非制度的パートナーシップによるまちづくり過程

                                造景1997


柳田良造

地域で多様な主体が働き、実際に問題解決できる仕組みをどう組み立てうるか、まちづくりの総合的な仕組みのあり方がいま問われている。従来のように、一元的に行政側が必要な情報をコントロールする仕組みでは、有効に地域の問題に対処できない状況が生じてきている。地域で有効に機能するまちづくりの仕組みとは、どのようなものか。参加の意味はそこにある。

1.市民まちづくりの構造
地域で課題解決のために有効に機能するまちづくりを市民まちづくりと呼ぶ。
市民まちづくりは、市民自身の行動によるまちづくり活動ではあるが、単独で完結する場合は少なく、地域においては行政をはじめとする諸力とのパートナーシップによるまちづくり過程である。
そのパートナーシップのモデルは制度化された仕組みとしてあるのではなく、まちづくりの運動過程からうまれるベクトルとしてとらえられる。
それらのまちづくり諸力の相互作用のなかで、市民まちづくりの最も重要な要素である地域エネルギーがうまれてくる構造がある。
まちづくりの運動過程のなかで、行政を含めた諸主体の役割と関係が状況的に変質する構造が市民まちづくりといえよう。
市民まちづくりは<非制度的パートナーシップによるまちづくり過程>、<役割と関係の状況的変質>、<地域エネルギー>のようなキーイメージで語られる。

2.函館の市民まちづくりと非制度的パートナーシップの成立
この市民まちづくりの動的なプロセスを、筆者もかかわっている函館のまちづくり過程をケースにとりあげ、考えてみたい。バブル経済は、京都をはじめとする伝統的な都市の歴史的環境に大きな爪痕を残した。函館も例外ではなかったが、そのなかで函館の市民まちづくりは、まちづくりの大きな山場で、「市民運動、行政等の連携したまちづくり運動によって、まち歴史的環境を最悪の破壊から防いだ」ように地域で機能した。函館の場合、ここ20年のまちのシンボルである歴史的環境の保存・再生のまちづくり過程では、多様な市民運動と行政の関係が生まれてきている。
函館のまちづくり過程で成立したパートナーシップをモデル化したものが図1であるが、いずれも<○○○からパートナーシップへ>という、過程でとらえられることが特色である。
<市民運動からパートナーシップへ>のモデルは、歴史的景観条例の制定のケースにみることができる。それは当初市民運動からの問題提起にはじまり、次にそれをサポートする専門家が参加し、その後行政側が制度として実現する過程で直面したバブル経済の高層マンションによる景観破壊問題に対して、市民側も一層の支援や活動を行い、行政側も従来の枠をこえた取り組みを行うことにより、市民運動、議会、行政が一致して共同戦線をはり、共通の目標に向かって活動を展開するというパフォーマンス型のパートナーシップが生まれた。
次に<行政干渉型からパートナーシップへ>のモデルは、民間所有の歴史的建造物の解体危機において、行政側と所有者のエゴによる深刻な対立紛争に、市民運動がまちのWatch dog1)として加わることにより、問題をより社会化した地平で考える場をつくる状況で機能した。
これらのパートナーシップのきっかけは市民運動側にあったが、一連の過程は行政側の学習機会ともなった。その後のまちづくり過程では、市民側の反対運動への事後処理ではあるが、公共事業で複数代案の検討や市民提案の要請とそれに基づく計画変更<異議申し立てからパートナーシップへ>、市民側の得意な分野では行政側からの参加への土俵つくりの動き<行政主導からパートナーシップへ>など、行政側が徐々に変化しながらパートナーシップがうまれる過程が生じている。
函館の行政はとくに物わかりの良い、開明的な行政ではない。市民参加も特に制度化されたものはない。しかしひとつポイントをあげるならば、そとからの批判や提言に対し、よくあるように「よそもの」扱いし、拒絶する姿勢が少ない点が特徴的であるように思う。日本の役所は批判をきらい防御的になる傾向があるが、函館の場合、批判にはある程度免疫性があるように思う。身を固めて拒絶するのではなく、受け入れられるものは、正面から受けとめる力があるように思う。
パートナーシップによって、主に行政側が状況的に変化する過程をみたが、同時に市民側の学習効果も大きい。
現在も市民側からの行政批判や反対運動はなくなってはいないし、また独自に様々なまちづくり活動やまちづくり公益信託の展開など自主的な活動を行うことが多い。それらを包含しながら、重要な地域のまちづくり課題に際しては非制度的、非日常的状況のパートナーシップが様々な主体間に成立し、地域のまちづくりの仕組みに刺激とエネルギーを与えている関係を函館モデルとしてみることができる。(図2)
まちづくり過程における市民活動と行政との対応関係は奥田道大等のいう「対抗的相補性」という視点でとらえることができよう。反対運動のように、一方的に「対抗性」ということでもなければ、町内会のような一方的に「相補性」ということでもなく、互い矛盾する「対抗性」と「相補性」の両義性をもつ。
参加を制度化することは、市民のまちづくりへの関心を一定程度高める役割を果たす。しかし参加の制度をつきつめていけば、基本的に行政の組織原理と矛盾する場合もある。
非制度的パートナーシップは参加を含みながらも、対等な関係を前提に、市民、行政、等諸力が共同して地域のまちづくり課題に取り組む状況的な関係である。とくに地域がかかえる重大な問題、地域の諸力を結集しなければ解決できない課題に取り組む時、パートナーシップは社会性を獲得する。

3.非制度的パートナーシップの成立する条件
非制度的パートナーシップが成立する条件には、<「像」と「場」の創造>、<環境づくりの着実な成果の積み上げ>、<調停のルール>がキーワードとなる。

「像」と「場」の創造
「像」とは地域のまちづくりエネルギーを凝集できる対象で、物的環境のあるべき姿を示したものである。「場」とは地域のまちづくりエネルギーを発生、共有、増幅させる社会的環境で、人と人の関係で成立するものである。
「像」の創出においては、「まちの生活風景が絵になるかたちでいまもいきている」ということが、函館西部地区での、20年の市民のまちづくりの基盤となってきた。街の風景の変貌は敏感に市民の日常生活での変化につながる、そういうものとしての街並みが多くの市民のアイデンティティの元になり、まちづくりエネルギーを常に汲み上げていく対象となった。
「場」は当初チャリティパーティやシンポジウム、独自の歴風文化賞を設けたりと、函館市民の歴史的環境に対する意識の啓蒙運動として展開していった。またこの市民グループとその周辺には中にさまざまなタイプの市民や事業者がいた。あるグループは街並み保存を世論に訴え、行政側に歴史的景観条例制定の制定をアピールをする。若者グループは、西部地区に自分たちのライフスタイルにあった場をつくりたいという思いから、歴史的建造物を再利用した商業施設をつくり、工夫こらして地域住民に支えられながら一緒になって育てていった。また社会的環境が比較的オープンな土地柄を背景に市民グループ、専門家、住民、行政、事業家が立場にこだわらず、フランクに交流、議論する状況も生み出されていった。歴史的建造物の再利用による拠点も時代の節目毎に地域に造りだされていった。これらを通してまちづくりエネルギーを発生、共有、増幅させる「場」が地域のなかに重層していった。

<環境づくりの着実な成果の積み上げ>
西部地区の街並み保存と環境改善にはゆっくりとした時間をかけて展開してきた足取りの着実さがある。地区の歴史的建造物の再利用も30年余の時間のなかで、段階的に進んできた。再利用に関わった個人、企業、行政、さらには20代から70代にいたる主体の多様さ、結果として生まれた再利用建造物の用途やデザインにみられる豊富さなど、バランスのとれた、総合力のある環境づくりとなっている。またその間行政側は坂道などの街路の石畳舗装を行い、住民側の行う建物の改修と呼応しながら、時間をかけて通りの街並み全体の環境改善を進めてきた。
各々の持ち場での時間をかけた着実な成果は地域の安定した環境を形成するベースとなり、時間の経過とともに環境全体の底上げにつながり、さらに新たな質の高い開発を引きだす背景となっている。
この安定した着実な環境づくりが、まちづくりにかかわる主体に自信とゆとりを与える要因となっている。

<調停のルール>
西部地区のまちづくりは住民、市民グループ、行政、専門家が固定した役割を担うのではなく、行政の担当者が時には市民グループの活動家であり、反対運動の住民が審議会のメンバーであり、景観条例の技術的な検討を行う専門家が市民グループの活動を行い、独自に代替案を提示するという、立場を超えて共通の土俵の上でオープンに議論できる場が成立している過程であった。そこから制度化されていない、自然発生的なパートナーシップが機能し、たとえ紛争になっても調停機能が様々に働く仕掛けをまちづくりのプロセスの中に内在させていったのであった。
調停の仕組みとしては「妥協と補償」ではなく、実際の環境づくりの事業や活動に対し、様々な主体がオープンに議論をつくす場をつくり、その結果をうけそれぞれの主体が自己責任のもとに「自己実現」の方向をさぐることを基本とした。
市民まちづくりは葛藤や紛争、緊張関係を本質的に含んだプロセスである。しかしそれらの葛藤を契機として逆にまちづくりエネルギーが育っていく可能性がある。紛争が解決されていく条件には、安定した環境やゆったりした時間を背景に函館ならではのある種の精神的なゆとりやオープンさが含まれている。ゆとりや余裕があれば、葛藤にたいしてある種の下支えを提供し、当事者間の抜き差しならない対立までエスカレートすることはなくなるのである。

これらの積み重ねのなか西部地区の街並みは結果守られ、市民の手の届くところにある対象として、風景を通して、市民が街のありようや変化を感じとり、日々の暮らしから街への思いをめぐらす、街の風景の変貌は敏感に市民の日常生活での変化につながる、そういうものとしての街並みを存在させる基盤とつくりだしているのである。

4.市民的活動の社会的位置づけ

非制度的つまりは任意のパートナーシップが多重に成立して、地域のまちづくりがうまく構造化されている状況に展開性、継続性をもたらす上で、今後市民的活動をどう社会的に位置づけていくか、課題となろう。
住民活動は町内会として、行政的枠組みの中に位置づけられており、今後もこの仕組みは短いスパンでは大きな変化はないであろう。一方市民的活動は、活発なものはアイディアや実行力があり、批判する力もあって、危険な存在になりうるというのが行政の認識であろう。函館のケースでも、市民的活動と行政の関係は必要なまちづくり課題についてはパートナーシップが成立しているが、行政側みれば、市民的活動は面倒な扱いづらいものであることは間違いない。
市民的活動が、今後行政との関係で、市民の側から関係の制度化を求めていく必要はないと思うが、社会全体の中ではより明確に位置づけられ、認識される必要があると思う。函館には、市民的活動を母胎にしたものとしては日本で最初のまちづくり公益信託の仕組みがある。誕生してから、3年ようやく地域に根付いてきたなと思わせる動きが昨年あたりから目につく。まちづくり活動の助成を受ける地域のグループの広がりと積極的な姿勢、運営委員会や事務局の社会的認知の高まりである。助成活動には古い歴史的な建物のペンキの塗り替えボランティアの活動があるが、昨年は40名を超える大学生や高校生の参加があり、恒常的な活動の組織化も可能なところまできているし、2地区での商店街の意欲的な活動、歴史地区でのコミュニティレベルのまちづくりは他の助成金を獲得して、コーポラティブ住宅の建設を目指す動きに展開している。市民が市民の活動を支える試みがようやく地域で理解、評価され、運営委員会のメンバーも任期による交代では、意欲的な人材が登場している。行政が市民活動を支援する制度ではなく、市民活動が市民的仕組みによって支援されることにより、どれだけ創造的かつ自発的になるかの証明である。
市民的な活動が社会的仕組みのなかで位置づけられ、財政的にも支援される制度がそろうならば、日本においても、充分に社会的活動を担い機能していく、そういう段階に達しているのである。


1) Watch dog まちの番犬。地域のまちづくりの監視役として、情報発信する市民活動。