事故に遭ったその日から、お父さんが、お母さんの話を聞きながらつけていた日記を元に、これから「自立にむけて」の記録を整理しす。多くの人達のお世話になり、励ましを受けて関養護学校を卒業するまでの経過を整理します。
「@ホーム編」からは、本人がパソコンで書いてきた日記も「記録」として収録しました。 本人の日記は青文字です。
日付の後の(nn)は事故に遭った日からの日数です(「希望が丘編」まで)。
7年余の期間ですので、整理するには、かなりの時間がかかると思います。 応援して下さい。 又、この記録が、同じような境遇にある方にとって、少しでも参考になれば、と思います。
※ 各「編」はA4で5〜14枚程度(文字のみ)ですが、1ページで構成しています。 時間がかかりますので、ロード後一旦接続を切ってお読みください。
2001年11月 : 7年3ケ月間の日記の整理が終わりました。 応援して頂きました皆さん、ありがとうございました。 |
覚醒編(1991年12月13日〜1992年9月11日) 事故に遭った日に、意識不明の重体で県立病院の救急救命センターに入院してから、 リハビリが本格化するまでの記録です。 救急救命センターに1ケ月程いた後、一般の病室に移りながらも、2度のMRSAに感染 し(約1ケ月間と2ケ月間)、隔離された状態でリハビリもままならぬ時期でした。
この期間には、小学校の先生、クラスメート、その親さん達はじめ多くの皆さん にお見舞いを頂いたり、励ましのお便りを頂きました。そんな中の一部を掲載させ てもらいました。 |
リハビリ編(1992年9月12日〜1993年4月30日) 病院ではリハビリが中心になり、リハビリ室では、身体のあちこちの筋力を付けたり、 ”動く”訓練をしました。気管の手術後には”話す”訓練も始まりました。 この時期の後半には、”一時帰宅”も実現し、リハビリの一環として「学校生活」を体験 する検討も行いました。 |
リハビリ2(糸貫中学校)編(1993年5月1日〜1994年3月31日) リハビリの一環として、病院や学校の協力を得て、中学校の「授業」を受けることが出来 るようになりました。毎週金曜日に帰宅、土曜日と月曜日の午前中に「授業」を受け、病院 に行くのが日課になりました。 リハビリとは言え、同級生に囲まれての時間は貴重な体験であり、忘れられない思い出 となりました。
中学校の学級通信『かざぐるま』やクラスメートからのお便り、思い出の写真を 集めてみました。 |
希望が丘養護学校編(1994年4月1日〜1995年3月31日) 94年4月には糸貫中学校から希望が丘養護学校に転校したのですが、4度目のMRS Aに感染しており入院したままの状態が続きます。MRSAから開放されて、気管の手術を 経てようやく退院出来たのが7月25日でした。 ようやく希望が丘に入所したものの、再びMRSA感染。しかし、学校側の協力もあり通学 する事が出来るようになりました。
入院中お世話になった看護婦さん達のお祝いの「寄書」や、思い出と先生はじ め多くの友達と出会う事がが出来た1年余りの学校生活を写真などで振り返っ てみました。
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@ホーム・前編(1995年4月1日〜1995年9月30日) @ホーム・後編(1995年10月1日〜1996年3月31日) 希望が丘養護学校は卒業出来たものの、MRSAに罹患した状態だったこともあり、関養 護学校には進学出来ませんでした。 その為1年間は自宅と、希望が丘へ通院して、リハビリ生活を送る事になりましたが、一 方この1年間は、裁判や新居の建設等もあり、環境も含めて今後の生活にとっては重要な 1年となりました。 「@ホーム編」からは本人がパソコンで書いた日記も収録しました。日記はお父さんの 「記録」に比べて、内容が具体的で「おもしろい」です。青文字で書いてありますので、その 所だけ読んで頂くのもこの記録の読み方かな?、と思います。
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関養護学校T・前編(1996年4月1日〜1996年9月30日) 関養護学校T・後編(1996年10月1日〜1997年3月31日) 4月から関養護学校に通学し、リハビリと学業の生活が始まりました。学校生活は色々 な人々との付き合いや色々な行事をこなす事が必要です。本人の日記にはそんな事が細 々と書いてあり、この1年間で2百数十ページあります(ただし詩が全体の半分程)。この 「記録」には紹介し切れませんので、「記録」には「自立にむけて」に関する事を中心に載 せ、他の部分は又別の機会に紹介したいと思います。
この1年間の学校の行事や、家族旅行等思い出の記録を集めました。 本人の日記の「長編」もここに転載しています。
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関養護学校U・前編(1997年4月1日〜1997年7月19日)
関養護学校U・中編(1997年7月20日〜1997年12月20日) 関養護学校U・後編(1997年12月21日〜1998年3月31日) 関養護学校の生活も2年目をむかえ、多くの先生や生徒さんとの交流の中で、本当に多 くの経験をし、学ぶ事が出来ました。その中でも「障害者甲子園」に友達と2人で参加した 事は、本人とって大きな自信になったようです(「番外編」に収録)。 本人の日記も長文になり、この「記録」もとうとう1年間を三編にわけざるを得ませんでし た。 <余談>本人の日記を、誤操作で消してしまいました。当時は紙にプリントした物がありましたので、「マア、 イイカ!」程度の気持ちだったのですが、イザこの「記録」に載せる段になって途方に暮れました。 一時は載せるのを断念しようか、とも思ったのですが、気を取り直し「ヤッパリ載せよう」と奮起し、OCR (プリンター付属のソフト:「読んでココ」)で取り込みました。本当に大変デシタヨ!!。
「障害者甲子園」に参加した記録・感想や家族旅行、運動会等を本人の文章と 写真で整理しました。
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関養護学校V・前編(1998年4月1日〜1998年7月18日)
関養護学校V・中編(1998年7月19日〜1998年12月22日) 関養護学校V・後編(1998年12月23日〜1999年3月31日) 学生生活最後の1年間です。2年間の経験と、先生、同級生、下級生との交流や、リハ ビリでお世話になった皆さんとの触れあいの中で、最高学年としての自覚と共に、人間とし て、「自立にむけて」その歩みを始めたように思います。
3年生は各種の行事が目白押し。「障害者甲子園」、運動会、修学旅行、学校祭、 卒業式。それぞれ思い出の行事だったようですが、写真と文・日記で整理しました。
卒業後は、町営の授産施設「杉の子園」でお世話になることも決まり、 又、ゴールデンウィーク後には気管を閉じる手術を受ける事も決まりま した。 「学ぶ」事が中心の生活から、「働き」・「学ぶ」事が中心の生活に変わ る訳ですが、これからも、精神的な「自立」はもちろんの事、身体的にも 「自立」する為の努力は続く事になります。周囲の人にはこれからも支 援をして頂く事があると思いますが、長い目で応援して下さい。 <2001年11月 編集後記に代えて> 99年4月 根尾・薄墨桜 |