20年間の日本の都市空間の変貌を象徴する小樽運河

                           ライナス1994     


柳田良造

 小樽の街のまちづくりに関心をもつようになって20年になります。1973年は小樽運河の保存運動がはじまった年ですが、たまたまその年小樽に住むことになったのが、おおげさに言えば運命的な出会いだったような気がします。4人の仲間が集まり、小樽運河と色内の歴史的街並みを卒業論文の研究としてとりあげたことが、その後都市計画やまちづくりを仕事として選ぶ上での、原点となりました。
 当時私たちがどんなことを考えていたかというと、まず一つは都市の中の水辺ということでした。運河や港周辺は忙しい経済活動から離れて、空間自体が休んでいるようなところがあって、とても開放的な気分になれる場所でした。この見捨てられたような運河を再生して、小樽の街の新しい市民や観光客が集まれる広場のようなものが生まれないかと考えました。その後、東京をはじめいろんな都市で、水辺(ウォーターフロント)開発が脚光をあびるようになりました。古くなった産業施設の再開発の意味もありますが、過密な都市空間の中に、どうやってやすらぎや開放性、ドラマ性のある環境をつくるかといったテーマに、水辺の魅力、価値が再評価されたのだと思います。小樽運河問題はそういう都市の水辺のあり方に対する日本での最初の問題提起のひとつだったように思います。
 二つめは小樽の都市空間や建物がもっている造形的なおもしろさです。例えば缶詰工場の屋根から飛び出している換気塔とか、倉庫の鉄の煙突とか、運河沿いの道にごろんと横たわっていた鉄の巨大な漏斗とか、変なものというか、おもしろい形のものが、街中にいっぱいころがっていたように思います。魚箱が空き地の壁いっぱい積み上げられているのを見ても、今の言葉でいえばインスタレーション的なおもしろさがあって、興味をそそられたし、石造倉庫もゆるくカーブする運河に沿って、切妻屋根の三角形がノコギリの歯のように連続して連なっているリズムがとてもおもしろかった。そういう発見がいつもあって、街を歩いていて飽きることがなかった。単なる歴史的な街並みの保存ではなく、個性的でおもしろい形にあふれた都市デザインがこの小樽ではできるのではないかとそう思っていました。
 ほんとうに当時の運河は、まちづくりのいろんな可能性のある場所でした。今の運河の姿は、残念ながらこの可能性のほんの一部だけが形になっているという状態のように思います。現在の運河の姿はその後の保存運動と道路建設をめぐる様々な動きの結果の反映としてある訳ですが、見方を変えれば、70年代の始めに日本の都市空間がもっていた空間の質が90年代の始めにどのように変貌したかを検証する舞台ともいえなくないと思えるのです。というのもこの20年間の日本の都市造りの方向はバブルの時代が象徴したように都市空間を最大効率の経済活動を行わしめる舞台として、その改造に邁進してきたともいえます。無用の空間として直接お金は生まないが、深いところで市民の心を支え、絵画や写真をはじめとする表現に代表されるように風景が文字通り豊かな文化そのものであったような都市空間=小樽運河が、この20年間の日本の都市造りの方向に沿って、幹線道路と書き割のような遊歩道と街並みとして解体され、観光客を小樽にひきつけ金を落させる装置に変えられてしまったといえるかもしれません。

小樽の街並みの現在

 過去の運河の姿に比較して、どうしても現在の運河については採点が辛くなってしまいますが、それにしても最近の運河周辺の動向には危なさを感じています。
 まず運河地区の景観を含めた環境の変貌があげられます。運河沿いでは特に陸側の景観に大きな変貌が生じ、石造倉庫が連続していた街並みは消滅して、駐車場や空き地のなかに小樽倉庫や大家倉庫などが、孤立して残る景観に変わったように思います。また広い臨港線でさえぎられ、港の周辺の水辺と市街地の分断は、決定的になりました。このように街並みが分断されたり、歩道の整備が遅れたりで、交通混雑も加わり、小樽の街は歩いて楽しむという喜びが急速に減少したように思います。小樽の街は元来地形的に小さいスケールの街で、街並みも建て混んだ印象が強い。山と海に囲まれた広くない市街地の中に小さな丘がいくつもあり、起伏に富んだ市街地は場所によって山と海の見え方、街並みの見え方がつくる景観が多様に変化し豊かです。しかしそれだけに市街地の空間構造がデリケートで、大きな道路を一本で、大きなビル一棟で街の骨格が変ってしまうようなところがあるといえます。小樽はこの20年間、道路建設を中心に大規模な都市改造を行ってきましたが、小樽の個性を弱める方向に作用し、今もその流れが変っていないように思います。
 もうひとつより深刻な事は小樽のシンボルともいえる運河や色内の歴史的な界隈が観光客中心の場所に変ってしまって、市民が日常の生活で楽しんだり、なごんだりするような雰囲気が急速に失われてしまったことです。また石造倉庫の機能もほとんどが観光施設に様変りし、明治以来の物流や産業空間としての意味も失われました。この市民の日常生活の舞台を失った場所は、単なる見せ物にしか過ぎません。
 地理的にも小樽の市街地の中心であり、明治以来物心両面で街のシンボルであった運河周辺が、観光客のみあふれる空虚な場所に変質しつつあるように思います。その場所に誇りと愛着をもって、見守っていく主役としての市民のいない環境は魅力的な場所には育っていかないのです。

 小樽と函館、まちづくり運動

 市民が主役になっているかどうかで、同じ港街でも、歴史的街並みをもつ函館と小樽の現在は大きく違うように思います。函館では、元町の古い歴史的街並みに、新しい函館の市民が住宅をたてて住んでいますし、煉瓦倉庫を再利用した金森ホールや明治館などは、観光客にも大変人気のあるところですが、地元の人も普段の生活で、友達と酒を飲んだり、食事をしたりコンサートを楽しんだりする場所で、日常の空間です。だからこそ、歴史的街並みに対する感覚も生活レベルでいきいきと反応します。歴史的建物が無理解な所有者の手により、破壊されそうになれば市行政と一緒にピケをはってまでがんばって保存したりしますし、景観破壊のマンション問題や大きな野外彫刻の建設問題(イカのモニュメント)など、いろんなレベルでまちのあり方をめぐる市民の動きが実にビビッドで活発なように思われます。それらの行動をになっている市民は、ほんとに特別な感じではなく、元町に住む住民がそれぞれ、自分が普段気持ち良く暮らしている街並みや生活を大切にしたいという思いから自発的に行動をおこしているように思います。そういう場所ですから、観光客がきても市民の暮らしの中にある街並みや水辺を味わって帰れるわけですから、目のこえたひとには充実感があると思います。
 函館では、今年の7月全国でもはじめて市民自らによる市民のためのまちづくり基金が設立され、市民の力による街並み保存やまちづくりの運動がより一層強化されていくことになりました。これはいまから10年ほど前、小樽でも運河保存運動が高揚した頃、その構想が打ち出され基金集めの第一歩がスタートしたものですが、残念ながら実現したのは函館が先になってしまいました。
 函館と小樽での一番の違いは街の開放性にあるように思います。函館は地形的にも開放的でどこからでも風が吹いてくるような、大きな広がり感があります。一方小樽は山と海に完全に囲まれ、まとまりが強く内部の人にはやさしいが外の人間を拒絶しがちな独特の閉鎖的な気風があるように思います。この気風が、まちづくりにおいてはマイナスに働いて、新しい試みや積極的な施策に後込みする要因になっているように思います。函館は外からの刺激は受け入れ、内部で対立が生じても、結果としてより高次の解決が生まれうるような包容力のある土壌が育っているように思えます。
 運河論争の時には、まちの将来像とか街並みや道路、水辺など具体的な都市空間の姿をあれほど熱っぽく市民が議論しあったように思いますが、現在小樽の市民が何を望んでいるのか全然見えなくなってしまったように思います。
 まちづくりの主役は市民です。伝統ある小樽の市民のあたらしいまちづくりの運動の始動を期待する次第です。
 

運河は小樽のシンボルなのです。行政もふくめ、一方小樽の市民はどんな都市生活や空間の楽しみ方をしているのでしょうか。例えば小樽ホテルのレストランで、食事をしたり酒を飲んだりしている、オルゴール堂の横の喫茶店でお茶したりしているのでしょうか。残念ながら現状では運河や色内の歴史的街並みは観光客だけのものになっているように思います。 運河周辺など地価が高くなってしまって、小樽の地元の人が進出して何かをやりたいと思っても、経済的に難しくなったといわれます。

運河を市民のための空間にいくつかの提案をしたいと思います。

1。運河に市民の集まれる場所を

2。再利用と街路整備を一体にアメニティの高い空間づくり
3。臨港線を地下に
  札幌の創生川では、道路を地下に写し水と緑のスペースをつくる
4。街の閉鎖性を変える
5。市民運動を

 現状の運河周辺を考えてみると、散策のためのプロムナードができ、観光客の写真のスポットとしては便利な場所になりました。しかし港と歴史的な街並みは広い道路で分断されているし、水辺に昔のように魚を釣る人の姿もなく、市民生活と水との関わりはずっと希薄になったように思います。施設的にもみやげ物や物販の店はたくさんできて、観光客はあふれていますが、市民自体が運河に足を向ける機会は少ないのじゃないでしょうか。街並みとしてみても、駐車場や空地、高層の建物が建ち、昔のような連続する街並みの魅力がなくなりました。
 観光ブームが去った時には一体何が残るのかと危機感さえ覚えます。

 今小樽でヒットしているガラス製品、オルゴール、ブリキのおもちゃなどは、都市的でかつモノの感覚が直接伝わってくるような手工芸品という、小樽がもっていたこの造形の文化に通じるものがあるように思います。
3つめは、小樽が戦後何十年も都市衰退が続く中で、活力や街の誇りのようなものまで失いつつある中で、再生への糸口、キッカケ見つけだそうとしていた時、運河や色内の街並みがもっている空間としての価値が大きな経済・社会・環境的資源として、街の再生につながるシンボルになるのではないないかということでした。新しい意味での都市の水辺や歴史的な街並みをいかした観光ということでした。

小樽が待つ特徴を生かした街づくり

 小樽の街は地形的に見ても面白い街です。山と海に囲まれていますが、その他に小さな7つの丘があります。起伏に富んだ地形は立つ場所によって風景が少しづつ変わり、街ごとにまとまった個性があります。景観的にもっとこれを生かしていければ面白いと思います。これからもウォーターフロントとしての動きがありますが、そのときにはきちっとした発想のもとに考えてほしいと思います。景観条例なども、よい景観をつくっていくためのものですが、完全ではないので、行政側の柔軟な姿勢と、保存が実現できるような市民の盛り上がりが必要です。