「……言っとくけど、俺、初めてだからな?」 「……うん」 「アンタみたいに上手くねーからな?」 「………うん」 「痛かったらすぐ言えよ?」 「…………うん」 ほんの少し、不安と緊張の色を帯びた声が問い掛けてくるのに、緩く頷きつつ。 扉の向こうで聞き耳を立てているだろう看護婦の存在を把握しながら、スピット・ファイアは密かに漏れ出そうになる笑いを堪えていた。 (……………台詞だけだと大分アレな感じだよねぇ……) ここの看護士は美少年が好きらしい……と言うのは咢の件で立証済みだ。 スピット・ファイアには流石に近づき難いらしいが、それでも暇さえあれば病室に顔を出し何くれと世話を焼いてくれる。 その看護士達が病室に顔を出さなくなる……遠巻きに聞き耳を立てる……時間帯がある。 中学の授業が終わって、葛馬が病室に顔を出し、家に帰るまでの数時間だ。 「………何?」 「……いや、可愛いなと思って」 何事かと覗きこんでくる葛馬を見返して微笑む。 咢やイッキに比べると華はないが、よく見ると葛馬もすっきりとして綺麗な顔立ちをしていることをスピット・ファイアは誰よりもよく知っていた。 (……ニット帽で顔が隠れがちな分損してるんだよね……) …………もっともそれはスピット・ファイアにとって好都合でしかないのだが。 いい虫除けになるし、あまり他人の知らない顔があると言うのは密かな優越感を齎してくれる。 「真顔で言うな、真顔でっ!」 相変わらずの鈍さを誇る葛馬は、特別室に入院している院長の知り合いの患者の下へ足繁く通ってくる少年のことが最高にイイ感じの憶測を呼んでいることを知らない。 (………まぁ、あながち憶測でもないわけだけど……) 彼女達の妄想の中では色々と楽しいことになっているに違いない。 「……よし、そろそろやるぞ?」 「お手柔らかに」 ふふっと小さく笑って、スピット・ファイアは促されるままに頭を垂れた。 場所は病院の、シャワールームに備え付けられた少し広めの洗面台の前。 片手では髪を洗うのが中々思うように行かないと知った葛馬が手伝いを買って出てこの状況に至っている。 ………ちなみに普段は看護士が嬉々として手伝ってくれていたりするのだがそれはまた別の話しだ。 少し前のめりになって頭を下げるとちょうどシャワーの下に頭が来るように台座を借りて車椅子の高さを合わせてあり、水が伝ってこないよう首にはタオルが巻かれているのがどこか懐かしい。 「…………」 規則正しい水音が響き出すのに気付いてスピット・ファイアは緩く瞼を伏せた。 遠慮がちに温かなお湯がかけられるのが微笑ましくて口元が弛む。 「……大丈夫だよ」 「あ、うん」 笑みを含んだ声を向けると頷く気配がして、ノズルが寄せられた。 頭頂部から髪の流れにそって流れるお湯が顎へと伝って行く。 掌を使って満遍なく濡らしたところで一度シャワーが離れて、すぐに冷たいシャンプーを伴い戻ってきた。 その冷さに一瞬肩を揺らしてしまったスピット・ファイアを葛馬が慌てて覗き込んでくる。 「っ! 悪ィ、ダイジョブ?」 「……少し冷たかっただけ、そんなに気を使わなくても大丈夫だよ」 その大袈裟とも言える仕草に思わず笑みが漏れた。 「だってさー、人の頭なんか洗ったことねーし、何かヘンに緊張すんだよ」 相手が怪我人と言うことで、風呂場で洗いっこするのとはまた違う感覚だ。 水が伝って包帯を濡らしちゃいけないし、体勢も気を使わなくてはいけないし、美容院の椅子とは逆向きだから顔に泡とか水とか色々伝っていきそうだし……。 「……うーん、シャンプーハットとか買ってくりゃ良かったかな?」 「…………それは出来れば遠慮したいなぁ……」 眉を顰めて唸る葛馬に、スピット・ファイアは苦笑めいた笑いを返した。 どこか拙い手付きが心地よかったと言えば怒るだろうか。 慣れないながらに一生懸命な様がひどく愛おしかったのだけれど。 加えて葛馬の方から触られることはあまりなかったから新鮮でもあった。 「……っからテメェは何にやにやしてんだよっ!」 鏡の前に車椅子を移動させて、タオル片手にドライヤーを当てていた葛馬が、鏡に映ったスピット・ファイアの表情に気付いて不満そうな声を上げる。 からかわれるとか、笑われるとか、そんな不安を感じているのが良くわかる表情だ。 (…………カズ君、意地っ張りの割りに素直だよね……) 顔には素直に出てしまう癖に、必死でそれを隠そうとする仕草が可愛い。 「カズ君と一緒にいるとついこんな顔になっちゃうんだよ」 「なっ……」 一層笑みが深まって、もう隠すことも出来ない笑顔でスピット・ファイアは平然と告げた。 鏡越しに葛馬を見つめて愛おし気に目を細める。 「………今、すごく、幸せだから」 ほんのりと葛馬の顔が赤くなって、それから泣き出しそうな表情に変わるのが見えた。 「…………」 後ろから伸びてきた腕が、首に絡められる。 ことんと肩に額が乗せらて、心地よい重みを感じると共に彼の表情が見えなくなったのを少し残念に感じた。 「……………れも、幸せ、デス」 「……濡れちゃうよ?」 スピット・ファイアの髪はまだ濡れていて、其処に抱きついているものだから葛馬の服も水気を含んでしまっているだろう。 「いいよ、そんなん……」 ほんの少し顔が上げられて、僅かに潤んだ瞳が向けられる。 僅かに首を捻ると今度は鏡越しではなく、直接目があった。 「………ん……」 ちゅ、と軽い音を立てて唇が重なって、でもすぐにそれだけではすまなくなって、舌で唇を辿り薄く開かれた其処に舌を差し入れた。 「……んン……」 互いの息を奪い合うような深い口付けに小さく鼻にかかったような呼気が漏れる。 長い時間をかけて唇が離れて瞼を開けると、目元を赤く染めた葛馬の顔がすぐ側にあって。 少し勿体無く思いながらスピット・ファイアは静かに口を開いた。 「……カーズ君、ここどーこだ?」 悪戯っ子めいた口調に葛馬は一瞬何のことかわからないと言うように瞬いて。 「………へ? ……! あっ!?」 次の瞬間見事にユデダコになった。 ここは個室の病室ではなく、病院のシャワールームに付属する脱衣所、だった。 とどのつまり何時誰が入ってくるとも知れない状況で。 「これ以上はここでは止めておこうね」 「……なっ、だっ、誰がンなことッ!!」 「………ぷっ……あははははは」 真っ赤になって支離滅裂な抗議の声を上げる葛馬が可愛くて、思わず噴出してしまうのを押さえることが出来なかった。 ― END ―
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連翹の続きの形の話と言うことで、入院したことのある友人に病院での風呂事情をリサーチしつつ洗髪ネタにしてみました(笑)。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。 |