極真空手北海道支部 幹部合宿の思い出・・
(96年1月)
茶帯の自分たちは徹底的に精神力を試される。
幹部合宿は北海道でも一番寒い一月の中旬に毎年恒例で4日間行われる。
初日
幹部道場生としての基本稽古を夜19時までびっしり仕込まれる。夜は筆禅といわれるシゴキがある。
これは正座をしながら吉川英治さん作の道場訓と幹部道場生としての展望を書かされる。非常に辛い。
これが終わるのは夜の22時…
初日は次の日からのほんの余興もたいなものであった。
二日目
朝5時起床…旭川神社の境内で座禅を二時間。境内の板の間はもう氷と同じである。
朝食後、体育館で昼食まで基本稽古でシゴかれる。その後、深い深雪のあるグランドで雪中サッカーがある。
これは黒帯びの先輩達が茶帯幹部生をツブすシゴキである。黒帯先輩チームと茶帯チームに別れ戦う。
腰まで埋まる雪の中で走るだけでも大変だけれど、とにかくボールを奪って走らなければゴールに点を入れられない。でも、ボールを取ったら最後、黒帯の先輩達のターゲットとなりタックルでもみくちゃにされ、
道着を剥ぎ取られ雪の中に埋められる・・自分は3回ターゲットになった。それでも道着を着ることは許されない。終わりたければ点を入れなくてはならないが、皆上半身裸で雪まみれになり「凍えそうになったら走れ!」とたたかれる。結局点が取れないので、茶帯チームはグランドの端から端、約500mほど雪中水泳を罰としてやらされることになる。その後、夕食をとってから体育館で稽古を二時間ほどやって、
更に再び外の雪の中で座禅をさせられる。
座禅の中で、一人ずつ、名前を遠くから呼ばれて「押忍」と叫びながら
100mほど雪の中を裸足で走って行き遠くの先輩達に聞こえるように大きな声で歌を歌わされる・・。
声が小さければ同じことを何度もさせられます。
もう、このあたりからヤケクソ状態になります。
三日目
同じように朝5時から氷の家みたいな神社の境内で座禅二時間をし、朝食後、バスに乗り込んで
大雪山へ向かいます。ゴンドラとスキーリフトを乗り継いで人の踏み込まないような山頂に登り、
そこで茶帯幹部生達は事前に渡されていた赤フンドシ一枚の姿になります。
ここで立禅といわれる修行に入ります。気温は−25℃・・立禅は1時間続く。
気温事態はそれほど辛いものではないのですが、山頂やふもとから吹き付ける雪の粒を伴う山風には本当につらかった。まるで風があたるたびに全身の肌を焼くような痛い感触だった。
山風に吹きつけられるたび、呼吸ができなくなった。でも、不思議でした、
あの極限の冷凍状態では、隣に人や仲間がいるというだけで暖かい感触を覚えるのです。黒帯の先輩達も、最初の10人組み手はそんなに辛くはないが、この立禅だけは嫌だと言っていました。
あのアクション俳優の真田裕之が北海道の極真幹部合宿に参加してロケに行けなくなったという
話も聞かさました。立禅が終わると、危険なのは急激に体温を暖めることでした。
立禅を終えた茶帯の僕達はすぐさま雪穴を掘らされ、その中で30分ほど埋まってそれから大雪の山を降ります。合宿所に戻り夕食を終えると夜は名物の火渡りが待ってます…
しかし、これはそれほど辛くはありませんでした。大変なのは最初に渡るやつで、あとに続く者は結構火が弱くなったところを歩けるのです。でも、灯油をまいてごうごうに燃え盛る焚き木の上を10mほどゆっくりと裸足で渡りますので火傷くらいは覚悟しなければなりません。走ったりしたら先輩達からどつきまわされます。
4日目最終日です。
なんとか生きているという感覚を保ちつつ、同じように朝5時から氷の家みたいな神社の境内で座禅二時間をし、朝食後、今度は組み手(スパーリング)をさせられます。
実は、自分がこのとき参加した幹部合宿には最初の初日からTBSの取材がずっと同行していてて、
師範がちょうどいいからということで自分らは組み手を披露することになったのです。
しかし、心身とも疲労しており、前日の火渡りで足の皮がベロンと剥けていましたので、とても辛いスパーリングでした。スパーリングでは、特に先輩達が見守る中ではお互い手抜きができません。
ガチンコといわれる組み手をしなければなりません。
自分の相手も辛そうでしたが、こちらも辛い状況でした。
不思議だったのは、組み手の打撃による痛みは殆ど麻痺しており、感じなかったのです。
人間、極限状態になるといろいろな潜在感覚の発見があると思いました。
☆こうした合宿の意義は実際に極真空手をやってみないと理解できないことではあります。
心の強さの大切さを学んでいくには良い経験になりました。
審査の思い出…
もどる