静かな室内に微かな金属音が響いていた。
 白い壁に凭れるようにして床に長い足を投げ出して座り込む人影が一つ。
 手元に視線を落として単調な作業を繰り返している。
「………………」
 金属のパーツの溶接部分の歪みを大まかにナイフで削り取り、滑らかに鑢をかける作業だ。
 一つ一つ、丁寧に、自分の理想とする形に。
 細かい作業は苦ではない。
 特にAT関連の作業は不思議と、どれも楽しく思える辺り自分もよくよくATが好きだと思う。
(………好きでなければとっくに止めてるかな……)
 一度走れなくなった時点で、普通ならとっくに止めてしまっているだろう。
 だが自分は、走ることはおろか、歩くことさえままならなかった時にさえ、止めようとは思わなかった。
 自分達にとってそれが体の一部のようなものだったからでもある、けれど。
 それでも止めていった者達もいるのだ。
 彼らと自分の、どこが違ったのか。
(……………)
 もう何年前になるのだろうか、最近……特に葛馬に会ってから、酷く遠く感じるようになった。
 時折こうして、不意に蘇ってくる、光景。
 ―――― 血の海に沈んだ森。
「………ぁ…」
 ぼんやりと考え事をしていたら手が、滑った。
 ナイフの先が指先を掠めて、皮膚が裂けてぱたぱたと床に赤いものが滴る。
(…………赤い……)
 極当たり前のことだが、だがそれはどこか不思議な光景でもある。
 無論、怪我をするのも自分の血を見るのも初めてではない。
 だが自身の血を見るたびに……否、時々、考えてしまう。
(………僕らは……)
 ヒトの胎から生まれたわけでもない実験動物モルモットなのに。
(…………ヒトと同じ、赤い、血をしている)
 ―――― 不思議だ。
 ヒトと同じ形、ヒトと同じ精神こころ
 ヒトと同じようでいて、どこか違う存在でもある重力子ぼくら
 ヒトの振りをして、ヒトの中に入り込んで、だがそれはどこまで言っても変わることのない事実だ。
 ………現実と、自分の距離が離れる瞬間がある。
 確かにここに居るはずなのに、全てがどこか遠い……剥離感。
 感覚も麻痺してしまっているかのようで痛みはなく、何気なく傷口を撫でるように指を動かせば指先に深い赤が広がった。
(………ワインの色にも似てるな……)
 少しぬるりとして、温かい。
「……何やってんだよオマエっ!」
「………え?」
 叫ぶような声が耳に入ったのは一瞬後。
 途端にそれまでの感覚が嘘の様に、パズルのピースがぴったりとはまるように、心と体が重なった。
「………っ……」
 それまで感じなかった痛みを思い出し、眉を顰める。
 声をかけてきたのはちょうど遊びに来たらしく玄関へと続く扉から顔を覗かせた葛馬だった。
 何時の間に来たのか、全く気配に気付かなかった。
「……あぁ……手を、滑らせてしまって……」
 大丈夫だよ、と言うつもりで上げた腕が駆け寄ってきた彼にがっしと掴まれた。
「………ちょっ、カズ君!?」
 そのまま指先が葛馬の薄い唇に咥え込まれて、スピット・ファイアは珍しく焦った声を上げた。
「……っぅ……」
 ぺろ、と小さく彼の舌が動いた。
 それが血の痕を舐め取り、傷口を宥める様に緩く撫でていくのに背中にゾクリとした感覚が走る。
「………悪ィ、痛かった?」
「……ぁ、いや、そうじゃなくて……」
 小さく息を呑む音に葛馬が顔を上げて、スピット・ファイアはのろのろと頭を振った。
 彼の存在があまりにも鮮やかで、鮮やか過ぎて。
「……大丈夫か? 何かおかしいぞ、オマエ」
「…………」
 覗き込んでくる瞳が青い。
 昔憧れた、どこまでも高く広がる空のように澄んだ綺麗な青が、すぐ近くにある。
「……スピット・ファイア?」
 どこか不安げな、訝しげな声。
 少年らしさを残した少し高い、柔らかく心地いい音だ。
「………どんな、味がした?」
「どんなって……血の味に決ってんじゃん」
 唐突な問いに葛馬は胡乱な表情で眉を顰めた。
 他に何の味がすると思ったのか、血の味は血の味でしかない。
「………しいていやぁ鉄臭い……かな?」
 大体じっくり味わったわけでもないから上手く表現する言葉も見つけられなかった。
「……同じ味?」
「…………何と?」
 スピット・ファイアは何時になくぼんやりとした表情をしている。
「……オマエ、ホント大丈夫か? 熱でもあんじゃねーの?」
 急に不安になって、葛馬は手を伸ばしてスピット・ファイアの額に掌を触れさせた。
「………何でもないよ、ありがとう」
 指先が触れた途端、スピット・ファイアはまるで今、目が覚めたかのような動きで穏やかな茜色の瞳を瞬かせて、ふっと柔らかく笑った。
(………あぁ、何時もの顔だ……)
 熱も何時もと変わらない、殆ど何の温度も感じないちょうど同じ体温だ。
「………えぇと、悪いけど救急箱、取って来て貰ってもいいかな?」
「あ! あぁ、うん」
 ホッと安堵の息を吐いたところで声をかけられて、葛馬は慌てて頷いた。
 確かキャビネットにあったはずだと思い出しつつ立ち上がる。
(………どうかしてるな……)
 わたわたと慌てた様子で救急箱を求めて移動していく後姿を見送って、スピット・ファイアは腰を上げた。
「……っ……」
 何気なく片手で前髪を掻き上げて、痛みに眉を顰める。
 すっかり、忘れていた。
 また開いた傷口からぱたりと赤い雫が滴るのを見て今度はそれを自分で口に含む。
「………あーぁ……また怒られちゃうかな……」
 そうして床に滴った赤を見下ろして、スピット・ファイアは苦笑いを……どこか嬉しそうな笑みを、浮かべた。

― END ―


 ごめんなさい色っぽい展開とは程遠くなりました(苦笑)。
 どことなくカズスピっぽい気も……まあいわつきさんはスピカズ&カズスピだからいいよね!(え
 いや私もスピカズはリバもいけると思ってるんですが(笑)。

こちらの品はいわつき様のみお持ち帰りいただけます。
2007.06.06

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