時代の転換と小樽運河問題
小樽町並みゼミ95講演原稿
柳田良造
1 運河問題の背景−小樽の都市形成の歴史をどう捉えるか
都市の歴史を、集中−分散の循環、秩序−妥協−多様−選択−秩序といった周期の構造としてとらえる視点がある。この視点からみると、小樽の都市形成の歴史は約30年を単位とする周期としてとらえられる。
選択−1880(明治13年)手宮線開通により、開拓使本拠の外港として位置づけられる。
秩序−1910(明治43年)運河築造も始まり、港湾都市としての体裁が整い、その後の隆盛の基礎ができる。
妥協−1941(昭和16年)第2次世界大戦の勃発による戦時統制経済が施行され、小樽の都市経済は大打撃を被る。
多様−1873(昭和48年)オイルショック、小樽運河保存運動がはじまる。歴史、水辺、文化、観光等、多様な要素が小樽の新たな街の魅力として注目される。
選択− ? 新たな小樽の都市個性の位置づけ。2 多様な時代の幕開けとなった小樽運河保存運動
1)市民まちづくりの可能性
小樽運河に関わる市民運動は市民まちづくりの可能性を切り開いた。
・ポートフェスティバルや小樽運河研究講座などの環境学習型イベント
・計画への意義申し立てから市民自らの手による運河=水辺空間の都市における価値の再発見と提示
・市民主体のまちづくりの方法2)都市計画をめぐる行政機構、制度の問題
小樽運河をめぐる論争は日本の都市づくりの様々な制度、仕組みに問題点をなげかけた。
・参加の仕組みのない都市計画制度
・計画、事業変更の困難さ−長良川河口堰のケース
・手続き論、技術論に終始する都市空間の問題−都市論なき日本の都市デザイン
・水辺など置き去りにされていた都市空間の環境整備手法の問題3)都市の再生とはなにか
経済、社会、空間のトータルな視点からのまちの再生を提起
・経済=観光が突出する現在の小樽
・目標が見えなくなっている地域社会
・分断化、断片化する都市空間、環境3 いくつかの提案
1)運河に市民の集まれる場所を
2)市民まちづくりの拠点をつくる
3)閉鎖的な街から開かれた街へ
4)街並み整備、歴史的環境の再利用と街路整備を一体にアメニティの高い空間づくり
5)臨港線を地下に−市街地と港、水辺のつながりの回復
札幌の創生川では、道路を地下に潜らせ、都心部に水と緑のスペースを回復する構想