生活景観とまちづくり


柳田良造

 アメリカの都市学者のD・アップルヤードは「社会的シンボルとしての環境」という論文のなかで、「軽い(表層的な)環境」と「重い(構造的な)環境」という考え方で、地域の生活環境づくりを述べています。「軽い環境」とは、住宅の窓に花を飾ったり、外壁のペンキを塗り替えたり、芝生の手入れをするようなことで、日常の生活のサイクルのなかで住民が直接働きかけ、自分で変えようと思えば変えられる環境をさします。それに対して「重い環境」とは都市の構造や機能、大規模な開発など、個人の力を超えたところで決まる環境をいいます。彼は「軽い環境」の分析が地域の環境の質や住民の暮らしの充実感や快適感の評価において都市の構造や機能以上に、重要な意味をもつということを述べているのです。
 生活景観は、都心や住宅地の街並み、土産物店のならぶ観光地から畑や牧場の広がる田園地帯、河川や湖沼、海岸の水辺など、人が暮らすあらゆる環境での生活の有り様であり、生活環境そのものをさします。その評価はなかなか難しく、一定の美の基準で計られるものというよりは、その場固有のいきいきとした暮らしぶりの反映こそが重要な要素となります。生活景観は環境そのものというよりは、外部に現れてくる人々の暮らしの風景と、地域の住民の日常での環境への働きかけという意味で、アップルヤードのいう「軽い環境」と重なる考え方であります。
 生活景観の発想は日常と暮らし再発見の視点であります。身近な環境での見る−見られる関係、風景を通しての暮らしの在り様、農業や漁業などの生業のあり方の再発見、街並みづくりに参加し自己表現する楽しさの発見、それらの多様な試みを地域づくりの機軸として、すえることが必要となっているのです。北海道の地域社会は、過疎と老齢化、都心部の空洞化、地域の主要産業の衰退など、都市機能や構造の「重い環境」は文字どおり「重い」課題を抱え、現在様々な困難に直面しています。それらの課題に対し、大規模な公共事業や、根本的に都市構造を変える方策がたてられたりしますが、住民が直接働きかけ、自分の力で身近な環境から変えていく住民エネルギーを基盤とするまちづくりの仕組みこそがいま求められているのです。
 生活景観がこれからのまちづくりの質の評価の軸となるでしょう。「地域は住民が自からの住む生活環境を自分たちの手の届く環境としてとらえているかどうか。身近な日常の生活風景が連続的につながり、地域の風景をかたちづくり、風景を通して住民がまちのありようや変化を感じとり、日常での反応からまちへの思いをめぐらす。そこでは、まちの風景の変貌は敏感に住民の日常生活での意識の変化につながる。」住民のまちづくりへの意欲の基盤はここにあるように思います。本来地域にくらすとはそういうもののはずですから。
 絵になる風景とは。山や川、湖の美しい自然があるということだけではなく、身近な暮らしそのものが絵になり、まちに暮らすとはどういうことか。味のある風景であること。景観になること。「まちの生活風景が絵になる」景観であることはそう多くないように思う。   
 歴史的な街並み、坂道、港、函館山がつくりだす環境が、そこで生活するひとの日々の暮らしの舞台となる。身近な日常の生活風景が連続的につながり、まちの風景をかたちづくる。風景を通して、普通の市民がまちのありようや変化を感じとり、日常での反応からまちへの思いをめぐらす。そこでは、まちの風景の変貌は敏感に市民の日常生活での意識の変化につながる。本来まちにくらすとはそういうものであったはずである。日々のくらしとまちの風景が全く断ち切られている日本の都市。 
風光明媚な見せるための景観だけではなく、日々の身近な環境の場での有り様である。時間の蓄積のなかでの風景である。北海道の場合、歴史がないといわれるが、それでもほとんどの街が開拓の鍬がいれられてから1世紀の時間の物語をもつ。 生活景観とは外部に現れてくる暮らしの風景である。都心の路上や住宅地の街並み、土産物店のならぶ観光地から畑や牧場の広がる田園、河川や湖沼、海岸の水辺など、人が暮らすさまざまな環境での生活の有り様である。
 生活景観は一定の美の基準で評価されるものというよりは、その場固有のいきいきとした暮らしぶりの反映こそが大切である。本来暮らしはその地域それぞれに様々な様相をもつものであり、その反映としての生活景観は、その環境毎に独自であり、多様であるはずである。しかし現在多くのまちで、画一的で紋切り型風景が展開している。どこも同じような風景とは、どこでも暮らしが同じになっているというよりは、住民が生活の有り様を目に見える街の景観として表現を十分にしえない、あるいは表現する適切な手段をもち得ていないから、生じているではないか。
 住民が自からの住む生活環境を自分たちの手の届く環境としてとらえているかどうか。

北の生活景観選定基準
1)「ひらく」
北海道の生活空間は長い間冬の寒さに対抗するために、快適な内部を閉じた環境でつくり出すことに主眼をおいてきたといえよう。しかしその過程で、暖かい内部環境以外の北の生活を豊かにする多様な価値や可能性に対しては十分な評価と視点をもちえないまま、自閉的な状態に陥ってしまった。改めて北の生活環境を豊かにするあらゆる要素にひらかれた生活景観づくりを提案したい。
・自然にひらく
・街にひらく
・路にひらく
・庭にひらく
・光にひらく
・水にひらく
・緑にひらく
・夜にひら
・夏にひらく
・冬にひらく
 ・・・・
2)「組みたてる」
街や景観は様々な環境要素が適当な場所に適切な状態で関係をもって存在する「組みたて」が成立して、はじめて調和や美が語られるものとなる。北海道の都市では、道や建物が、それぞれバラバラに無関係に組みたて以前の状態で存在する場合があまりに多い。しかしそういうなかでも、自然的条件、歴史的条件、地域コミュニティの条件をいかして、固有の「組みたて」とすぐれた環境をつくりだしている街並みや景観もすくなからずある。地域における固有の「組みたて」とは何か、改めて問いたい。
・文脈を組みたてる
・構図を組みたてる
・関係を組みたてる
・構造を組みたてる
・つながりを組みたてる
・時間を組みたてる
・仕組みを組みたてる
 ・・・・
3)「参加」
景観はそれを成立させている地域社会以上に美しくなることはないといわれる。地方の過疎、農漁村の生活基盤の不安、中小都市の衰退、街の顔である商店街の崩壊など、北海道は様々な地域社会の不安定要素を抱えている。そのなかで小さいけれど自発的でNPOのような新たな制度による取り組みとそれを支援する柔軟な仕組みや情報ネットワーク環境の変貌が、全く新しいまちづくりの萌芽をうみだしつつある。地域社会像やまちづくりの仕組みが大きく変わりつつあるなか、新たな生活景観は地域の多様な主体による身近なレベルでのまちづくりへの参加から、その像を描いていくであろう。