市民主義のまちづくりと函館の風景

                                辺境1996


柳田良造

日本で最初の市民主体のまちづくり支援基金「函館からトラスト」を生んだ函館のまちづくりには、市民主義のまちづくりと呼べそうな伝統がある。
「まちの生活風景が絵になるかたちでいまもいきている」ということが、函館での、ここ20年来の市民のまちづくりの基盤となるもののように思う。歴史的な街並み、坂道、港、函館山がつくりだす環境が、そこで生活するひとの日々の暮らしの舞台となる。身近な日常の生活風景が連続的につながり、まちの風景をかたちづくる。風景を通して、普通の市民がまちのありようや変化を感じとり、日常での反応からまちへの思いをめぐらす。そこでは、まちの風景の変貌は敏感に市民の日常生活での意識の変化につながる。本来まちにくらすとはそういうものであったはずである。日々のくらしとまちの風景が全く断ち切られている日本の都市。
風景をまもり、育てる仕組みに景観条例という制度がある。ある地域でこの景観条例が制定されると、全体の風景の中での調和が重視され、所有者個人の「建築自由」が建物の高さや形態、色彩などの面で制限される仕組みである。函館山麓の西部地区は、この景観条例が広い範囲の市街地にかけられているゾーンである。函館での景観条例は市民側が自分たちのまちの風景とくらしを守るものとして問題提起し、腰の重い行政のしりをたたき、生まれてきたものである。景観条例の問題にかぎらず、函館のまちづくりは市民のイニティシアティブによる、行政との関係も含め独特のスタイルと創造性をもつ、多様な運動である。
そのまちづくりの運動を担い手や目的により、分類すると3つぐらいに分けられる。ひとつは、函館のまち、市民という視点からまちづくりを考えていくシビック・グループの運動、ふたつめは特定の地区や身近な環境の視点からまちづくりを進めるコミュニティ・グループの運動、三つめが自分の好きなこと、興味あることからまちにかかわっていくというスタンスのインタレスト・グループの運動である。それぞれ、多彩なメンバーが多様な運動を行っており、個々にとりあげていけばきりがないが、その一部代表例を紹介してみよう。
シビック・グループの運動としては、景観条例への提言や独自の景観賞をつくって、70年代から函館の街並み運動に様々な提言や活動を行ってきた歴風会(函館の歴史的風土を守る会)や、歴風会ジュニアのような存在で、「こすり出し」というユニークな手法での街並み色彩研究が有名な元町倶楽部(「函館からトラスト」の生みの親でもある)、一番新顔がタウンウォッチングで景観診断を行う街づくり函館市民会議とその景観分科会である函館の観光を考える会である。これらのグループはそれぞれ単独でも多彩な活動を行っているが、メンバーが微妙に重なり合いながら、時代毎のテーマに即したプロジェクトチームのような運動体も造り出している。近年では92年のイカ・谷地・三郎論争(港のイカモニュメント建設論争、旧谷地頭小学校校舎保存運動、函館山北島三郎歌碑建設論争)がその代表例であるが、これらのグループはまちのウォッチドッグ(まちの番犬:まちの変貌やまちづくりに常に目を光らせ、何かある時はいち早く市民に情報発信したり、問題提起をおこなう)の活動を担っている存在といえよう。
二つ目のコミュニティグループは地域住民の身近な環境の視点からまちづくり活動を行っている。シビック・グループとも連携をとりながらの場合が多いが、その代表的な活動例は89年から91年にかけてのバブル経済期に函館西部地区をおそった高層マンション建設に対する反対運動がある。歴史的な街並みのなかに建てられようとした高層マンションはリゾート型や投機目的型のもので、景観を破壊するだけでなく、人が住まいないコミュニティも壊してしまうような性格のものであったため、元町地区や谷地頭地区の住民から建設反対運動が起こり、シビック・グループと共同でシンポジウムの開催やアピール、独自のアセスメントなど様々な運動が繰り広げた。市議会も動かし、マンション建設反対決議が採択させるまでになり、函館の歴史的景観の顔といえる聖ハリストス教会横マンション建設問題では、市民運動に加え、行政も全面にでてデベロッパーにあたるという、共同戦線型のまちを守る運動に展開していった。結果マンション建設はストップし、その後行政は矢継ぎ早に、景観条例を強化する施策を打ち出し、高層マンションによるバブル期の景観破壊は決定的なダメージを被る前に止められることになった。
その後はボランティアグループと一緒に町家のペンキ塗り替え運動に参加したり、住む元町地区の住環境を調べるワークショップなど専門家グループと共同で行っている。函館の元町地区のコミュニティ・グループにはまちづくりが話題になる井戸端会議が成立しているともいえよう。
自己表現として市民活動といえる函館のインタレスト・グループの活動も実に多彩である。88年から始まり、すっかり夏の人気イベントの定着した五稜郭を舞台にした市民創作野外劇の会、市電にかかわる運動では、チンチン電車を走らせよう会や函館都電倶楽部の運動、ローカル放送のFMいるかでのじろじろ大学・まちづくりの講座など。
これらの函館の市民運動や活動をみて思うことは、市民が都市を愛し、守り、創ろうとする意味で函館のまちは、市民の都市として世界に通じるところがあるということである。市民創作野外劇は、国指定の史跡である五稜郭を現代にとらえ直すという意味でで、ヨーロッパの古代遺跡での野外オペラにつながるものがあるし、車社会のなかでの市民の足として、風景として市電をとらえなおす活動も、市電が発達するヨーロッパの都市に通じるものがある。
わがまちを守り、創造する市民の力はどこからうまれるか。「市民」が都市を創ったいわれるヨーロッパのまちのように、日々の暮らしのなかでまちの風景を愛し、自ら働きかけることが、市民のまちをつくる力の源になっている例を函館のまちにみることができる。