グッドマン・インタビューその37
(グッドマンのスケジュールに毎回掲載されている、マスター鎌田さんによる出演者へのインタビュー。
 '97年10月号より、原文のまま転載。)


川口雅巳(うた、g)
1970年5月28日生まれ。三重県伊勢市、育ち。早稲田大学、教育学部、卒。
グッドマンには、'93年10月から、ひきがたりデイズの方で始め、
'96年7月より諸橋茂樹percとデュオでインストデイズの方に移向。

先生の免許は、とらなかったんだってねぇ。何で?
「最初から、その気がなかったので、、、。英語科に入りたかったんだけど、それがあるのが、教育学部だったという、、、。大学に入ったのも、上京して音楽が、やりたいという気持ちが、かなり大きかったので、、、。」

音楽の学校に行かずに英語科の学校に行った、というのは、詞の方に、より強い興味があったの?
「音楽を習うという考えは、まったくなかった。音は自分で感じれば良いけど、外国語は、やはり勉強しないと、わからないので、、、と言っても、ほとんど勉強しなかったけど、、、。その頃は、詞と音楽を同じ比重で考えていたので、外国の曲を理解するには、外国語の勉強が必要だと思ったのです、、、。今は、また変わってきましたけど。」

灰野敬二さんのアシスタントは、いつから、どんなキッカケでやるようになったの?
「自分では、アシスタントという、つもりは、ないんですけど、灰野さんの音楽が好きだったし、なにより、住まいが近所だったので、できる範囲で、お手伝いしています。3〜4年前からです。そこでは色々な人と知り合いました。、、、灰野さんの写真を撮っている和久井さん(ss,as)とも知り合って、今度11月に、グッドマンでデュオをやる予定です。」

最近、グッドマンでの活動とは別の、バンドでCDを出しましたよね。
「ブルームダスターズというバンドでタイトルは23時間30分といいます。グッドマンにも置いてありますので、皆さん試聴して、気に入ったら買って下さい。2500円です。」

岩原さんからの質問で『3人編成のバンドをずい分長いことやっていますが、何か3人にこだわりが、あるんですか?』
「3人というのが、一番緊張関係を生みだせると思うから。三点倒立というのがありますが、そのイメージがあるのかもしれません。」

バンド活動と、グッドマンでの活動の違いは?
「諸橋君は、バンドのメンバーでもあるので、意識とか関係性はそんなに違いませんが、具体的には、曲順とかを決めずに、やるという違いです。しかし決まり事や約束事は、あるので、完全な即興には、なり得ないのです。それで今後は、バンドメンバー以外の人と色々やってみたいと思っています。一緒に演ってくれる方を募集中です。(ちなみに10月のグッドマンは、ブルームダスターズでやります。音量が普段のライブと違って、おさえた演奏になるのでCDとは違った面白さが、出ると思います。)(10/26日夜の部。)

前回の岩原さんとのインタビューで、スペースの都合で、のせられなかったんだけど、おもしろい事、言ってた。『川口さんと一緒に演ってみて、より強く感じたことだけど、彼と自分は、リズムのとらえ方が全く違っていて自分(岩原)は、たてわり的なんだけど、彼(川口)は、はずむんだ。そして彼の音楽は基本的にブルースで、その拡大解釈を演奏しているような気がする』んだって。どう?
「それは、あると思いますが、それだけでもないとおもいます。、、、で、ぼくのリズムに対する考えは、どんな間隔で音があっても、やる人の意識で、それをリズムに出来るということです。、、、ただ音があるだけだったら、それは物音にすぎないけど、リズムというのは音の配列ではなくて、その人の意志で、つくられているのだと思います。」

でも、リズムって意識や意志でコントロールしきれない肉体的な問題でも、あるでしょう。よく日本人はリズム感が悪いって言われるけど、その辺は、どうです?
「リズムっていうのは、でてきたリズムより、その人とそのリズムとの関係の方が、より重要だと思っています。、、、だから、一般的な見方をするとズレているとか、間違っているとされるリズムを出したとします。そこで、その人が『まちがえた』という意識を持ってしまえば、まちがえたことになるけど、そこでまちがえたという意識など持たずに、そのズレたことにも、自分が責任を持つ、という姿勢であれば、きいている人も、まちがえたと思わないと、思うし、たとえ、その人が、やろうとしたリズムを肉体的な限界から形に出来なかったとしても、伝わるとおもいます。、、、だから、日本人はリズム感が悪いって言われるのは、何を基準にして、そういうことが言われているのか考えると、大多数の人が思っているであろう形としての音の配列を、いかに器用に出来るか、ということだと思うのですが、そんなことには興味は、ありませんし、何も感じません。」

音やリズムに対する責任というのは具体的に、どうとるの?その、まちがえたと思う意識と、責任との距離というか、何を根拠に、それを責任にまで出来るのかなぁ?
「音やリズムを出すというのは、自分以外のひとに何らかの影響を与えることになります。そのことで、自分と自分以外のひとに関係が生まれるのだけど、その関係性のなかで生じたことを、自分で全て引き受けられる、ということが、責任をとる、ということだと思います。、、、ですから、まちがえたという意識を持つことが、すでに責任をとっていない、ということだと思う。演奏している時というのは、自分と自分以外という関係しかないと思う。だから、まちがえるという意識を持つ人は、それ以外の何か(常識とか、世間とか、ロックとか、ジャズとか、)と共犯関係にあるのだから、自分自身では責任はとれないと思う。」

自分が、常識、世間、ロック、ジャズなどと共犯関係にない、と言い切れる根拠は?
「それは言い切れないとおもう。、、、ただ、さっきのリズムのことと同じだけど、共犯関係から解放されようと思いつづけることが大切だとおもう。たとえば、ある程度、解放されたとして、それで解放されたと思っている人は、本当に解放されていない。『そこ』にとどまるということは『そこ』と共犯になってしまうよいうことだから。」

そこまでラディカルに考えていたら、共感できる人の数は限られてくるでしょう。、、、例えば、どういう人たちが、常識、世間、ロック、ジャズなどに自分の責任を転嫁せず、自分自身で色々な関係を引きうけようとしていると思いますか?
「吉沢元治さん(b)とか、豊住芳三郎さん(ds)とか灰野さんも、そうだと思うし、、、。吉沢さんの演奏を聴いた時、思ったのは、こんなの今まできいたことない、でも他を拒絶するのでなく、受け入れてくれる、ということ、でした。あと、三上寛さん(うた.g)とかもそうだし、ボブディランもそうだと思う。たしかに、すごく少ないかもしれないけど、もし自分がやめたら、さらに少なくなるわけだから、自分は、そうしつづけようとするし、そうしていれば、共感してくれる人が増える可能性もある。それにべつに共感してくれなくても、何か考えてくれるかもしれないし、それによって、関係が出来ることもあるかもしれない、、、。既成のものに頼らない、自分自身の創り出したものに自分で責任をとるということは、何も、既成のものや、自分と違ったものを拒絶するということには、ならないと思う。逆に、既成のものと共犯関係にある人たちは、その自分が頼っている既成のもの以外を、すごく拒絶していると思う。、、、共犯関係になりたくないというのは、みんなと仲良くしたい、ということなんです。」



すべて'97年当時のことです。

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