地域におけるまちづくりの仕組みに関する研究
              その1 まちづくりにおける市民運動と行政の関係   
                          1995 建築学会北海道支部論文




                     柳田良造

1.はじめに
 地域で多様な主体が働き、実際に問題解決できる仕組みをどう組み立てうるか、まちづくりの総合的な仕組みのあり方がいま問われている。従来のように、一元的に行政側が必要な情報をコントロールする仕組みでは、有効に地域の問題に対処できない状況が生じてきている。本論分では、地域で有効に機能するまちづくりの仕組みとは、どのようなものか、その条件、課題を分析する。その1では、まちづくり過程での市民と行政の関係をモデル化し、パートナーシップという視点から地域で機能するまちづくり仕組みをさぐる。
2.まちづくりの過程での市民と行政の関係
 まちづくりを地域における多様な主体(市民、行政、企業、専門家、マスコミ等)による地域の環境、生活、産業への働きかけと捉えた場合、地域の主体である市民と、地域マネージメントを市民から「信託」されている行政の関係が、まちづくりの仕組みを考える基本的な視点となろう。まちづくりにおける市民と行政の関係をそれぞれの側からの働きかけの強度、性格、市民の参加の程度により、5つのタイプに分類する。(表1)
1)パワー行政型(市民異議申し立て型)
 行政側の権威主義、情報不足、判断ミス、切迫したスケジュールなどにより、硬直化した姿勢、秘守主義により、審議等がほとんど一方的で、実質非参加の状態で計画づくりや事業が施行される場合。内容が市民生活に直接影響する場合などには、市民側の異議申し立て、反対運動が生じる。情報の入手が遅れ、後手に回る市民側の運動も多い。建て前論に終始する行政側と論点がかみ合わない場合も多く、感情的対立が生じることもある。
2)行政主導型
 委員会などを通じた行政側の説明、公聴会や審議会などでの審議をとうして、名目的な参加の状態で構想や事業が施行される場合。地区協議会などを通して、関係する住民がより深く参加する場合もある。市民側はある程度関心をもって見守り、疑問や提案がなげかけられる場合もある。問題が社会化した場合には、行政主導の特別の委員会が開かれるが、市民側との直接の討論の場は少なく、専門の委員で討議され結論が発表される場合が多い。
3)共同戦線型
 行政側と市民側に、共通の目標の設定があったり、危機意識の共有などがあり、共同で行動し、目標達成に向けて取り組む。実質的な参加の状態であり、市民パワーが事業の主体の一部を担う。行政側、市民側に役割分担があり、それぞれが柔軟かつ創造的に活動することにより、成果をより大きくすることができる。また両者をつなぐコーディネーターの役割も大きい。目標達成後は基本的に関係は自然消滅するが、持続的な関係をつくる仕組みに発展する場合もある。
4)市民独自型
 市民側の環境との応答のなかでの自己実現をめざし、市民が主体になる参加活動。行政機構や市場原理に乗らない、重要な社会的な課題と解決糸口を先見的に問題提起し、事業展開する場合もある。市民パワーにまで力をつけられるかどうか、難しい問題も多い。自由な発想、創造的な行為にその力の源をもつが、発想や行動がルーティーン化して、活力が生まれない場合も多い。活動の財政基盤も弱く、その確立も大きな課題。市民側の社会的働きかけの強度によっては、見守る行政側からのオブザーバーとして参加もある。
5)市民エゴイズム型(行政干渉型)
 環境との係わりのなか、市民側の情報不足や極端なエゴイズム、行政側の権威主義や説明能力不足により、市民側がエゴイズムに陥り、非参加の状態で事業や計画に障害や摩擦が生じる。市民側からは、行政に不当に干渉され、活動や権利を制限されていると受けとめる場合が多い。行政側はわがままな市民に手を焼くという印象が強い。参加のマイナス面の強調につながる場合がある。
3.まちづくりの過程での市民と行政の関係のあり方
ここでは、有効に機能するまちづくり過程での市民、行政の関係について論究したい。
ここでの結論として、なんらかの市民、行政のパートナーシップが成り立つことが、地域でまちづくりシステムが機能する条件となる。
1市民まちづくりの構造
ここではまず、市民まちづくりをふたつの視点から考えみたい。一つは、<パートナーシップと対抗的相補性>の視点、もう一つは<住民自治と市民パワー>の視点である。そして最後にこれらの視点から見た市民まちづくりと都市計画の制度の問題点、課題を整理する。
パートナーシップと対抗的相補性
市民まちづくりは、市民自身の行動によるまちづくり活動ではあるが、単独で完結する場合は少なく、地域においては行政をはじめとする諸力とのパートナーシップによるまちづくり過程である。
そのパートナーシップのモデルは制度化された仕組みとしてあるのではなく、まちづくりの運動過程からうまれる機能的で、エモーショナルな脱制度的な関係としてとらえられる。
まちづくりの運動過程での諸力のぶつかりあいから、市民まちづくりにおいて、最も重要な要素である地域エネルギーがうまれてくる。
まちづくりの運動過程のなかで、行政を含めた諸制度が状況的に変質する構造こそ、市民まちづくりといえよう。
市民まちづくりは<状況的パートナーシップによるまちづくり過程>、<脱制度的関係>、<制度の状況的変質>、<地域エネルギー>のようなキーイメージで語られる。
この市民まちづくりの動的な過程を、筆者もかかわっている函館のまちづくり過程をケースにとりあげ、考えてみたい。バブル経済は、京都をはじめとする伝統的な都市の歴史的環境に大きな爪痕を残した。函館も例外ではなかったが、そのなかで函館の市民まちづくりは、まちづくりの山場では「市民運動、行政等の連携したまちづくり運動によって、まち歴史的環境を最悪の破壊から防いだ」ことに機能した。問題提起としては市民側が「まちの身近な環境を再発見することから、まちづくりへの視点と戦略を考え出した」ことに始まり、特色がある。
この函館のまちづくり過程で成立した市民活動、行政、その他の諸勢力の状況的パートナーシップをモデル化したのが表1である。パートナーシップはもともと制度としてつられていたのではない。
具体例を出してみると<4から3へ>という市民独自型からパートナーシップへのモデルは、歴史的景観条例の制定のケースにみることができる。当初市民側からの問題提起にはじまり、次に運動をサポートする専門家が参加した。その後行政側が制度として実現する過程で直面したバブル経済の高層マンションによる景観破壊問題に対して、市民側も一層の支援や活動を行い、行政側も従来の枠をこえた取り組みを行うことにより、市民運動、議会、行政が一致して共同戦線をはり、共通の目標に向かって活動を展開するというパフォーマンス型のパートナーシップ状態が、一時的にうまれた。
次に<5から3へ>の行政干渉型からパートナーシップへのモデルは、民間所有の歴史的建造物の解体危機において、行政側と所有者のエゴによる深刻な対立紛争に、市民運動がまちのWatch dogとして加わることにより、問題をより社会化した地平で考えるという場をつくる状況でもパフォーマンス的に機能した。
これらのパートナーシップのきっかけは市民運動側にあったが、一連の過程は行政側の学習機会ともなった。その後のまちづくり過程では、市民側の反対運動への事後処理ではあるが、公共事業で複数代案の検討や市民提案の要請とそれに基づく計画変更など<1から3へ>、市民側の得意な分野では行政側からの参加への土俵つくりの動き<2から3へ>など、行政側が自ら変わることによりパートナーシップがうまれる過程が生じた。
パートナーシップによって、行政側が状況的に変化する過程をみたが、同時に市民側の学習効果も大きい。
しかしこの市民と行政のパートナーシップはあくまで非日常的状況である。関係の多くは反対運動の当事者同士であったり、批判の対象であったりと摩擦が多い。また市民側は、街並み色彩研究や、まちづくり公益信託の制定など独自で自由な活動を行うことが本来のパターンである。多様なエネルギーがぶつかり時にはスパークして再生産されていく過程こそ市民まちづくりにふさわしいのかもしれない。
4.市民、行政パートナーシップの構造
パートナーシップの構造として、制度として確立された関係と、まちづくり過程の中で生まれる非制度的関係がある。

1)制度としての関係
2)まちづくり過程の中で生まれる非制度的関係
市民参加のまちづくりの目標としては、表1での3共同戦線型をひとつのゴールとして、その制度化や機能する仕組みが模索される。しかし市民まちづくりの目標としては、パートナーシップ型をゴールとしてとらえるだけではなく、ダイナミックな運動構造の中で生まれる過程としてとらえられる必要があるように思う。その具体をここでは筆者もかかわっている函館をケースにとりあげ、解説してみたい。函館の場合、市民行政のまちづくりパートーナーシップの仕組みは制度としてつくられてはいない。しかし、ここ十年来のまちのシンボルである歴史的環境の保存・再生のまちづくり過程では、市民、行政のまちづくりパートナーシップと呼んでもよいような関係も含め、多様な関係をつくりだしてきている。
その関係をモデル化したのが、表2である。
<4から3へ>
市民独自型からパートナーシップへのモデルは、歴史的景観条例の制定とその施行過程でのバブル経済による高層マンション問題による景観破壊問題に対するまちづくり過程にみることができる。市民運動、議会、行政が一致して共同戦線をはり、共通の目標に向かって活動を展開するという状況が生まれた。
もちろん、4から3へ向かわずに、4の段階でとどまっている場合もおおい。
<5から3へ>市民運動、議会、行政が一致して共同戦線をはり、共通の目標に向かって活動を展開するという状況が生まれた。

<1から3へ>
<2から3へ>
もっとも最近生まれてきているモデルである。

市民側からの問題提起に始まり、パートナーシップへと移行したモデルは歴史的景観条例の制定とその施行過程でのバブル経済による高層マンション問題による景観破壊問題に対するまちづくり過程にみることができる。そのまちづくり過程は、当初市民側からの問題提起にはじまり、次に運動をサポートする専門家が参加し、理論蓄積や実験的試みがうまれた。次に制度として実現する過程で、市民側は蓄積を生かしサポートする側にまわり、その後行政側が大きな政策困難に直面した過程では、市民側の一層の支援や活動、行政側も従来の枠をこえた取り組みにより、共同して課題に取り組むというパフォーマンス型のパートナーシップ状態が、一時的にうまれた。
そういうパフォーマンス型のパートナーシップは、民間所有の歴史的建造物の解体問題では、行政側と所有者のエゴによる深刻な対立紛争に、市民運動がまちのWatch dogとして加わることにより、問題をより社会化した地平で考えるという場をつくる状況でも機能した。
これらのパートナーシップのきっかけは市民運動側にあったが、一連の過程は行政側の学習機会ともなり、その後市民側の反対運動への事後処理ではあるが、公共事業で複数代案の検討や市民提案の要請とそれに基づく計画変更など、市民側の得意な分野では、行政側からの参加への土俵つくりの動きもうまれつつある。
函館のまちづくり過程は、市民と行政の関係は反対運動の当事者同士になることもあるし、またあるときは連携プレーで問題のあたることもある。その場その場の状況で、多様な行政と市民運動の関係をつくり出しているともいえる。制度化しないなかで、紛争も含め、自力エネルギーを発生させながら、創造的なまちづくり過程をつくりだしているともいえよう。
対抗的相補性
まちづくり過程における市民活動と行政との対応関係は社会学者奥田道大等のいう「対抗的相補性」という視点でとらえることができよう。その関係は反対運動のように、一方的に「対抗性」ということでもなければ、町内会のような一方的に「相補性」ということでもなく、互い矛盾する「対抗性」と「相補性」の両犠牲をもつ。
92年都市計画法改正と市民まちづくり
市民まちづくりと都市計画の制度を考えるとき、92年の都市計画法の改正を念頭に入れておく必要があろう。
今回の法改正では、いろいろな問題点はあるにせよ、地域の計画は地域で考えるという理念が市町村マスタープランとして日本の都市計画制度のなかに初めて導入された。市町村マスタープランの主たるねらいは、既成市街地での住環境の整備であり、そのためには地区レベルでの望ましい都市像の共有と、既得権を含め個別利害の調整とが大きな課題となる。個別の利害が絡むだけに計画づくりには当然、住民参加が前提となるが、行政の調整能力を超える問題には、地域の住民自らが調整を行う、いわば住民自治的な視点も必要となる可能性がある。従来日本の都市計画制度においては建て前上はともかく、実質上市民参加、住民参加がなくて、都市計画が全く機能しないという状況は少なかったといえよう。法改正に伴い、形式面ではなく、実質面から、参加の必要性の状況が変わる可能性が生まれたといえよう。
市民コントロールの段階
住民参加=住民には計画についての決定権がない。
住民自治=意志決定の主体が住民にある。住民の利害が相対立することを前提に、それを調整する。自治体の行政担当者が行うのではなく、住民みずから行う。
このふたつの間には決定的な差がある。
<行政、制度>
函館の行政はとくに物わかりの良い、開明的な行政ではない。一般的な行政であるように思う。市民参加も特に制度化されたものにはなっていない。しかしひとつポイントをあげるならば、そとからの批判や提言に対し、よくあるように「よそもの」扱いし、拒絶する姿勢が少ない点が特徴的であるように思う。日本の役所は極端に批判をきらい防御的になる傾向があるが、函館の場合、打たれ強いというべきか、批判にはある程度免疫性があるように思う。身を固めて拒絶するのではなく、受け入れられるものは、正面から受けとめる力があるように思う。
<市民と環境認識>
環境との関係で、身近な環境レベルで街の特質が感じられ、それがつながって街全体の個性になっている構造がわかりやすく理解できる環境の組立が重要である。そういう環境構造があるときには、街全体に危機が迫ったときや、街を新たに変えていくとき、日常の身近な環境から市民がその問題を認識到達することができる。
市民がまちづくりに立ち上がる時には、自分とその身近な環境、それが全体につながる構造のなかで物語を描くものである。
6.まとめ
それゆえパートーナーシップ型は制度、仕組みとしての完成型ではなく、本来パフォーマンスとしてのパートナーシップ(共同戦線)ではないのか。函館での市民主体のまちづくり運動はその事例を示している。