「自立にむけて」

  

                                         

ふれあいの記 99年のV

(1999年12月〜2000年3月)

                                              

 

12月3日 金曜日

  1本杖で、歩きました

 今日、9時過ぎに中央病院に行きました。

 最初のうちは普段と同じように訓練をやってもらいました。少し違ったのは、足を

使っての輪を短い棒に入れる事です。

 その後、膝を抑えられて背筋を伸ばすのをやりました。

 その後、先生の介助で少し歩いてから1本杖を使っての歩行。最初は先生が右手を

持っていてくれましたが知らないうちに先生の手は放れていました。でも、僕はヒョロ

ヒョロした杖を持ち歩いていました。右膝を伸ばし、ロックして左足を少し前に出し

て歩きました。でも僕はただ杖を持っているだけで歩いていました。それをMD先生

は見ぬいていました。歩き方がそう見えたかもしれません。

 

12月4日 土曜日

  転びかけた散歩中に

 今日も、いつもどうり朝、散歩にでかけました。

 いかに早く走るか、考えながら走っていました。友達の家の前で、足がもつれて転

びそうになりました。両足が後ろに行ってしまって体が前にきて、このままでは車椅

子から落ちてしまう、と思って体をグッと後ろにもっていったのです。後ろにそりか

えったのです。車椅子の後輪がういたのです。これには僕も恐怖感が体と心を襲った

のです。

 今年からは、どうしても3km走らなければ駄目なのです。競技用の3輪車椅子、

レーサーだったら、3kmぐらいかるいもんなのですが、僕が乗っているような車椅子

はだんぜん遅いのです。

 友達の家の前を走っている時に200mのコースを2周して外のコースに出るのです

が、僕が1周している間に、みんなの姿は消える。

 さて2000年の新春マラソンは、メモリアルの競技場を出てどの辺りまで行けるか

勝負です。もしかしたら、競技場を出る前に終わったりして。

 

12月11日 土曜日

  金曜日にぶつぶつ話していた事を詩にまとめて

 今日の午後から福祉マップがあるのですが、そこで僕が話をする事に。SKさんから の頼みだそうです。商工祭の時に福祉マップが企画した車椅子実技の時、僕は見て見ぬ

ふりをしたので、あやまりの気持ちで話して来ます。

 でも、そな話をする事はなく、ただ話を聞いているだけでした。

 傾斜の角度や、階段の高さや奥行きや横の寸法などの話を聞きました。「学校と中学

校の階段絶対違うに。」などと言うような事です。

 その話が終わってロビーに出たら、みんなみんな色々な話をしていました。高校入試

の話や、男子や女子のヘヤーの話、ORさんと僕とお母さんは、杉の子園の事を色々と話

しました。

 話の継ぎ目などに、赤と白のしま模様の服を着たSKさんの娘さんをちらちらと見て

いました。Sさんぐらいかわいくて、髪型はK子さんみたいでメチャかわゆかったです。

 

12月12日 日曜日

  年賀状の仕事でなかなかね

 今日の朝は年賀状の印刷をやりながら日記を書いています。

 雑音の中で日記を書くのは大嫌いですが、お金を頂くのでマーしかたがないか、と

思いながら我慢して日記を書いています。

 印刷が終わる時の音が少し違うので、お母さんがいない時は年賀状を印刷機から取り

出して机に並べて、また日記を書き始めると言う、今までに体験した事のない環境で

日記を書いています。前は弟がテレビを見ているだけで書けなかったぐらいでしたの

で、僕も少しは成長したのかなと思ったりしました。

 

12月14日 火曜日

  散歩中に、事故りかけた

 今日は散歩に出る時間が、少しばかし遅かったのです。

 少し遅いから、女子高校生に会えるかなと思いながら車椅子をこいでいました。

 ブロック塀の曲がり角で僕の望みどうり女子高校生に会えました。

 しかし、女子高校生の目には、僕は見えてなかったみたいで「ごめんなさい、ごめん

なさい。」と言って、赤いマフラーをなびかせながら自転車で通りすぎて行きました。

 帰り道、女子高校生と正面衝突しかけたブロック塀に手を伸ばしてみました。そした

ら僕より背丈があったのです。あたりまえと言えば、そのとおりなのですが。

 急にバッと出てきた僕にビックリしただろうな。

 

12月18日 土曜日

  土日の散歩は、時間無制限

 時々なのですが、散歩コースの先に行く事が。

 今日は、小さな森の前に行ってみました。坂を登って下りて、稲刈りが済んだ田んぼ

道を歩いて、森を横目で見ながら進みました。小さな森の反対がわは、公民館がかくれ

ていたのです。

こんな所に、公民館があるとは、、、。習字や珠算を習いに行った、公民館とよく似て

いたので、懐かしく思いました。あの頃は楽しかったよな。

 

 

12月22日 水曜日

  さからう事を言って、ごめんなさい

 今日の昼休みTD先生の問いに対して「嫌です、嫌です。」と、言いました。

 TD先生は「O君は、手を上げて休んでいるけど、普通の会社は勝手な行動はでき

ないんだよ。」などと言っていましたけど、そんな事は充分承知しています。僕の同

級生が会社に行っていて、苦労話を聞いていますから。

 TD先生は、僕に休憩するな、と言われるのですか。僕は、TS君やSさんのよう

には、絶対働けませんから。昼休み怒ったように言われましたけど。

 僕が、言葉使いをもう1度気をつければよいのですけど。TD先生が、なんと言われ

ようと、僕は休憩しますので。また筋肉疲労によるこぶなんかできたら、僕だけ辛い

思いをするだけですから。

 SさんやK子さん、TS君にはもうしわけないと思うけど。僕のせいでSさんにま

でとばっちりが。

 

12月24日 金曜日

  Sさんとデュエットできず・・・・・

 今日は杉の子園の御用納めで、ボランテァさんがたに、ごちそうを頂いてカラオケに

行きました。

 第一陣がビックエコーに行っている時に、Sさんとひそひそ話をしていました。

 ビックエコーについたら、もう皆は盛り上がり寸前でした。

 個室に入ったら、幼い頃スキー場で聞いた思い出の曲、「愛は勝つ」が流れていまし

た。僕もTS君と一緒に歌ってしまいました。神田川は、最初のうちはマイクのスイッ

チが入っていなかったみたいでしたけど、Sさんが入れてくれて歌いました。

 Kさんが歌った「ラブマシーン」は音が大きすぎ

て、左の耳の鼓膜がビビットきて、これは駄目だと

思って、白い字が出ている時は左耳を指で抑えて聞

いていました。

 Sさんとデュエットでチャゲ&飛鳥の「シエイエ

ー」。知っている歌詞の所は、何とか歌えたのです

が知らない所は、ただマイクを持っているだけでし

た。パフィーの「アジアのジュウシン」も歌も歌え

なかったのです。Sさんが選んでくれたパートナーの僕が、Sさんを補助しなければな

らない僕が、上手く声が出せなくて、Sさんを裏切るような事になってしまって申しわ

けない事をしたなと反省しています。

 Sさんと2曲もデュエットをして、ものすごくメチャ嬉しかったです。肩と肩とをよ

り寄せ合い歌う、刺激の強い時が流れましたが、Sさんはおもしろくなかったと思いま

す。僕の力不足、弱視の負け。Sさん、ショックが大きかったと思います。

 僕は、歌謡曲を聞いて好きな歌詞の所だけ歌ったり、バックで流れる音楽の楽器など

を聞き分けたり、何拍子か聞き分けたりして聞いているだけで、「カラオケで、デュ

エットしよ。」なんて言われても僕は歌えないのです。

 Sさんとまた、デュエットしたいけど。

 

12月27日 月曜日

  今日の朝は、地獄だった

 今日の朝、どうゆうわけか、喉のふたがよくはずれたのです。

 着替えの時、ベットから車椅子にうつる時、歩行訓練の時、お母さんは完全にヒスを

おこしていました。これは僕が悪いのではなく、薬の1つがないせいだ、と思ってグッ

と我慢していました。こんな日は、めったにないのですが、食事の時もよくはずれて、

ほんとに困りました。

 ふたなしでは、何も食べれないから。

 そんなもので、時々声を出して、ふたがはずれていないか確かめながら食べました。

 成人式の日にこんな状態だと、懐かしい友達ともなにも話ができないから、サー困っ

た。

 

12月28日 火曜日

  美しすぎるよ、スピードの涙

 昨日、組紐をやりながらワイドショーを見ていました。

 そしたら、スピードの解散ライブの映像が出たのです。歌は聞けなかったのですが、

解散の挨拶の時、スピードの4人の少女たちは、あふれる涙をおさえながら解散の挨拶

をしていました。

 それを見てから心がおちつかなくなったと言うか、沈み込んでしまったと言うか、

何も手がつけられなくなって、パソコンも駄目、今、ヒットしている曲も受け入れな

かったのです。

 どれだけ、スピードの曲が僕の心に刺激とぬくもりをくれたかわからない。それに、

4人の少女たちのかわいさ成長がよくわかる。

 去年の歌と今年の歌の違いが僕にはわかってしまったのです。

 話しは変りまして、僕の右手の親指が動くようになりました。在学中はほんの少し

動くだけで、動くかどうか本当にわからないぐらいでしたけど、今は動きます。左手

のようには動きませんが、在学中に比べたら信じられないぐらい動きます。

 

 

12月29日 水曜日

  両手こぎの練習場、見っけ

 昨日の散歩の時見付けたのです。昨日、公民館の前を横切り進んだのです。そしたら、

神社があったのです。”アラマー、見延とよく似ているな”と思いながらその道を直進

したのです。

そしたら少し進んだ所に地路を見つけたのです。よし明日はこの道を両手こぎで行って

みよう。

 公民館の前を大きくカーブして神社の前まできて、両手こぎに切り替えて進みました。

いつも、なれない所だと、右手が使い物にならないくらい固くなってしまうのですが、

今日は大丈夫でした。調子にのって進んでいると、いろんな物が目に入ってきました。

 コンクリートの車庫3台ぶん、手入れされていない庭の木、神社のトリイの前に置か

れた門松。

 話しは変りまして、昨日、県立病院で診察を受け、レチナを変えてもらったのです

が、「レチナは、肺に冷たい空気が入るから、テープをはっておくといいよ。」と言わ

れて、普通の呼吸しかできない状態で帰宅。

 手すりに掴まって運動をやっていたら、呼吸困難に似た状態になって死ぬかと思いま

した。すぐテープをとってもらいましたが、みなさんはすごい環境の中で、生きている

のだなと思いました。

 

12月31日 金曜日

 昨日、スピードのカレンダーを飾りました。

お父さんが「この家は、テープとかは壁にはったら駄目。」と言っていたので、どこに

カレンダーはろう。3千円ぐらいしたスピードのカレンダー。

 どっかにはらないとTDさんに失礼だからどうしようと思っていたら、お父さんが

みつけてくれました。それはパソコンの横の吸入機の横の壁に、何かをひっかける金具

があったみたいなので、そこにひっかけてもらいました。パソコンをやりながら、ちら

ちらと見れますので、嬉しいです。ちと遠いのが玉にきずですが。

 

 今日の昼食の時、おばあちゃんが「最近、なんか大騒ぎしているけど、なんやね。」

と、聞いてきたのです。僕は、とっさに「おばあちゃんにはわからない。」と言ってし

まったのです。

 だって、応接間のラジオすら消せないのにY2Kがわかるはずがない、と思って言っ

てしまったのです。そしたら、お父さんがきめこまかく説明していました。

 僕の家には3台パソコンがありまして、弟の部屋にある1番古いパソコンは、もうす

でに千年虫の影響で日ずけが2千何年になっているそうです。

 今日の午前0時をさかいにしてパソコンが動くか。Y2Kがコンピューターの中をど

うかきまわすかみものです。

 僕が使っているパソコンは、千年虫にY2Kに対応しているので大丈夫ですが。ビデ

オが危険かな。

 

 

1月1日 土曜日

  初詣

昨日から今日の朝0時にかけて、どうなるか何か問題がおこるか、楽しみであり、ちょ

っと心配でした。でもパソコンおよび電化製品には何もトラブルもおこらず、偉大なる

2000年をむかえる事ができました。 

  今日は朝から初詣のよういでした。

  朝食は雑煮を頂き、谷汲山へ行く話が。

  僕の1番の目的は和服姿の女性を見る事です。去年は3人ぐらい

 見ましたので、今年はどうかなと胸をわくわくさせながら行きまし

 た。今年も去年と同様、参道の横の道をダーと進んで行きました。

 その後、長い階段をお父さんとお母さんの介助を受け、階段を登っ

 て、車椅子で少し休憩してから、また階段のぼり。

  いよいよ、本堂の前までやってきました。去年はここで引き返し

 たのですが、今年は本堂の中まで入り込んでお参りをしました。

 ぎゅうぎゅうの中おしくらまんじゅうの中にいる感じでしたが、

3つ程お願いをしてから本堂を抜けました。でも、おしくらまんじゅうの中に、僕が

捜し求めていた和服姿の女性が数人いまして、和服姿の女性っていいよな、綺麗だよな

なんて、思いながら五平もちなどを買って帰りました。

 

 

1月2日 日曜日

  2つの神社でお参り

 昨日、谷汲山で2ヶ所でお参りしたのですが、今日も2ヶ所の神社でお参りしました。

 新しく散歩コースに入れた有里の神社の前で手をあわせて、お参りしました。有里の

神社まで、新春マラソンの練習を兼ねて行きました。両手こぎの練習をするすぐ横に、

何と言う名前の神社か存知ませんが手をあわせ、「今年1年、病気、ケガをせず過ごし

ますように。」とお参りした後、両手こぎをしている途中で若い女性と会いました。

 その後田んぼ道を家の方へ向かっている時、北野神社へも、お参りしないとな、何せ

地元だからな、と思いながら行きました。有里の時と同じく鳥居の前で、手をあわせて

お参りしました。

 その時僕の心にもう少し冒険してみるか、と思って神社の横の道へ。そしたら、うち

の竹やぶの前に木が数本植えてありました。こんなの昔はなかったのに、と思いながら

子供みこしがしまってある小屋の前あたりで、なんとTS君に会ったのです。でも、T

S君にこんな所で会うなんておどろきでした。

 動きにくい道を戻りまして、散歩コースに戻って家に帰りました。

 

 

1月3日 月曜日

  石川選手に拍手

 今日の11時頃、お母さんの実家の加納へ行きました。

 テレビを見ていたら箱根駅伝が放送されていました。僕は順天堂大学を応援していま

した。

 昨年は大逆転で優勝したのですが、今年のランナーは8月に膝の故障をしたらしく惜

しくも準優勝でした。

 最終ランナーにタスキをわたす所でドラマが。20分以上は、タスキのリレーができ

ないまま最終ランナーはタスキのリレーができないまま出発してしまうのです。2人の

ランナーが、タスキのリレーができなかったのです。1人は23分ぐらいに着たのです

が、後1人の東洋大学の石川選手が25分たっても姿をあらわさないのです。

 心配する声や「どうしたんだ。」と言う声が出始めて、29分ごろにふらふらになっ

た石川選手が。脱水症状をおこして、走れる状態ではなかったのです。でも、走ってい

たのです。足がガタガタでいつ倒れてもおかしくない状態でした。でも、走ったのです。

学校の名誉となるタスキをつなげるために。1度、倒れそうになっても走ったのです。

仲間のいる所まで。中継所まで着いたとたん、ダッと倒れたのです。

 僕には絶対できないなと思いました。もし、僕が健常者の体だったとしても、絶対あ

んな事はできなかったと思います。だから東洋大学の石川選手には、盛大な拍手を贈り

たいと思いました。僕の心からの盛大な拍手を。

 

1月5日 水曜日

  自分の体を自分でしばく

 最近の散歩は、けっこう遠出をしています。

 前にも書きましたが、見延から有里まで行っているのですが、僕にとっては、けっこ

うハードなのです。有里まで長い長い道のりをひたすら行くのです。体をてこのように

動かし、両足で大地をけって進んで、小さな森を横に。公民館を横に見て、神社の前の

道を直進、両手こぎで。赤い壁の家まで行って、Uターンして神社まできたら、アーム

レストの上に両手をのせて、足を乗せる所を両足であげるのですが、前はそれができな

かったし、両手があたたかく桃色に。

 よしよし、体をびしばしとしばいているな、と思って帰り道を進みました。

 そして家の裏道。いつもだったら右手がかたくなりかけて、上手くこげないのですが

今日は右手が良くひらいて、ほぼ真っ直ぐこげました。2度も両手こぎをしたら、いつ

も上着の袖が右手で持てなかったのです。いつも疲れて右手は使い物にならないのです。

 有里まで行くようになって、体重は、へったかな。?体脂肪は、へったかな。?

 

1月6日 木曜日

  お母さんが、大変だ

 昨日の朝、お母さんが買い物に出て、お昼になっても帰宅せず、僕もお父さんも心配

していた時、市民病院から1本の電話。それはお母さんからの電話でした。

 電話をとったのはお父さんでしたが、会話の雰囲気から、”何かすごい事になってい

る”と直感的にさっしたのです。

 お父さんの話を聞くと「お母さんの心臓がどうとか。」

 僕は、その話を聞いて、もしお母さんが長期入院でもしたら、僕は生きて行けない、

と真剣に思いました。だって、前お母さんの祖父が危篤状態だった時、お母さんが2晩

ぐらい家を空けた時、僕の1日のサイクルの歯車が、ガタガタに崩れ大変だったのです。

それに、杉の子園にも行けないし、毎週金曜日の中央病院にも行けないし、各週火曜日

の県立病院にも行けないし、食事もだだくさになるし、僕と弟の弁当もないし、お風呂

は、お父さんは絶対入れてくれないし、お母さんがいなくては、僕は1ヶ月、長くて半

年の命かも。

 Sさんと後何回ぐらいデュエットできるかはわからない。

 気管切開している身だとこんなもんです。お母さんは、入院する事もなく、家にいて

家事などをやっていますが。昨日は、ほんとにビックリしました。

 

1月8日 土曜日

   最後の練習日

 明日は、いよいよ新春マラソン当日です。

 散歩の距離をだいぶ長くして、新春マラソンに備えてきました。

 昨年と一昨年は、メモリアルの競技場から出てコースに出ることすらできませんでし

た。だから今年こそは2000年だから競技場の外に出て走りたい。走ってみたい。

 200mのコースを2周して、初めて外のコースへ出るのですが、僕が必死に走ってい

る間に、競技用の車椅子、レーサーに乗った選手が余裕で入ってきて、僕がやっとこさ

2周した所で、時間切れでいつも競技場の中で僕だけが終わるのです。だから、今年こ

そは外のコースに出て走ってみたいです。両手こぎさえ使えれれば、少しは勝機が出る

のですが。

 

1月9日 日曜日

  最後の最後の練習

 今日の午後から、新春マラソンがスタートしますので、いつもどうり朝に散歩をしま

した。有里までよいこらよいこら行きました。いつもと同じ景色を見ながら散歩をしま

した。いつも思うのですが、両手こぎを始める所の神社ですが、まだ門松が飾ってある

のです。もう、1月9日なのに門松が飾ってあるのっておかしくはないのですか。

 いよいよ、午後から新春マラソン。野球で言うなら、エースナンバーの1を付けて走

ります。 僕の予想どうり、車椅子のランナーは僕1人でした。

1人は愛知の一色町、もう1人は明日に開かれる大会の準備でき

ておらず、僕1人でした。担当者の人がきて「おしくも1人だけ

なので、1番中のコースを走ってください。」と、言われてまし

た。

 そこへ希望が丘と関養護学校でお世話になった先生のご夫婦が

来まして、話をちょこちょことしまして、いよいいよスタートラ

インへ。僕だけ走るコースのスタートラインへ。

 1人だけだから、遅かろうと早かろうと関係ない。

 スタートのピストルが鳴り響き、僕はとび出しました。散歩の時のように腕を足を動

かしました。なんせ、競技場だから走りやすかったです。しかし、僕の思ったようにス

ピードが出ず、色々と散歩の時に考えた走り方をやってみましたが、いまいちスピード

は出ませんでした。しかたがないので、散歩と同じように走りました。

 2周目に入って、両手こぎをやろうかなと思ったのですが、僕のすぐ隣に担当者の人

がいてできませんでした。

 ゴールすると「頑張ったね。」と、外人さんが言ってくれて、ツーショットをとって

くれました。金髪の外人さんと写真をとったのは初めてでした。どこの国の人か存じま

せんが。

 その後、メモ帳片手に質問してくる人が。岐阜新聞の記者さんが、僕に色々と聞いて

きました。僕は記者さんの質問にできるだけ答えました。僕がちょっと違ったことを言

うと、お母さんが言い直していました。

 新聞記者さんにインタビューされたのは、3度目かな。障害者甲子園で2度ほどね。

 

 

(翌日の「岐阜新聞」に載った「岐阜新春マラソン」の記事の一部です) 

  車いすで完走 笑顔さわやか

  ○…車いすの部の出場者はOTさん(二〇)=本巣郡糸貫町

  xx=ただ一人。

  競技用ではない普通タイプの車いすで、長良川競技場のトラ

  ックを2周する850bに挑戦。スタンドから大きな声援を受け

  た。

   小学六年生のとき交通事故に遭って体全体に障害が残った。

  右半身がまひしているため車いすを動かすのも容易ではないが

  毎朝、自宅周りを車いすで散歩し、体力づくりをしている。

   同大会は三回日の出場。人がゆっくり歩くくらいの速度で

  コースを完走した。「大会では知り合いにも会える。参加する

  ことが励みになります」とOさん。完走証を手にした笑顔がさ

  わやかだった。

 

 

1月10日 月曜日

  楽しみのような、寂しいような

 今日は、一生に1度の式典、成人式でした。

 僕は車椅子に乗る障害者だから、ちゃんと受け入れてくれるか心配でした。

 でも役場の体育館に入ると、小学校時代の懐かしい友達が話し掛けてくれました。少

年野球の投手や捕手やセカンドを守っていた友達に会いました。ちょっと僕とはあわな

かった友達にも。

 「記念写真とります。」と担当者の人が言って、撮影台に皆さんが並んだ時、僕の横

には和服美女たちがズラーと並んで、誰が誰やらわかりませんでしたが、僕の隣に座っ

た女性が、中学校の時同じクラスだった女子生徒でした。

 ふと後ろを見たら人間の雛人形五段飾りのようでした。

 記念写真をとった後バスに乗り込んで未来会館へ。バスの乗り降りは、少年野球の

バッテリーに介助してもらいました。

 未来会館では、オスマン・サンコンさんの講演を聞きました。僕はサンコンさんの

事は、全くと言って知りませんでした。どこの国の人かも。話を聞いていると、アフリ

カのケニアの人だという事が。

 色々と話を聞いて「うちの息子がお年玉を16万もらっ

たけど、そのお金は仕送りする。」と、言っていました。

「アフリカでは、2000円あれば何ヶ月とくらせる。」

とも言っていました。アフリカの国々がどれだけ貧しいか

わかったような。それとも、わが国日本が、豊かすぎるの

かも、贅沢すぎるのかも知しれないと思いました。

 最後に、サムソンさんが僕たちに質問タイムをつくって

くれました。食べ物の事、宗教の事などを聞いていました。

 僕も1つ聞いてみました。「僕みたいに、障害者はどう

しているのですか。」と言ったら「障害者はドイツが組織

した所で、自主製品を作って売っているよ。」と、教えて

くれました。ヘー、どこかしらと同じだなと思いました。

 講演が終わって幼なじみの女性に聞いてみたのです。「KTさんってきてる。」

そしたら「きてないよ。」と言っていました。もし、きてたらツーショットをとっても

らって、TD先生に見せてあげようと思ったのだけど、きてないのでは駄目ですね。

 

1月15日 土曜日

  チョイチョイ、パッパか1・2,3・4

 「喉をふさぐにあたって、鼻で息をすって口ではくように。」

と、YD先生に言われて僕は考えた。散歩の時の息遣いを考えねば。

 見延までは、1を鼻ですって、234を口ではく。でも、有里に入った所からは、

チョイチョイ、パッパの呼吸方にかえて、走り出しました。チョイチョイを鼻ですっ

て、パッパを口ではく、この呼吸方で走ったら案外楽に走れましたが、両手こぎにかえ

ると最初のうちはチョイチョイパッパの呼吸方では上手くこげませんでしたが、少し慣

れるとできるようになりました。散歩も終わって運動も終わって、部屋に入ると忘れて

しまうから困ったものです。

 

 お母さんの容態ですが、ストレスと寝不足だったそうです。

 でも僕は9時に寝ると、目の奥の体内時計が作動して、メチャクチャ早い時間に目が

さめてしまうのです。それに、水曜日の刑事ドラマ、木曜日の金八先生、土曜日のクイ

ズ番組と歌番組はどうしても見たいからどうしましょう。?

 

1月22日 土曜日

  左折したら、あっけなかった

 今日の朝も、いつもどうり散歩に行きました。今日は、土曜日なので散歩の時間は無

制限。有里の赤い壁の家から進んでT字路ににぶつかって、先週は右折したので今日は

左折したのです。そしたら、すぐ車のよくとおる道に出てしまったのです。何だ、つま

らん道だと思って前を見たら道があったのです。ギリギリまで前にでて、車がこない時

を見はからって横断しました。

 ドンドン進んだら時が止まったかのように動かない川を発見。その川の横を進んだ

ら、広い土地に墓石が。そこから真っ直ぐ行くと、Y字路があり、その道を左に折れ進

むと、少年野球でグランドに行く時に見た鶏小屋の大きいのを見ました。更に真っ直ぐ

行くと、成人式の日にツーショットをとった女性の家にぶつかる道まできしたが、両手

漕ぎができないと思って、もとの道まできましたが、トラックと軽トラックが僕の行く

手を。

 そして、散歩コースに戻ったけど、両手こぎはできず。

 家に帰って、歩行訓練。最初は、U字型の杖で歩いて、1本杖で歩いて、手すり伝い

で歩いて終わり。散歩で使わなかった筋肉を廊下の歩行で使うのです。

 

1月23日 日曜日

  シャワーのような雪が、朝

 今日の朝、お母さんが「アー、寒い寒い。」と言って、ストーブの前で服をかさねて

きていました。「食事のよういをしていたら、鼻水が出て出て。」とも言っていました。

それだけ、今日の朝は冷えこんでいるのだなと思いました。

 食事の合図が鳴り、外に出たら細かい雪が、、、僕の目でやっと見えるかどうかと言

うような雪が、大地を潤すようなシャワーのように降っていました。これは、積もる雪

かななんて思って母屋に入りました。

 食事をすませて外に出たら、僕には見えない雨が降っていました。でも、こんな天気

では散歩には出れないので残念です。

 この後は、Y先輩の名刺の印刷です。

 

1月25日 火曜日

  自伝車の目線では、車椅子の僕は入りにくい

 今日は、火曜日で県立病院に行くので、杉の子園は休みなので、散歩に出る時間が少

しばかし遅れたのです。そしたら、女子高校生に会ったのです。おじぞうさんのやしろ

の前辺りで。

 でも、その時、女子高校生の自転車は「キュー。」とブレイキをかけた音がしたので

す。自転車から見たら、車椅子なんか小学校の中学年くらいの身長ぐらいかなと思った

りして散歩を続けました。

 

 今日は、診察が早く終わって、アピタの雑貨やさんでぶらぶらしていました。

そしたら、携帯電話のストラップらしき物を発見しました。それには、ドラエモンとド

ラミが付いていました。その横には「MAX」か女優さんかわかりませんでしたが、

顔が付いていました。後、銀色のリボンが付いたのもありました。糸は、赤と黄色のね

じれた模様と色違いの青のも。紫1色のもありましたし、鎖のもありました。

 これに対抗する組紐ぐらいできそうなものだと思いましたけど。

 

 

1月28日 土曜日

  菜の花探しに、冒険したのですが・・・・

 今日は、唯一冒険できる日なのです。だって、日曜日は次の日が月曜日だから、杉の

子園に行くので疲れが残ると駄目なので、冒険は土曜日しか駄目なのです。

 今日は、かなり遠くまで行ってきました。

 有里の神社から、両手こぎで進み、赤い壁の家から僕独自のこぎ方にかえ、進みまし

た。車がよく通る道を2回横断して進みましたが、1つ発見しました。

 お母さんが「ほんとに気をつけてわたらないと駄目だよ。」と言われている道には、

センターラインがひかれていないのです。でも、少し進むと広い道に出るのですが、

その道にはちゃんとセンターラインが引いてあるのです。センターラインの道を横断し

て進んでゆくと、時が止まったかのような川を右手に進みました。

 すると、TD先生に話した墓場が右手に。左手には田んぼが。その道を南へ南へ行き

ました。少しでも南へ行けば、菜の花に会えるかなと思って進みました。そしたら、

また墓場がありました。前のはスロープが付いていましたが、今度のは塀がついて階段

もついていました。

 墓場を左手に、右手に田んぼ。その道を真っ直ぐ進んで左に折れて進みました。この

道も、センターラインは引かれていない道でした。センターラインが引かれてもよさそ

うなぐらい広い道でした。その道を南に下ると、南国に生えていそうなシダの巨木が2

本ありました。

 もう少し探検してみようかなと思いましたが、明日、聾学校の文化祭にご招待を受け

ているので、あまり遠出をすると、明日にひびくかもしれないと思ったので、きた道を

戻りました。

 でも、かなり遠くまで探検しにきてしまったので、有里の田んぼ道の辺りで車椅子を

こぐのが嫌で嫌で早くベットで寝転びたいと真剣に思いました。探検もいいけど、ここ

までになってまでする必要があるのかなと思ってきました。けっきょく、菜の花は見付

けれませんでした。

 

 

1月30日 日曜日

  音のない世界の子供たち

 今日初めて聾学校の中に足を踏み入れました。

 見た感じでは、健常者と見分けがつかないのが、聴力障害者ですね。

 希望が丘でお世話になった先生が、新春マラソンの記事を見て招待してくれました。

 校舎や体育館は、普通の学校と同じで段差があちらこちらに。

 「ご招待したのだから。」とH先生に言われて体育館のど真ん中に。

 そして、ステージ発表。聞きにくい言葉でしたが、「花火。」と聞こえた時、ステー

ジでは紫色の服を着た生徒が、花火がひらく所を演じていました。衣装も着けずあれほ

どの演技をするとは、たいしたものだと感心してしまいました。

 その次のが僕には最悪のステージ発表でした。暗転になって、ステージの上で発光し

た物がリズムに乗っているかのように整列したり飛び跳ねたりするのです。しかも音楽

も何もかかっていないので、視力障害の僕にとっては何がなにやらさっぱりわかりませ

んでした。

 次の劇は、12支と神の劇をやったのですが、神と猫役の生徒が少し聴力障害がかるい

のかセリフがよく聞き取れました。猫役の子は目を引きました。スカートはいていた

から、足がちらちら見えましたから。

 あとは、環境問題を1つの授業として、劇として発表しているクラスもありました。

 関養護学校と違う点が2点。

 それは、先生がステージに上がって歌を歌った事。 先生が、スカートはいて歌って

踊って、モーニング娘。郷さんの歌を赤と黒の服できめて、歌って踊っていました。

けっこうハードの踊りでかっこよかったです。

 あと、ママさんコーラスです。聾学校だから手話付きだから、そうは見れないものだ

なと思って、1番近くの人の手話を興味しんしんに見ていました。

 閉会式が終わった頃、スタイルバツグンの女子生徒がH先生に「就職先決まったよ。

」と言っていました。 あの子なんか聴力障害を持っているかどうかわからないぐらい

でした。

 後1つ、H先生はTD先生の事を知っているそうです。M子さんを小学校の時に教え

たと言う先生もみえました。

 

2月5日 金曜日

  左足が疲れそう

 今日の9時過ぎに、中央病院に行きました。

 今日は理学療法を受けに行きました。最初はいつもどうり、両手両足、体と動かして

もらいました。次に松田先生は「1本杖とサッカーボールを手に。」

 お母さんが、サッカーボールをけるのですか。」と聞いたのです。でも僕はそうは思

いませんでした。「サッカーボールの上に足をのせる。」と言ったら「ピンポーン。」

と松田先生は言われました。左手には杖、右足にはサッカーボール。この体制で、バラ

ンスをとるのですが、左足にかなりの負担が。

 全体重を左足1本で支え、右足のサッカーボールは、前後に動かしていているのです。

左足をピーンと伸ばして体重を支えていたのですが、かなり苦しかったです。いかに、

足の筋力がないかバランス感覚がとれていないかよくわかりました。

 杉の子園に出勤したら、久しぶりにSさんがきていました。でもマスクをしていまし

た。そのマスクをとる食事の時に、Sさんを見たらメチャ綺麗でした。

 久しぶりに会ったからなのかマスクをしていたからなのかわかりませんが、うっとり

きてしまいました。

 

2月7日 日曜日

  雨天関係なしに体を鍛える運動見っけ

 今日は、朝から雨が降っていて、散歩が行けないので困ってしまいました。しかたが

ないので、外で手すりに掴まって運動をやって、家に入ってu字形の杖で歩いて、1本

杖で歩いたのです。しかし、最近になって恐怖が1本杖で歩いている時に襲い、杖を放

り投げてしまうのです。足が棒みたいになってしまうのです。

 1本杖の歩行訓練が終わって、次は、手すりに掴まっての歩行訓練です。理学療法の

MD先生に「右手も普段から使うように。」と言われ、両側にてすりが付いている所は、

右手も手すりを持って歩いています。1往復目は足踏みをして、2往復目はクッシン運

動。外でも、クッシン運動はやっているのですが、手の位置が前と横で使う筋肉も少し

は違うと思います。だって、外でクッシン運動をやっても心臓は踊らなかったのですが、

家でのクッシン運動は踊ったのです心臓が。これは、良い運動を見つけたなと思いまし

た。

 

2月11日 金曜日

  ハラハラ雪の舞う中で

 今日は休みなので隋原の神社の前まで行き、T字路までの道を両手こぎで行きました。

そしたら雪がフラフラと降ってきました。風に操られるように、雪の妖精のように舞い

下りてきました。

 僕はこの雪を見てドリカムの歌にぴったりの日だなと思いながら両手こぎをしました。

K子さんかSさんに聞けば、おそらくわかると思います。

 両手こぎをしていて1つ発見しました。ハンドリングを両手で握って、後ろから前に

やるのは同じなのですが、1回ハンドリングを回した後、前はすぐ両手を後ろに持って

きたのですが、今度は、後ろから前にやった手は、そのまま前においておくのです。重

心が前にあるような気がして、少し早くなったような気がしたので。

 話しは変わって、今日の昼食は僕とお母さんの2人だけです。弟とお父さんは、ス

キー研修の練習でいないし祖母はどこか行っているので2人だけ。

 

2月12日 土曜日

  パソコンで遊びすぎて

 パソコンのアートのCDが色々とでる事は知っていたのですが、思ってもない物がで

る事を知ってしまったので、遊んでしまいました。

 ”ひ”と入力したら色々な”ひ”の漢字がでてきて、その中で「灯火のヒ。」と言っ

たので、それをクリックしたら灯台の絵が色々とでてきたのです。これだったら、メキ

シコと入力すれば大顔石何か出たりして、と思いましたがそんな特殊な物はでませんで

した。でも、赤い女王のピラミットはできましたが。ドイツと入力したら、ベルリンの壁が

でてきました。でも沖縄県と入力しても何もでてきませんでした。

 ORさんの宿題の文化遺産の九つは、まだ全然覚えていません。

 

2月13日 日曜日

  悲しき恋物語のアートで見つけた絵が

 最近、吸入をやっている時に頭の中で短文が組立ってくるのです。でも、吸入が終わ

ると晩ご飯の時間になってしまうのです。だから、いつも忘れて帰ってきてしまうので

す。

 でも昨日は食事中も小声で言って、忘れず帰ってきてパソコンに入力しました。絵を

つける時”愛”と入力したら今まで数えきれないぐらいアートを使っていたのですが、

初めて見た絵がでてきたのです。Sさんの髪形にそっくりな少女と少年がキスをしてい

る絵が。その絵が、なんか気になって僕のメモ帳、ミラメモ帳に取り込みました。スピ

ード解散の所と杉の子園のお給料が書いてある所に。こんな事しか書けない日でした。

 

2月14日 月曜日

  バレンタインチョコをどっさりと

 Sさんのバレチョコは、いただける事は知っていました。

 雪が降った金曜日に「あげるね。バレンタインチョコ。」

 僕は、てっきり僕だけにくれるのかな、と思っていたのですが、TS君たちにもわた

っていたようなのでがっくりでした。それでTD先生の予想は大はずれです。

 小学校、中学校、高等部と女子生徒からは1つも頂けませんでした。曜日も関係しま

して。

高1は副担任の先生からチョコレートケーキを頂きました。高2は、バレンタインイブ

でしたが、休みだったのでバレチョコはもらえず。高3の時は「バレンタインチョコあ

げるね。」と彼女に言われたのですが、あいにく日曜日でもらえませんでした。

 だからバレンタインデーがあろうとなかろうと関係ない僕には。そう思いつづけてい

たのに、今日どっさりと頂き夢をみているかと思う日でした。Sさんだけだったら、

詩でも書いてわたそうかなと思いましたが。

 ホワイトデーまで一ヶ月をきった。何をわたせば、喜んでもらえるかさっぱりわから

ないので、少し智恵をかしてください。

 

2月20日 日曜日

  杉の子園に1人で行けるかと

 今日も前と反対の道を進みました。

 見延団地を通りぬけて、昨日とをった道を進みました。昨日、左折した道を今日は真

っすぐ行きました。この道を行けば杉の子園に行けるはずだと思って進んだのですが、

芝生がうえてあって、その向こうは土の道でした。これは残念、進めないと思いまし

て、左折して友だちの家の方へ。T字路のまた左折して進んだら、雪どけ水の水たまり

にバシャバシャと入ってしまいました。

 その道を直進したら樽見鉄道の横に。樽見鉄道を右手に。線路を間近に見るのも久し

ぶり。線路を横に見ながら進みました。両側に金網があって坂道。バックで坂を登りま

した。

 「押してあげようか。」と声をかけてくれる心優しき人に会いました。

 坂を登りきると懐かしいお店が。小学校の頃、駄菓子をよく買いにきた店がありま

した。

 線路を渡ってみようかなと思ったら白い車が何度もクラクションをならすので、色々

とむきを変えてもおさまらなかったので、しぶしぶ帰ってきました。

 

2月23日 水曜日

  都会の駅でさえ障害者は利用しずらい

 今日の朝からSKさんのおさそいで、駅がどれだけ障害者にとって使いにくいか調べ

に行きました。本巣の駅で担当者の違いで多いに違うという現実を最初にうけて、無事

に行けるかどうか心配でしたが、駅員さんたちがホームまで上げてくれました。

 金山駅までガタンゴトンとゆられて行きました。

 金山駅に着くと会議室へとおされました。そこには車椅子の人が2名ほどみえました。

後は外見からでは障害がわからない視覚障害者や聴力障害者でした。

 駅にでて、どんな不便な所があるか体験しました。

 最初につまずいたのは、ちょっとしたでっぱりが乗り越えられなかったのです。

 切符のお金の両替の数字はいまいち読めないし、駅の道順を書いた紙はひらがなで書

いてありましたが、僕には全く読めず。

 そこは、ほんの少しですが傾斜があり、僕は足でふんばっていられますが、下半身が

動かない人はつらいだろうな。

 名古屋の地下鉄では障害者甲子園で見たのと同じスロープが使われていました。

 電車とホームの間に、板らしきものを置いて、その上を車椅子がわたるのです。

 後は自動販売機。コインを入れる所がせまくて、お金が入れにくい。これは、駅の方

でも感じた事です。長細い四角にお金を入れるのは、かなり難しいです。

 

2月26日 土曜日

  シルバー人材センター建設予定地に

 今日連続ドラマ小説を見て、お母さんに色々と体をほぐしてもらって散歩に出ました。

今日は、とにかく真っすぐ行ってみようと心に決め、真っすぐ真っすぐ、道なりに行き

ました。

 墓場を2つこえた所でY字路が。僕はその道の右の道を進みました。すると見慣れた

風景が目に。その道を左折して進むと右手に白い家があって、反対を見たら、何と何と

バラ公園でした。”アラマー、こんな所まできてしまった”と思いながら資料館のほう

へ。勿論まだプールはデーンとありました。でもグランドの横の芝生の上には、建築に

使われそうな鉄の棒が青いシートに包まれて何束かありました。

 バラ公園のトイレに入ろうと思いましたが段が2つありまして駄目でした。

 少年野球で、このグランドをよく使ったので懐かしかったです。

 最後に鉄棒に掴まって腰を伸ばして帰りました。

 来週天気がよかったらグランドに入って動きまわろうかなと思いました。

 

2月27日 日曜日

  昨日の散歩は

 家からバラ公園まで、行きで約1時間かかって帰りで約1時間半でした。往復2時間

半で走った距離が約5kmでした。2時間半で5kmを走るなんて僕にしてみれば信じられ

ないタイムと距離でした。でも頑張りすぎて右手のこうが昨日から今日にかけて痛いで

す。

 今日の朝、雪が降っていました。ぼたぼたと重たそうに降っていました。明日、杉の子

園に行けるかなと心配していました。

 でも今、日記を書いていますが、太陽の光がサンサンと降り注いでいるので、おそら

く明日も行けるでしょう、杉の子園。

 

2月28日 月曜日

  ホークの持ち方を

 希望が丘野作業療法の先生に「普通に食べているようでは、肩から腕にかけて使って

いるけど、それではなんだから、少し持ち方をかえてみようか。」と言われて、先生が

教えてくれたのが、今日食事の時に使ったやり方です。

 たしかに刺しやすかったけど、何かへんでした。明日からは元にもどします。

 

3月2日 木曜日

  漢字が読めない

 僕はYN先生に担任してもらっている時は、漢字はけっこう読めたほうでした。画数

の多い字は読めませんでしたが。

 でも名刺の住所入力をしていて読めない漢字が山のように。服部、穂積、結納、田尻、諏訪などなどが読めれませんでした。名刺をまかされているのに、漢字が読めないでは

話になりませんね。

 漢字の勉強を少しづつ始めて行きます。どれくらいで、実るか楽しみです。

 

3月4日 日曜日

  一気にダッシュ

 今日、初めてジャンボカルタ大会に出場しまし。

 3つのランクに別れていました。手動、電動、介助に別れていて、僕は手動と介助に

出場しました。

 最初は手動で出ました。これがカルタの札は大きくて見やすかったのですが、2メー

トルくらい離れた所にラインが引かれていて、読み手が全部呼んで、札を取りに行くの

ですが、他の人が早すぎて全然取れませんでした。でも、僕は取れなくても、一気に

ダッシュして札を取りに行きました。それで、10枚とったら代わりでした。

 介助の人がついての時は2枚ですが取る事ができました。

 それで困ったのは食事でした。机の所では食べる事ができなかったのです。AI君に

頼んだら、ボランティアの女子学生さんがきてくれました。女子学生さんがとった食事

介助は「お口アーン」でした。しかも肌が白くて、かわいっくって、ドキドキしながら

の食事でした。

 

3月11日 土曜日

  行きは良い良い、帰りが怖い

 先週は確か雨が降ってバラ公園には行けなかったのですが、今日の天気は曇だったの

でバラ公園に行ってきました。

 行きは、車のよく通る道が3本あるのですが、その道は3本ともアスファルトをける

タイヤの音はしなかったのです。勿論目でも確認しましたけど。

 バラ公園まで後少しと言う所で黒の軽自動車に会いました。若いおくさんと小さな子

供が見えました。

 バラ公園のグランドに入って両手こぎの練習を。少年野球で使った時には見られなか

った黒い線が引いてありました。

 ドッチボールのコートかと思ったり、自転車協議会の練習コートかと思ったりしまし

たが、わかりませんでした。

 帰り道、乗用車に何台か会いましたしトラックにも1台会いました。

 裏の裏の道を見つけて、この道は車に会った事がない道でも、会ってしまったのです。

こんな日もあるのだなと思いました。

 

3月12日 日曜日

  500ナンバーの車に初めて乗りました

 1月の中旬ぐらいだったと思いますが、お父さんの車が変わりました。でも、僕は1

度も乗せてもらえなかったのです。

 それで今日、自由書房に行く時初めて乗せてもらいました。車体の高さはお母さんの

車に比べて少し低いです。でもドアをロックしたりする所は、今まで乗った車と違い、

指を使ってロックのオンオフをする車です。ラジオやテープを入れる所は木目が入って

いました。

 

3月20日 月曜日

  二十歳のお祝いに

 今日のお昼近くから2時ごろまで、希望が丘の平成6年度の卒業生3人と親と先生方

が集まりました。

 希望が丘養護学校の前で、記念撮影をしてから徒歩で池坊へ。

 3人とも車椅子なので、よかったらORさんに教えてあげようと思って入って行きま

した。部屋までは、車椅子で楽に行けましたが部屋の中は畳でした。日本食専門店でし

たので、僕の食べれない刺身も何切れか並んでいました。

 この食事を見て中学部の修学旅行を思い出しました。

刺身が食べれずハンバーグ定食を僕だけ食べたのを思い

出しました。でも、それはお母さんが食べてくれて、お

肉をたくさんくれました。

 後、食事の前に「もう、二十歳だから。」と言われ、

コッップにビールをついでもらいました。

 ビールは、あまり好きではありませんが、水薬を飲むように3口ほど頂きました。ワ

インのように口の中に入れて舌で味わってから飲み込みました。

 遅れましたが、懐かしい先生と色々と話の花が咲ました。

 僕の担任の先生は、急用ができて休まれていました。

 

 

3月21日 火曜日

  TS君には悪いのですが・・・

 日曜日の昼前に、自転車に乗って僕の家にTS君がきたのです。

その時は、お母さんやお父さんと少し話して帰ったのですが、昼過ぎになって、またや

ってきたのです。

 僕は、早めに日記を終わらせてTS君と話をしたのですが、僕が色々と聞くと話して

くれましたが、僕が黙るとTS君も黙ってしまって、沈黙の時間が流れました。

 僕たちが食事で母屋に行ったら、お母さんがTS君に帰ってもらえるように頼んだそ

うです。もし、まんがいちTS君の3時間続くほっさがでたら怖いからです。 

 

3月25日 土曜日

 今日の1時ごろから福祉センターで、福祉マップが開かれ、それに参加してきました。

会議室で少し話をして、実技へ。

 僕が今まで全く知らなかった所に、障害者トイレがありました。実際に使ってみて、

かなり使いにくく、1段下りた所にあって、足を下ろして、立ってむきを変えて座って、

また立ってカーテン閉めて。かなりせまくて、動きづらくて、あのトイレは駄目。

 ロビーの階段ですが、床と同じ色でして、弱視の僕にはわかりづらかったです。へた

したら、階段から落ちて、病院送りになっていた所です。少し目印を付けてもらえる

と、嬉しいような気が。福祉の里でしたか。

 それは、5月13日に開館だそうです。

 

 

3月26日 日曜日

  YN先生からの教えを復習、消去

 最近ミラメモ帳に書き加える事が多くなってきたのです。

 そんなもので、もうしわけないと思いましたが、学校でYN先生に教えていただいた

日本の地理と特産物をもう1度読み直して、思い出して消去して行きました。

 何地方の県名、その後特産物「九州の中心、福岡県」「関東地方の神奈川県は、横浜

とシュウマイ」「東北地方の秋田県は、十和田湖のヒメマス」と書いてありました。必

死になって覚えこんだ学校の頃を思い出しました。

 英語も勉強して、英語の綴りがダラダラと書いてあったのですが、ちゃんと読めたの

は、ほんの少しでした。それに、綴りがちゃんと読めないのもかなりありました。

ポリースマン、ベジタブル、フィッシュ、プレゼントなどなど数えきれない程ありまし

た。普段使わないから全然残っていないのです。

 

3月30日 木曜日

  ミュージカル・キャッツ

 今日、ミュージカル・キャッツを見に名古屋まで行って来ました。

 会場に入ると車椅子から座席に座りかえたのです。

 キャッツが始まると、僕の隣を誰かが通りぬけたような気

がしたのです。僕は気のせいだと思ってステージの方を見て

いました。そしたら目を光らせたようなキャッツが前から

やってきたのです。さっきの人は、キャッツだったのです。

 そのままキャッツを見ていたら、僕の隣を劇団の人がよく

とおるのです。体に密着した衣装や猫の体をまねたモジャモ

ジャの衣装の人、猫のように4本の足で歩く人たちが、僕の

隣を行き来していました。後、全員の衣装に発光塗料が塗られ

ていて、ライトがあたると光って、どんな動きをしているか、目が悪い僕でも良くわか

りました。

 天に登るジェントルキャットのミュージックが僕は好きになりました。

 後も、とてもよくって感動したのですが、とにかく音が大きくって耳の鼓膜が痛いく

らいでした。でも、何度もミュージカルを見てきましたが、劇団の人を目の前で真近に

して見れる事は一生にそうもないので、今日は思い出に残る日になりました。

 

「自立に向けて」の記録完了後9ケ月の沈黙を破って(?)続編を開始し、

なんとか”復活”1年目をアップロード出来ました。

出来るだけ早く2年目(2000年度)を整理し、アップしたいと思っていますが・・・

<2002年9月1日記>

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