函館西部地区の街並み・まちづくり


柳田良造


1.地区のなりたち
津軽海峡に突き出された函館山、それを要として扇のように拡がる函館の市街地と巴型の港。この函館山の北麓一帯にひろがる西部地区は、江戸末期の開港場に始まる洋風文化の伝統を今に伝える街並みと港、坂道が織りなす独特の歴史的景観を形成している。中でも1階が和風、2階がペンキでカラフルに塗られた和洋折衷様式の町家群は函館独特のスタイルである。港や坂道に沿ったその街並みは歩いて楽しく、市民や観光客に親しまれ、まちのシンボルとなっているが、20年ほど前は、開発から取り残された衰退地区であった。その保全・再生のまちづくり課題に対して常に 市民が先導的に問題提起し、実践活動を展開してきた。

2.まちづくりの進め方
西部地区の主要なまちづくり課題に対する市民の主導的な問題提起、実践活動の展開は、1960年代中から始まる歴史的建築物の再利用の動き、1970年代後半から始まる歴史的景観をまもる市民運動の展開、1980年代末の高層マンション等の建設による景観破壊への反対運動やちんちん電車の復元・動態保存運動等、その事例は枚挙にいとまない。これらは「函館市西部地区歴史的景観条例」の施行、伝統的建造物群保存地区の制定に実を結んだ。さらに1988年から始まる街並み色彩研究とその成果、発展としての「公益信託函館色彩まちづくり基金(函館からトラスト)」は、市民の自主的なまちづくり活動の新たな次元を切り開くものと期待されている。

3.地区の現状と課題
主要な歴史的建物の魅力的な再生・再利用、坂道や公園、ウォーターフロントの環境デザインにより、地区全体としては歩いて楽しい魅力的な街並みが形成されているが、バブル期の駆け込み申請による高層マンション景観破壊と地上げ、相変わらずの地区人口の減少・老齢化、歴史的建造物の空き家化による、環境維持能力の低下、という内的に不安定な要素を抱え、住環境問題を主とする修復的なまちづくりが地区全体で必要となっている。
西部地区のまちづくり課題として、以下の点があげられる。
・歴史的建造物の保全・再生、特に住宅の防寒改修やメンテナンス
・歴史的景観と調和する都市型住宅の供給による新しい人口の受け入れ
・地区の街並みや住環境と調和する観光や港湾の再開発
・地域のまちづくり主体の維持・形成
4.西部地区の街並み・まちづくり

市民の自前精神による西部地区のまちづくりの展開は、歴史的建物の再利用と景観ガイドライン、街並み色彩研究、まちづくり基金の3つにその最も特徴的な例をみることができる。

1)歴史的建物の再利用と景観ガイドライン
歴史的建物の再利用は古くは1960年代に始まるが、市民や観光客にも認知され地区の魅力づくりの要因となってきたのは1970年代後半の、若いオーナーによる商業的再利用の成功事例である。個々の例はいずれも創意工夫にとんで、魅力的な地区の小スペースをつくりだし、1983年には、地域の若いグループの連合による、大規模なレンガ造の旧函館郵便局の再利用の展開につながる。地域の核が生まれ、西部地区の歴史的環境が観光的にも定着し、1988年の青函博を契機にしたウォーターフロントの倉庫群の大規模再利用により、地区全体の骨格が組み立てられ、観光客も年間500万人を超える規模になり、すっかり観光地として定着する。1988年は景観条例が施行された年でもあるが、わずかであるが施行のタイミングがおくれたため、バブル期のマンション建設にぶつかり、かなり街並み景観の変貌が生じた。その後行政は様々な施策を展開し景観保全を進めるが、そのなかの景観ガイドラインに、地域の建物の高さ制限だけでなく、坂道から港へのユニークな3次元立体の景観保全面の考え方が導入されている。

2)街並み色彩研究
 函館の西部地区の住民や商店主、建築家などからなる市民グループ「元町倶楽部・函館の色彩文化を考える会」が、1988年から、西部地区に数多く残る和洋折衷様式の町家の色彩研究に取り組んだ動機は、旧函館区公会堂が創建当初に復元修理された黄色とブルーグレーの鮮やかな色彩にショックを受けたことにはじまる。さらに「メンバーのひとりが自宅の外壁を塗り替えた際、下のペンキをはがそうとして、何層にもなったペンキ層をみつけた。このペンキの各層の色をいくつかの建物について分析すれば、その時代の町並み色彩を想像する手がかりになるのではないか。もしかすると戦前には今では及びもつかないようなもっと国際色豊かでハイカラな町並み色彩が形成されていたのではないか。いわば古い下見板に残ったペンキの層が時代の色を証言する生き証人ではないか。」
西部地区で85件の建物について、下見板や窓枠に塗られたペンキに、「こすり出し」という手法を用い、何重にも重なる色彩の年輪(「時層色環」と命名)を浮かびあがらせ、過去の時代の色彩をさぐった。CG(コンピューター・グラフィックス)や化学分析を用い、建物所有者やペンキ業者などにくまなくヒヤリングして、明治からいまに至る時代の町並み色彩を再現した。
ヒヤリングや記録の中から、ペンキの色彩にこめられた地域にすむ人々の街への思いを発掘し、色彩に託した街並みへの参加、楽しい自己表現のあり方を再発見した。住民がまちを守り、環境向上の努力を進めていくうえで、自分たちの手でまちの環境を実体的に発見することがいかに重要であるかを認識したのである。

3)まちづくり公益信託函館色彩まちづくり基金
この住民による街並み色彩研究は、さらに1993年市民の力による新しいまちづくり基金の仕組みの誕生につながっていった。名前を「函館からトラスト(公益信託函館色彩まちづくり基金)」という、このまちづくりのトラストは、色彩研究が獲得した賞金2000万円を委託し、公益信託という制度を活用して、住民による自主的、持続的なまちづくりが展開することを支援する仕組みをつくりだそうというもので、市民主体のまちづくり公益信託としては全国でもはじめての試みであった。
1993年末に最初の助成活動がスタートして、約3年がたつが、その間計11件の助成、2件の事務局の自主事業の活動がおこなわれている。その主な活動を紹介してみよう。
●歴史的な下見板建築のペンキ塗り替え活動
下見板張りの町家のペンキ塗り替え活動は、北大の建築学科の学生グループの提唱でスタートしたもので、老朽化が進み、メンテナンスも十分でない歴史的な建物の外壁をボランティアの手で塗り替え、行政の保全策の及ばない一般の歴史的街並みを保全していこうとするものである。昨年から函館の工業高校の学生の参加もあり、参加人数は40名近い数に増え、次第に街並みレベルでの建物ペンキ塗り替えに、活動が広がりつつある。ペンキ塗り替えが行われる建築は、観光とも縁のない普通の生活の舞台である。地区の過半を占めるこれらの建物は急速に老齢化、老朽化が進行している。ささやかな活動ではあるが、ペンキ塗り替えが地区の忘れられようとしている建物へ、お年寄りの所有者が若いボランティアに刺激され、もう一度愛着を取り戻す契機を生み出しつつある。
その他にも、●市民の足となっている市電車両のペンキの塗り替え活動や、●衰退した商店街の再生へのプランづくり、●尻地震で大きな被害を受けた歴史的建造物(旧海産商同業組合開館)の修復事業、●元町地区の古い住宅地での住民と一緒に地域の生活環境を考えるワークショップの開催など、様々な活動が展開されている。
従来市民のまちづくりというと、なにか切実な課題や反対運動につきうごかされ、やむにやまれず立ち上がるというタイプの活動が多かったが、まちづくり基金からうまれつつある市民の活動は市民サイドで自主的にまちづくりのテーマを設定して市民が自ら考えて楽しみながら行動する、能動的かつ非義務的な活動が特色のように思われる。能動的なまちづくり活動では、助成額はたとえ少額でもそれが呼び水となって、創意工夫をこらしながら、自主的に活動を展開していくケースが多いのである。
本来「まちづくり」という言葉は、地域に住む市民が中心となって、行政やデベロッパーと対等な関係をもって、市民にとって暮らしやすい街の整備や開発を行っていこうという意志をこめた言葉であろう。函館山の麓、西部地区と呼ばれる地域で、ここ十数年来おこなわれてきた歴史的環境をめぐる「まちづくり」は、市民の知恵とアイディア、臨機応変の動きがいかに街を面白くできるか、その実験場である。