牧場の風景

柳田良造    辺境:1998



 私が高速道路を通って行ったのは旭川の、少し富良野の方にいった郊外というよりも、かなり山がちの場所にある牧場である。道がわかりにくいので途中まで迎えてくれた友達の車で案内されてついていく。旭川盆地は隅々まで水田が整備されていて、その水田沿いの道を山裾にそって登っていくと水田のきれたあたりで道は山道になりしばらくいくと、数棟のバンガローやログハウスの建つ一画に着いた。牧場なのにバンガローとかあってキャンプ場みたいでおもしろいなと思っていると、ログハウスに案内されて、斉藤さんにお会いする。牛を使って草地をつくりあげてきた蹄耕法で有名な斉藤牧場のオーナーである。
 ログハウスのなかでしばらくお話をうかがったのち、牧場を案内していただくために車に乗る。車でしばらくいくと、またまた別荘風のコテッジが建つ一画があり、話を聞くと牧場の一画の土地は無料で解放していて、旭川の人たちがセカンドハウスを建てたり、最近は教会までができて、都市の住民が牧場に来てリフレッシュするそういう場ができているという。車から降りて草地にたつ。短い草丈の牧草が生えているかなり急勾配の斜面には、庭石にもなりそうな大きさの石がいたるところにあり、ところどころ気持ちのいい木陰をつくる木々が見える。牧場のなかを斉藤さんの案内で移動していく。広さは130ha、牧場内の高低差は150m、山あり沢あり、斜面ありで、地形が変化に富んでいる。また草地ばかりでなく、樹齢200年を越すような大きな木がまるで植物園のような風景をつくれば、沢は自然のまま残されていて、湧き水が流れている。そこにはトラック荷台を再利用した牛の水飲み場がある。焼き畑のように笹が刈り取られ、焼かれ土地は牧草の種が播かれている場所もある。実にいろんな景観があり、巡っていて飽きないし、一日中いたくなる。ここに旭川の人たちがセカンドハウスを建てたくなる気持ちがよくわかる。しかも新鮮な牛乳が飲める。
 ここには百数十頭の乳牛が飼われていて、朝牧場の一番低い場所になる牛舎をでて、牛は草をたべ、水をのみ、暑い日は木陰に入って休みながら、150mの高低差を登り、頂上までいく。そうして夕方になると、ちゃんと山を降りて搾乳に戻ってくる。草地に牛の糞が点在する。青草を食べて育った牛の糞は繊維が多く、柔らかい。草の糞も直ぐに土中の微生物などで分解されて雨が降ったり2週間もすると跡形もなくなるそうである。穀物で育った牛の糞は繊維が少なく、まるでセメントのように固く分解されにくい。実は最近知って恥ずかしいのだが、北海道では乳牛は牧場に放たれ青草を食べながら育っているのではなく、大半の牛は厩舎に繋がれ、人間の手によって刈り取られた牧草やアメリカなどから輸入された穀物などの配合飼料を餌に生きていて、大量の乳を生産する状態にある。そしてその牛が出す一頭あたりの乳量は世界最高水準まで達しているという。一頭あたりの乳量は世界で最も高く、乳価も高いのに、ご存じのように北海道の酪農農家はけっして幸せな状況になっていない。生産コストがあまりに高く、借金があまりに大きいからだ。さらに最近牛に四変という病気がひろがって、それは穀物などの配合飼料の与えすぎが原因といわれはじめている。
 さすがにこれはおかしいということに気づいた農家が現れ始めた。牛の健康を取り戻そうと、糞を観察しながら配合飼料を削減し、できるだけ放牧で草を与えようとしはじめたのだ。確かに年間の搾乳量は減り、収入は6割に下がったが、草の刈り取り、運搬、サイレージ(貯蔵飼料)加工の手間を減らし、飼料代、肥料代を半分以下に減らした結果、逆に所得は十分に確保できるようになった。近代化は大量生産を目指したが、答えは違っていたのだ。まだそういう農家数はすくないが、人間の食べれない青草を牛や羊の家畜を通して、乳として還元する牧畜の原点、その牧畜の原点に戻って、酪農を考えようとしはじめ農家があらわれてきたのだ。しかし今から40年も前からこの牧畜の原点にたってやってきた、それが斉藤さんの牧場だ。
 斉藤さんの牧場づくりのやり方は徹底的な自然観察にもとづく、自然と共生する農法だ。斉藤さんは戦後東京から18才で旭川の神居に入植する。それは開高健の小説「ロビンソンの末裔」に描かれているように苦闘の開墾であった。石ころだらけの斜面を苦労して畑にしても収穫は野兎や野鼠に全部やられてしまう。ほとほと参ってしまった斉藤さんはある日山の頂上の一番高い木に登る。そこで彼は悟りのようなものを開く。「鳥や鹿や魚は特に努力もしないのに実に楽しげに生きている。それに比べ人間は血のにじむような努力をし、苦労をしているのに全く生活は楽にならないし、生きていくこともままならない。これはどこかがおかしい。そうだ、自然に逆らうからいけないのだ。鳥や鹿や魚のように自然に生きよう。」戦後の何もない時で、自分の力だけで生き延びていかなけれならない場におかれた時の啓示のようなものであったろう。「石ころばかりのところで畑を開墾しようとすること自体が自然に逆らったやり方だ、おかしい。石ころばかりの斜面だが、ここにあった農業というものがきっとあるはずだ。それを見つけよう。」そうこうしているうちに幸運にも牛を1頭手に入れることができた。わずかな米と野菜、牛の乳があれば生きていける。牛の餌には牧草が必要になるが、最初は小さな草地をつくり、牛を放していたが、そのうち面白いことに気づくようになった。焼き畑のように熊笹を刈って火をつけておいた場所が牛が入っていろいろ動き回ると、雑草や笹があまり生えてこなくなって、牧草がうまく育つ環境が自然とつくられてくること。これは蹄耕法とよばれる、牛の蹄が地を耕し、草地がつくられていく農法で酪農王国ニュージーランドなどではもっともトラディショナルな方法であることを斉藤さんは後に知る。
 一般の草地造成では、山の木をすべて切り倒し、表土をブルトーザーで沢に落として、地形をならし土を全部入れ替え、草の種を播いてつくり出す。それに対して斉藤さんのやり方は表土は石も含め全部残して、斜面のまま木も残して(長年の経験から牧場の3割ほどは樹林地にあてると、牛のためと草地の生育にも、土地の保水にも、景観上もちょうどいいということがわかってきたと)、ブルトーザーではなく牛の力でつくりだす。そうして機械力をほとんど借りずに130haの牧場を開いてきたのだ。このやり方で北海道のどんな山でも立派な草地が金をかけずにできるとおっしゃる。土地の豊かさは気候だと。十分な雨と太陽があり、北海道の気候は草地を育てる環境としては実に豊かだと。
 物質循環、自然生態系、生産とコストの総合的なバランス、流通、健康、環境、景観、生き甲斐やライフスタイルなど、今、農業と農山村は、この日本という国において人間がどう生きていくか、どういう暮らしを求めるのかを考えるうえで、トータルな世界を描きうる場として、改めて注目されつつある。断片化し、袋小路に入ってしまった社会、つまりは都市の社会に対し、農と自然の場の力と癒しがわれわれに新しい道や可能性を指し示すのではないかと。昨年全国で10万人が新しく農業に従事したそうであるが、そのうちの6割は60歳以上の中高年であり、人生80年残りの人生を自己実現に向けて再出発した世代の主張が見て取れる。田舎暮らしはその世代と都市に疲れた30歳代の子育て世代に今静かブームとなりつつある。農と田舎に向かうこのまなざしは、国や政策というまやかしではなく、民衆レベルの本能的な回帰や、日本でも心配になってきた食料自給の問題への自発的対応から発しているように思う。人間どういきるのか、どういう暮らしをもとめるのか、近代化を達成した日本人が次の目標を模索しだしたようにも思える。
 ケンタッキーブルーグラスの育つ牧場でお話を伺っていて、斉藤さんが何度も口にだして語られたこと。「困った時は原点に帰れ。仕事ばかりじゃいけない。仕事は50%で、残りの50%は考える時間に。」