自給をめざし里山に暮らす−当別田園住宅の試みー

                         ビオシティ 2002/NO.23


柳田良造

「定年帰農」などの流行語を生んだように、近年田舎暮らしへの関心が高い。自然の中で土と親しみ暮らすこと、里山に暮らす・北海道当別町での試みを紹介したい。

(1)田園暮らしの背景
1)「農業、自然、暮らし」に対する社会的関心の高まり
田園暮らしが関心をもたれている背景として、「農業、自然、暮らし」に対する社会的関心の高まりがある。農業を職とまではいかなくても、食べるものへの関心、安心できるものを自分でつくり出すことや自然や環境への関心のある人が増えている。農業に関わってきた世代にとって農業に対するイメージが悪かったが、次世代は逆の傾向がでてきている。社会や時代の流れの中で農業、農村、土に触れる暮らしが見直されているのである。
今後の展開も含めて、現在暮らしのなかでおこっている意識変革や関心とは、
●安全で安心できる住まいと暮らし
シックハウスなどの問題に代表されるように安全な住まいへの希求
バリアーフリーのような安心できる住まいへの希求
●住み手が能動的に住む暮らし-生活のふくらみ
ガーデニングブームなどの生活空間の広がり(家の中の生活の充実から戸外での暮らしの楽しみの発見)
スローフードなど、伝統的な暮らしの知恵の再評価
市民農園での土にふれての手作りの流行
●定年帰農など自己実現のためのライフスタイルの選択
仕事中心の生活から暮らしを通した自己実現への希求
定年後の人生、あるいは子育ての時期、土に触れる暮らしへの高まり
●自然と触れ合う生活とこころ
自然と向き合う、自然と同化することの大切さ
虫や土を嫌う子供も増えているなか、子供世代に自然や土と触れる暮らしをつくりだす関心の高まり
2)農と暮らしの地域づくり−当別の可能性
ここで舞台となる当別町は札幌から北に向かい石狩川を渡り約25km、都市近郊といえる位置ながら、自然豊かな里山の残る農村地域である。札幌から1時間で、自然の中で土や林にふれながの暮らしが可能となる環境は、居住の場として魅力的だし、最終映画を見て帰れる距離は通勤も可能である。当別の魅力はさらに、酪農、花、有機農業、卵、など農的暮らしの分野で活躍する地域の人材に恵まれていることである。
地形的特徴も南の石狩川の氾濫原の低地に広がる農地ゾーン、丘陵端部に位置する里山ゾーン、山地の自然環境ゾーンと、求められる農と暮らしの地域づくりを進めていくうえで、土地利用の構造が明快だ。農業ゾーンは石狩川の北岸にひろがる低地ゾーンや当別川沿いで、その課題は環境保全型農業や生産者の顔が見える農業など特色ある農業を外へ情報発信し、改良と革新を進め、元気のある農村をつくること。さらに札幌に隣接するメリットを活かしながらも、大都市に依存せず自立的に地域づくりを進めることが重要で、農と暮らしの地域づくり、農村と都市の交流を進めるため、町全体の総合的かつ有機的な土地利用ゾーニングが求められている。
里山の田園住宅ゾーンは当別川をはさんで西側の高岡から材木沢にかけてのエリアと東側は中小屋から金沢、茂平沢、共有地までエリア。特徴は、山裾の里山的利用が行われていた場所で、現在農地としては効率的ではないが、林やため池もあり景観がよく、居住地として魅力的で今後可能性を有する土地。
自然ゾーンは丘陵部から山地にかけてのゾーン。道民の森、当別ダム、環境の村など、自然のなかでの保全型整備にあわせ、都市からの人も楽しめる、やすらぎゾーンの形成を進めようとしている。カヌー川下り、釣り、自然保全山の林、フットパス、馬の道、など農と自然を満喫できるネットワークを整備することや、冬の農地活用(交通=スノーモービル、馬の道、馬ソリコース、熱気球)も今後の課題となる。

(2)当別田園住宅計画
1) 当別田園住宅の多様なパターン
田園住宅住まいを希望する居住者には、いくつかのパターンが想定される。それは<ライフステージ>、<仕事>、<居住地選択>の3つからタイプ分類できよう。
<ライフステージを通して>
自己実現型・・・・仕事だけでない暮らしの自己実現タイプ(自然の中でのんびりとした暮らし、子育て)
脱サラ型・・・・・脱サラリーマンの田舎暮らしタイプ(農村生活での自己再発見)
悠々自適型・・・・リタイア層または予備軍タイプ(晴耕雨読の豊かな老後を)
<仕事を通して>
農業指向型・・・・農業または農的なりわい指向タイプ(農村定住、地域再生)
田園通勤型・・・・田園から都市への職場タイプ(ゆとりある田園居住の実現)
SOHO型・・・・居住地に拘束されない自然遊住タイプ(余暇は自然の懐へ)
<居住地選択を通して>
田園ダーチャ型・・・・都市住宅とダーチャのデュアル住宅タイプ(都市に住み田舎で菜園づくりの生活を楽しむ)
UIJターン型・・帰りなんいざ兎追いし故郷タイプ(ふるさとでの自分回帰)
道外移住型・・・・道外からの北海道移住タイプ(新天地での夢実現)
現在当別に移住している人達をみると、この3つの分類の組み合わせから、脱サラ・SOHO型、自己実現・田園通勤型、悠々自適・道外移住型、悠々自適・UIJターン型、悠々自適・田園ダーチャ型などのタイプがみてとれる。
当別の里山を終の棲家に選んだことから、脱サラ・特技をいかした新商売と暮らしのスタイルをすっかり変えた人、林と池もある広い土地での暮らしが気にいり札幌までの田園通勤を苦にせずこなし始めた人、公務員をリタイアし大阪から長年のあこがれの地に移住した人、都心のマンションを購入したが畑づくりや自然のなかでのダーチャ暮らしを始めようとする人など、様々である。また実現はしなかったが、広い林のなかにギャラリーやアトリエを併設した住居をつくる計画を希望した人もいた。地域と住む環境を選択することが、暮らしを通した自己実現につながる可能性がでてきたことを強く感じるのである。
2)当別田舎暮らしの実践
都市住民が田舎暮らしを始めようとする時、
「田舎暮らしをしたいけれど、一人ではちょっと心細い。」
「近所の人達や地域の人達とうまくやっていけるかどうか不安。」
「農業を始めたいけれども、どうすればいいのか分からない。」
などなど、移住する時の心配事は数多く挙げられる。実際に農家になることや移り住むことに夢や希望はあっても現実的には障害が大きく、難しいのである。スムーズな田舎暮らしを進めていくには、土地選びから、事業実現までの様々なソフトや情報の獲得、地域社会にとけ込んでいくためのネットワークづくりなど、事前の準備が重要である。
当別のプロジェクトはいわば田園型のコーポラティブ住宅であり、地域に移住する前に、住み手、コーディネーター、専門家、地域の人々が集まって話し合う中で、情報を交換し、様々な関係を築いていくところに特徴がある。十分な時間をかけ、地域の実状と人々をよく知ってから土地を取得し、家を建て、新しい環境の暮らしに飛び込むため、住んでからも安心の生活を送ることができる。田舎暮らしを実現するためには、なにより地域で社会的に支え合う仕組みが必要なのである。このプロジェクトの受け皿となっている当別の地域づくり団体「当別町農村都市交流研究会」のメンバーやその仲間には、草地づくりの専門家、有機農業で頑張る農家、こだわりの鶏卵をつくる人、手づくりソーセージ工房、全国に名を知られる花卉栽培農家、地元で代々つづく建築業者、元小学校跡地に自力で建てたやきもの工房を地域に開放している夫婦など・・・、いわば田舎暮らしの達人たちがいる。田舎での暮らしは地域の人達と交流することで楽しさ、その面白さが倍増するのである。
3)田園住宅事業の流れ
当別町での田園住宅づくりは、札幌郊外で実現した「あいの里コーポラティブ住宅」の計画に関わった当別在住のメンバーが、広々とした敷地で地域づくりにもつながる田園型のプロジェクトをたちあげようということで、「当別町農村都市交流研究会」を1998年、スタートさせたことが始まりである。まず土地の候補地探しからはじめたが、これが以外と難しく、里山の環境のいい場所で、非農地というのがなかなかなく、当別中を何度も探した結果、やっと金沢地区に3600坪の土地をみつけることができた。ちょうど同じ頃、国の優良田園住宅の法が施行され、地方自治体が基本方針を定めたエリアでは、農地でも都市住民が土地を取得し住宅を建設することができる制度が整った。北海道でもこの制度を活用し由仁町や東川町などでは町役場主導で田園住宅づくりの計画が開始されていくが、当別の場合は、まったく民間の自前のプロジェクトで、そのため土地も非農地という条件のもとに進めていくことになったのである。
次に移住希望者を募ろうとその年の9月に「北海道開拓使の会」と共催で当別移住応援ツアーを行った。スタッフも含め70人にもある大きな企画になったが、残念ながらこのツアーからは当別移住者は現れなかった。そこで1999年3月に、もっとひろく当別のいろんな層の人にこのプロジェクトをアピールし、知ってもらうとの意図と、当別の田園に住むことの魅力や可能性をさぐろうということから、当別カントリーライフ井戸端会議「当別町ワークショップ´99−文化は田園にあり−」を行った。当別の地域づくりや田園住まいの展望や課題やをいろんな参加者で話し合い、研究会のメンバーは改めて当別での田園住宅プロジェクトの魅力と可能性を再確認し、プロジェクトの実現に意を強くした。
その後、3600坪の土地利用の計画を練り直し、5区画(1区画約500〜900坪)を募集するパンフレットをつくり、雑誌メディアを使って、参加者への呼びかけを進めていった。その反響はインターネットなども通して全国から50組を越える問い合わせがあり、そのなかで実際の現地見学会や懇談会などを通し、12月に移住希望者2組が決まった。その後は、2000年3月に大阪在住の1組の参加が決定し、2001年には2組の参加が決まり、今年の秋にはすべての建物が竣工し第1期プロジェクトは完成予定となる。ゆっくりとしたペースで進んできたプロジェクトであるが、その理由には受け入れる側も都市からの移住であれば誰でもいいということでなく、地域に根付いてしっかりとした暮らしを展開していける人や都市生活で身につけた特技を当別町での暮らしにいかしていける人など、いわば地域の人材になる人をもとめている背景があり、そのためしゃにむに事業を進めるという発想がないからでもある。

(3)当別田舎暮らしのイメージ
1)里山でのデザイン
当別の里山は南に平坦な農地、後ろになだらかな丘陵を背負ったひだの多い山裾の部分にあたる。ナラやカエデなどの広葉樹の林と、畑に使える平坦部と点在するため池、自然豊かでありながら人間の手が入ることにより親和性をさらに高めることのできる環境である。
この里山の整備は実際に住むための基本的な設備(取り付け道路、水道、電気など)は整えるが、池や林はそのまま残し、自然の親和力を最大限いかしながら、環境をつくりあげることを当別田園住宅の基本スタンスとしている。基盤整備で造成がなされ、道路割や区画などが郊外住宅地のようにつくられている土地には、田園住宅としてのおもしろみや魅力がないからである。
里山とは農業生産など人の営みに連動して、薪・炭の生産、落ち葉や腐葉土などの有機肥料の供給源として、歴史的に人間が手を加えることによって成立した林地のことである。里山=里+山、人間化した自然ともいえ、日本の国土の25%をしめるともいわれる。雑木林、アカマツ林、茅場、山裾の竹林、鎮守の森、栗園、梅園、棚田、ため池、小川。日本人の故郷イメージのもっとも基本部分を作ってきた環境である。確かに北海道の里山環境は、「人間化した自然」という意味では未だ野生の割合が大きい。しかし比較的早く明治の初めには開拓の入った当別町当たりでは、水田や畑などの利用の他、神社の杜、薪炭のための林や灌漑や養殖のため池利用、子供の遊び場としても、里山環境はここ20〜30年前までは、人々の暮らしと広く関わりをもって存在してきた。
2)当別の里山環境
即地的にみても当別の里山環境は、居住するための様々な利点をもつ。まず風の吹き方、雪の降り方が平地ゾーンとは大いに違う。当別の冬は札幌と比較して大変だといわれるが、それは石狩川沿いに海から吹き抜ける風が強く、すさまじい地吹雪のためたびたび交通がストップすることなどがあるからである。里山の山裾は北西を丘陵部に囲まれ季節風が遮られるため、雪の降り方が、しんしんと穏やかである。夏も林が気温の上昇を樹木の蒸散作用で軽減するため、冷気が降りてきて涼しい風が吹き、心地よい。さらに地盤的にも平地ゾーンは泥炭地であり、建物をたてるには、大幅な地盤改良や杭が必要になる。それに比べて、山裾は粘土質の地盤であり、杭なしでも建物を建てられる環境にある。さらに敷地の接する前面道路も元は国道のしっかりとした道であるが、これも山裾の地盤のいい場所につくられたためであろう。さらに山や林に囲まれ、居住地として落ち着きがあり、景観的に美しいのはいうまでもない。
3)里山のデザインと建築
これら里山環境の長所をいかし、環境の力を最大限引き出すことが当別田園住宅づくりの目標である。環境デザインの基本原則は、
●中国の風水説に通じ、地勢、風向、太陽など方位を中心に考えた配置
地勢に沿った安定する場所に家を建てること、水の流れ、風の流れを重視する配置を考える。敷地全体としてバランスのいい安定感、奥行き感がだせるよう、具体的な敷地条件をてがかりに、柳の大木に囲まれた場所に母屋を建てるとか、山裾に沿って長い建物にし、夏の風と冬の日照の条件のいい空間を作り出すとか、工夫している。建物の形もコンパクトな形よりも、敷地の特徴をいかして冬の風を避けるような位置に配置し南面を長く、日照と眺めと両面楽しめるような窓を設けたりしている。車庫や玄関は道路から近く、寝室などは奥に位置し山に近い場所へ、また通り抜けの通路とか、農家の倉のように貯蔵や作業する場をもったスペースをガレージにするなど、民家の記憶につながるような空間も作りだしている。
●緑や土が主体となった柔らかな景観であること
林、ため池、水路の既存要素に加え、植裁計画によって敷地内をバランスよく区切りながら、住宅部分と畑や花壇などの庭部分をうまくレイアウトして配置したい。多種多様な生き物の生息が見られ、四季の変化を通して豊かであり、将来的には、建物を隠すくらいな緑や土、水が主体となった柔らかな景観をつくりだしたいと考えている。とくに道路側は200〜300mほど離れているとはいえ、国道を走る車の音が静かな田園のなかでは気になることもある。境界沿いに並木をつくり、遮音帯をかねた屋敷林で囲みたい。
●食を連想イメージさせる場があること、生活の表現のあらわれた景観
田園には食料となる田園や果樹がみじかにふんだんにあると、生命体として人間に安心感をあたえる。菜園、果樹園、家畜の場、など食につながる場、薪場とか作業場など田園暮らしの生活を表現する景観をいきいきとつくりだしたい。
● エイジングが効いている景観であること
田園の環境デザインは、木材や石材などの自然材が主体となっている。当別で使用している建築材は木材のほかは、屋根や外壁の一部が金属だが、苔むしたりあるいは美しく風化して、落ち着きのあるエイジングの美が醸成されることを期待している。
4)エコハウスの可能性
個別の住宅設計は住み手と相談しながら進めているが、循環型、自給型のくらし、エコハウス(環境共生住宅)などのコンセプトは居住者もかなり評価しており、技術的検討(特に積雪寒冷地型の技術)、コスト面での問題、メンテナンスの課題などをつめ、実現可能な技術をさぐっている。エコハウス(環境共生住宅)の定義として、地球環境の保全(ローインパクト)、周辺環境との親和性(ハイコンタクト)、居住環境の健康・快適性(ヘルス+アメニティ)の3点があげられる。言い換えれば「少ない資源とエネルギーで、健康快適に暮らせる」住宅と言い表せよう。当別での田園住宅で検討しているエコハウスの要素技術としては、以下の表にまとめられる。
そのなかで実際に適用可能な技術として考えているのは、@パッシブソーラー、A雨水利用、B住宅用共同コージェネ利用、Cバイオガス利用のトイレ、D屋根緑化、E安全な自然系建築材料の使用である。里山の林、家畜の場、菜園、果樹園、住宅、屋敷林のように敷地全体を有機的に活用した循環型、自給型の土地利用計画をつくりあげたいと考えている。
5)エネルギー自給
エネルギー自給に関しては、バイオマスを考えており、現在、5軒のうち3軒の住宅で補助暖房に薪ストーブをつかっている。課題は薪の入手で現在は、他地域の生産品を購入しているが、将来的には裏山の資源活用で薪を生産できるようにもっていきたいと考えている。その時には、薪ストーブを主暖房とする住宅もでてこよう。また暖房だけでなく、給湯も含めた住宅の主エネルギー源にバイオマスを活用することを考えるならば、レットストーブなどの導入も課題となろう。北海道では現在、100万haの林に手がはいらず間伐されるないまま、放置されているといわれる。眠ったままのそれら森林資源が活用される時代になれば、バイオマスエネルギーは田園住宅では、主要なエネルギーになっていくであろう。
もうひとつ、「当別町農村都市交流研究会」では里山でのエネルギー自給に関し、メタン発酵のバイオガス活用にも取り組んでいる。会社で牧場を経営しているメンバーが、田園住宅の近くの敷地をつかって牛などの糞尿からメタン発酵させ、バイオガスをとりだす取り組みについて、99年に研究チームを発足させた。まず最初は埼玉県小川町での事例などもを見学し、冬場のバイオガス発生実験装置をつくることからスタートした。
バイオガスに関しては温帯では確立された技術であるが、寒い地域においての確立は未だ十分ではない。先進事例としては、デンマークにその例があるようである。ガスの発生量と、投入エネルギーのバランスが最大の問題となる。牛の糞尿だけではガス生産のための加温にエネルギー消費してしまうようである。糞尿の肥料化という点ではそれでも良いのであるが、プラントを維持していくために必要な経費以上は何らかの生産をしてくれないと困ると思うので、@徹底した保温、A効率よい加温、B糞尿以外の資源の投入、この3つが北海道での課題のように思う。Bの資源に関しては複雑な事情が生じるであろうが,多くの購入資材を畑に投入していることから、ガスを発生させるのに都合良く,その上,肥料としても価値のあるものを探し当てることが問題となる。大きな流れとして陸地のミネラルは一方的に海に流れてしまう。かって森はサケの遡上などという形でミネラルを戻していたのであろうし、畑も魚糟や海藻という形で畑に投入してバランスを取っていたように思う。魚のあらなどの産業廃棄物を投入しているデンマークのやり方にはみならうものがあるように思われる。
2001年には、牧場の草のみで牛を育てるグラスミルクの生産が開始され、それに合わせ牛の糞尿を処理する本格的なメタン発酵装置が完成した。その動力には、ガスコージェネシステムを採用している。メタン発酵から生み出されたバイオガスをガスコージェネのエネルギーに活用するには脱硫装置の開発などまだ課題も残されている。今後それらの課題を解決していけば、田園住宅の台所や、畑や牧場などでの農作業に必要な副エネルギー源としては十分活用可能性があるように思う。

(4)今後の展開
1)今後のプロジェクト展開
●行政との協働による地域の優良田園住宅地区指定の計画づくり
優良田園住宅制度は農地においても都市住民が土地を取得して、住宅をつくることが可能になる法律である。そのためには自治体が基本方針をさだめ、地域指定する必要がある。北海道ではすでに数カ所の自治体で試みられているが、当別町でも田園型コーポラティブ住宅の事業展開で、田園住宅の意義や環境づくりの重要性が理解されるようになり、町レベルでの地域指定が検討課題となってきた。今後町、研究会でたたき台の検討案をつくり、住民も交え実施計画案を煮詰めていく予定である。それに合わせ、第2期の田園型コーポラティブ住宅づくりの募集もスタートさせたいと考えている。
●里山活用ワークショップの開催
1999年に行った当別町ワークショップ−文化は田園にあり−の続編。実際田園住宅づくりのプロジェクトが進んだなかで、より具体的なイメージをもって当別町の地域づくりの方向、都市と田園交流のあり方の展開が語られるワークショップにあることが期待される。
具体的には遊歩道を整備したり、暖房用の薪づくり、椎茸栽培など、里山活用の実体験ワークショップを行いたいと思っている P。また将来的には蹄耕法とよばれる、牛の蹄が地を耕し、草地がつくられていく農法で、里山の町有林の中で田園住宅ゾーンにつながる部分を豊な草地に変えていく整備計画なども町との協同で模索される。草地とは、土→草→家畜→人間のなかで、エコシステムに基づく酪農生産の原点になるものであり、人間居住地としてもアメニティの高い場をつくりだす。より積極的に里山を活用し、風景に力のある、人々の暮らしの場、地域の場に変えていきたいと考えている。
2)田園文化とは
里山に暮らす、田園住宅プロジェクトの最大の目標は、地域に文化的な暮らしの場を再構築することである。人と人をつなぐこと−それらが文化を生み出す力でないかと思う。田園文化とは大地や自然に直接働きかけ、たっぷりとした時間をかけたふくらみのある暮らしから生まれる。そういうアイデアや知恵、地域の資源を生かす可能性が田園にはまだ残されていると思いたい。田園での新たな暮らしと人と人をつなぐことから、田園文化づくりの再興を始めていきたいと考えているのである。