小樽歴まちデザインフォーラム

                        都市環境デザイン会議


柳田良造

フォーラムは2月4日夕方5時から、観光客でにぎあう堺町通り、有名な石造倉庫を再利用した北一硝子三号館内ホールで行われた。小樽、札幌からJUDI会員以外の参加も多く、100人を越す盛況であった。フォーラムはJUDI北海道ブロック幹事の矢島建氏の司会で、話題提供として仲谷正人氏(小樽市都市デザイン課長)のスライドレクチャー、小樽の都市デザインと街並み保存の現況で始まった。

1 小樽の都市デザインと歴史を生かしたまちづくりの現況
小樽での歴史を生かしたまちづくりを考える時、その出発点は小樽運河をめぐるまちづくり論争に始まる。運河論争はつらい厳しい論争であった。しかしそのまちづくり論争を通して、市民や行政の意識が変わり、運河の道路計画は昭和55年に一部都市計画変更を行った。運河を中心に周辺の環境整備も行ない、現在の姿になった。昭和58年には「小樽市歴史的建造物及び景観地区保存条例」を制定し、その後、バブル経済時の高層マンション問題を契機に、平成4年眺望景観なども対象にした「小樽の歴史と自然を生かしたまちづくり景観条例」に整備発展していった。
小樽の都市景観の特徴は空や山、海からの眺望景観と、歴史的環境の景観に代表される街並みや自然地域などの地区景観に分けられる。小樽運河周辺の歴史的景観は小樽の顔であるが、様々な変貌を経て現在にいたっている景観である。スライドで紹介するように、小樽の歴史的景観での建物のデザイン誘導や広告看板の問題は特徴をもつ事例が数多く見られる。歴史的建物のライトアップや街並みを舞台にしたフェスティバルやウォッチングなど、市民の街並みへの参加イベントも活発化している。
港湾地区での30haの大規模都市開発の取り組みなど新たな都市づくりのテーマもうまれてきている。
<6つの都市デザインの課題>
以上のまとめとして小樽での取り組みを通して6つの都市デザインの課題を考えた。
(1)景観を通したまちづくりを進める上での都市計画法など現行の法制度の問題
小樽での都市計画街路の拡幅問題と街並み保存、地区計画と景観条例の地区指定の関係など、景観からのまちづくりを進めていく上では地域毎の個別課題に対応した柔軟な制度が必要となる。しかし現行の全国一律の法制度の下では難しい面がある。
(2)事業者の街並み保存、デザイン誘導への理解
歴史的建造物の寒さや使い勝手などの機能面、特殊な建物での広告物と街並みの調和などは事業者にとっても切実な問題である。そういう場面で市民の共通の財産としての街並みという観点をどう理解してもらえるか。
(3)景観誘導への行政側の技術
窓口となる担当者レベルでの専門知識、デザイン誘導の客観性を獲得するための景観審議会やアドバイザー制度やCGによる景観シミュレーションの導入など、強制力をもたない景観誘導を進める上では行政側に高い専門的技術が必要となる点。
(4)景観形成での公共事業の役割の再認識
全体のまちづくりをリードする公共事業が都市景観に及ぼす影響を行政側はもっと認識すべき、時には公共事業が歴史的な街を壊す危険性もある。
(5)行政の中での調整
まちづくりを進めていく上での縦割り行政の中での調整をどう進めるか、市、道、国での調整をどう進めるか、行政内部に課題は多い。
(6)市民の理解と協力
まちづくり、景観整備を進める上で市民の理解と協力が欠かせないが、地域の問題を市民レベルで検討できるよう、情報をどう伝えていくのか。またまち全体のデザインを市民で考える機運をどうつくりあげていけるのか。

2 小樽の都市環境デザインをめぐる意見交換
その後代表幹事の加藤源氏をコーディネーターに、出席者による小樽の都市環境デザインをめぐる意見交換が行われた。途中7時からは懇親会形式になり、小樽新谷市長や千葉北海道まちづくり推進室長の挨拶なども通して、8時半まで熱心に議論が続いた。
<歴史的環境の保存における北海道都市の特徴−本州の歴史都市との比較で−>
●コーディネーター
歴史的都市での遺産の活かし方において、小樽のような近代以降の北海道の歴史都市と本州の長い歴史をもつ都市での取り組みにそれぞれどういう特徴、相違点、共通点があるのか、議論してみたい。
●水野一郎氏(北陸ブロック:金沢工業大学教授)
金沢の倉庫群の保存問題で小樽との情報交換が始まっているが、歴史的にも北前船の時代には、加賀商人や越中商人が小樽に来て石造倉庫群を建てたように、北陸地域は日本海を通じた北海道との深い交流の歴史がある。金沢は明治維新や戦災、高度成長期の産業変化など都市としての変動期に激変を被っていない、いわゆる「緩変都市」−ゆっくり変わってきた都市−で、そのため江戸、明治、大正、昭和といろいろな時代の層を重層的にもつ都市である。都市景観としても各時代の層で景観が構成されるというのが特色である。この金沢の特徴を保持していくためには、各時代の層の保存ということがテーマになるが、一方現代の層として歴史にたえられるものをこれからつくっていくことも重要で、その面から金沢の景観条例は近代的都市景観創出区域と歴史的景観保存の2本立てからなっている。小樽の場合、現況は保存に焦点が絞られているが、まちづくりにおいてはもう少し多様な視点も必要となるのではないか。
金沢のまちづくりにおいては、歴史的街並み保存への疑問も出されるなど現在市民から多様な議論がまきおこっている。小樽のように都市デザインを地域でうまく進める制度や仕組みを考えることも重要だが、答が出なくともまちづくりを市民で盛んに議論することも大切で、それは都市を活気づける原動力になると考えている。
●コーディネーター
保存とともに現代的価値の創出にも重点をおいた金沢からの報告は、保存に重点をおく小樽の方向とは、少し異なる視点での歴史都市でのまちづくりのあり方の問題提起であった。それに対し北海道内において、同じく歴史的遺産をいかしたまちづくりを進める函館の場合はどうか。
●斉藤氏(函館市都市景観課)
函館では、函館山山麓の西部地区の歴史的景観を守り、育てるために昭和63年4月に景観条例を制定した。その後平成元年から2年にかけてバブル経済によるマンション建設問題では条例の強化などに取り組み、効果をあげた。
現在歴史地区の指定歴史的建造物の維持、改修を行う上で、市民の力を景観づくりに活かす方法として、歴史的町並み基金制度(行政の5億拠出に、市民からの寄付金2億を加えることを目標)の充実が課題となっている。
●榊原和彦氏(関西ブロック:大阪産業大学教授)
京都では京都ホテルや京都駅の高層ビルの景観論争をはじめに、様々な歴史的遺産をめぐる論争がある。京都のような近世の都市遺産の場合、町家などの建物は器としてのスケールや産業活動、生活などの機能面で現代的価値に対し全く合わない場合が多い。いわば歴史と現代生活に空間の断絶があり、保存を訴える論理構築がなかなか難しい。一方小樽の場合のように近代の歴史的遺産は、現代的価値に対しスケールや生活面での乖離が小さく建物の再利用による保存再生が容易であるように思う。この面から小樽のような歴史的遺産の保存がうらやましく思える。またアメリカの歴史的環境での保存問題も近代の歴史的遺産という面では小樽と同様で、建物の保存再利用と歩行者専用路と駐車場のようなまちの基盤づくりが一体に行われて、地域の活性化の面でも大きな成果をあげている例を東部の小都市に数多くみることができる。
京都、奈良はその典型だが、歴史的都市は自然的な都市であると思う。小樽のような近代のまちでの自然の活かし方はどうなっているのか、うまくやっているように見えるが気がかりなところもある。自然と歴史をうまくいかしたまちづくりが重要だと思う。
<歴史的遺産の保存と公共事業−小樽運河問題から−>
●コーディネーター
小樽を語るうえで、避けて通れない問題、小樽運河の保存問題にテーマに移していきたい。歴史的遺産の保存活用と公共施設、主として道路などの公共事業の関係はどうあったらよいのか。小樽にとって運河問題の結論はこれでよかったのかどうか。公共事業との関係での調整の仕方はどうあるべきかなどを議論していきたい。
●土田旭氏(都市環境研究所)
小樽に来るのは四度目で、道路ができる前の小樽運河にも来たことがあるが、来る度に観光商業の活性化による変貌ぶりを強く感じる。小樽運河の保存に関しては、かつての運河の風景をそのまま残せば良かったのか、なにを保存しどう再開発すればよかったのか、今も答が出ていない。結果妥協の産物で運河が半分残り、道路ができたが、土木デザインとしてはあれでよかったのか疑問に思う。特に運河の水辺と遊歩道、町並み、道路との位置、関係には別なデザイン(道路を海側の倉庫前に通すような案)がありえたのではないかと思う。
歴史的都市の永遠の課題は現代的価値とどう関係をきり結ぶかである。現代と歴史の対立的調和のあり方は金沢やパリのような重層的構造をもつ都市で成立しているが、その場合現代的価値を評価する上で市民の美意識に高い水準が要求される。もう一方栄光の時代の歴史様式に凍結するのも方法論としてはありうる。その場合は栄光の時代の街並みデザイン分析を基に、分かりやすいデザイン・ガイドラインをつくり市民に示す必要がある。小樽の現状では歴史様式にデザイン誘導するときの規準が不明確なように思う。
●峰山富美さん(小樽運河を守る会二代目会長)
なぜ運河を残そうとしたのか、いつも考えてきた。古いから、珍しいからではない。小樽運河は小樽に住むものにとって掛けがえのないもの、住むものの原点であり、心の拠り所である。小樽の土を踏んだ大正13年から昭和にかけて港には船があふれ、小樽の全盛期であった。運河ははしけでびっしりと埋まり、日夜3000人の人々が働き、周辺には問屋街や金融街(ウォール街)も建ち並び、小樽の心臓部となっていた。
都市計画がこの小樽に住むものの原点をつぶして、道路をつくろうとするのには反対しようと、一主婦から60歳で運動を始めた。やっても、やっても行政に届かない声。反面教師としての行政に対抗するなかで、まちづくり論争はどんどんエスカレートしていった。また朽ち果て、ヘドロのたまった運河に否定的な市民の声。そのなかで10年近く頑張り続けたが、結果は道路ができ運河の巾は半分になり、生活感のない水辺が生まれた。
つらい結果になったが、しかし運河が半分失われることで、変わらなかった行政、市民の価値観が10年たって変わった。行政、市民の意識が変わったということが運動をやった大きな喜び。まちづくりは、市民はどんなまちを望むのか、市民はどんなまちにしたいのか、市民が強い意識をもつことが大切だと思う。
今の小樽は保存運動で考えていたまちづくりはひと味ちがっている。観光業者が入ってきて、小樽らしさが失われのではないかと心配する。運河はこのままでいいのか、という疑問もわく。500万の観光客が小樽に来て、何を見てどう考えているのか心配だ。第1次の運河問題はひとつの終わりを告げたが、第2次の運河を中心としたまちづくりをもう一度はじめたい。なぜまちづくりをするのか、それは市民にとってどういうことなのか、考えたい。地域に生きるということはまちの文化、歴史にどうかかわって生きていくかということだと思う。若者にどうまちにかかわって生きていけるかを伝えたい。
●コーディネーター
峰山さんの話に圧倒された。小樽の運河問題、運河を取り巻く議論はわが国の都市計画、まちづくりのパラダイム−関心の対象領域−を大きく変えていった原点のひとつであったと思う。
●岸井隆幸氏(日本大学講師)
運河論争当時、建設省にいたが直接かかわっていたわけではない。
一般論として歴史的なまちは優れたストックをもつが、長く衰退していたところが多い。街並み保存には地区の活性化が課題になる。そのため観光、交流をテーマにして人が集まってきて、金が落ちる仕組みをつくる地域経済の活性化の戦略が発想された。その手段として交流のインフラストラクチャーづくり、たとえば道路づくりなどが方法化された。運河の4車線道路もそういう交流のインフラストラクチャーとして考えられたものだと思う。お金をかけると一層の経済効果が予想される場合、道路づくりにも上積みして予算がかけられる。運河の道路の場合も工事費にはベラボーに金がかかったが、500万人もの観光客が来ているので十分投資効果はあったと思う。
小樽の歴史地区の18Mへの道路拡幅の問題は、インフラストラクチャーの問題ではなく歩道をどう整備するかというテーマだと思う。この場合は都市計画も融通がきく問題だ。歩道整備は観光客のためだけでなく、生活者にとっても重要だ。小樽は観光だけでなく、生活者にとってもいいまちづくりをめざしてほしい。そのためには一気に仕上げないで、ゆっくりと時間をかけてつっていくことや、建築家ではない一級建築士や土木エンジニアでない土木行政実務家など、まちづくりにかかわる一般の技術者のレベルでも、まちづくりへの共通の理解や情報交換の場をつくっていくことが大切だと思う。

3 おわりに
小樽運河問題の20年間は70年代から90年代にかけての20年間である。その時代日本社会のなかで何が変わって、北海道はどうであったか。戦後から現代へ移り変わるそのなか、小樽というまちは忘れられた歴史をたぐりよせることで一気に時代をかけのぼってきた。「開発」が叫ばれた70年代、皮肉なことに小樽は全く変わらないまちであった。「保存」がスローガンとなった80年代から90年代、まちとその風景の変貌は激しい。「保存」をテーマにした開発が小樽運河やその周辺地区で、早いスピードで進んでいる。こういう光景を前にすると70年代盛んに語られた「保存と開発の対立」は一体なにであったのかとも思う。
われわれは、日本の都市環境デザインについて、もっともっと語りあうべきであり、もっと議論すべきである。われわれの語り口はあまりに断片的ではないであろうか。いま時代との関わりのなかで社会、経済、生活、景観、計画の総体をとらえる評論としての都市環境デザインが求められているように思う。
とまれ今回の小樽歴街フォーラムは限られた時間のなかではあったが、建築学会、土木学会、都市計画学会などとは違う、やはり都市+環境+デザイン+会議の議論とはこういうものかと思う点はいくつか感じられた。街並み保存と土木デザインを一体に考える視点、都市空間の重層性と特定の時代意匠の対比による都市デザイン論、街並みのデザインガイドライン論、まちづくりにおける市民論議の意味、まちづくりにおける経済投資論、行政を含めたまちづくりの仕組み論など。
今後も都市環境デザイン会議において、新鮮な切り口でのまちづくりのデザイン論議がいろいろな現場で行われることを期待したい。