函館からトラスト事務局とは何か
(1)活動の目標
横浜、長崎と並び江戸幕末期に開港場として開かれ、まちづくりの歴史が国際化の歴史でもあった街、函館。いまもピンクや緑、ブルーのペンキを塗った木造下見板建築の町家が数多く建ち並ぶ函館元町で、1993(平成5年)7月市民の力で生まれた新しいまちづくりの仕組み「公益信託函館色彩まちづくり基金」がスタートした。
「公益信託函館色彩まちづくり基金」は、愛称を「函館からトラスト」といい、市民グループ「元町倶楽部」が自ら財産を提供し、公益信託という制度を活用して、もともと市民のまちづくり運動が盛んな地域で、より自主的で、創造的なまちづくり活動が持続的に展開できるよう、市民が市民を支援する仕組みをつくりだそうというものである。市民が主体で設定されたまちづくり公益信託としては全国でもはじめての試みである。
函館山の麓、西部地区といわれる元町界隈の歴史的町並みと港の伸びやかな風景の街で、市民の新しいまちづくりの仕組みをどうように地域に定着させていくのか、また新たな転機をむかえつつある函館のまちづくりの動きに公益信託としてどのようにかかわっていくのか、まちづくり公益信託でなにができるのか、まちづくりの実験ともいえる興味深いテーマをもっている。
こういうテーマに対し、函館色彩まちづくり基金は公益信託としては新たな試みである常設の運営事務局を設置(函館からトラスト事務局)している。本活動研究は、この函館からトラスト事務局の活動を通して、函館においてまちづくり公益信託というまちづくりの仕組みがどうように地域に定着していくのかその方法論をさぐり、市民まちづくり活動の新たな地平を開拓することにある。
そのテーマは5つほどある。
●公益信託の創造的な運営体制とはなにか、そのなかでの事務局の役割はなにか
●助成団体の活動をどのように支援し、活性化させうるか
●地域におけるまちづくり公益信託をどうやってひろく認識してもらうか
●地域におけるまちづくり公益信託はなにをめざすべきか
●地域におけるこれからのまちづくりの方法とは(2) 活動の方法
1994(平成6年)は函館色彩まちづくり基金と函館からトラスト事務局の実質的な活動第1年目であった。具体的な活動は上記のテーマについて、いくつかの仮説を設定し、その試みを検証するという方法で活動を行った。具体的な内容について以下に記す。
1)公益信託の創造的な運営体制と事務局の役割
公益信託の創造的な運営と事務局の役割については、以下の点が重要であるという論究がある*1)。・開かれた運営方法
・カタリスト(触媒)としての事務局
・機動的な運営・助成
・トータルなまちづくりの仕組みの中でいきるまちづくり公益信託1)−1開かれた運営方法について
開かれた運営方法は函館の場合も、何らかの公開と参加の手段が公益信託を市民に広めるとともに、活動の活性化の基礎となるのに重要な要素であると考えてきた。世田谷まちづくりファンドのように運営委員会の公開審査方式も検討したが、いきなり公開方式でいく自信がないとの意見が多く、運営委員会は非公開になった。検討結果、函館なりの開かれた運営方法をとろうということになった。1)−2カタリスト(触媒)としての事務局
公益信託は本来、奨学金の基金などの受け皿として考案されたところがるあので、助成対象へのアドバイスやフォローなど事務局的な支援活動は考えていなかった。ところが、まちづくりを対象にした公益信託では、助成活動も資金を提供するだけでは十分ではなくて、まちづくり活動への具体的な支援、情報提供やネットワークづくりが必要となってくる。事務局が人、組織、活動、情報のカタリスト(触媒)となって、様々な作用を活性化することが求められるわけである。1)ー3機動的な運営
基金は基本財産は限られた原資からなり、助成活動にたいし十分ではない場合も多いさらに運用益も公定歩合に比例して変化し、予定していた資金が確保できないこともあるうる。そういう財政的に工夫が必要な点をどうクリアーして、機動的な運営を行いうるか。信託銀行と事務局の連携による財政運営が必要となる。函館の場合、基本財産は2000万円と小さく、特にこの財政運営は当初から難しい問題のひとつであった。1)ー4トータルなまちづくりの仕組みの中でいきるまちづくり公益信託
まちづくり公益信託は、事務局や市民のまちづくりネットワークや市民支援型の行政など、助成を最大限いかすトータルなまちづくりの仕組みが地域にあって、はじめて有効に機能する。
函館での、公益信託の助成額は一件あたり10万円から23万円である。大きな額の助成金はできないが、いままで述べてきたように活動を様々に応援する仕組みやネットワークをつくることによって、十分に市民まちづくりの展開としてもりあげていけると考えた。2)活動の方針
以上の分析をふまえ、函館からトラストの初年度の活動方針として次のような点を設定した。2)ー1函館色彩まちづくり基金運営方法での方針
●函館方式の開かれた運営方法とは、運営委員会の審査内容の詳細な発表(ニュース「から」で報告)、年2回の助成活動公開報告会の開催、基金活動の定期的なニュース「から」等による情報提供、の3つを基本とする。
●事務局の仕事としては、助成活動の事務、基金のニュースレターによる情報交流、報告会の開催、成果の発表、募金活動のプロモート、などを活動内容とする。
●ある程度成果の見える助成金を捻出するため、設立初年度の募金を重点目標とする。2)ー2函館からトラスト事務局自主事業の方針
函館方式のまちづくり公益信託とからトラスト事務局のイメージをつくるために、積極的に自主事業を展開する。具体的に、以下の2点を活動方針とする。
●基金を活用したまちづくり活動のモデルとして、ワークショップの手法を駆使し、住環境整備と歴史的町並み保存両立の課題を明らかにする。
●町並み色彩研究をつうじて広がった様々な地域との交流(海外も含め)の輪を広げていく。(3) まちづくり公益信託における函館独自の運営体制の可能性
まちづくり公益信託は、基金の運用益を市民グループへ助成してまちづくり活動を支援する仕組みである。その場合専従の事務局はつくらずに、最小限の事務局的な活動を信託銀行が限られた経費のなかで行い、その分基金の運用益はできるだけ多く助成活動などの直接的な経費にあてようという発想である。すくない原資を有効に活用できる点や組織運営の面倒な面はなくなるが、反面きめ細かな活動支援や、募金活動により基金をふくらましていくような積極的かつ主体的な基金運営などはむづかしいとされている。
基金の管理・運用を行うのは信託銀行、助成先の選考を行うのは運営委員会との役割と最小限の役割はは決められているが、主役の機能を色々な面で支えていく脇役や、何よりも演技陣のディレクションを行い、当初の依託者(当初基金を拠出した者)の意志を発展させていくプロデューサーの役割が存在しないと言われるゆえんである。
函館色彩まちづくり基金では、基金の活動を支援する事務局を基金の仕組みのなかに明確に位置づけした。従来の2核型から図で示すように、信託銀行、運営委員会、基金事務局(函館からトラスト事務局)の3つがタッグを組む3核型のスタイルをつくりだした。1994(平成6年)の活動での函館からトラスト事務局の成果と課題は次の4つにまとめられる。
1)基金全体の活動の活性化と円滑化
第1回の助成として函館色彩まちづくり基金の助成活動は平成6年2月の運営委員会で、8件の応募のなかから4団体、総額70万円が選ばれた。
70万が4団体に贈られたわけであるが、最終報告にみるその活動内容は、それぞれの活動団体の決算はそれぞれ赤字、かなりの持ち出しもあったのではないかと推察されるほど充実したものである。いわば各助成活動グループがのった状態で、あるいはのせられた状態で活動を展開したといえる。そののせた原因はなにか。いくつかあげらるが、主要ポイントは以下の点である。
・中間報告会、最終報告会、3ヶ月毎の活動記録の提出など、助成活動をうまいタイミングで誘導、リードする材料となった。
・報告会は活動グループが他の活動を知る機会となり、それぞれの活動グループの刺激や活動方法を学習する機会につながった。
・基金がマスコミにとりあげられることが多く、助成活動が社会的に注目されるものであることを感じさせた。事務局が発行するニュースペーパー「から」もそういう役割のなかで、社会化、情報交換などの役割で貢献した。
・基金事務局が中間報告会、最終報告会、3ヶ月毎の活動記録の提出などを行うことにより、円滑な活動助成が進んだ。2)市民のまちづくり活動の幅の広がりとネットワーク化
基金事務局は函館からトラスト事務局という市民グループから構成される。しかし市民グループではあるが、従来から函館の様々なまちづくりにかかわってきた専門家、市民活動家、行政マンなどがすべて市民ボランティアとしての立場あるいは、新たなまちづくり市民活動の一貫としてかかわっている。従来ある目的(たとえば、歴史的建造物や歴史的景観の保全運動にかかわってきた)の市民活動を行うことでまちへのかかわりやこだわりを示してきたメンバーが、他のまちづくり活動を行う市民グループを支援することで、いわば間接的にまちづくりを行うなかで、従来見えなかった視点からまちづくりを見始めた。
市民がまちづくりやそれに関わる主体を相対化してみる契機になった。市民グループがより幅広くまちづくりを捉え直し、方向を打ち出すことにつながる可能性が生まれたといえよう。将来的には市民活動がまちの全体や動き、将来を見みながら戦略的にまちづくり活動を行うことにつながっていく方向性がある。
これらをまとめると以下の点に要約できる。
・市民活動の横のつながりとネットワーク化
・まちづくり活動への市民側の視点の変化−市民まちづくりを相対化する目3)基金の規模拡大の可能性を拓く
函館色彩まちづくり基金の規模は2000万円であるので、その運用益は小さい。基金設定の段階では最初の数年は基金の一部をとりくずし、ある程度まとまった活動の助成を行い、まちづくり活動への実際の影響やアピール力をねらう戦術も考えられたが、監督官庁の許可の段階で、その方法が難しいとなった。そこで募金を中心に助成活動への額を増やす戦略が考えられており、その募金活動をになっているのは函館からトラスト事務局とそれを支援する市民グループである。第1回の活動助成金の総額は70万円であったが、初年度は運用益金が小さく、その分を補うかたちで募金活動によって集められた資金で、活動助成金が支出された。
チャリティコンサート、チャリティ茶話会など基金拡大の活動(Fund Raising)がからトラスト事務局を核に行われた。しかしまだ基金拡大の活動は大きなもりあがりをみせるまでにはいたってないが、函館なりの募金活動のスタイルをつくりだしつつある。今後、公益信託として助成を含めた活動を活発化させていくには、恒常的な基金拡大の仕組みづくりが最も重要な課題となる。
これらをまとめると以下の点に要約できる。
・募金活動で集められた資金で助成
・各種チャリティによる基金拡大の活動(Fund Raising)
・函館なりの募金活動のスタイルをつくりだしつつある
・基金拡大の活動(Fund Raising)は今後の最も大きなテーマ4)運営事務局のボランティアとしての限界
活動の実質1年目として、上記のような様々な成果をあげつつあるが、函館からトラスト事務局にも課題は多い。ひとつはニュースの発行など、様々な費用がかかるが、現時点ではH&C財団からの助成金でまかなっている。今後自主財源をどうやって恒常的に確保していくか、大きな課題である。二つめの課題は事務局が札幌と函館にわかれているため、会議など限られた時にしかできなくてなかなか意志疎通をとることが難しい面である。このことに関しては一方、対銀行(信託銀行は札幌に支店がある)や対道庁(監督官庁)などの面での好都合な面や、札幌は専門家的なチーム、函館は住民サイドのチームということでうまく役割分担をはかって、全体として活動が大きく活発化している側面も指摘できる。札幌はニュースの発行などにおいて専門的な技術やノウハウをもったスタッフや拠点が存在している。函館にそういうスタッフや拠点を確保することも今後は必要となろう。いずれにせよ札幌、函館の2拠点体制を今後もうまく続けていけるか課題はある。三つめの課題は事務局活動メンバーになかなか新しいメンバーが増えていかないこと。札幌、函館いずれも以前から元町倶楽部に関わってきたメンバー(つまりは委託者に関わるグループ)が中心であり、固定化しつつある。今後は基金が助成したグループなどからも運営事務局にも参加するメンバーをふやしていく必要がある。
課題をまとめると以下の点に要約できる。
・運営事務局の自主財源をどうやって恒常的に確保していくか。
・専門家チームと住民チームにわかれている事務局メンバーの意志疎通、融合をどうやって確保していくか。
・事務局活動に新しいメンバーをどうやって確保していくか。(4)ワークショップの手法による住環境整備と歴史的町並み保存両立の課題に向けたまちづくり活動
基金助成団体は、興味深いまちづくり活動を函館市西部地区を中心に活動したが、それぞれの活動は町並み保存型の活動が多かった。函館からトラスト事務局では、西部地区のまちづくりは町並み保存と連携し住環境づくりの活動が必要と考えていた。この発想はすでに10年前くらいから言われてきたことだが、町並み保存の方が緊急性が高く、また観光面など経済効果も大きいため、住環境の整備の問題はなかなか手がつけられずにいた。
基金を活用したまちづくり活動のモデルとして、まちづくりを地域住民と一緒になって考えるワークショップの手法を駆使し、住環境整備と歴史的町並み保存両立の課題を明らかにするプロジェクトを行った。
函館からトラストが活動の対象地区にしている函館市西部地区は、函館山の麓、港を望む地区であり、近年歴史的環境の再生による街並み観光などで全国的に注目を集めている場所である。この地区は幕末期に開港場として拓かれた函館の歴史がはじまった地区であり、戦前までは函館で最も活気のあった商業中心でもあった。戦後も港関連の業務や造船所に働く住民からなる独特のコミュニティをつくりだしていたが、70年代以降、函館都心の移動、造船や港湾機能低下などから地区人口の流失が急速に進んだ。80年代以降歴史的環境をいかして質の高い観光スポットが地区内に形成されてきているが、戦前からの住宅地としての地区機能は人口の流失、高齢化により、下水の未整備、建物の老朽化など住環境として都市問題をかかえる地区となっている。その中で指定歴史的建造物以外の多くの歴史的な民家が空き屋や老朽化により、放置され、解体消滅の危機にある。またバブル経済期の88年〜91年には景観問題などを引き起こす高層マンション問題におそわれた地区である。
地区として歴史的街並み保存とのリンクを考えながら、住み続けられる環境をどうつくりあげていけるか、難しい都市課題をかかえる地区である。この都市的課題に対しては、以下のような研究がなされてきている。
*「昭和58年度住宅建設事業調査報告書−西部地区住環境整備調査−」
昭和59年函館市・柳田石塚建築計画事務所
*「歴史的景観に配慮したまちづくりに関する研究ーその2 函館西部地区の住環境について」
平成7年道立寒地住宅都市研究所
今回おこなったワークショップの手法による住環境整備と歴史的町並み保存両立の課題に向けたまちづくり活動は、上記の西部地区のまちづくり課題を元町エリアの住民から発想し、将来的には行政施策に反映させていく第一歩として実践的に考えていく方法論をさぐろうとしたものである。
ワークショップは北大足達研究室と合同で、1994(平成6年)12月10日と1995(平成7年)1月25日の2回行った。参加者は2回とも10名で、地区住民と地区居住者以外の函館市民が参加した。
内容のくわしい報告は別紙資料「住民参加型住環境計画と参加者意識の研究−函館市元町を事例として−」佐藤邦昭他・日本建築学会北海道支部研究報告集No68(1995年3月)を参照していただくとして、ここではこのまちづくり活動から得られた知見と課題をまとめておきたい。1)ワークショップで住民が示した元町地区の住環境の特徴
1)−1元町の好きなところ
周辺環境、町並み景観の良さと人間関係の良さがあげられた。周辺環境、町並み景観の良さとしては歴史的建物はもちろん、坂道から海・函館山を見たときの景観、住宅地としての静けさを挙げる人が多かった。人間関係の良さとしては長年住んでいるため友達が多いことや近所づきあいが活発なことなど伝統的住宅地ならではの成熟したコミュニティが感じられた。
[カード選びゲームであげられた結果]
<人間関係>
・人情味がある・友達がたくさんがいる
<町並み景観>
・古い町並みや建物がある
・坂道からの景色がよい
<周辺環境>
・静かである・病院が近い・住み慣れた環境である・買い物に便利1)−2元町の困っているところ
困って点として最も多くあげられたのが高層マンションによる景観問題と冬の坂道の危険であった。この地区の住民はバブル期に、マンション建設反対運動を起こし、建設を中止させるなど地域の環境を守る意志は強い。また高齢者が多く在住していることから冬の坂道は深刻な問題であり、「坂道に手すりがほしい」、「車道だけでなく歩道もロードヒーティングにすべきだ」といった声が聞かれた。またカードでは選択されることはすくなかったが、大きな問題として議論されたのが観光についてであった。ゴミ、騒音、路上駐車といった観光客のマナーの悪さについて多くの指摘がなされたであった。今後の観光のあり方として「短時間で観光施設を見てまわるだけの団体ツアーの観光よりも元町の人間関係の良さをいかした地域住民とのふれあいで成立する観光」を求める声が多かった。
[カード選びゲームであげられた結果]
<町並み景観>
・マンションが景観を台無しにしている
<道路・交通>
・冬の坂道が危険・駐車場がない、足りない・坂道の上り・下りがたいへんだ
<住宅>
・家が古い・家が寒い・日当たりが悪い
<周辺環境>
・観光客でうるさい・路上駐車がじゃまだ・除雪スペースが足りない1)−3将来はこんなまちにしたい・こんなまちになってしまう
こんなまちにしたいという面では、好きなところで挙げられた現在元町が持っている良い面をそのまま残し、他のまちでは見られない独自性を生かしたいという意見が多かった。逆に何も努力しないとこんなまちになってしまうという方では、残したい独自性を失うことへの危惧が大きい。この危惧は全く兆候がないわけではなく、地区の人口減少・高齢化、マンション建設、水辺の疎遠化などすこしづつ見え始めている。
[カード選びゲームであげられた結果]
<こんなまちにしたい>
・人と人のふれあいを大事にしたまち
・静かで落ちつきのあるまち
・山と海の自然を大事にしたまち
・観光地として盛んで活気あるまち
・独自性をいかしたまち
・歴史資源をいかしたまち・美しい町並みのまち
・生活に便利なまち
<こんなまちになってしまう>
・人と人のふれあいがだんだん失われていく
・観光化が進み住みづらくなる
・マンション等の高い建物が建ち景観が乱れる
・活気がなくなる
・古い建物がなくなっていく
・港の水辺が市民の生活と無縁のものとなる
・若い人がだんだんすくなくなる
・作られたまちになる・他のまちと変わらなくなる1)−4模型シミュレーション
ワークショップの対象とした元町31番地の現況模型と将来目標のスタディ模型を用意し、両者を比較しながら話し合った。
裏宅地の住環境を改善していく際、元町31番地の場合は空地が多いため、東京などで盛んに行われている共同建て替えを行うより、まずは空地補填型で現在ある空き地に低層の集合住宅や小公園を建設していく方が適しているのではないかという意見が多かった。この際、住宅は元町の人間関係を維持するためにも住んでいる人の顔のわかるコーポラティブ住宅を評価する意見が多かった。2)ワークショップの考察と元町地区でのこれからのまちづくりの課題
2)−1参加者のワークショップへの意識
ヒヤリングから、以下のような指摘が聞かれ、地域との交流という面でも成果を挙げ得たと思う。
・カードゲームを通して、今まで漠然としていた元町の良さ、悪さについて自分なりに整理することができた。
・これからの元町の将来について話し合うべき問題がしぼられてきた。
・ここに住んでまだ4、5年しか経っていないので、隣近所と知り合う面でも良かった。
・お年寄りとのコミュニケーションがとれた。2)−2これからのまちづくりの課題
・住民だけの力でまちをかえていくことは難しいが、このような小さな集まりから活動していくことによって何かできるのではないか。
・普段から身近なことについて話し合い、協力できる体制を整えておくことが重要だと思った。
・このようなひとつひとつの住民の努力があってこそ、まちづくりの将来もみえてくるのではないか。
・このような集まりは積み重ねていくことが重要であって、今回浮き彫りになった問題点についても話し合いたいので、ぜひこれからも続けたい。
など、ワークショップの試みに積極的に評価する声が多かった。従来住民のまちづくりというと、なにか課題や反対目標が生まれ、やむにやまれず立ち上がるというタイプの運動が多かったが、こういう自主的にまちづくりのテーマを設定して住民が自ら考えていく活動は、これからの住民主体のまちづくりにとって重要な点であろう。その意味で函館の新しいまちづくりの動きへの萌芽という意味で、ワークショップでの試みは評価できよう。このワークショップを行った元町31地区の活動は、1995(平成7年)の基金の活動助成を受け、継続して活動が行われることになった。(5)町並み色彩研究をつうじて広がった様々な地域との交流(海外も含め)の輪を広げる
実際函館の場合、まちづくり公益信託における事務局として行っている活動は、助成活動の公募・審査事務、助成団体の活動支援・報告書づくり、運営委員会のサポート、運営委員の交代へのアドバイス、ニュースレター等による情報交流、募金活動、基金活性化のための自主活動等々、その仕事は実に多い。
どういうスタイルが最もよくカタリスト(触媒)として機能しうるか。それをさぐることがテーマのひとつであった。