ゆっくりとまどろみの中から目覚めて最初に感じたのはなんとも言えない違和感だった。 低く重い、船の駆動音 ――――― 窓から入り込む月明かりにうっすらと天井の模様が見えて、確かにそれはいつもの光景なのに、何かが違う。 (…………なんで ――――― そんな風に感じるのかしら…………) ぼんやりとした意識のまま寝返りを打とうとして、途端。ティアは動きを止めた。 さらさらと柔らかなシーツが素肌の上を滑る感触。 自分が何も身に纏っていないことに気付いて、それから身体の上に温かくて重たいものが乗せられていて身動きが取れない状態であることに気付いて。 どうにか首だけを巡らせて自身の左側を見やると、こちらを向いた状態で横向きに、ティアの肩を抱きこむようにして眠っている恋人の姿があって、ティアは思わず悲鳴を上げそうになった。 「………ッ……」 悲鳴を飲み込むことができたのは、僥倖だった。 声を上げれば彼は ――――― ルークはきっと眼を覚ましてしまっていただろうから。 剥き出しの肩は同世代の少年達の中でもぬきんでて逞しく、青年と言うに相応しいそれなのだが、目を閉じた表情はあどけなく、彼を実際の年齢より幾分幼く見せている。 普段ならそのアンバランスさが可愛いと思うところだが、今はそんなことを考えている場合ではない。 ( ――――― なんで、……ウソ、私……) ベッドの回りには脱ぎ散らかされた衣服が散らばっていて、腰と、言葉にするのが躊躇われるような場所に鈍い痛みと違和感がある。 本来なら頬を染めて恥らうところなのかもしれないが、ティアはそうはならなかった。 みるみるうちに蒼褪めて、唇が引き結ばれる。 (…………どうしよう……こんなつもりじゃなかったのに……) ――――― 切欠がなんだったのかは、覚えていない。 ティアと相部屋の ――――― 幾らバンエルティア号が広いと言ってもスペースに限りがある為、ギルドのメンバーは元々旧知のものを中心に、二、三人づつで一部屋を使用している ――――― アニスと、ルークと相部屋のガイが一緒にクエストに出かけてしまっていて、だから充分に気をつけていたつもりだった。 実を言えば、今までにも何度かそんな雰囲気になったことはあったのだ。 その度に誤魔化し、はぐらかし、一線を超えてしまうにはまだ早いと逃げ続けていたのに、どこで間違ってしまったのか。 そもそも場所も時間も悪かった。 いつもの控え室ではなく、宛がわれた私室で、ティアは寝巻きにカーディガンを羽織っただけの格好で、ルークの方も似たようなもので、けれど一緒に旅をしていればそんなことは珍しくもなくて、何気なくアニスが居る時と同じようなつもりで部屋に通してしまった。 艦内の個室等、ベッドがあるきりの狭い部屋で当然ソファなんて気が聞いたものがあるはずもなく、ベッドに並んで彼がパニールから貰ってきてくれたココアを啜りながら他愛もない会話を交わして ――――― 。 (そのあと、どうなったのだったかしら ――――― …………) 細かいことは覚えていない ――――― ただ、そんな風になってしまった。 ――――― どうやって誤魔化せばいい? ともかく逃げ出して、何事もなかったかのように振舞うのが一番だろうか。 少なくともここに居てはいけない気がする ――――― そう思って重たい腕をどうにか押しやり、身体を起こした途端。つぅっと生暖かいものが内股を伝ってティアはビクッと身体を震わせた。 蒼褪めていた頬が、一気に紅潮する。 ルークに注がれたものが溢れてきたのだとわかったからだ。 けれど次の瞬間、その表情は先程までよりも一層厳しいものへと変わる。 (早く、シャワーを浴びないと……) 重く気怠い身体を叱咤して、ともかくベッドから降りようと彼に背中を向けたティアは、けれど次の瞬間、強く腕を引かれてベッドに逆戻りすることとなった。 「きゃっ!?」 仰向けに倒れ込んだティアを受け止めたのはベッドのスプリングではなく、彼の腕。 「………どこ、行くんだよ」 寝起き特有の少し掠れた、不機嫌そうな声が落ちてきたと思ったら、ぎゅぅと抱き込まれた。 「っ………は、放して!」 尚も逃げ出そうと身を捩るティアが気に食わなかったのか、ルークがのしかかるようにしてティアの身体を押さえ込んでくる。 膝と膝の間に片膝が押し込まれて、完全に身動きが取れなくなった。 首筋にキスを落とされて、咄嗟に腕で目元を覆う ――――― 涙が伝うのに気付いて、ルークは一気に微睡みから引きずり出されてぎょっとしたように彼女を見た。 「い、嫌だったか? どっか痛ぇ? 気分悪いのか?」 矢継ぎ早に向けられる問いかけに、労りを込めた優しいそれに応えられず、ティアは緩く頭を振った。 「…………そうじゃない……そうじゃない、わ ――――― でも、駄目だったのよ……こんなこと、しちゃ……いけなかったのに ――――― ……」 細くか弱い、常の彼女からは想像もできないような声に愛しさを感じると同時に苛立ちを感じた。 ルークはどちらかと言えば鈍い方だが、こんなこと、の言葉の意味がわからないほどではない。 ――――― それは後悔している、ということか? やっと彼女を手に入れられたと言う充足感が急速に萎んでいくのを感じる。 「…………なんで、いけないんだよ」 顔を覆っていた腕を強引に引き剥がして、極近いところから彼女の顔を覗き込むと、びくっと怯えたように細い肩が揺れた。 「 ――――― …………あなたと、こんなこと、するつもり……なかったのよ……」 溜息のように押し出されたそれに眉が寄る。 「…………本気じゃなかったってことか?」 「違っ!………違うわ……… ――――― あなたのことは、その………好きよ。でも、それとこれとは別の問題なのよ………」 項垂れたような彼女に深刻なものを感じ取って、ルークは彼女の腕をきつく掴んでいた手から力を抜いた。 それでも視線を外さずに居れば、それに耐え切れないといった様子で外方を向いたティアが、長い沈黙を置いて小さく口を開く。 「……………あなたと私では、身分が違うわ。こういうことは………その、付き合うとか ――――― キス、するとか、そう言うのとは違う、でしょう……」 ティアは貴族に名を連ねる古い家系の出身ではあるが、立場としては一兵士にすぎない。 ルークが普通の貴族ならまだゴリ押しできたのかもしれないが、生憎と彼はグランマニエの皇族に連なるファブレ公爵家の一人息子で ――――― 本当は一人ではないのはアドリビトムのメンバーにとっては周知の事実なのだが ――――― 現在の皇帝陛下に子供が居ない為、高い皇位継承権を有している。 口調は荒いし猪突猛進だし単純だし、どこからどうみてもそうは見えないのだが、実はこれで政治経済に関する知識は豊富だし、歴史や帝王学、礼儀作法も叩き込まれている皇族なのだ。 「…………だからお前、今までこういうこと ――――― 駄目だつってたのか?」 それだけ、と言うわけではない。だがそれが理由の大半を占めていたのは確かだ。 「………はぁぁ………良かった」 黙り込んだティアにそれを正しく察したルークは、安堵の表情で前のめりに倒れ込んだ。 「きゃっ!?」 突然体重を掛けられて、圧し掛かられる形になったティアが小さな悲鳴を上げる。 「よ、よくないわ……こんな……」 「俺の我侭に付き合ってくれてただけだったのかと思ったっつーの……」 「………っ、い、幾らあなたが護衛対象だからって、好きでもない相手とつ、付き合ったりするわけ……っ、ちょっと、ルーク!」 真っ赤になって反論してくる彼女の唇に、自身のそれを触れさせる。 ちゅっと微かに濡れた音がして、ルークは満足そうに笑ってごろりと彼女の隣に横になった。 上掛けでまだ逃げ出したそうな彼女の肩までを覆って向き合いようにして抱き寄せる。 「大丈夫だよ。俺、皇位継承権、放棄するつもりだし」 直接触れる肌の感触に戸惑うように視線を揺らしたティアに、ルークは至極あっさりと、なんでもないことのようにそんな爆弾発言を口にした。 「ぇ………」 現皇帝に子供はいない。よってグランマニエを継ぐのはルークを含めた彼の甥姪達の中の誰か、と目されている。 その中でもファブレ公爵家は隆盛を誇っていて、ルークは望めば皇帝になることも夢ではない立場にいる。 彼がそれを望むか望まないかと言えば ――――― 現状では間違いなく後者だろう。 だがしかし、そんな風に簡単に言ってしまっていいことではない。 安堵にも似た思いと困惑の綯い交ぜになった複雑な表情を浮かべたティアに、ルークは苦笑めいた笑みを浮かべて口付けを送った。 「俺が皇帝になんか向いてねーっての、よくわかってるだろ?」 「でも……」 「……俺、アッシュをファブレ家に呼び戻そうと思ってるんだ」 ルークはこのアドリビトムで十七年ぶりに再会した ――――― と言っても生まれてすぐ引き離された為、その存在さえ知らなかったのだが ――――― 双子の弟に並々ならぬ思いを抱いている。 始めは拒絶され、会話さえままならなかったのだが、ディセンダーを介して剣をぶつけあい、お互いを認めて和解に至った。 アッシュはもう家のことは関係ないと言ってはいたが、それとはまた別の問題としてルークは彼が両親と ――――― とりわけ母と共に暮らせるようにしたいと言っていた。 だが血筋で言えばアッシュもグランマニエの皇位継承権を持っている。 彼がファブレ家に引き取られれば勢力図に変化が起こる為、当然反対する者もいるだろう。 そこで、ルークは己の我侭を通す代償として、ルークとアッシュ、二人の皇位継承権を返上する方向でジェイドに調整を進めて貰っているのだと言う。 「………まー、もちろん、そうなったらお前とのことも許してもらえるかなってのもあったんだけど………陛下は応援してくれてるし」 照れ臭そうに笑った彼に、ティアは呆れたように口をぱくぱくを動かした。 「…………へ、陛下って、何で……陛下が……!」 「何でって、俺に取っちゃ伯父上だし。伯父上味方につけるのが一番早いし確実だろ?」 それはそうかもしれないが、どこかきょとんとした表情で返されて、何時の間にか大事になっているような気がして頭が痛くなってきた。 「……ティアは伯父上が何で一人身か知ってる?」 頭を抱えるティアに、ルークは珍しく柔らかな ――――― 穏やかな視線を向けてきた。 「…………それは……」 噂は幾つか聞いたことがあるけれど、そのどれもが噂の域を出ては居らず。ましてや皇帝陛下の噂話など恐れ多いとティアは積極的に関わったことがなくて、ぼんやりと聞いたことがある程度でしかない。 生真面目な様子で口篭るティアを可愛いと思いながら、ルークは手を伸ばして彼女を抱き寄せた。 「っ、ルー……」 咄嗟に離れようとする彼女の肩口に顔を埋めて擦り寄って、仄かに甘く、けれどどこか凛とした彼女の香りをいっぱいに吸い込んで目を閉じる。 「………陛下にも若い頃、恋人がいたんだ。でもその人は身分違いを理由にさっさと身を引いて違う人と結婚しちまった。その人のこと、ずーっと忘れらんねーんだって」 「…………」 ゆっくりと口を開いたルークに、落ち着かない様子でもぞもぞと動いていた彼女がぴたりと動きを止めた。 「陛下にとっては何よりも国の方が大事だったし、その人もそのことを知ってたから、そういうことになっちまったけど………でもだから、お前もちゃんと間違わずに自分の大事なものを選べって言われたんだ」 腕の中にすっぽり納まった細い身体は柔らかくてあったかくて、すべすべの白い肌はしっとりと掌に馴染むようでずっとこうしていたいと思うぐらい心地いい。 (ティアもそう思ってくれてるといいのになー………) おずおずと伸ばされた指先が裸の背中を滑るのを感じながら、ルークは口元を緩めた。 「…………好きだよ、ティア」 耳の付け根に唇を押し付けて囁くと、細い肩が小さく震えたようだった。 俯いてルークの肩口に額を押し付けてきた彼女を抱き直してその顔を盗み見ると、頬と言わず耳と言わず、全体が熟れた林檎のように真っ赤に染まっている。 「……………あなたって……本当に、バカね……」 やがておずおずを顔を上げた彼女の口から漏れたのはそんな言葉で。 ルークは満面の笑みを浮かべて彼女に口付けた。 「バカでいいよ、だからずーっと側に居てくれよな」 ― END ―
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初体験前か後、と言うことでしたので、後でいかせていただきました(笑)。 あれ、これってさり気にプロポーズ? 少しでも楽しんでいただければ幸いです。ありがとうございました〜。 |