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1995年10月6日 金 今日はお母さんの(40+α)才の誕生日。ここ何年かの恒例になっているのだが、お祝 い(?)のケーキを買って帰ったところ、「アラ、覚えていてくれたの!!。」との返 事。子供達もチャント覚えていて、「今日パソコンの『誕生日のお知らせ』が無かった ヨ!。」との事。全員の誕生日をセットしておいたつもりだったが、、、?。
1995年10月17日 火 裁判の被告人尋問を傍聴。事故当時の状況確認が中心で、あまり聞きたくない話であっ たが、被告の話が曖昧で被告人の弁護士もかなり苛立っていた様子。 12月5日はお父さんが証人として出廷することになった。「請求内容の確認」と言う事 だが、中心は「余命」についてだそうある。こんな事を争うのかと、改めて思う。
1995年10月18日 水 今日、明日の2日間で弟が関西(京都・奈良)へ修学旅行。班長、部屋長になり余り気 乗りしていないようであったが、朝は何度も点検した旅行カバンを持って楽しそうに出か けて行った。 家族で1人が欠けるとやはり寂しいもので、お兄ちゃんはふざけ合う相手がいなくて早 めに就寝してしまった。
1995年10月22日 日 弟のスポ少最後の公式戦。試合は残念ながら負けたけれど郡の準優勝である。お兄ちゃ んの時には考えもしなかった成績だし、とにかくお父さん達にも楽しい思い出を作ってく れた3年間だった。来週からはもう少しお兄ちゃんの面倒も見てやれるようになるかな。
1995年10月30日 月 新居の工事はもう電気工事屋さんが入り、コンセントの位地を決 めたり一部では配線工事が始まった。ここまで来ると室内の機器・ 什器の配置も考えなければならない為、お母さんも色々悩む所があ りそう。
1995年11月16日 木 弁護士さんから12月5日の父親証人尋問について、確認事項を書いた書類が届く。本人 の生活状況等はまだ分るけれども、事故当時の詳細な項目については思い出せない事も多 い。調査も必要だナー。
1995年11月26日 日 午前中は弁護士さん宅で証人尋問の打ち合わせ。 午後は弟の野球で親子の親善試合をやる。6年生ともなると親もタジタジである。
1995年11月27日 月 新築の工事は外装・内装が始まった。材料が色々運び込まれているが断熱 材の多さにはビックリした。”OMソーラハウス”と言うことであるがかな り本格的である。
1995年11月29日 水 弁護士さんに裁判資料を送る。内容は以下の通りであるが、この資料を作るのにパソコ ンが役に立った!。 @ 本人とお母さんの日程表 A 事故以来の経過表 B 最近の写真(3枚×3組) 等々
1995年11月29日 水 M君へのメール 28日に関養護学校に行ってきました 僕が想像していたより山の中にあるんですね 関養護学校に入学できるのですか 僕は英語はできませんし音楽は小学校の時から大きら いです こんな僕でも関養護学校に入学できますか。
1995年12月5日 火 裁判の証人尋問。朝から落ち着かなかったし、実際の公判は緊張した。弁護士さんが上 手く答えを引き出してくれたが、想定しなかった質問には戸惑う場面もあった。 次回は反対尋問で、1月30日と決まった。
1995年12月10日 日 午前中は弟の野球の納会。親善試合や昼食会で過ごす。こ れで本当に終わったな、と思っていたら例年には無かった試 合(ある銀行の創立記念で郡内町村対抗のトーナメント)が 計画されているとの事。なかなか”開放”されんナー。 午後から関養護学校の見学に行った。自動車で1時間程か かりそうだが、毎日通うとなると大変だ〜!!。
1995年12月12日 火 関養護学校の一日体験入学に行ってきました 関の生徒さんたちは年賀状の制作をしていました。僕を受け持って教えてくれたのが Kさんで関のパソコンのことをいろいろと教えてくれました。つぎに記念になるように僕 に年賀状の作り方を教えてくれました。Kさんはていねいに教えてくれました。
1995年12月18日 月 設計事務所のIさんから電話。内装の問い合わせであったが、ついでにお母さんが完成 予定を聞いた所、「1月末には出来るでしょう。」との事。「何をトボケタ事を言ってい るんだ?。」と言う気持ちである。今月末の完成の予定で引越しの手伝いも依頼してある し、、、何よりも新年を新居で迎えるつもりだったのに!!。
1995年12月22日 金 新しい家について電話がかかってきました。それは屋根につける集熱板の機械がまたできてないそうです。これじゃあ1月の終わりじゃなくって2月の始めに完成するかどうか。僕の感じはとてもざんねんです。本当ならもう完成まじかなのに。
1995年12月24日 日 夕方から恒例のクリスマスイブ。お母さんがケーキを作り、サンドイッチを作り、、 、。ビデオ、写真を撮って、賑やかな食事を採る。こうした事が出来るのも後何年か な?。弟が中学校になっても続けるのかなー。
1995年12月25日 月 昨日の夕方から降り出した雪が、今朝には10cm程になった。「電気が来てないんダワ ー」と言ってお母さんが寝ているお父さんを起こしに来た。電力会社に電話をした所、近 くの電話線が切れその復旧工事中の停電であった。 しかし、お兄ちゃんにとってはこのような事態が一番怖い。気管に痰でも詰まったら、 と思うとやっぱり心配である。
1995年12月29日 金 お父さんは今日から10日間の冬休みである。と言ってもこの3日間は年末の大掃除。例 年の事であるが、ここ何年かは適当に済ませてあったので、片づける事はどれだけでもあ る。お母さんはお兄ちゃんを連れて病院へも行かなければならないし、家の中でのリハビ リもあるし、、、ドタバタの3日間になるなー。
1996年1月1日 月 今年はどんな年になるのだろう。午後から家族揃って加納のお婆 ちゃんの所へ行く。そして天満宮へ初詣に行った。お兄ちゃんの前 途に新しい展開があるように、そして家族全員の安全祈願をした。 弟とお父さんは夕方帰宅し、2人でテレビを見ながらパソコンの 勉強。と言っても弟がゲームをやっているので、お父さんはビジネ スソフトのマニュアルを読む。自分がやる事は次々と分ってくるの だが、お兄ちゃんの事になるとなかなか行方が定まらん!。
1996年1月4日 木 早朝まで小雪が降っていた。冬休みに入って弟とお父さんが続け ていた早朝ジョギングは中止。 午前中はリハビリの後、兄弟でパソコン。天体・星座のソフトを やっていたのだが「関養護学校に行ったら宇宙の勉強をやりたい。」そうである。
1996年1月10日 水 昨日から降り続いていた雪は今朝には50cmぐらいになっただろうか、岐阜では42年ぶり の大雪だそうである。道路の雪どけをやって出勤。鉄道も正常運転ではなく会社に着いた のは11時近かった。 お母さんは連日の雪どけでバテ気味だが、臨時休校となった弟はほぼ1日かけてカマク ラを作っていたそうである。元気なものだ。
1996年1月12日 金 新居の工事は今年に入ってまだ1日も行われていない。シビレを切らしたお母さんが昨 日、今日と連日抗議の電話をしようとしているが、責任者の不在でなかなか掴まらない。 大雪の事があったとしても何も連絡して来ないのはひどい。これでは1月末の完成は無理 だな!。
1996年1月17日 水 今日も工事は行われていないが、材料が運び込まれた。それにしても年末から3週間ほ ど何も行われておらず、何度も電話をしているお母さんの抗議も効果が無い。 お兄ちゃんが「2月ぐらいから新しい家で生活出来るかなー。」とポツリと言った。期 待して待っているのである。
1996年1月22日 月 ようやく工事が再開された。実に1月間の空白である。
1996年1月23日 火 お兄ちゃんとお母さんは隔週の定期検診に県立病院に行く。最近は病 院での話や治療の話を聞く事が少なくなった。何か変わったことがあれ ば話してくれるのだから、変化が無い=それだけ安定している、という 事だ。
1996年1月30日 火 2回目の証人尋問。今回は被告側の弁護士による反対尋問に当たる。内容は前回の質問 を少々いやらしくした(?)程度で代わり映えしなかった。しかしヤッパリ緊張したなー。 朝から雪の舞う1日であったが、裁判所から帰る頃はかなりの降りになっていた。明日 の通勤・通学は大丈夫だろうか。
1996年2月2日 金 昨日の朝方は猛烈な吹雪だったし、今日も朝は雪。お父さんは連日樽見鉄道で出勤であ る。 工事は今日も又作業人が入らず、再開してからもボツボツと言う進捗状況である。お母 さんの怒りは相当なものである。 それにしても予定通り昨年末に出来ていれば、お兄ちゃんは今冬のすごい寒さでも快適 に過ごせただろうに。
1996年2月4日 日 今回の寒波も昨日が峠だったようで今日は暖かな一日だった。野球の練習も無くユック リ出来た。お母さんは何時完成するか分らない(?)ものの引越しの準備を始めている。 お父さんは昨日今日でWindows95の解説書を読んだ。昨年末に”鳴り物入り”で発売され たパソコンのOSであるが、現在のパソコンに比べると障害者でも使える物になっている ような気もする。ただヤッパリ使ってみる必要があるナー。
1996年2月7日 水 久しぶりに工事の人が入る。「一部を除いて今週中に内装は 終わります。」との事であったが、今冬のように雪が降り続き 時にはみぞれが混じったりたりでは、外装は進みそうにない な、と思う。2月は無理だろうなー?。
1996年2月9日 金 今朝設計士来て、お母さんが不満だった内装(壁紙の色や貼 り方)の説明をした後、「完成は4月にはならんと思いますが」との事。ウゥ〜ン、ヤッ パリという感じ!!。
県病院に行きました。時間にきびしいO先生の診断を受けました。 体はふじゅうだけど元気な人とかわらないねと言われました。それからだいぶ良くなた っね、とも言われました。僕もお母さんも喜びました。
1996年2月12日 月 祝日で、お母さんと新居用の家具を見に行く。色々見て回って「どれだけ金があっても 切りが無いナー」と言いつつ、結局買ったのは食器棚1個。カーテン等は設計事務所に相 談してからと言う事にして今日は帰る。 弟が風邪気味で鼻をグズグズさせている。「僕の部屋に入らんとって!」とお兄ちゃん は非常に気にしている様子で、TVも見ず自分の部屋に入ってしまった。
1996年2月22日 木 退院後も飲み続けていた複数の薬が1種類になった。又、県病院へ通うのは2週間に1 回、リハビリに希望が丘へ通うのは月に1回となって、お母さんも多少落ち着いてきたよ うである。もっともこんな状況も後1月余。関養護学校に通うようになれば、今までとは 比較にならないくらい忙しくなるように思う。家族全体が又落ちつかなくなるナー。
1996年3月3日 日 お兄ちゃんは明日の試験を控えてチョット神経質になっている様子。クラス分けの試験 だが、どうも入学試験と思っているようだ。もっとも初めての試験だから、ヤッパリ緊張 するかな?。
1996年3月3日 日 明日はもう関養護学校の入学試験の日です。僕は小さな声でしか話せないのですべるか もしれません。だけど 合格したら自由書房でCDとビデオ好きなのをかりれるので頑張 りたいと思います。
1996年3月4日 月 ひな祭りも過ぎたと言うのに今日はミゾレ。何時までこんな寒さが続くのかな。 そんな中、お兄ちゃんはお母さんと一緒に関養護学校へ試験を受けに行った。受験者は 18名、数人を除いて色々な障害を持った子供さん達だったそうである。 「だいたい出来たよ」と言うのが2人の感想であった。
1996年3月5日 火 建設会社の社長がお詫びを兼ねて今後の日程表を持ってきた。「3月29日を目処に工 事は終わるようにします」との事である。当初の予定では4ケ月、それが7ケ月になって しまった。「追加工事費はペナルティという事で、、、」。一応納得しておくか。
1996年3月6日 水 3月4日に関養護学校の入学試験を受けに行きました。 最初に僕は個室につれていかれました。そこで 国語 数学 理科 社会 の試験を受 けました。 国語の試験で最後のほうでだいしゅっぱいしてしまいました。テスト用紙でわからない 漢字があったので先生にここなんて読むんですかときいてしまい国語の点数は少しわるい かな。 数学はへたくそな数字で先生わかるかな。 社会は歴史上の人物が出ると思って前の日にえぼえたのに試験にはでませんでした。 理科は天秤の問題でしたがなんとかできました。 自分なりに頑張りました。
1996年3月8日 金 3月7日に関養護学校の試験発表がありました。 僕の受験番号は18番であったのですが 僕はまだ見てないのにお母 さんは自分だけ見て車椅子を動かしたので まだ見てない と言いまし た。一番はしっこに18と書いてありました。 校舎のなかに入って1年間の行事や部活動やクラブどの話でかいさん しました。僕はパソコンクラブにに入部できたらうれしいです。
1996年3月19日 火 昨日は半日、今日は工事は無し。設計事務所の人が来て「これから毎日夜8時頃に進み 具合をみに来ます。」との事であるが、どれだけ頑張っても3月末完成は無理だな!。
1996年3月27日 水 お父さんが9時頃帰宅すると、工事現場にはまだ煌々と明か りがつき、家の周りのブロックを積む作業が行われていた。今 日は常時数名の作業者が居る状態で、正に急ピッチの進み具 合?。この状態になって、まだ細部の詰をしていなかった所が 次々と出てきた為、お母さんと家の中を回りながら、”アアデ モナイ”、”コウデモナイ”、、、。
1996年3月31日 日 午前中の弟とお父さんと2人で新居用の椅子を買いに行く。これから最も使う事になる 家具である。「少しでも良い物を」と思うのだが結構費用がかかる!。 午後からは、スポ少のアルバム作り。4年間の活動の記録であり、「親子の宝物」のつ もりで作ってきたアルバムである。お兄ちゃんの時は中途半端に終わったが弟のチームの アルバムは立派に出来上がった。
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「@ホーム・後編」は以上で終わりです。
希望する養護学校に進学出来ず、アットホームでの
1年間のリハビリ生活を送った訳ですが、それは又
次の生活の準備段階でもありました。
新居が完成し、関養護学校に通学
する生活が始まりました。
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新しい生活は
で読んで下さい。
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