小樽の都市環境デザインの展開

  柳田良造・森下満・吉田繁治    造景:1999


●小樽の都市づくりの流れ
 
 この30年ほどの小樽のまちの動きは、都市再生のダイナミックな変貌劇を見る感がある。1970年頃、色内通りの都市銀行各支店は札幌に移転し、かつて「北海道のウォール街」と呼ばれた業務街や小樽運河周辺はゴーストタウンのようになり、小樽は斜陽都市の代名詞であった。その頃、小樽運河保存の市民運動が始まるが、この運動は運河の水辺や歴史的環境の保存運動として展開しただけでなく、斜陽都市からの再生をめざす小樽のまちづくりの出発点ともなった運動である。運動は運河を舞台にした市民手づくりの祭り・ポートフェスティバルのような多彩な試みを次々に行って、市民のまちづくりを喚起していった。10数年に及ぶ運動は道路計画を一部変更して、運河水面を保存することにつながり、小樽運河は周辺の街並みと合わせ、歴史的たたずまいが残されることになった。
 石造倉庫の再利用や運河地区への投資が始まるのは、道路工事が完成した87年以降である。丁度バブル期の投資ブームとも重なり、小樽の歴史地区の活性化は堰を切ったかのように猛烈な勢いで進む。それまで観光都市としては実績のなかった小樽は、運河や石造倉庫群が突然全国区の観光スポットとして注目を集め、ガラス、レトロ、オルゴール、グルメなど、時代にフィットしたキーワードが次々と打ち出された。商業的再利用のため市内外から資本が殺到し、寂れた街並みがショップや土産物、ホテルや飲食店街に変わり、狭い道路には観光客と車があふれた。200万人台であった観光入り込み客数も、数年で倍増し、92年には500万人を超え、函館と肩を並べる観光地となる。運河の変貌当初はあまりの急激な開発と観光化のため、街の未整備や混乱、行き過ぎのアンバランスな状況が続き、ブームも一過性のものかと心配された。しかしその後も観光客の数は減らず、リピーターも増え続けている。日本全体の経済不況にかかわらず、小樽の市街地にはエネルギーがあふれ、新しい店やスペースが次々とオープンし、来るものを楽しませる力がある。運河や歴史地区の整備も進み、ここ2、3年、地区の都市空間の質も向上した。また、運河地区のエネルギーは街の中心部にも波及し、商店街なども以前とくらべてはるかに元気になった。斜陽小樽のイメージは大きく変わった。

●都市デザインの枠組みづくりと展開

この過程の中で、小樽における都市デザインの仕組みがつくられてきた。都市デザイン形成の基盤となる枠組みづくりは行政レベルで着々と進められてきた。これは、すぐに目に見える成果となってあらわれるものもあるが、むしろ長い年月をかけて成果が積み重ねられ、じわじわと効果を上げる重要な役割をもつものである。その経緯は、以下のような3つの段階を踏んできた。

1. 運河論争を契機とする歴史的建造物と街並みの保全
小樽市の都市デザイン行政は、市民の運河保存運動がきっかけとなり、運河周辺を中心とした石造倉庫群等の歴史的建物と街並みの価値が見直され、その保全を目的としたものが始まりである。1983年、「小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例」が制定され、31棟の歴史的建造物と6.3haの景観地区の指定がおこなわれたのがそれである。函館市で西部地区歴史的景観条例ができたのが1988年のことであるから、これはそれより5年先駆けた、道内初の景観条例であった。

2. 都市デザインの総合的、体系的な枠組みづくり
歴史的建造物と街並みの保全に加えて、新しい都市景観の創出が検討された。小高い丘の上の公園から海を眺望する景観は港町小樽を代表するものであるが、バブル経済の折り、丘の中腹にマンション建設計画が進められ、それが眺望を阻害するということで市民の反対運動が起こり、人口の4分の1をこえる署名が集められた。これが拍車をかけることになり、1992年、全市に範囲を広げた、眺望や新築建物の景観形成、緑化推進などを盛り込んだ総合的な「小樽の歴史と自然を生かしたまちづくり景観条例」が制定された。同時に、行政の機構改革にともない、まちづくり景観条例を運用していく担当部局として都市デザイン課が新設された。これも道内では先駆であった。なお当初、歴史的建造物は教育委員会が、緑は土木部公園課が、それ以外の地区景観等は都市デザイン課がそれぞれ担当していたが、1998年度からそれらをすべて一括して担当する都市環境デザイン課へとバトンタッチされた。
この条例に基づき、翌1993年、「小樽市都市景観形成基本計画」が策定された。そのめざす都市の将来像は「海、歴史、文化、ふれあいと活力のまち・小樽」であり、戦略として、眺望景観の整備、地区景観の整備、緑の保全と創出、歴史的建造物の保全、建築物等のデザイン誘導、の5つが掲げられている。これに加えて、運河を中心に小樽港マリーナから旧手宮駅跡地までのウォーターフロント、歴史的街並み地区と、JR小樽駅と港を結ぶ中央通りを「都市景観形成重要ゾーン」とし、このゾーン内の主要な9地区別の整備方針も打ち出している。1983年の旧保全条例制定から範囲を広げ、内容に改良を加えてきた10年間の集大成とでもいうべき、体系的な基本計画の誕生である。
条例という法制度、それに基づく基本計画、それを推進する担当部局の設置という3つがそろい、都市デザインを具体的、実践的に進めていく行政の体制が整えられたといえよう。
先に述べたとおり、旧保全条例は運河保存の市民運動が、新景観条例は眺望景観保全の市民運動がそれぞれきっかけとなり、その制定に弾みをつけた。当初は市民が声を上げ、それを行政が受けるかたちで都市デザインの仕組みづくりが行われたのである。そこでの市民と行政との関係は一様ではなく、対立もあれば協調もあった。結果として、市民と行政の多様なパートナーシップが都市デザイン形成の枠組みをつくりだすことになったのである。

3. 行政による都市デザインの実践的展開
基本計画にのっとり行政が具体的施策を実践するようになっていくのであるが、それは多面的な展開を見せる。
第一は、歴史的建造物の保全の一層の展開である。旧保全条例ですでに31棟の歴史的建造物が指定されていたが、その見直しを図るため、市内全域での歴史的建造物の実態調査を実施した。調査は専門機関である日本建築学会北海道支部に委託された。2,357棟がリストアップされ、そのうち重要な物件として508棟が選び出された。(資料1-1) さらにその中から、保全すべきものを「登録歴史的建造物」、そのうち特に重要なものは所有者の同意を得て「指定歴史的建造物」としている(1998年6月現在、登録は99棟、指定は65棟)。(資料1-2、3) この歴史的建造物の悉皆調査は、16万人規模の都市をくまなく現地踏査する方法をとったことと、自治体自らが従来にない高額の調査費を計上したことにより、全国でも例を見ない試みとして学会で高く評価されている。また、従来の「指定」に加えて「登録」を新設した保全手法は、1996年の国の登録文化財制度に先駆けた画期的な条例として、文化庁から高く評価されている。
第二は、特に重要な、シンボル的な地区である「特別景観形成地区」指定の拡大である。旧保全条例では6.3haの景観地区指定がおこなわれていたが、それを引き継ぎながら、積極的な拡大を図り、1996年には7地区、71.7haとなった。運河から築港地区にかけてのウォーターフロント、歴史的街並地区を網羅する、相当広範囲に景観コントロールの網がかけられたことになる。(資料2) それらの地区では「地区景観形成計画」と「地区景観形成基準」が定められ、景観に影響のある行為の届出、指導・助言が行われている。
 第三は、上記の届出制度は大規模の建築物・工作物・広告物を対象とするが、それを全市にひろげ、パソコンによる景観シミュレーションシステムを導入して、具体的な代替案を提示しながら計画案の変更を指導している。届出物件は年間約150件にものぼるという。1例として、特別景観形成地区の色内大通・緑山手通地区内にある指定歴史的建造物・日本銀行小樽支店の向かいに新築建物の建設計画がもちあがったケースをとりあげる。まず新築建物の形態や素材が街並に本当に調和するのかどうかの検討をおこなった、(資料3-1) それに加え、ここでは緩くカーブする緑山手通の正面に日銀の建物が見える景観が特に重要であるが、新築建物の配置の仕方によってその見え方がどうなるかの検討もおこなった。その結果、日銀の建物をさえぎることのないよう、壁面位置を後退させる案へと変更したのである。(資料3-2) この他にも、広告物の色彩の変更や規模の縮小といった成果は枚挙にいとまがない。(資料3-3) 1995年にシステムを導入して以降、都市デザイン課のスタッフが自らオペレーターとなり、有効に活用している。
第四は、建築物や広告物を設計する際の指針、手引を作成した。1996年の「景観デザインマニュアル」がそれで、単体デザインと地区別デザインの二つの要素ごとにまとめている。(資料4-1) 単体デザインは敷地・道路等、建築物、工作物・広告物、大規模建築物等の4つに、また地区別デザインは市内を8地区に分類し、それぞれの分類ごとにわかりやすく整理している。(資料4-2、3) 
第五は、景観デザインマニュアルの地区別デザインを、市民参加によってわがまち自慢の景観を選び出す事業へと展開した。“八景からのまちづくりラリー”と題し、景観八景全世帯アンケート、景観八景各種リサーチ、八区八素八景トーキングライブ、地区毎「景観八景ゼミ」、デザインマニュアルパネル展、街並みウォッチング(八景候補地)と景観審議会による八景の選定作業、「小樽八区八景」発表、小樽八区八景ガイドマップ作成の8つのステップを2年間にわたって実施したのである。(資料5-1、2) 八区八景の選定前には800を超える候補があげられ、市民自らが身近な各地区ごとの多様な個性や魅力をあらためて再認識することとなった。
第六は、助成制度の内容の拡充である。登録・指定歴史的建造物の保全と景観地区内建造物の修景に対する事業費、助成金、融資などの補助交付が、1992年以降、多い年で総額4億7千万円(これは昨年度の小樽市年間総予算の0.7%に相当する)、助成金で8千万円、1986年から12年間の総計では100件を対象に20億円余にのぼる。
この他にも、保存樹木等の指定による緑の保全と大規模事務所での緑化の推進、地区住民による景観協議会の設立・認定等の市民参加による景観形成の推進、都市景観賞、街並みウォッチング、景観フォーラム、景観ニュース(資料6) など、景観に対する市民の関心を高めるための表彰・イベント等が行われている。

●都市デザインに対する小樽での市民活動の役割

運河論争に一つの決着をみた後、1985年以降、運河保存運動の精神を継承する市民の集まりによる「小樽再生フォーラム」という新グループがまちづくり活動をリードするようになるが、主として、市民の都市デザインへの関心を高めるさまざまの活動を展開する。一つはまちなみ見学会であり、石造倉庫をはじめとする小樽のすぐれた建物を対象に広く市民に呼びかけて継続的に行われてきた。二つは、一般市民向けの歴史的建造物の写真集「小樽の建築探訪」の発刊である。(資料7-1) 123件の掲載建物の選定、写真撮影、解説文、編集の一切を自前でおこなったものである。美しい写真とわかりやすい説明が添えられた、小脇にかかえて建物ウォッチングをするのにほどよい20センチメートル角の大きさの本のスタイルは大好評を博し、その後、函館、札幌でも同様のものが発行されている。三つは、全国規模のシンポジウムの開催である。1995年の「小樽町並みゼミ95」は、過去20年の運河問題はいかなるものであったのかをとらえなおし、これからの小樽のまちづくりのあり方を考えようとしたもので、新しいまちづくりのへの幕開けを高らかに宣言する場となった。(資料7-2) 一方では、道路拡幅の都市計画事業により取り壊し予定の歴史的建造物の保存を訴えるなど、行政とある種の緊張関係を保ちながら、監視役(ウォッチドッグ)としての役割も果たしている。
 自らまちづくり提案をおこない、行政と協同してその実現をめざす、新しいタイプの市民グループも生まれてきている。
 一つは、 一つは、6つのまちづくり団体が手宮線の再活用をめざして結束した「小樽まちづくり協議会」である。小樽市やJR北海道との協議、法的調査、沿線住民ヒアリング調査、インターネットを利用した情報発信、そして様々な分野の専門家を交えた連続シンポジウムの開催など、実現に向けて幅広い活動を展開している。単なる歴史的遺産の再活用ではなく、都市骨格の再生による新たなまちづくりを模索しており、プランの提案にまで至っている(資料8-1、2、3) 
 二つは、「メルヘン交差点まちづくり景観協議会」である。北一硝子や小樽オルゴール堂が集積し、運河と並び市内有数の観光ゾーンとなっている入船七叉路地区で、観光商業活動を営む有志が、蒸気時計や姉妹都市の方位を示した案内標識の設置、花の植栽など、都市デザイン形成の実践活動を自前で展開していた。彼らが周辺住民を含めて新たな組織を結成し、景観条例にもとづく景観形成団体として行政から認定を受けた。その後、行政の支援を得ながら、将来のイメージやプランを「入船メルヘン交差点まちづくり景観提案」としてまとめている。(資料9-1、2) そのコンセプトは「緑と花の歴史的街角景観」であり、具体的手法として、地区の特色である煉瓦と石の素材をモチーフとする交差点と歩道のペーブのデザイン、歩行者の安全確保やイベント開催のための歩道の拡幅や広場の設置、街路樹・花壇・プランター・街路灯への吊花等の緑と花による空間の演出、歴史を伝える碑・モニュメント・銘板の設置などをあげている。これらはすでに事業として着手され、交差点のペーブなど一部はできあがっている。

●主要なエリアの都市デザインの現状

 ここでは都市デザインの現状について、景観変貌が最も激しく、また観光客が最も集まる運河周辺地区と入船地区、それに大規模商業コンプレックスによる再開発が進行中の築港地区の小樽ベイシティを取り上げ、概観する。
 このうち、運河周辺地区と入船地区に共通する課題をまず最初にあげておく。確かに以前にくらべると都市デザインの質は高まったが、街並み全体として混乱した印象がどうしても否めない。これは建築デザインの“玉石混交”によるところが大きいように思われる。多くの建物のデザインは、小樽の個性を減じているように感じられるのである。これらのデザインの基調はレトロであるが、本物のレトロならまだしも、レトロ調のまがいもの、俗悪っぽさがどうしても目についてしまうのである。建築デザインは都市デザインの仕上げに相当し、その質の善し悪しは街並み全体の印象を大きく左右する。観光地における俗悪な建築デザインは小樽に限ったことではなく、全国共通の問題だと思うが、もうちょっと何とかならないものかと思うのである。ここに景観形成の現実の難しさがあるのだが、市民、行政はもとより、とりわけデベロッパー、設計者の一段と高い美意識が必要とされるであろう。

1. 運河周辺地区
 道路建設事業と共に、運河に沿って水面と同レベルのところに散策路が整備され、また橋のたもとに街園と呼ばれる広場が整備されたのがスタートである。石畳のペーブと幻想的なガス灯がノスタルジックな雰囲気をいっそう醸し出し、大勢の観光客が運河沿いを散策し、運河をバックに記念撮影をする光景が引きも切らない。(写真1) 道路をはさみ散策路の向かいに、屋根に鯱をのせた、小樽を代表する大規模石造倉庫の小樽倉庫があるが、すでに前所有の倉庫業者から買い上げた小樽市は観光案内所と博物館へと再生した。(写真2) この公共による街路整備、歴史的建造物再生の2つの事業が、この地区の都市デザインの先陣を切ったのである。
 その後、小樽倉庫の周辺、JR小樽駅から運河、港を結ぶ中央通りとの交差点付近に広場が整備されるが、その向かいに民間による大規模のホテルが新築される。そのデザインはレトロ調だが、都市的なウォールを形成しつつある。また、観光写真によく登場する、運河の港側の石造、煉瓦造の倉庫群がこの2、3年で軒並み民間の手により再利用され、地ビールを売り物とするビアホール、イタリアンや中華のレストランへと変身した。一部にオープンカフェも設けられ、人の集まる新たな観光スポットが生まれた。
 運河の北側には、重要文化財の旧日本郵船小樽支店の建物が博物館として復元修理を終え、ファサードの前面を運河記念公園として一体的に整備が進められ、観光エリアの喧騒とは対照的な静かなたたずまいをみせている。

2. 入船地区
 この地区は、運河周辺地区とは反対に、まず民間が都市デザイン形成の牽引者となった。その代表が北一硝子と小樽オルゴール堂で、現在でも最も大きな集客力を誇る。(写真3) 北一硝子三号館と小樽オルゴール堂の建物はいずれも古い大規模石造倉庫や煉瓦造の事務所の外観を保全し、内部を改造、再利用したものである。元々のどっしりとした重量感のある外観、間仕切りがなく天井の高い圧倒的なボリュームをもつ倉庫の特性をいかした内部空間の利用、照明の工夫による空間の奥行き性・垂直性の強調、石の重量感とガラス・オルゴールの商品の軽量感・透明感の対比の表現、立派な格天井のデザインを生かした空間のしつらえなど、すぐれた、小樽の個性を際だたせるデザインが施されている。(写真4、5)
 これらの建物が並ぶ旧幹線の色内大通は、幅員がそれほど広くなく、歩道もない状態だった。そのため、散策する観光客の安全性への不安が早くから指摘されていた。そこで行政は、まず一方通行化して車道幅員を縮小し、その分歩道の幅員を確保した。現在歩道のペーブ整備工事が進行中である。
 さらに、七叉路の交差点周辺地区では、先述したとおり、市民グループによって将来像が提案され、それが事業化されて完成しつつある。

3. 築港地区
 都心より南西約3kmの臨港地区に、巨大複合商業施設「マイカル小樽」のオープンが間近に迫り、今まさに、経済や産業を含めた小樽の都市構造が劇的に様変わりしようとしている。地区内幹線道路や歩行者専用道路、駅、公園など周辺の基盤整備も合わせて行われた。これは、小樽築港駅貨物ヤードの跡地を含む約55haの大規模な再開発事業によるもので、建設省のふるさとの顔づくりモデル土地区画整理事業、港湾整備事業と、民間活力の建設事業から成っている。(資料10-1、2)
 石原裕次郎記念館や小樽マリーナなどの新施設が近接するこのウォーターフロント一帯は、「築港地区」として特別景観形成地区に指定され、新都市として位置づけられている。
 忽然と現れる現代的ニューシティーの投げかける波紋は大きい。延べ床面積約34万Fは国内最大級の規模であり、年間集客1千万人が見込まれる一方で、中心市街地の空洞化や商店街の衰退に拍車をかける可能性もある。
 しかし、小樽まちづくり協議会の発足など市民グループや商店街が結束し、旧市街と新市街の相補的、相乗的な関係を見いだすべく、新たなまちづくりの方向を模索する契機になっていることも事実である。

4.「小樽雪あかりの路」

 夜の光環境をテーマに、今年2月に開催された冬祭り「小樽雪あかりの路」。一面雪に覆われる冬こそ、また漆黒の戸張がおりる夜こそ小樽らしさが最大限に引き出されるとし、運河と手宮線をはじめ、これまで再生されてきた歴史的建造物群などに、市民の手で文字どおり光を灯し、面的にネットワークさせている。(写真6、7、8)
 歴史的資源再利用型、市民主導型の冬祭りが、小樽のまちづくり第2章に向けての契機、実験の場として展開されることが期待されている。

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写真6、7 漁業用の浮き玉を改良してつくられた「浮き玉キャンドル」約200個が、運河に浮かべられた。(写真提供:小樽市観光課)

写真8  旧手宮線跡地は、地域の歴史、文化、食をテーマに、蝋燭のあかり路や雪のトンネル、展示小屋や出店などが連なり、夜の散策路として利用された。(写真提供:小樽市観光課)