A・Tは基本的に水に弱い。朝から緩やかに降り続いた雨のせいで、珍しく放課後のチーム練習が中止になった火曜日。
 葛馬は傘を差して濡れた路面をスニーカーで疾走していた。慣れない人混みをなんとか追い越し、追い越しして先を急ぐ。青いシンプルな傘に水滴が当たり、ぱらぱらと軽い音を立てていた。
(やっべ…もうかなり待たせてるよな……)
 繁華街のビルに浮かんだデジタル時計をちらりと見て、走るスピードを上げる。本当は傘を差すのをやめて走りたいのだけど……会った時に濡れていたら、また困った顔をされるに決まっているのだ。それに、後先も考えずに帽子だけで雨の中を走り回るような子供だとは思われたくなかった。彼に比べると、色々な部分がコドモなだけに余計。
(ダイジョブ、だよな?)
 目指す建物の正面で足を止め、葛馬は自分が濡れていないかを素早く確認した。肩が少し湿ってしまったけれど、これは仕方がない。人を避けたり、追い越したりした際にぶつかった傘の端から水滴が垂れてしまったのだ。
(っし、ヘーキだろ)
 ニット帽のてっぺんに触れ、そこがちゃんと乾いていることを確かめてから徐に入り口に向かう。傘を畳んで、チケット売り場で入場券を買った。中学生は小学生と同じ料金で、そのことがなんとなく釈然としない。
(安いからいんだけど……でも小学生と同じって……やっぱガキ、だよなー)
 幼馴染みといる時はまるで意識しないことが、こと彼が関わると急激に気になってしまう。傘をビニール袋に入れて入場ゲートを見上げた。アーチ状のそこにはカラフルなタイルを組み合わせて作った『しののめ水族館』の文字が踊り、その周囲を彩るように可愛らしくデフォルメされたイルカとクラゲ、マンボウが泳いでいた。
(水族館なんて小学校の遠足でしか来たトキねーっつの……)
 しかも、ひとりで来たのはこれが初めてだった。なんとなく、小学校低学年の遠足で訪れた時とは趣が違うように感じる。リニューアルオープンのせいなのだろうか。それとも、少しは成長したはずだから、それで感じ方が違っているのだろうか。どことなく不思議な心地になりながら中に入ると、真新しいカーペットが葛馬の足音を吸い取った。
(なんかあちこちキレーになってんなー)
 独特の仄暗い空間に、透明な水で満たされた水槽が浮かび上がっている。銀の気泡を纏い、鱗をきらきらと輝かせながら泳ぐ小魚の群れの近くに館内見取り図があった。それに目をやり、辺りを見回す。
 新しくなったばかりだと言うのに、東雲水族館に客はあまりいなかった。やけに静かなそこでポケットから携帯を取り出し、館内が圏外であることを知る。どうやら電波が遮断されているらしい。電磁波は魚に悪い影響を与えるのかもしれない。
(……ま、会えるだろ)
 この水族館はそんなに大きくはない。だから順路に従って歩いて行けば、きっと彼を見つけることが出来るに違いないと気楽に思った。いくつも連なる水の輝きに目を奪われながら、彼を探して歩を進める。
(しっかし…なんで水族館なんだ?)
 パーカーに入れていた携帯に彼からのメールが入ったのは、樹やオニギリ、仏茶達と校門を出た直後のことだった。
 ――今、東雲水族館にいるんだけど、良かったらカズ君も来てみない?
 雨でチーム練習が中止になることを見越したのか、それとも単なる偶然か。どちらにしても、放課後の予定はからっぽになったばかりで。よって恋人からの誘いを断る理由などあるはずもなく。葛馬は幼馴染み達へのカムフラージュとして一度自宅に帰り、財布の中身を確認してから駅までの道を走ることとなったのだ。A・Tでならすぐに来れたはずのここには、電車とバスでやたらと遠回りしてしまい、結果、到着が随分と遅れてしまった。
 行く、と返信をしたから彼はちゃんとここで待ってくれているはずなのだが、入り口にはあの特徴的な姿がなかったから、どこかの水槽でもぼんやりと眺めているか、館内のカフェでゆったりコーヒーでも飲んでいるのかもしれない。
(ったく、ドコにいるかくれーメールしてくれてたって)
 少しだけ膨れながら、矢印に沿ってフロアを歩く。アマゾンの魚達コーナーで葛馬はやけに早足になった。やたらと大きくて長い魚が光量を抑えた水槽の中でゆらゆらしている。赤黒い魚やら、ピのつく歯の鋭いアイツらやらがアマゾン流域を模した風景に溶け込んでいた。スコールのつもりなのか、時々水槽の上部から勢いよくシャワーが注ぎ込まれる。水槽によっては雷鳴が轟き、その中で魚がぴしゃりと跳ねた。
(ひゃー…なんだココ…前はこんなのなかったのに)
 ひとりでいるにはかなり不気味な空間を出来るだけ見ないようにして順路に沿って歩くと、今度は両生類コーナーに突入した。併設されていた爬虫類展の主役達がのそのそと蠢いており、少年は思わず青褪める。
(す、水槽の中にいんだからダイジョーブ、ダイジョーブ、ヘーキ、ヘーキ)
 心中で呟きながら一気に走り抜けた。こんな場所に呼び出した恋人が恨めしくなってくる。だんだん腹が立ってきた。
(どこにいんだよ!? まさかメールに気付かず帰っちまったってこたない、よな……?)
 心で呟いた言葉に、心臓がどくりと鳴った。
 いなかったらどうしよう……。不安がちらりと胸を掠める。
 折角会えると思って大急ぎで来たのに。お近付きになりたくない生物達の前も、ひとりで頑張って通り過ぎたのに。
 彼がここにいなかったら。
(そしたら俺……すっげ…バカみてー、じゃね?)
 手にしていた傘の柄を知らずぎゅっと握り、葛馬は南の海の魚達コーナーに足を向けた。だが彼はそこにも、回遊魚の大きな水槽の前にも、ちょうど食事中だったラッコの前にも体験コーナーのヒトデやウニやヤドカリやナマコやイソギンチャクの前にもいなかった。
(いない……)
 ゆるゆると足が止まり、つい視線をスニーカーの爪先に落としてしまう。すでに半分以上の水槽を見てしまっていたし、途中にあった人影がまばらなカフェも覗いた。こじんまりとした土産物売り場もちゃんとチェックした。なのに、会いたい人の姿はどこにもなくて――。
 葛馬はそっと唇を噛む。気を取り直したように顔を上げると、正面にいたイルカと目が合った。人懐こそうなイルカが少年のすぐ近くで立ち泳ぎをしていた。どうしたの? とでも言いた気に見つめられ、そのつぶらな瞳に心が少しだけ慰められる。
(……そだ、外のペンギン見てっかもしんねー…カモノハシとかもいるはずだし……)
 雨だから外にいるとは考えにくかったが、あまりそのようなことに頓着しなさそうな恋人のことを考えて急いでガラス扉を潜った。傘も差さずにペンギン達の前に向かいかけ、そこに誰もいないことに気付く。カモノハシの前にも、アシカの前にも――やはり誰もいなかった。
(やっぱ、帰っちまった、のか……)
 少年はしょんぼりと肩を落とし、緩慢な動作で館内に戻った。唇から堪え切れない溜息がこぼれる。
 折角ここまで来たのだから、ひとりでも水族館を満喫することにしよう――などと言うタフな考えは葛馬には浮かばない。
 俯いたまま、カーペットに記された矢印をただ辿ってゆく。明るいライトに照らし出されたジェリーフィッシュの作り出す影に、そっと目を上げた。半透明のクラゲ達のダンスは、綺麗なだけに妙に少年の心を締め付ける。ふわりふわりと、まるで空でも飛んでいるかのような優雅な泳ぎに余計寂しさが募った。
 夕方と言う時間のせいか、雨のせいか。それとも普段からなのか。館内には本当に人がいなくて。辺りはしん、と静まっていて。
 なんだか世界には自分とこのクラゲしかいないような心地になってくる。そんな考えを振り払うようにして、足を早めた。順路に従い、角を曲がる。と、そこに巨大な水槽がひとつあった。
(――あ……)
 気配に気付いたのか、大きな魚を眺めていた彼が振り向く。葛馬を見てにこりと目を細めた。
「やあ、カズ君」
 薄青い光を浴びながら、彼はいつものようにすっきりと立っていた。足許にはA・Tではなく、スニーカー。片手にビニール傘を携え、自室にいる時のようなラフな服装で、当たり前のようにそこにいた。
「カズ君……?」
 なかなか近付いてこないことを訝しむように、首を傾げる。
(……っ、いねーかと思ったじゃねーか!)
 イルカやクラゲ、熱帯魚に回遊魚。ぼんやりと人を待つのに見栄えのする水槽はいくつもあった。なのに――なんでよりにもよって、順路の最後にいるのか。
 ずかずかと無言で歩み寄り、葛馬はきっと顔を上げた。
「なんでこんなとこにいんだよっ!?」
「カズ君?」
 不思議そうな顔を見て、はっと我に返った。会った早々八つ当たりをしそうになって。そんな自分が恥ずかしくて。どうしようもなくて、俯いてしまう。傘の柄を強く握った。
(別に、コイツは悪くねんだよ……だってちゃんと俺のこと待っててくれたんだし……でも、でもさ……)
 なんだかひとりで勝手に振り回されていて悔しい。だけど、無事に会えてほっとしている自分もどこかにいて。
(バーカバーカバーカ)
 思わず子供染みた言葉を心の中でだけ繰り返した。すると、暖かい手が優しく頭に乗せられて。見上げれば、困ったように微笑むきれいな顔があって。ニット帽越しに、そっと頭を撫でられた。
「ごめんね?」
 探しちゃった?
(探したに決まってんだろ……)
 そう思いはするものの、素直に言葉が出てこない。つい、水槽を見た。そこでは大きくて平べったい魚――マンボウがぷかりと浮いている。思わずぎょっとした。
「な、なあコレ……死んでねぇ?」
 なんとなく焦る少年に、スピット・ファイアがぷ、と軽く吹き出す。
「大丈夫、生きてるよ。さっきからたまにこう言う姿勢になってるんだよね」
「でも、なんか…目、半開き……」
「うん。寝てるんだか起きてるんだかわからないよね。…あ、ほら」
 また泳ぎ出したよ。
 ゆっくりと水中を進む魚は、水槽内に吊り下げられた透明なシートに当たってのほほんと方向を転換した。どうやらぶつかるまで前方に障害物があることに気付かなかったらしい。ちゃんとガラス壁の手前で立ち泳ぎをしていたイルカと比べると、情けないほど愚鈍な動きだ。もっとも、イルカは哺乳類、マンボウは魚類の違いはあるのだけれど。
 どこを見ているのかわからない、とろんとした目で突然沈み始めたマンボウを見つめる葛馬の口がふいにぽかんと開いた。目の前でのんびり屋の魚が溺れている…ようにしか少年には見えなかった。
「コレ…溺れてね……?」
「いや、ただ潜ってるだけみたいだよ」
「どんくせー魚……」
「はは、だけどこのコ、こう見えて結構繊細なんだよ? 壁に当たると皮膚がぼろぼろ剥がれたり、ぶつかって死んじゃったりするんだって……だからああして保護シートを中に入れてるみたい」
「へー…こんなでっかいのになぁ」
「見掛けによらないってところかな?」
(ほんと、見掛けによらねー…って何俺マンボウ見て和んでんだ!?)
 のんびりとしたマンボウのせいでうっかり忘れていたが、確か自分は怒っていた。そのことを思い出し、青い目をすがめた。
「アンタさ……なんでこんなとこにいたワケ?」
 こんなところにいたから、なかなか見つからなくて不安になった。知らず唇を尖らせ、葛馬はじっと年上の恋人を見つめる。
「マンボウがスキなの?」
 すると、スピット・ファイアは炎によく似た色彩の瞳を柔らかく細め、微笑んだ。
「いや、ここは鵺君のオススメだったんだよ」
「へ?」
(鵺って……『雷の王』の、だよな?)
「この前、鵺君がチームの子達連れてココに来たんだって」
「ああ…そー言えばあのチーム…ガキばっかだったもんな……」
 自分など比ではないくらいの幼い子供達で占められた、やけに平均年齢が若いチームを思い出す。
「それでね、鵺君なんだかマンボウにすっごく癒されたみたいなんだよね」
「……ああ、アイツも結構……なんつーか苦労してそーだったもんな……」
 チームメイトである子供達は、情け容赦なく『雷の王』を振り回していたように記憶している。あの少年が王らしい威厳を見せた瞬間に、「お腹空いたー」とか「眠いよー」とか言ってそれを台無しにしていた。しかもそんな子供達に、鵺はいちいち真面目に反応していて――泣き出した子供をあやしたり、お菓子を与えてごまかしたりしているその様子は子守以外の何者でもなくて。ちょっとだけ同情したことを覚えている。
「マンボウはいい…ってやけに言うから、僕もつい見てみたくなってね」
「ふーん…で、アンタも癒されたワケ?」
 頭を撫でられたせいで少しだけズレてしまった帽子を被り直しながら訊いた。すると、青年はあっさりと首を横に振る。
「確かに興味深い生き物ではあるんだけど、僕はあんまり癒されなかったかなぁ」
「そなの?」
 スピット・ファイアは葛馬ににこりと笑いかけた。
「だって僕にはカズ君がいるからね?」
「へ?」
(って俺がマンボウに似てるとか言いやがったら殴る)
 あっぷあっぷと泳いでいるマンボウに、泳げない自分の姿を思わず重ねた。途端、傘を持っていない方の手がすい、と掬い取られてびっくりする。
(え?)
 指先をきゅ、と軽く握られた。そのまま大きな掌が重なってくる。
「こうやって、カズ君に触れたり…一緒にいたりするだけで、僕は疲れとかも全部吹き飛んじゃうからね。僕にマンボウは必要ない、かな?」
「お、おまっ、手ェ…!」
 慌てて辺りを見回す少年の指を開かせて、自身のそれをしっかり絡めてきた。
「大丈夫、ここ閑古鳥に愛されてるみたいで人いないから」
 だから鵺君もあのコ達を連れてこれたんだよ、なんて。
 優しい顔をして言うから。葛馬はぱっと頬を赤く染めた。
(もしかして、わざわざココに呼んだのって……)
 ――手を、繋ぐため?
 ふふ、と嬉しそうに恋人が笑う。――コドモみたいに。
「僕、カズ君と手を繋いでみたかったんだよねぇ」
「なんでっ!?」
 声が上擦った。予想もしていなかった事態にあわあわとしてしまう。
(俺なんでこんな慌ててんだ!? もうキスとかもしてんのにこんな手ェ繋ぐくれーで)
 手を繋ぐ。改めて思った瞬間、触れ合っていたそこがやけに熱くなった。指先がどくどくと脈打っているのが自分でもわかる。
(つかテメ、そもそも順番が逆だろ!?)
 葛馬の中にあったオツキアイと言うものの順番は、最初に手を繋いでそれからキス、だった。だけど実際は、最初が抜けてしまったから――もう、省略されたそれはないものとして考えていたのだ。今更、不意打ちのようにされても困ると思った。
(ナニが困るのかよくわかんねーけどっ! でもなんつーか、困るんだって!)
 だって、……不機嫌だったはずなのに、嬉しくなってきてしまう。顔が勝手に笑顔を浮かべてしまいそうで、必死でそれを堪えた。
 そんな葛馬の気持ちを知ってか知らずか、スピット・ファイアは繋いだそこに少しだけ力を入れて。離さないよ、とでも言うように口許に淡い笑みを刻み込む。
「なんでって……繋ぎたかった、じゃだめ? キスしたいって思うのと一緒だよ?」
 ――キスしたいからする。繋ぎたいから繋ぐ。それをすると嬉しくなるから。――好きだから。
 ただ、それだけのこと。
(そりゃ、そーだけど……!)
 でも急に握られると驚くんですけど!
 葛馬は頬を熱くしたまま、それを振り解こうかどうか迷った。けれど――辺りに人の気配はなくて。彼の手はあったかくて。注がれる眼差しも、いつも以上に優しくて。
 たまには、こんなのもいいかも……段々とそんな気持ちになってしまう。
(……外とかじゃ、絶対こんなこと、出来ねーし……そうだ、出来ねんだ……)
 今ここでしか、もうこんなことは出来ないかもしれない。そう思ったら、このまま離してしまうのがひどく勿体無く感じた。
(…………誰も見てねーな?)
 右を見て。左を見て。後ろを見て。誰もいないことを確認する。それから恐る恐る握り返せば、恋人の笑みが深くなって。葛馬は顔を染めたまま、照れ隠しのようにマンボウに視線を向けた。
「水族館てのも、たまには…悪くねー、な」
 掌を通して、じんわりと何かが伝わってくる。マンボウがゆらりと短い尾鰭を返す。
 並んでマンボウを眺めながら、こっそり体温を交換する。
 なんだかとても気恥ずかしい。でも、それはいやなものではなかった。はにかみながら隣の彼をちらりと見る。マンボウをやたら真面目に凝視していた。その様子が似合わなくて、おかしくて、こんな彼を見ていられるのが嬉しくて。だけどやっぱり、恥ずかしくもあって。そんな気持ちをごまかすように、遠足で来た時のことを思い出す。
(確かあん時イッキが……)
 当時から相変わらずだった幼馴染の、楽し気な顔が記憶の中で弾けた。つい、口許がにやけてしまう。そうだ、と話しかけた。
「スピット・ファイアってナマコ触ったことある?」
「ナマコ?」
「そ。前にここでイッキがオニギリの背中にナマコ入れてさー、あいつ大パニックになって。すっげー面白かったんだ。ナマコって、触ってると固くなってくんだぜ?」
 遠足の時に飼育員から受けた説明を脳裏に描きながら、葛馬は無邪気に続けた。
「そんで、威嚇のため、だったっけな? なんか水とか吐くの。そうすっと、固かったのにいきなりこう…しおしおしおーって感じで縮んだりしてさ、なんかオモシレーんだ」
 昔の記憶を呼び戻したのか、少年はくすくすと笑った。一方スピット・ファイアは、葛馬を待つ間に見たその形を思い出し、聞いたばかりの特徴を重ね合わせてなんだか複雑な顔をしている。心なしか少々照れたような…、そんな表情だ。
「ええと…カズ君?」
「ん? なに? あ、アンタ触ったことねーだろ? ちょっと触りに行ってみねー? ぱっと見ちょっとキショいけど、結構ふにふにしてて楽しーよ?」
「いや、その……カズ君、あのね」
「アメフラシとかも握ると紫の何かが出てオモシレーんだよなー」
「カズ君、……ええと…そこに行くのはいいんだけど」
「けど?」
 スピット・ファイアを見上げた。体験コーナーは子供優先の場所だ。だが客がいないんだし、大人である恋人がそこで海の生き物と遊んでみても誰も文句は言わないだろう、葛馬はそう思ったのだが――。
「ナマコとか、アメフラシとか……カズ君は何も思わない?」
「へ?」
 少年はぱちりと瞬きをし――何のことかとしばし考える。
(何かあんのか? あ、ナマコは酢の物にして食えっけどアメフラシはどーなんだろ? ブッチャならどっちも食いそう……)
「ほら、なんだか、カタチと言うか特徴がね……」
(カタチ? 特徴? なんかあったっけ……? ん? 待てよ。あれって……)
「……あ!!」
 短く叫び、葛馬は突然顔を真っ赤にした。反射的に繋いでいた手を外しかけ、スピット・ファイアによって繋ぎ止められる。にこりと微笑まれた。
「どうしたのかな? 顔が真っ赤だよ?」
「テメェがヘンなこと言うから…っ!」
「ヘンなこと? 僕はただ、ちょっとグロくて気持ち悪くない? って言おうと……」
「ウソつけ――っ!!」
 肩で息をしながら大声を出した。だが意外と面の皮が厚い恋人はにこにこしながら言葉を重ねてくる。
「とりあえず、カズ君が触ってみたいなら行ってみる? 僕、隣で見てるよ?」
「絶対ェ行かねーしもう二度と触んねー!!」
 耳まで染めて憤慨する葛馬の隣で、恋人が堪え切れないと言った様子で笑い出した。同時に、出口の方から係員がひょこりと顔を出す。思わず手を離した葛馬に向かい、係員は指先を唇に当ててみせた。青年はちゃっかりと口許を手で覆って係員から顔を背けてしまっている。小刻みに肩が震えていたが、声を殺すことには成功していた。
「そこのボク、館内では静かにしてね!」
(ってなんで俺に言うんだよっ)
 明らかに葛馬個人に向けられた注意にますます腹が立った。
(コイツが悪ィのにー!)
 床を踏み鳴らしたい衝動に襲われたが、さすがにそこまでコドモな姿は見せられない。スピット・ファイアは必死に笑いを噛み殺している。思わず無言でその脇腹に拳を入れた。
「いたっ! ヒドいよカズ君……」
 まったく効いていないくせに、そんなことを言う。葛馬はしばらく背中を向けて怒っていたが、ややあってこっそりと恋人を盗み見た。
 すると彼は目敏くそれに気付き、微笑みながら手を差し出してきて。
(クソー、なんっかズリィんだよな!)
 でも、掌を上に向けて差し出されたそれは、なかなかに魅力的で――。つい小声で念を押してしまう。
「……言っとくけど、俺、怒ってんだからな?」
「うん。ごめんね?」
「ほんとに、怒ってんだからな? 別に、手ェ繋いだからって許してやったわけじゃねーかんな?」
「わかってる」
「ん。ならいい」
 大仰に頷いて――おずおずとそこに手を重ねた。しっかりと握って、顔を見合わせる。つい、へへっと照れたような笑いが漏れた。
「怒られちゃったな」
「うん、怒られたね」
「テメーのせーだかんな?」
「うん、ほんとにごめんね?」
「あ、俺さっきイルカとすげー近くで目ェ合ったんだー」
「僕が見た時は奥から出てきてくれなかったよ?」
「もっかい行ってみたらちゃんと近くに来てくれんじゃねーの?」
 そんなことを話しながら、ふたりは順路を逆に歩き出した。

− END −


 たてこ様のサイトで2000HITを踏んでいただきました〜。
 手を繋ぐ二人二人、ということで…デートだ!!自分ではなかなかかけてないのですが頂き物にはデートが多いような(笑)。
 マンボウぢーっと見てるスピが可愛かったですv
2007.09.13

戻ル。