ベルゲン−こすりだしインノルウェー予備調査旅行
から 1997
柳田良造今年の夏、2週間ばかしヨーロッパをめぐる旅の途中、ノルウェーに立ち寄りました。今年はヨーロッパはどこも暑い夏で、オランダもイギリスもフランスも、連日30度を超える快晴続きで、少しばて気味の中、涼を求めて、フィヨルドの国北欧ノルウェーを目指しました。ノルウェーには、大西洋に面してベルゲンという港町があって、古くからハンザ同盟で栄えた都市で、音楽家のグリークの街としても知られていますが、下見板にペンキ塗りの建物でも、宝庫であります。
北大の森下さんが、今年度「こすりだしインノルウェー」プロジェクトで函館からトラストの助成を得たので、それに参加する予定でした。ノルウェーの窓口になってくれそうな人物に森下さんが春から、インターネットや手紙を使って、連絡をしていたのですが、なかなか返事が来なくて(あとでわかったのですが、相手の方が長期の休暇中であった)、結局「こすりだしインノルウェー」は準備が間に合わなくなり、来年度に延期ということになりました。が、ひとり私が来年に備えての予備調査ということで、ノルウェーに赴いたのです。
私がオスロに着いたその日に、ノルウェーからのメールが日本の森下さんから、ロンドンの友人経由で送られてきて、「こすりだしインノルウェーは興味深いので、喜んで協力する。気軽に何でも相談してくれ」という心強い便りだったのですが、行き違いで、結局いろいろ大騒ぎして、ノルウェーの窓口の方とは残念ながら会えませんでした。
行き違いで始まったノルウェーの旅は、終始狂いっぱなしで、飛行機が2時間ほど遅れて着いたオスロには、夏の観光シーズンと音楽祭が重なっていて、駅のインフォメーションに行ったが、「今日はオスロに宿はまったくありません。」とそっけない返事。どのホテルにいっても「ノールーム」、オスロの夜をさまよったあげく、駅に戻った。ベンチで夜を明かそうと思った時、「列車に乗って1時間ほど走ればどこか、郊外の札幌から言えば岩見沢くらいの街に着いて、きっと宿があるだろうという」アイディアが浮かぶ。乗って1時間ほどで、モスという港町に着いて、結構歩いたけれど確かにホテルはあったが、その時時間は深夜1時を回っていて、宿はしまっていて、結局泊まるところはなく、5時半のオスロ行きの始発まで、オスロから南に1時間の港町モスの市街地をさまよったのでした。
始発に乗って朝、オスロをめざしましたが、オスロ手前から眠りモードに入り、目が覚めたらオスロを通り越して、西に進んでいる。「まずい」引き返さなくちゃと思っているうちに、郊外住宅地らしいきれいな駅が出現、降りて見学でもいしよう。こんなことでもなければ、来ることもなかったであろう駅に降りて、駅前と早朝の住宅地を散策、駅ガラス張りの駅のホームや駅前の広場、新しいビルに現代ノルウェー建築のレベルの高さに感激。住宅地も斜面にそって、緑たっぷりの中に戸建ての住宅がゆったり建っている。針葉樹が多く、カナダの戸建て住宅地に似ていなくもないな、と感想する。ひとつおもしろかったのは、建物に樋がついていること。冬どうなるかみてみたいです。カフェで一服し、やっと10時過ぎにオスロに戻ったのでした。ふらふらのてい。ベルゲンはそんな旅のつぎにたどり着いた街でした。
ペルゲンの街の地形は西ノルウェー特有のもので、山がすぐ海岸線まで迫っていて、わずかな平地に建物が密集して建っていて、山肌にも白い壁に赤い色の屋根の家がはりつくように建っている。道幅も狭く、街は歴史上何度も大火を体験してきた。坂の町で、度々大火に町が襲われた歴史は函館とよく似ている。
町の中心はトーグ・アルメニング通り、北に歩いていくと、港に出てそこは魚市場と地図にはある。夕方歩いた感じでは、ただの港で埠頭にレストランがあり、たくさんの観光客でにぎわっていた。朝、色とりどりのテントが建ち、おじさん、おばさんが魚、海老、花などなど売り、活気にあふれる魚市場になるらしい。朝市です。函館との共通点が多いですね。そこから右手をみるとハンザ同盟時代からの有名な切妻屋根、下見板ペンキ塗りの建物が、中世のにおいをただよわせて建っている。ブリッゲンとよばれるユネスコの世界文化遺産にも登録されている地区である。建物は奥行きが深くて、60〜70mある感じ。現在はほとんが土産物になっている。オリジナルは13世紀から16世紀に建てられたハンザ商人の家や事務所であったが、何度も大火で焼かれ、その度同じように復元、修復され、現在に至っているそうである。ペンキの色はあずき色や黄土色だが、どれも渋い深みのある色で、ペンキの色合いがだいぶ日本と違う。
この港に面した街並みは観光客で大変にぎわっていますが、一歩中に入ると、古い建物の並ぶ落ち着いた街並み、いい感じ生活のたたづまいが続く。商店や会社の建物だが、小ぶりな2〜3偕建て、木造下見板とレンガ造が半々くらいに混じる。道を歩いていくと、知らず知らずのうちに道は坂道になり、狭く路地状になり、階段が現れ、どんどん斜面を登っていく。坂道に面して建つの住宅で、すべて木造下見板ペンキ塗り。その坂道と両側の街並みのつくる空間の魅力的なことといったらないといえるほどです。かなり坂を登ったところで突然視界がひろがり、路地の向こうに港と対岸の街が望める。この坂道沿いの路地に下見板の建物が建っている感じ、函館によく似ている。
下見板の外壁で修復している建物を覗いていたら、2階の窓から顔が出て、中にはいってこないかという声がかかりました。建物の中に入りますと、丁度室内の壁を塗り替えている工事の最中で、色は深く濃い赤、別な部屋は濃い緑に塗っていました。こういう色はノルウェーでよく使う色かと聞きますと、そうだと。ペンキを塗っていた人は職人さんではなくて、この建物のオーナーで自ら、この19世紀末のこの建物は修復して、貸家とする予定でと教えてくれました。ベルント・スベンドセンさん、まだ30才台の感じ、丁度もっていた函館の「こすりだし」の英文レポートを見せて、ベルゲンにペンキ色彩の探索に来たんだと説明すると、来年調査に来た時は是非連絡してくれと、言って名前と住所を教えてくれたのでした。握手してわかれました。いい思い出を残してベルゲンの旅は。