「……こう言うのの方が、ソファより寛げるでしょ?」
 そう言ってにっこり微笑んだ男が指し示した空間に葛馬は青い目を瞬いた。
「え、おま……買ったの?」
 壁一面が窓みたいな絶景の広いリビングに。
 白い革張りのソファや特注っぽい白いグランドピアノと一緒に、自然素材っぽい雰囲気のオフホワイトのラグマットが広げられていたからだ。
 ……それは、一昨日遊びに来た時までは確かになかったもので。
「うん。本当はカズ君来てからと思ったんだけど、昨日黒炎君に手伝ってもらっちゃった」
 よく見るとソファやピアノの位置が微妙に変わっている。
(………かわいそーに……)
 大方チームの連絡だか報告で訪れたところを捕まったのだろう。
 と、言っても自他共に認めるスピット・ファイア大好き人間の黒炎が喜んで手を貸しただろうことは間違いないのだが。
「こう言うの、嫌い?」
「………嫌いじゃねーけど……」
 葛馬の反応が薄いのが心配になったのか、覗き込んでくる男に否を告げれば見る間に目元が緩む。
 美人だけど、こう言う時は可愛いって表現がぴったりなのが妙に可笑しい。
 彼の存在には随分慣れたけど、でも葛馬にまだ緊張があるのを配慮してくれたのだろう。
 ごろごろしやすいようにブルーとピンクのクッションが転がってたりなんかして大分魅力的で。
 …………でも、動き出せない躊躇いもある。
 ギョウギ悪いんじゃないかなとか、ちょっと図々しすぎね?とか、そう言った感覚だ。
 なんだかんだで真面目で小心者の葛馬である。
 それを見越していたかのように、スピット・ファイアは葛馬の背中を軽く押すと、自らそちらへと足を向けた。
「おいで」
 そう言って手を伸ばされると、流石に突っ立っているわけにも行かない。
 ソファにスポーツバッグを置いて、躊躇いがちにそちらに足を伸ばすと。
「っ!?」
 ぐいっと腕を引かれて、思わぬ強さによろめいてしまった。
 そのままぎゃーと思うまもなくひっくり返されて、驚くぐらいふんわりラグの上に落とされて声もでない。
 急に天井が見えて、足が地に着いてなくて、俺どうなったんだろうなんて目を瞬いていたら上からぎゅぅっと抱き締められた。
「つーかまえたっ」
「捕まっ、てお前!!」
「イッキ君達とは良くやってるでしょ? プロレスごっこ」
 クスクスと笑いながら押さえ込まれて、かぁっと頬が赤くなる。
「いや、確かにそれはそーだけどっ」
 じたばたと手足を動かして逃れようとするけれど、軽く一回り以上大きな相手に押さえ込まれていてはなかなか思うように行かない。
「重いっつーの、いいトシしてふざけてんなよっ!!」
 1対1だと樹にだって勝てないのにこの人に勝てるはずないじゃないかと思う。
 身体だって重いし、手足だって葛馬より全然長い。
(……いや、オニギリよりは軽いけど……)
 でも幼馴染の少年のように丸くはないから転がすこともできやしない。
 襟ぐりの大きく開いたシャツを引っ張って引き剥がそうとしても男は楽しそうに笑うばかりだ。
「ぎゃー!!」
 そのままごろごろ転がられて葛馬は悲鳴じみた声を上げる。
 上になったり下になったり、視界がぐるぐる変わって目が回る。
「ふふ、少しは緊張、解けた?」
 やっと止まったと思ったらやんわり微笑まれて、けれど相手は上のままだからこっちはさっぱり落ち着かない。
 身体はしっかり密着してるし、至近距離にある相手の髪や項からはふんわりいい匂いがするし、違う意味で緊張しそうで困る。
 ……いい匂いのする男と言うのもどうかとは思うのだが、彼は何時も仄かに甘くていい香りを纏っている。
「も、いー加減にしろってぇ!!」
「どうしようかなーぁ……」
 頭の上で笑う気配がするのが、ムカつく。
(………くそー、こうなったらっ!)
 こいつなら大丈夫だろうとふんで、葛馬は思い切り片足を蹴り上げた。
「……っ」
 まったく予期していなかった攻撃だろう、けれど持ち前の反射神経か、研ぎ澄まされた経験からか。
 スピット・ファイアは反射的に半身を浮かせてそれを避けた。
(今だっ……!)
 それに便乗するように男の身体を押し上げて、その下から自分の身体を引き抜く。
「ぁ……」
「あんま甘く見てんじゃねーぞ」
 驚いたような顔をする相手に、どんなもんだいと笑ってみせる。
 けれど、それが失敗だった。
(あ、やべ……)
 スピット・ファイアの目が変わるのがわかる。
 穏やかで優しいそれから、玩具を見つけた猫科の動物みたいに獰猛で楽しそうな色に。
「甘く見てなんかないよ?」
 そう言って伸ばされた手を避けて立ち上がろうとしたけど一瞬遅くて、足払いをかけられて……さりげなく頭とかぶつけたりしないように支えてるのがムカつくんだけど……ラグに逆戻りする。
 でもそれは予想の範囲内。
「……くぉのっ!」
 自分からもう半回転してごろっとうつ伏せになって、ラグに両手をついて身体を浮かし、方膝を支点に回し蹴りの要領でぐるっと身体を回す。
「っ……」
 右腕でブロックされて、衝撃に臑がじんと痺れた。
 その足に腕が絡んで、ぐいっと引っ張られて慌てて足先を伸ばしてそれを引き抜く。
(ひー!!)
 あっちは全然余裕だけど、こっちはかなりマジだ。
 身体を撓めて相手の次の動きに備える。
 綺麗な筋肉に覆われて無駄な脂肪のない身体は、それだけに僅かな腱の動きまではっきり見えて。
 次の動きは予測しやすいと思ったけれど、でもそこは百戦錬磨の炎の王のこと。
 葛馬がそれを見ていることに気付いていたのだろう、ワザと右に行くと見せかけて視線を惹き付け、その隙に左腕を伸ばしてきた。
「っ、のっ」
 掴まってなるかと身体を捻って躱して、相手が姿勢を崩した隙を突いて今度はこちら側に腕を引っ張ってやる。
 緩急をつけてタイミングをずらして、フェイントを絡めて。
 何でマジになってるんだろ、なんて思ったりもしたけれど。
 動いてるうちにだんだん息が上がってきて、でもだんだん楽しくなって他の事は考えらんなくなってくる。
 勿論相手を怪我させるようなことは考えらんないし、この場合思いつく決着と言えば相手を押さえつけることな訳で。
「っ、も、駄目っ……」
「どーだっ!!」
 笑いすぎて力がはいらないらしく丸くなってひくひく震えているスピット・ファイアを仰向けに転がして、その上に馬乗りになって体重をかけて押さえつけたところで葛馬はようやく勝利の雄叫びを上げた。
「降参、降参! 参りましたっ」
 組み伏せられた男が笑いすぎて苦しい、と言った様子で滲んだ涙を拭うのを間近に見て。
「………っ……」
 途端、じわりと頬に熱が上がってくるのを感じて葛馬は小さく息を呑んだ。
(……アレ、なんかコレって……俺が押し倒してる、みたいな……感じじゃね?)
 ギャーってなって、でも突然身体を離すのも意識してるみたいでおかしい気がしてすんでのところで踏みとどまった。
「………………」
「……どうしたの?」
 ぎゅぅとシャツを掴んだら、訝し気な声と共に見上げられて。
 なんか何時もと違う感じがしてどきどきする。
(………ど、どうしよ……)
 自分より背が高くて体格もいい彼をこんな風に見下ろしたことなんか当然無いわけで。
 凄く近いところから、すっと通った鼻梁だとか、切れ長の瞳を彩る長い睫だとか、形のいい薄い唇だとか、そんなものがやけに目に付いた。
(こ、こーゆー時どうしたらいいんだっけ……!?)
「……カズ君? どーしたの?」
 穏やかで優しい声が、散々暴れた所為か何時もより少しだけ掠れて聞こえる。
 伸びてきた手が前髪を掻き上げて、葛馬は僅かに目を細めた。
「大丈夫? どこか痛い?」
 葛馬が応えないので心配になったのか、スピット・ファイアが上半身を起こして顔を覗き込んでくる。
 その動きに釣られてこちらも僅かに上半身を起こした格好になった葛馬は、そのまま瞼を半眼に伏せて首を伸ばした。
「!?」
 ちゅ、と微かに唇の鳴る音がする。
 スピット・ファイアが珍しく驚いたような顔で目を瞬くのが分かって。
 葛馬はわざとニッと口端を引き上げて笑って見せる。
「呆けた顔してんじゃねーよ、バーカ」
 そんでもってそのまま、男を突き飛ばすようにして逃げ出した。
 ……自分でも、顔が赤いのは分かってたから。
「ちょ、カズ君!」
 追いかけてくる声が聞こえたけど、今ちょっと無理。
 とりあえずトイレに駆け込んで、熟れた林檎みたいにますます赤くなった頬を隠すように頭を抱える。
「カズくん?」
 ドアの向こうから声が聞こえてきたけど。
 なんだか自分がどうしようもなく恥ずかしいことをしてしまったようで顔があげらんない。
「カーズくーん……?」
「……10分、待って」
 蚊の鳴くような声で、それだけ告げるのが精一杯だった。

― END ―


 久しぶりにHITの更新です〜。少しづつ消費していきたいと思います……><
 なんだかバトルになってしまって、イメージと違ってしまったらすみません。
 でも書いてて楽しかったです〜(笑)。ありがとうございました。

こちらの品は朋里様のみお持ち帰りいただけます。
2008.09.02

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