアを配した公園も結構楽しかったようである。
1996年8月16日 金 家族旅行の3日目。昨日一日中歩き回って「疲れたナー。」と思っていたのであるが、 子供達は元気な様子。日本平経由で浜松へ。フラワーパークに寄ったが、ここは弟のスポ 少の旅行で来た所である。この頃にはお兄ちゃんが流石に疲れた様子で「早く帰りた い」。
※ 本人の家族旅行の「日記」は長いので に載せました。
1996年8月20日 火 昨日、希望が丘の先生たちが、新しい家を見に行ました。 僕はどんな先生がくるか楽しみのような、ふあんのような、不思議な感じで、変な気持で 心がしぼんだみたいです。先生たちは、ミラ家を探るように探査していました。そして、 僕の体を使って、僕がどうやって大便をするか、いろいろと検討していました。僕が生活 をするのに欠けているものは、大便をしてその処理がまだできない。頑張るしかない。で きるまで。
1996年8月21日 水 昨日、耳鼻科の診察に県病院へ行きました。 その時僕の喉に痰がからんでいたらしく、ドクターのY先生の最後の手段は鼻の穴から 喉を見る事でした。その方法は僕が入院している時もやったのですが、鼻の穴に特殊な管 を入れるのです。それが、気持悪いの領域をこえすぎ。 耳鼻科の診察が終わってヤレヤレと思ったのですが、僕の口の中にデビルクレーター。 口内炎ができていてY先生に薬をぬってもらったのですが、その時口の中に太い針をささ れたみたいで、針千本を飲むみたいで、とても痛かったです。
1996年8月22日 木 新しいパソコンの購入を決定、しかし我が家に着くのは早くて月末。夏休みの宿題をパ ソコンでやっている兄弟は残念でしかたがない?。特にお兄ちゃんは「片手ソフト(Windows95付属のユーザー補助機能の事)」を楽しみにしていただけに「ガッカリだな ー」。
昨日、庭にさく花に水をやりました。 その水やりは、ホースであげていたのですが、庭が広いもので車椅子にホースがからま るし、足に冷たい水をかけようとしたらズボンにかかっちゃうし、お母さんにもかけちゃ うし、参った参った。そんなんで、花の水やりは終わってしまいました。
1996年8月24日 土 昨日の夕方、おじぞうさん祭りに行きました。 その会場の上には、赤い提灯がぶら下がり、元気な時はあの提灯を友達みんなの力で上げ たなと、思いながら奥に進みました。そこには、行灯がズラーッとならんでいました。で すが、僕がいい絵だな、と思った絵は一つもありませんでした。 僕が元気な時に書いた絵は、ゴライアストリバネアゲハ と言うチョウで、アゲハチョ ウ科で世界一の美しさをほこるチョウです。 その時の女の子の意見は、「O君のチョウ、きれいだね。」と言われ、僕はその時だけ 嬉しかったような気がします。 でも、今現在の僕では何も書くことはできません。何も。僕は、何も書けないのです。
1996年8月27日 火 昨日の夜、月を見たくて外に行きました。ですが、月は見れなかったです。闇に浮かぶ 月は僕の視力を快復させてくれると思うのですが、月が出ていなければダメです。 でも秋に鳴く虫の鳴き声が聞けてよかっです。それにちっと変わった鳴き声で鳴く昆虫 がいました。その虫の鳴き声は、ヒュルヒュルヒュウ、と言う鳴き声で、僕は初めてその 虫の鳴き声を聞きました。僕は不思議な鳴き声で鳴く虫の音色に、心から聞き惚れてしま いました。昨日の夜は、虫たちの音楽合唱団のメロディーを聞けた日でした。
1996年8月31日 土 2台目のパソコンが来た。お兄ちゃんにとっては「片手ソフト」が有効なパソコンであ るが、それ以外にも17インチのディスプレイも有効なはず。その他にも今さかんに言われ ているインターネット関連や各種の付属ソフトがあり、家族全員が楽しめそう。
今日、学校から帰宅して家の中に入ると、ダンボール箱が2個。そしたら弟が出てき て、「お兄ちゃん、大きいパソコンきたよ。」と僕に教えてくれました。 僕は、ヤッタァーと思いました。なぜなら、小文字を打つ時、右手の指を使わないと、 小文字が出ないのです。それも、リターンキイの近くには、ろ、め、む、け などがあ り、日誌、日記、詩、などは時間をかけてやるのでとても疲れます。ですが、片手ソフト だと、だいぶらくになると思います。
1996年9月2日 月 片手ソフトは「非常に良い。」とお兄ちゃんはかなりお気に入りの様子である。お父さ んは今いち気に入らない(使いこなせない?)のに、お兄ちゃんはもう使い始めている。 今までがよほど辛かったのだろう。とにかくこの調子でパソコンに馴染み、色々な事がで 来るようになると良いのだが、、、。
今日、県病院に行きました。二三カ月前から、右あごが痛くて食事をする時、Xを飲む 時などにあごが痛むのです。そうゆうわけで、口腔外科で、寝る時にかんで寝ると良い物 を作ってもらいました。今現在、あごの痛みはほとんど消えました。ですが、大あくびや 歯ぎしりなどすると少し痛いです。
1996年9月3日 火 今日商業の授業の時間に、F先生が「詩集でも作ったら、どうや。」と言われ、僕は考 えました。毎回商業の時間は僕だけ詩を作るのです。友達は、パソコンの力と自分の能力 とを照らし合わせてやっていて、良いなと思うばかりです。 それで今日は、楓蟹を学校のパソコンに入力しました。そして、楓蟹の詩が終わろう か、と言う所で、S先生が詩を半分以上消してしまい、[どうぇれー]むかついた商業の 授業でした。
1996年9月5日 木 お父さんが帰宅すると、お兄ちゃんが「片手ソフトが動かん」。お母さんもサジを投げ たように「今日は触わる気もおこらん!。」と言った有り様である。今日で3日連続同じ 事が起っている。何とか使えるようにしたものの、原因が分らない為注意すべき所もワカ ラン、もっと勉強しなあかんナー!。
1996年9月9日 月 お父さんが帰宅すると、「お父さーん、小さい文字が出なーい。」とお母さんの呼ぶ 声。疲れて帰って来た身には食事前のこの作業はこたえるナー。しかしお兄ちゃんの為に はとにかく直さないと、、、。結局この件も原因が解らず、直すのみ!。 現在お兄ちゃんは「カナ入力」をしているが、「アルファベット入力」の方が良いのか ナー?。
1996年9月10日 火 商業の授業の時、いつもどおり詩をパソコンに入力していました。今日の詩は、深海 魚。僕は知っている事を自分の言葉で、表現するだけなんです。 F先生が、僕の下手糞な詩を読み終わると、数え切れない拍手。僕はとても嬉しかっ た。だって、拍手を送った事は何度もあるけど、拍手を僕だけにくれる。とても嬉しかっ た一時でした。僕の心が赤く染まる一日でした。 今日も図書室に行ったら、しばらくするとN君かきて、僕に言うのです。「O君の詩す ごいよ。」「学校祭にO君の詩を展示すれば、O君の存在感がますよ。」と言ってくれま した。僕は嬉しかったです。そして詩を書いて書いて書きまくります。
1996年9月14日 土 お兄ちゃんが日常使うソフトを替える事にした。今まではMS-WORDを使っていたがWorks にする。WORDはどうもお兄ちゃんにとって「高機能」すぎる?(お父さんも使っていない のでよけいワカラン)。
1996年9月15日 日 「劇の台本を作る。」と言って、昨日からズーとパソコンに向かっている。一日6〜7 時間はやっているだろうか。良く見えない目でよくやる!!(疲れるだろーな)。 お兄ちゃんの使っていない時間にインターネットの接続を試みたのだが上手くイカン。
1996年9月22日 日 台風17号が関東地方に接近し、大雨と強い風で交通機関が大混乱。大詰のプロ野球も東 京ドームの野球が中止になるという「ハプニング」。 日中も雲が多く、お兄ちゃんは「寒い、寒い」と言ってチャンチャンコ(ベストの事) を着てしまった。台風が去るともう秋かなー?。
1996年9月24日 火 僕にとって、初めての体育祭。 僕は一度休んだので、氷河の竜率いる白団の得点版の雪をはりました。僕は板にのりを 塗りました。敵の得点版でしたが、一生懸命のりを板に塗りました。 一方赤団の得点版は紅葉や楓の得点版で、白団の雪だるまに比べたら赤団の得点版の方 がカッコイイナァと思いました。
1996年9月27日 金 仲秋の名月。弟を塾に迎えに行き、帰って来てから家族全員で観月会。弟の双眼鏡で、 澄んだ秋の月と星を見る。少し風もあり肌寒さを感じる位である。 部屋に入るとOMソーラーのホンノリとした温かさを感じた。お兄ちゃん「ウワァー、 暖かい」。
1996年9月28日 土 何がと言う事はハッキリしないが、とにかく感動した。 今日は関養護学校の運動会。会社を休んでお母さんと観戦 に行ったのだが、、、。身体の障害にも拘わらず一生懸命 やっている姿に感動したのだろう。 「きらめき123%」と題して123人の生徒が「実現」する 姿が素晴らしかった。多くの父兄さん達も同じように感動 していたようである。
1996年9月30日 月 今日、下調べで「マーサ21」へ買い物に行きました。 車の中で、手が冷たい事に気がつきました。最初にガタがきたのは腿、膝、足首でし た。足の方の冷えはズボンなどでホローできますが、手はホローのしようがありません。 これから冬にかけて手足が冷え硬直します。変温動物のようになります。僕は冬と言う 季節が一番嫌いです。僕の心が極地に捨てられる。そのくらい僕の体は寒さに弱いので す。
|
「関養護学校T・前編」は以上で終わりです。
宜しければ続けて、
を読んで下さい。
▼