|
5月6日に、入院しました。
今度の手術が上手く行けば、僕の生活は大きく変わると信じて、手術前の日
をドキドキしながら眠りました。
5月7日、いよいよ手術日当日。
でも、手術は午前ではなく午後の2時からでした。
手術室に入ると,YD部長先生が「この手術室に入るのは何年ぶりかな。」
と、聞いてきたのです。
関養護学校に入る前に、菌の関係で1年棒に振ったから4年ぶりかな、と
思っているうちに僕は、病室に帰っていました。
この日の夜から地獄でした。
5月7日の晩から、5月12日の晩ぐらいまで、咳が出て、咳をすると痰
が出て苦しかったです。それに、咳をすると肺に釘が刺さるような痛みを感 じました。
でも汚い痰を喉に放置しておくと、菌が繁殖しやすい所になってしまうの
で、消灯になって痰があるなと思ったら、ナースコールで看護婦さんを呼ん
で痰を取ってもらって寝たのですが、咳が収まるまで、呼吸がおちつくまで
眠る事はできませんでした。
手術から6日後に、車椅子に座ることができました。
そのおかげで、お母さんにとってもらっていたビデオが見れるようになり
ました。
7日後,家でやっていた、ベットの上での運動を開始。
手術から14日、YD先生の許可が下り、ジュース、ゼリー、ヨーグルト、
「これだけは食べても良い。」と言われ、14日ぶりに味の付いた物を口
にする。
その日の夜から、太ると駄目だから、病棟の周りを行ったり着たりしまし
た。朝食が終わってからも、行ったり来たりしました。
暫くすると、看護婦さんたちから「暴走族。」と,言われるようになりま
した。
他の患者さんは、付き添いの人に押してもらっているか、ゆっくりと、
亀のように動いているだけでしたから。
手術から18日目に、やっと食事が採れるようになった。
ご飯は,三部粥から始まった。
三部粥は、いまいちの味だと思っていたので、お母さんに梅干を混ぜても
らって食べました。
手術から20日後、朝食がパン食に変わりました。五部粥に変わったから
です。
手術から22日に、僕が入院している時に,訓練室で一緒に訓練をやってい
た、OGさんがきてくれました。
手術から23日目,やっと外泊の許可が下りて、ハンバーガーを買って、
杉の子園に行きました。その日の夕方久しぶりにお風呂に入りました。
病院では,1度もお風呂に入れてもらえなかったのです。
手術して、26日目に、杉の子園のTD先生とボランティアのNBさんが、
お見舞に来てくださって、お見舞金をくださいました。
杉の子園のボランティアさんからx千円、杉の子会から、x万x千円頂きま
した。
手術から26日目に、食事がお粥からご飯に変わった。ご飯に変わったか
ら、カレーも出た。
手術から28日目「歩行がおかしいね。」と、お母さんが言い出し始めた
頃から、歩く事が怖くなってきました。
と、言うより足が歩く事を拒否しているような感じがしてきて、今までの
歩き方をベットに忘れてきたようでした。
そんなもので、訓練室に通う事になりました。「足の筋力を付けるには,
屈伸が1番だ。」と言われて、15回やりました。
喉に入っているレチナがまだ慣れていないので、すぐ、苦しくなってしま
いました。
家に帰って、秘密の運動を久しぶりにやりました。訓練の時と同じで、
すぐ息が乱れて、マの一ヶ月の日にち分すらできないありさまでした。
手術して29日目、外泊中に吸入をやった後に、喉のレチナの所から痰を
出すのが以外と難しかったです。
だって、今までは喉に力をあまり入れなくても、痰が出てきたのですが、
今日の朝は、そんなわけにはいかなかったのです。
喉にどうやって力を入れれば良いのか分からなかったのです。
力をいれようとしても、口とか鼻に力が入ってしまい、喉には力がなかな
か入らず、痰を出すのに苦労しました。
こんなに、喉に力を入れるのが難しいなんて、、、初めての事だったので、
かなり難しかったです。
手術から30日、卒業した関養護学校に行きました。
今日が、ふれあい祭でして、校庭にテントがはられいろいろとやっていま
した。
僕の1番の目的は卒業式の日に休んで会えなかった、KSさんとFK君に
会えるかなと思って行きました。
僕は、車椅子に乗っている子を注意深く探していました。FK君は、僕と
同じく車椅子に乗っている子だったからです。
商業の授業で肩を並べ一緒に勉強し、職業バザーの名刺注文では「名刺10
枚セットで何円にする。」と、相談した親友がいませんでした。
先生の話を聞くと「前は1周間に1度ぐらいは、学校に来ていましたが、
また入院したみたい。」と言う事でした。
それで,もう帰ろうかなと思っていると、お母さんがFKくんのお母さん
に会ったみたいで、「目標にしているんだって,T君の事。」と、言ってい
ました。
僕なんかが、目標だなんて、めちゃ嬉しいなと思いました。こんな僕が
ね・・・。
後は,懐かしい友達に会いました。
手術から、31日目に喉のチューブをレチナからTチュウブにかえてもら
いました。
Tチューブにかえてもらったのは、早く退院させるため、レチナではたる
んだ皮膚をぴんとはらないTチューブにかえました。
Tチュウブを入れる時、死ぬほど辛かったです。Tチュウブを入れる時、
息を止めていないと上手く入らない事は、長い入院生活で知っていたのです
が、この時は辛く苦しかったです。Tチュウブを入れられる時、息を止めて
いたのですが、限界が来て息を吸おうと思っても、Tチュウブが邪魔をして
息ができないし、咳が出て唾液と鼻水、涙が咳をすると出て、生きている感
じがしませんでした。
僕が苦しみながら耐えているのに、1度入れたTチューブが「声帯に、
触っているな。」と、部長先生が言っていて、また、チュ−ブを抜いて2
cm切られまして、また喉に入れられて、次は寝かされて、散々な1日でし
た。
手術から34日目、訓練室に行きまして、僕の担当の先生に「明日,退院
します。」と言いましたら、先生はずっこけまして、それから、退院してか
らやらなければいけない運動を教えてくれました。
手術から35日目、やっと退院の許可が下りましたが、薬と請求書が病棟
に届いておらず、昼食を病院で済ませてから、退院しました。
帰る途中で、なんとTチューブが元から外れてしまって、上手く喋る事が
できませんでした。
もう後1回、元から外れてしまって、吸入をやりまして、痰をやらかくし
て出しました。
手術をしてから5週間、入院してから36日でした。
「2週間ぐらいで、退院できる。」と言った先生。話が違うではないか、
と思いましたが、先生方が慎重になっていてくださったのだと思いました。
|