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意識が無いなか、「反応はないか」と色々な働きかけから始まり、声を出して普 通の会話が出来るまでの過程を整理しました。
以下の3つの段階に整理できました。
T−1 救命センターで、午前10分、午後10分の面会時間では、状態を見るだけで何もして やれませんでした。名前を呼ぶと、目を開けるので「判っているのかな?」と思っている と、どこを見ているのか分らない目に動きにガッカリしました。 刺激を与える為にラジオを持ち込んで良い、との許可が出ましたが、何の興味も示さず 無表情でした。
T−2 【1992.1.18】 一般病棟に移り、「これからは思いっきり語りかける事が出来る」と 元気が出てきました。そんな中、看護婦さんから「お母さんの声に反応しているよう よ。」と言われ、嬉しくなりました。でも、この時は、本当に私の声に反応しているとは 思えませんでした。 それでも、家族の事、学校の事、小さかった頃の事....色々話しました。好きだった絵 本「じごくのそうべい」「かっぱのおたから」等を何度も読みました。
T−3 【1992.2.12】 初めて笑顔を見せてくれた日です。感激でした。まだ意志の疎通出来 ませんが、初めて見せてくれた反応です。 それからは、毎日病院に行くのが楽しみになりました。どうしたら笑ってくれるかな、 と学校や家での色々な失敗談を聞かせてやりました。ナースステーションから聞こえてく る物が落ちて割れる音や、看護婦さんの悲鳴にも次々と反応して笑うようになりました。 笑いの質も少しずつ変わってきました。 この頃、「足を動かして」「おしりを上げて」と言うと、少しですがそのように動くよ うになっていました。
T−4 ある時、学校の授業風景を想像しながら話をしていると、手を挙げて反応してくれまし た。それから、『”Yes”は手を挙げて』、『”No”は手をそのまま下に』という事で、 色々質問をしてみると確実に答えてくれました。私にとっては大発見をしたように嬉しく て仕方がありませんでした。 今までは「1人語り」だったのが、”Yes”、”No”ではあるけれど、答えてくれる相 手が居るのです。お見舞いに来てくれた先生・友達とは、”Yes””No”会話が弾みまし た。
U−1 ”Yes””No”では本人の言いたい事が分りません。友達に相談すると、すぐにひらが なの文字板(1文字の大きさは5cmX5cm)を作ってきてくれました。 文字そのものがよく見えないのか(少しは見えているらしい)、手が思うように動かな いのか、正しく”表現”してくれません。
U−2 どうしたら良いのか悩んでいた時、しきりに口を動かしている事に気が附きました (※)。でも何を言っているのか分りません。良く見ていると6文字です。 「1番目の文字はア行?」(”No”)、「カ行?」(”No”)、「サ行?」(”No”) 、「タ行?」(”Yes”)、「タ?」(”No”)、「チ?」(”No”)、「ツ?」(” No”)、「テ?」(”No”)、「ト?」(”Yes”)、”と”なんだ!。同じようしてに 残りの文字を聞いたところ、「ときのとびら」と言いたかったことが分りました。でも何 のことか分りません。若い看護婦さんに聞いてみると、ワンズの「時の扉」という歌だっ たのです。大感激でした。 慣れてくると、「おはよう」「トイレ」「リハビリ」等の簡単な単語は、口の動きをみ てなんとか分るようになりました。
※ 9月14日から食事が始まり、舌がよく動くようになりました。以前は舌を出すよう に言っても、歯より前に舌が出ることはなかったのです。毎日の食事が舌の動きをこんな にも良くするとは思ってもみませんでした。
U−3 このようにして、本人の言いたいことが少しずつ分るようになってきました。しかし、 1つの単語を聞き出すのに苦労していることを、主治医の先生(耳鼻科)に話したとこ ろ、「人工喉頭」(※)という器具を紹介して下さいました。 声帯の無い人が人工の声を出すのに使うのだそうですが、その声が良く分るようになる にはかなりの訓練が必要だとのことです。 1ケ月程使ってみましたが、聞き取れるようにはなりませんでした。
※ 「人工喉頭」 喉頭がんなどで喉頭を摘出し、発声が困難となった人が、声帯の代わりに声のもとになる 音源を外部から発声させるのに使います。最近では、声に抑揚をつけ、歌を歌うのも容易 にできるものが、国産で開発されました。
V−1 【1993.2.10】 気管の手術を行いました。 食事が上手く出来なくて(誤嚥)、食物が一部気管に入り、その刺激によって肉芽がで き気管を塞いでしまいました。そのため口から息はできなく、気管切開したところから息 をすることになり、声が出ない状態になっていました。今回の手術は気管を塞いでいる肉 芽を除去する手術です(※)。 以前から、「脳のダメージが大きいので、言語中枢に障害があると、言葉が出ないかも しれない。」と言われていました。あんなに口を動かして、話をしようとしているのに “何故”という思いがありました。今回の手術が終わるとそれがハッキリすることになり ます。
※ 肉芽除去の手術 術前: 気管カニューレの上部に肉芽ができ、呼吸はすべて気管切開した部位で行って いました。 術後: スピーチバルブに弁がついていて、呼吸は気管切開部位から吸気、口から排気 という状態になり、声が出るようになりました。
V−2 手術後、笑い声は出せるのに上手く発声が出来なくて、言語療法を受けることになりま した。食事が出来るようになって、舌の動きは良くなったと思っていたのですが、発声の 舌の動きにはなっていなかったのです。 たまたま、同室の子供さんのお見舞いに来られた聾学校の先生に教えてもらったのです が、口の周りに「塩せんべい」を付けて舌で取る訓練などもしてみました。
V−3 言語療法の先生の勧めで、ラジオの歌に合わせて歌う訓練もしました。「訓練」とは違 い、楽しく出来ることなので本人も積極的に訓練をしました。 次第に言葉も聞き取り易くなり、毎日、看護婦さん達とも楽しい会話が出来るようにな りました。
正常なコミュニケーションが出来るようになるまで、かなりの期間を必要としまし たが、その間に感じたことは以下のようことです。
・とにかく何でも試してみること ・少しの可能性があれば、根気よく続けること ・生活の中で自然と出来る事、やらねばならない事と関連付けて訓練すること ・無理なく楽しみながら出来るよう工夫すること
長い目でみてこんな事が分ってきたように思います。
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